チャプター6 再戦
夜明け前。
太陽が昇り始めるまであと一時間と言った頃合いだった。
夜の闇は深い。
敵を詳細に捕捉しなければならない狙撃手にとって、一番やりにくい時間帯のはずだ。
そんな中、ニアとアストラルは作戦を始めようとしていた。
今いるのは感染者の捕捉範囲のわずかに外、これから一気に中に侵入していく流れだ。
相手は遠距離タイプのバイオロイドだっただけあって、その索敵範囲はかなり広大であることが予想された。
アストラルも索敵と分析に特化したバードではあるが、そのアドバンテージは発揮しにくい。
後はもう奴の射程内に入ってからの、でたとこ勝負しかない。
「作戦開始まであと一〇秒」
アストラルの無機質なカウントダウンが始まる。
処理能力のほとんどを分析へと回しているのだ。
ニアはと言えば森の中で両手を突き、両足をしっかりと地面に噛ませた四つ這い──クラウチングスタートの姿勢だった。
「──五、四、三、二、一、イグニッション」
「さあ、全開で行くよ!! ──身体拡張モード『疾風』ッ」
火蓋が切って落とされると同時に、ニアの中のナノマシンを活性化させて地面を蹴り抜く。
大きく土がめくり上がり、トップスピードに乗る。
森の中の景色がめまぐるしい速度で切り替わる。
視界はアテにならない。
これだけの速力だ。
何か障害物にぶつかれば無事では済まない。
天然の樹木が密集した中を最高速で走る。
当然ニア独りでは達成できない。
アストラルが事前に調査した超高解像の地図。
わずかな土の膨らみ、木の根まで再現した地図を脳内に読み込んでいるのだ。
「さあさあッ! 面攻撃の時間だ!──奴さん気がついたぜ! 攻撃予測!」
アストラルも興奮した声で叫ぶ。
その横を大きな光の矢が過ぎ去った。
ニアは身体をひねってかろうじて躱す。
アストラルの攻撃予測演算によって、わずかにニアの反応速度が上回る。
光の矢が飛んできたのは、シェルターのあった方向。
「やっぱり動かないでそこにいたね!」
「ポイントA1到着! 高域ジャミング展開! 持続時間一〇秒!」
アストラルが予定どおりジャミングを展開する。
短時間で無効化されるが、それでも一時的な目くらましとして有効だ。
「上等ッ!」
到着したのは谷底を走る河原の蛇行部分。
恐らく過去にあった洪水の影響だろう。
アストラルの地図どおり、折れた木々や岩が散乱していた。
「さあ投げるぞ〜!! ──身体拡張モード『強靱』ッ」
質量が数倍となった身体で、太い流木の幹をつかみ投擲する。
方向はだいたい感染者がいる辺り。
完全に当てることを目的としているわけではない。
今は数を投げることが必要だ。
その数、二〇前後。
うなりを上げて跳んで行く、流木や岩石が空中で光の矢に一気に貫かれた。
感染者だ。
やはり近づけば近づくほどに射撃の精度は高くなる。
しかも同時射撃も可能ときた。
「投擲物全弾撃墜ッ! 第二陣発射!」
アストラルの指示によってニアは休まずに次の弾を投げていく。
「おらおらっ! どんどんいくよー!」
「ジャミング無効化予測まで五、四、三、まずッ──」
そのときだった。
森の中が一瞬またたいたかと思うと、ニアのすぐ側に光の矢が着弾する。
「うおっッ!!」
「ニア!!」
わずかにこめかみを焼かれる感覚と共にかろうじて、ヘッドショットを免れる。
このわずかな時間でジャミングを突き破り、ニアの場所を突き止めたのだ。
恐ろしい処理速度。
ニアなど足下に及ばないレベルだろう。
「大丈夫! かすっただけ、再計算ッ!」
「奴の処理速度を上方修正ッ! ほんと、化け物レベルのバイオロイドだったらしい! A1ポイント廃棄! プラン修正D!」
アストラルの驚愕の声を聞きながら跳ね起きると、走り出す。
