チャプター3 敗戦
「この辺りだね」
「チェック──オールクリア。住宅型シェルターは見つけにくいからな」
子供の感染者と戦ってからさらに二週間。
ニアとアストラルはついに依頼先の祖母が住むシェルターの側まで来ていた。
深い森の中だ。
たった二〇〇年の間に、里山の多くは本来の原生林の姿を取り戻しかけている。
雪解けしたばかりの大地はまだ下草も少なく、歩きやすいが、これが夏になるとまた随分と違うだろう。
ニアとアストラルはしらみつぶしに祖母の暮らすシェルターを探していく。
現代に多くの人が暮らす都市型のシェルターと違い、個人用のシェルターは感染爆発の最初期に隆盛した生活スタイルだった。当時はそもそもそれ以外の選択肢はなく、人々は必死に個人用のシェルターに逃げ込んだのだ。
一度入ってしまえば身動きが取れなくなるシェルター。それでいて、当時はまだ閉鎖系での完全な自給自足が達成されていなかったこともあって、バイオロイドが食料などの必要物資を手作業で運んでいたらしい。人々は食料の枯渇と、跋扈する感染者に怯えながら暮らしたのだ。今となっては多くの人類は都市型シェルターに集約され、最初期に個人シェルターに逃げ込んだ人々はとうの昔に寿命を迎えた。
今、個人用のシェルターに住んでいるのは、道楽とか他の特殊な事情で人々と一緒に暮らせないような人々だけだ。
「感染者から身を隠さないといけないもんね。地道に探しますか」
当然のことながら個人用のシェルターは、感染者から見つからないようにカモフラージュしているのが一般的だ。座標は分かっていても、見つけるのには苦労することが多い。
「ここら辺は森が深いなぁ」
「樹木で死角だらけだ。若干嫌な感じだな」
アストラルが嫌そうな声を出す。
樹高が二〇メートルを超えるような針葉樹林が、傾斜の強い山の斜面の至る所に生えていた。観測を得意とするアストラルといえど、生い茂る樹木の上から中を正確に見通すことは難しい。高所から一気に状況把握といかないので、木の枝に停まり、頻繁に場所を変えながら周囲を精査している。
ニアは、ごくろうさまと声を掛けながら、周囲を見渡す。
急峻な斜面の下には、川が流れていた。雪解け水も混ざっているのか水量も結構多い。山の急勾配を下ってきただけあって勢いもあるから、もし飲まれればバイオロイドとはいえ、無事は保証できない。
「こんな場所にシェルター作るなんて随分変わった人だったんだね」
ニアは独りごちる。
バイオロイドにとっても大変な環境なのだ。
人間はシェルターに入ってしまえば、以降は外に出ることがないとはいえ、人間がここまで来るだけでも相当に大変な思いをしただろう。当然のことながら、同伴したバイオロイドも相当に苦労したはずだ。
「おお、とか言っているうちにシェルターあったぜ。南西の山の斜面だ」
汗を拭きながら山道を歩いていると、アストラルから念願の連絡が入る。できればこの森の中で夜を迎えるのは避けたかった。今ならまだ、荷物を渡しても明るいうちに下山できるだろう。
アストラルの指定する場所に急ぐ。
その先には斜面に突き出た岩場に埋もれるようにして、シェルターの入り口が鎮座していた。
「随分と古そうだね。何の補修もしていないのかな。もしシェルターが破られたら即死するか感染者になるかしかないのに」
ニアは呟く。
シェルターの入り口は、完全にこけに覆われていてぱっと見では人工物だとは思えないほどだ。感染者から身を隠すためにカモフラージュする必要はある。しかしこれはどちらかというと何のメンテナンスもしなかった結果だ。シェルターも人工物である以上、ノーメンテナンスだと一〇年ほどで劣化が進む。そして特に個人用シェルターでそれをやるのは、自殺行為だった。
「まあ偏屈だからこそこんな所にシェルターを建てたんだと思うけどな」
「確かにね。さ、仕事を済ませようか」
アストラルのあっさりとした返答に、ニアもそんなもんかなと思うことにした。
何はともあれ荷物だ。
ニア・トランスポートサービスは、迅速丁寧な配送をモットーとしている。たとえシェルターが汚かったからといって、尻込みする理由にはならない。それに下山を考えると時間的にギリギリだ。
シェルターのドアの前は、樹木が取り払われて小さい広場のようになっていた。そこからは空が見える。さしずめ住宅のエントランスのようなたたずまいだ。
ニアは到着を告げるために、ドアの前に立った。
「──ぐがっ」
激しい衝撃が身体を駆け抜けた。
意識が明滅するほどの一撃。気がついたときには近くの木の幹を貫いていた。
それでもニアの勢いは止まらない。地面や、他の木の幹を何度もバウンドしてやっと木の幹に食い込んで止まる。
一瞬ホワイトアウトした意識を、再起動して姿勢を立て直す。右手の感覚が消失していた。激しい損傷を受けたか、最悪切断されている。
ノイズが酷い。
それだけ肉体にダメージを受けた証拠だ。
「ニ、ニアッ!! なんでこんな所でステルスしてやがる!? おい、返事しろ、返事!」
アストラルの通信が遠くから聞こえてくる。今、アストラルは木立の中にいるはずだ。だとすれば、アストラル自身もニアに攻撃をした何者かの間合いである可能性がある。にもかかわらずアストラルは呼びかけを止めない。
完全に焦って混乱しているのだ。
「アスッ、情報収集ッ!」
「あ、りょッ、了解!」
怒鳴るように命令を下す。
混乱している仲間には端的に方向性を示す。何よりもニア自身に余裕がない。