既に『疾風』へと身体拡張モードを切り替えている。
位置を特定された以上このままココにいたら、良い的だ。
「アーカイブを探せば名前を見つけられるかもしれないね!」
今までも歴史に名を残したバイオロイドはたくさんいる。
そして街を離れたまま消息不明になってしまったバイオロイドも。
もしかしたら特定できるかもしれなかった。
「D2ポイントまで移動開始、到着までに散発的な威嚇射撃を予想。回避ルート再構築」
「残弾率はッ!?」
アストラルに問う。
この投擲の目的は相手の弾を消耗させることだ。
遠距離タイプというからには、弾丸はエネルギーを利用して射出しているはず。
恐らく長期で生成したものだろうが、一度消耗してしまえば戦闘中に復活させるのは難しいだろう。
だから最接近するためにも、消耗させるしかない。
「推測値八〇パーセント」
「まだまだってことだ! 激戦になる前にシェルターを確認。もし飛び火したら最悪だからッ」
感染者の側にはシェルターがある。
耐久性としては、生半可な戦闘で壊れるようなものではないはずだが、それでも不測の事態は避けねばならない。
そこらへんはアストラルが、細かく調整してくれている。
「了解ッ! だがニアの推測どおりだとして、奴に気づかれたら本気だしてくるぜ」
「それならそれで結構! だけどできるだけ残弾は減らしたいッ」
相手からの攻撃が降り注ぐ。
しかし蛇行しながら森の中を全速力で移動する相手を打ち抜けるほどの精度は持ち合わせてはいない。
ちゃんと遮蔽を確保すれば、当たる確率は大きく減らせる。
「D2到着!」
「ジャミング展開ッ」
再度、投擲物が多くある地点に到着する。この作戦も反復を繰り返せば、相手に予想される。
あと一、二回でけりをつけなければいけない。
「第三陣投擲ッ!! デコイも混ぜ始めるよッ。投擲後は接敵するからヨロシクッ」
ニアが三回目の投擲を始める。
今回は岩や流木だけじゃない。
アストラルと酷似した鳥形のロボット──デコイも投擲する。
姿形はアストラルと似ているが、中身は遠隔操縦機能が付いたただのロボットだ。
アストラルの操縦によって羽ばたき始める。
「分かったッ! 気をつけろよッ! スタンドアローンに移行──」
アストラルはデコイを引き連れて、投擲物と一緒に闇夜に紛れる。
彼が感染者にどれだけ近づけるかが、今回の作戦の要だ。
そしてニアはそれを達成するための囮ということになる。
「さあ、一緒に踊ろうか──身体拡張モード『疾風』」
アストラルの通信が切れたなか、三度目の『疾風』。
それも全力駆動だ。
全身の筋肉から蒸気が上がり、関節が悲鳴を上げる。
そもそも一回でかなり身体に負荷の掛かる身体拡張をこうも連続して使用しているのだ。
相当の負担が掛かっている。
だが、それで停まるわけにはいかなかった。
アストラルが残してくれた地図を頼りに一気に感染者に近づいて行く。
「ぐぐぐッ」
たった今踏み抜いた地面が、打ち抜かれる。
遮蔽に使った巨木が、大岩が、光の矢の一撃を受けて、蒸発する。
やはり近づけば近づくほどに、射撃の精度は高くなっている。
しかし、同時に一撃の重さは徐々に小さくなっていた。
連射のしすぎだ。
あれだけのエネルギーを連続して放ち続ければ当然の結果だった。
「到、着ッ」
巨大な感染者の目の前に踊り出す。
感染者は身体を無造作に伸ばした多肢で支え、同時に背中からは腕が空へと手を伸ばすように蠢いている。
「いくぞー!!」
ニアはできるだけ大きな声で、感染者を威嚇する。
感染者の目をニアに釘付けにすること。
それが今の役割。
元々が遠距離タイプのバイオロイドだ。
奇襲するのでもない限り接敵されるのは、不快なのだろう。
身体の至る所に空いた口から、意味のない言葉を上げている。
だが頭上を越えて跳んで行くデコイには気がついたらしい。
空を飛ぶデコイの一匹を一瞬で打ち落とす。
やはり索敵は非常に優秀。
だがアストラルがどれかは未だ判断に迷っているようだ。
「させないよッ!」
感染者が一瞬、デコイに気をとられた隙に一気に距離を詰める。
完全にニアのことは注意から外れたはず。
しかしそれでもなおニアの『疾風』を使った斬りかかりは、易々と多肢によって受け止められた。
腕の一つ一つも硬質。
超振動の刃が火花を上げて食い込もうとするが、切り落とすことは叶わない。
強度からして、人間の感染者とはレベルが違うのだ。
「やっぱり強いッ!」
果たして、一瞬アストラルに向かった注意は再びニアに移る。
そのことにニアは会心の笑みを浮かべながら、殺到する腕を避けて跳躍する。
少しでも考える時間を与えたら、即座にアストラルを攻撃される。
ニアは感染者にとって一番の脅威であり続けなければいけない。
「GIAAAAAッ!」
機械を強くこすり合わせたかのような咆吼が響き、感染者がニアに追いすがる。
ついに感染者がしびれを切らして動き出したのだ。
巨体のくせに、恐ろしいほど速く精密な攻撃を、紙一重で躱し、ナイフで往なす。
恐ろしく集中を要する作業だ。
一つでも間違えば、今度こそ腕どころじゃない。
一発で完全に再起不能のバイオロイドのミンチが完成する。
一分一秒が恐ろしく長く感じるなかで、ニアは死線をかいくぐる。
「まだまだァ!!」
全身の体重を掛けて振り抜いた振動ナイフが、感染者の掴みかかろうとする指を切り飛ばした。
同時に追いすがる感染者の勢いも利用して、感染者を躓かせることに成功する。
こんなデタラメな身体で体術もクソもないだろうが、身体を動かすのはそれほど得意じゃないらしい。
感染者がなすすべもなく、シェルターの側の樹木に突っ込んだ。
めきめきと音を立てて、樹木が折れていく。
その先にあるのは祖母の暮らすシェルターだ。
このままではシェルターに当たる──。
そのとき感染者が急に動いた。
樹木に埋もれていた頭を引き抜き、倒れていく幹を抱え込む。
そのまま折れた樹木を振りかぶる。
ニアも感染者の巨体をギリギリで避けて、余裕がない。
「ま、まず──ガッ──」
力任せに振り抜かれた樹木に吹き飛ばされて、宙を舞う。
樹木があっさりと砕け散って周囲に木片をまき散らす。
飛びかける意識を、必死に繋ぎ止め身体をひねる。
アストラルのように空中で十全な移動ができないニアにとって、滞空時間は的になっている時間と同義だ。
案の定、頭をひねった瞬間、たった今までニアの頭のあった位置に、光の矢が突き刺さった。
間一髪、一房の髪と引き換えにして、生き残る。
ニアは側転の要領で、自らの軌道を変えながら、岩場の影に飛び込んだ。
光の矢はニアの隠れた岩場にも当たるが、既に岩を蒸発させるだけの威力は残していないようだった。
エネルギーが尽きかけているのだ。
「通信復帰ッ! 予想的中ッ! おい、ニア大丈夫かッ!」
ニアが肩で息をしていると、待ちに待ったアストラルの声が響いた。
「不意打ちじゃないから大丈夫! 対処できてる!」
分析結果にガッツポーズをする。
アストラルからは心配そうな心情が伝わってくるが、大丈夫だ。
骨は折れていないし、関節も十全に動く。
消耗は激しいし、見た目はボロボロだがまだ戦える。
「F4いっくよー! 展開準備」
親子との会話で気がついた違和感。
それが今、現実の物となったのだ。
ニアは次の作戦に移行する。
「分かった! しっかりやれよ、ニア! 身体拡張モード『天融』」
「まかせてよ! アスッ! 身体拡張モード『天融』ゥッ」
二人の声が重なる。
これこそが二人の本当の奥の手。共鳴の先にある、ニアとアストラルの隠し技。
『共鳴』は二人の精神を分かつ楔を取り除くスキル。『天融』はさらにその先、二人の意識を故意に混ぜ合わせる。
下準備と、幾層にも重ねた防衛策の上にかろうじて成り立つ、リスクの高い賭け。
ただしその対価は絶大だ。
身体機能強化、全方位知覚、超思考加速、短期未来予測。
融合して生まれる超過した処理能力はナノマシンの起動をほぼ瞬時のレベルまで高める。『疾風』と『強靱』の即時切り替えだ。さらに周囲五〇〇メートルの全情報をリアルタイムでトレースし、短期未来予測まで行う計算力。
当然、精神が混ざり合ってしまうリスクもある。うまく安全装置が作動しなければ、二人は終わりだ。
しかし戦いに勝たねば、ニア達に明日は来ない。
「さあどうだ!今のわたしたちに見えないものはないよ!」
感染者の腕の予測軌道によって、一杯になった視野。
超思考加速によって、スローモーションとなった世界で、ニアは腕の間隙に身体を滑りこませる。
今までは多肢の動きによって阻まれていた、本体への一撃。
普通なら到底不可能なはずの行為を『天融』が叶える。
ニアの突き込んだナイフはあっさりと感染者の身体に吸い込まれる。
「GIIAAAAAAAA!!!」
感染者の絶叫が響いた。
厚いと思われていた表皮も、堅いのは腕だけだ。
身体は硬いどころか、人間の感染者よりも脆いぐらいだった。
この巨体のすべての部位をあの強度に維持するのは無理。
アストラルと一緒に考えた予測が今はまる。
「──二〇秒」
アストラルが無機質な声をこちらに寄こす。
『天融』の使用上限時間だ。混ざっていられる時間は短い。
「一気に押し込む!」
ニアは振り払おうとする腕を避けながら、ヒットアンドアウェイを繰り返す。
感染者がニアの動きを追おうと多肢を幾重にも伸ばすが、すべて空を切る。
『天融』を発動したニアに敵は追いつくことすらできない。
しかしその身体は巨体だった。
攻撃が決まっても、奴の体力を削りきることは叶わない。
「──一〇秒」
動きが鈍くなっては来ているが、それでも『天融』の発現中に仕留められるかは微妙なところだった。
焦燥に駆られ始めたときに、感染者の顔が急にあさっての方を向いた。
「まずいッ!アスの位置をッ!?」
感染者の視線の先にいたのは、ゆっくりと円を描くようにして飛ぶアストラルだ。
『天融』の最中はアストラルはほとんど演算処理の対応に追われて、意識的に動くことができなくなる。
本来ならもう少し後方で隠れるのだが、今回は『天融』の発動前に、しなければならないことがあった。
だからアストラルも最前線で今の状態になってしまったのだ。
感染者が持つ焼却機から弱々しい光が生まれる。
最初に受けた攻撃に比べれば、微々たるものだ。
既に感染者はエネルギーが枯渇している。
連射も、今までの威力も当然望めない。
しかし、それでも今のアストラルに当たれば跡形もなく蒸発する。
「ゆる、さないッ」
──アスを傷つけることは、絶対に。
「絶対に殺させないんだから」
ニアは自らの焼却機を引き抜いた。
ショートリボルバータイプの手の平に収まるようなサイズの拳銃型。
威力は低いが速射性能に優れたものだ。
その照準を感染者に合わせる。
完全に隙を突いた、とは言えなかった。
避けようと思えば十分に避けられる距離だ。
もし攻撃を避けられれば、アストラルが撃ち抜かれる。
「こうなったら……!」
ニアは決める。
卑怯であることは分かっていた。
だが、それでもなお守らねばならない。
焼却機の照準をずらす。
感染者が射線から外れ、シェルターを捉える。
「…………ごめん」
そして迷わず引き金を引き絞った。
エネルギーの奔流が収束し駆け抜けた。
閃光によってニアは一瞬視界を失う。
視界が戻ったときにあったのは、本体の半分以上を失った感染者がシェルターの前でもがいている光景だった。
致命傷だ。
すぐに多数の腕が力なく地面に横たわり始める。
もう感染者に反撃する力は残されていなかった。
詰みだ。
「──敵性存在の全損を確認。状況終了」
アストラルの声が聞こえる。
同時に『天融』のスキルが強制的に解かれた。多重にかけておいた安全装置が働き、混ざり合った二人の意識が引き剥がされていく。
稼働限界を超えてのオーバーフロー。
ギリギリのタイミングだった。
『天融』がなければ、到底太刀打ちできない相手だったのだから。
「ふぃー」
思わず力が抜けて、その場に尻餅をつく。
「強かった……!!」
アストラルも興奮気味に降りてきて、ニアの肩に停まった。
目の前で蠢く感染者は身体の半分を吹き飛ばされて、露出した核にも大きな亀裂が入っていた。
焼却機も破損し、もはや身動きも取れない。
「答えあわせが必要だよね」
ニアは重い身体を引きずって立ち上がると、シェルターが設置されている大岩の裏へと回った。
「ニアの予想どおりだった」
岩の裏の光景をみて、アストラルが吐息をついた。
そこには岩ごと陥没し、完全に破損したシェルターがあった。
シェルター内が、外気と接触してしまっている。
人類にとっては致命的な状況だ。
「うん、ほら見て」
「奴が隠したかったのはコレだったんだな」
「挙動がおかしいと思ったよ。わたしたちの回り込みを防ぐような立ち回りに、ずっとこの場所を動かないこともね」
「確かに遠距離タイプは狙撃場所を知られるのを嫌うのにな。一連の不自然な行動パターンは襲うためではなく、守るためにこのシェルター周辺にいると考えればすべての行動に合点がいく」
「うん、まあ勘なんだけどね」
「だな。今回は随分と危ない橋を渡った」
アストラルが呆れたようにため息をついた。
分析に長けたバードの性かアストラルは、第六感や経験則を嫌う。
ニアは逆に結構大切にしていた。
「この破損具合は、……自然の故障だな」
破損箇所に外からの外力で砕いたような痕跡はなかった。
あの感染者が直接壊したわけではないようだ。
工法に無理があったのかもしれない。
ニアとアストラルは慎重にシェルターの中に降り立つ。
風雨にさらされたシェルター内は、既に人の住めるような環境を維持していなかった。
床には水がたまり、積もった土から植物が芽を伸ばしていた。
「うん…………当然おばあさんも」
「とっくの昔に死んでいるってことだ」
人間にとって外気に接してしまうこと。
それはナノマシンの浸食に耐えられずに崩壊するか、感染者になるかを意味する。
彼女の場合は前者だったようだ。
変異の途中で止まった状態の白骨が部屋の隅に転がっていた。
あれがきっと血の繋がったおばあさん。
代わりにVRユニットの中にいたのは、変質し羽を失った一匹の鳥型バイオロイド。
その成れの果てだった。
「あなたがおばあさんだったんだね。娘が生まれて人が変わったっていうのも、まさにその通りだったんだ」
ニアは優しく問いかけるが、返事はない。
バードの感染者は既にVRユニットと融合するような形で眠りについている。
口も退化してしまっていた。
「この感染者、いやバードが祖母の正体、なんだよな」
アストラルが確信しきれないといった様子で問う。
「きっとね。感染者になっても自我を失わなかったんだね」
「いままで聞いたことのない事例だな」
「うん……」
現実から見ている分には、生きているかを疑うほどに身動き一つしない。
しかしVRユニットのインジケータはめまぐるしく点滅していた。
このバードがVRの世界で活動していることを、示している。
「カメラは自分で壊したんだろうな……素体はバードだが、自我の境界を失ってマスターとバードの区別は付いていないだろう」
「つまり一つの人格になってしまっているってこと?」
「そうだ」
アストラルが分析結果を淡々と告げる。
ニアは眉尻を下げる。
「ここを見つけたのは偶然だったのかな?」
「多分そうだろう。VRユニットは生体認証を必要とする。かといってシェルターが無理矢理壊されたわけでもない。偶然壊れた直後のシェルターに遭遇し、まだ白骨化していない祖母から認証コードを得て、孫とのコミュニケーションを始めた。偶然にしちゃできすぎているけどな」
アストラルの声がどことなくもの悲しげなのも、勘違いではないだろう。
「まだ生きてるの?」
「ああ、まだ死んじゃいない。だがマスターの方が全損したんだ。恐らく保って一ヶ月程度だろう」
「そっか」
二人の間に沈黙がおりる。
「なんでこんなことしたんだろうな。第一こいつらにはVRと繋がるメリットがない。捕食活動は制限されるし、この場所から動けなくなる」
バイオロイドを呼び寄せて捕食していたわけでもない。
カメラの部品の輸送を頼んだのは、息子と孫の方だ。
むしろ祖母は「必要ない」と言っていたと、孫は話していた。
ニアはそっと感染者となったバードを撫でる。
「たぶんだけど…………寂しかったんじゃないかな」
人格が融合することによって相棒を失って。
感染者である以上、街に戻ることもできず。
ネット空間で出会った少女との会話は、どれほどこの感染者の孤独を癒やしたのだろう。
「やっぱり……そういうことなんだな」
アストラルが絞り出すように答える。
共感せずにはいられない。
バイオロイドにも寿命はある。
あるが、果てしなく長大だ。
そして寿命で死ぬよりも、仕事の途中で感染者との戦闘や事故に巻き込まれて死亡する確率の方がずっと高い。
死亡に至る過程のなかには、こういった最期もあるのだ。
当然、ニアとアストラルにも。
「ねぇ、この子にはもう害はないんだよね?」
ニアは努めて明るい雰囲気を出す。
ここで暗くなっても仕方がない。
「ああ、通信用設備と完全に融合して、動くことも、話すこともできない。ただオレらの声は聞こえているかもな」
アストラルも肩を竦めながら答える。
答えを聞いたニアはそっと、VRユニットの上で眠るバードを撫でた。
「ねぇ貴女──一人でお別れ言える? お孫さんと息子さんに。そうだ、お孫さんから手紙を預かっているよ。後で読んであげるね」
「見逃すのか?」
ニアの声かけにアストラルが反応する。
感染者の討伐証明部位は核だ。
当然のことながら核を持ち帰らないと、討伐の証明はできず報償も支払われない。
しかし今核を抜けば、感染者とここにいるバードも即座に消滅することになる。
「いまここでこの子を殺してしまったら、孫の女の子は本当のお婆さんを失って、お婆さんのフリをしていた誰かと話していたという現実だけが残っちゃう」
悲しすぎる、とニアは思う。
たとえ死ぬとしても、一ヶ月の時間があるというのなら。
それに本当のことを言えなかったとしても、きっとこの子もお別れがしたいだろうとニアは信じる。
あの孫の女の子にとって、とても良い祖母だった。
息子である男が驚くほどにだ。
きっと、害するつもりなどなかった。
寂しさと、本当に愛情を感じていたのではないか。
ニアはだまり込んだアストラルの眼を見つめる。
「──だめ?」
ニアも分かっている。こんなのは気休めだ。
「まあしゃーないだろ! ニアはそういう奴だ! 致命傷を与えたが取り逃がしたってことにすれば大丈夫だろう。オレらの評価は下がるがそれでいいんだな?」
長い沈黙の後、アストラルが大げさにため息をついた。
「アスだいすき」
「ちょ! くっつくな!」
間髪入れずに抱きついたニアに、アストラルは羽をばたつかせた。