ニアは大きく吹き飛ばされはしたが、まだシェルターが見える位置に立っていた。当然、感染者からもニアの位置は分かっているはずだ。
「お、追ってこない……?」
しかし奇襲に成功し、手負いとなって格好の獲物であるはずのニアに追いすがる様子がまるでなかった。
感染者の通常の動きとしては不自然だ。
「まさか、シェルターの中を狙っているの……!?」
その考えに思い至りニアは粟立つ。
この感染者の大きさは廃墟の都市で交戦した子供の感染者の倍はあろうかという体躯だ。通常の感染者よりも大きい。
しかもアストラルにも感知されないほどのステルス性能に、一撃でニアの腕を釈迦にするほどの膂力。
はっきり言って、かなりの実力を持った感染者とみて良いだろう。
そんな存在がシェルターを本気で狙えば、個人用のシェルターなどひとたまりもない。
「くッ、コイツ!! バイオロイドの感染者だ!!」
アストラルからの悲鳴に近い分析結果は、悪い状況を最悪にまで落とし込む。
「……どおりで強いと思ったよ」
バイオロイドの感染者。
いるとは聞いていた。
長く感染者との戦いを生き抜いて、そして最後は自らも感染者となってしまうバイオロイドが。休養をしっかり取って、身体に侵入したナノマシンを不活性にすれば基本的には感染者化は避けられる。
しかし、ときにはそれが許されない状況もある。
退路を断たれる。何かを守るために、引くに引けない状況で戦闘を強いられる。
そうして、バイオロイドも感染者となる。人間の感染者とは比べものにならない強さを持って。
「逃走経路を算出。袋小路に追い込まれる前に、スイッチできる逃走経路を最低三〇」
ニアの判断は速かった。
基本の作戦は逃げだ。直接戦闘になれば、それこそ本気の削りあいになる。
ニアも死を覚悟して戦うことになるだろう。それは避けたい。
だが、感染者をこのシェルターから引き剥がす必要がある。
「ニア、その腕!」
目視で確認したのだろう。アストラルの声がニアの脳内で響く。
「だからだよ。一発でコレだ。いったん退いて立て直さないと、こっちが負ける」
まだアストラルも気が動転している。この状態で勝利を呼び込めると思うほどニアに自信はない。
「まずはシェルターから引き剥がす」
森の中を疾走する。
力なく垂れ下がる腕が、一動作ごとにニアの重心をわずかにずらす。
負傷時の戦闘がこんなにもやりにくいとは。久しぶりの感覚に、意識の隅がチリチリと覚醒していく。
ニアが接近すると、感染者は近くにあった石を投擲し始めた。
ニアの頭がたった今まであった場所を、拳大の石が風を切りながら抜けていく。初速はハンドガンの弾速程度は余裕でありそうだ。当たれば、真っ赤なトマトになることは間違いない。
「遠距離も隙なしってね……!」
質量・形状ともにバラバラの石を使っているはずなのに、その投擲精度は高い。
ニアの背中に冷や汗が流れる。相手の投擲弾を避けながらの接近。
木々が遮蔽物になるとはいえ、近づけば近づくほどに投擲からニアが避けるまでの時間は少なくなる。
「緊急時だ。『共鳴』、いいか!」
さすがに避けるのが限界になってきたとき、アストラルが通信で吼える。
現状ではこれ以上の接近は難しいと判断したのだろう。
マスターとバードという二つの精神は元をたどれば一つの精神を分けたものだ。表出される人格は違えども、根っこの部分は同じだし、繋がっている。アストラルが言っているのは、その人格を二つに分けている楔を抜いて、各々が取得している情報をタイムラグなしに共有するということ。
共鳴を行えば、その伝達速度と処理速度は通常の一〇〇倍に跳ね上がる。
今の弾道予測も楽になるはず。
他のマスターとバードにはできない二人の隠し技。だが諸刃の剣でもある。
「アスと性格混ざっちゃったらいやだなぁ」
「四の五の言ってる場合か!?」
共鳴には二つの精神が混ざり合うリスクがある、という欠点があった。もし混ざり合ってしまえば、後から分けることは不可能。
後遺症を残せば最悪、アイデンティティを保てなくなって発狂、という可能性もある。しかし背に腹は代えられないのも事実だ。
時間が経過すればするほど、ニアの体力は削られていく。不利になるのはこっちだ。
「わかった──『共鳴』」
ニアの許可により、二人の精神を分かつ楔が取り除かれる。一気にアストラルが取得している情報がニアの脳内に流れ込んでくる。
「……ぐ!」
アストラルのニアに対する心配の気持ちも含めてだ。下手に受容すれば、どちらがニアでどちらがアストラルか分からなくなってしまう。
感情に関しては極力無視しながら、ニアは敵の投擲を見る。
「見える……!」
やはり共鳴の効果は絶大だ。相手の投擲の予測が、リアルタイムに軌道計算されてニアの視界上に再現される。
「──『疾風』スタンバイ!」
一気に仕掛ける。
時間の流れすらゆっくりになるほどの感覚密度の中、最大速度で敵に近づく。
「おりゃああああああッ」
相手の投擲をナイフで打ち払い、あるいは避けながら近づいて行く。
「素体のバイオロイドは中・遠距離タイプだ! これだけの精度を出すには近接系の能力は犠牲にしているはずだ。近接に持ち込めばまだ目はあるぞ!」
アストラルの言葉を信じる。
確かに中・遠距離型だからこそ、これほどの精度で石の投擲ができるのだろう。初撃を受けたのは不意打ちだったから。
近接に持ち込めばニアに分がある。
「じゃあ飛び退いてもらおうか!」
ある程度近づいたところで、感染者がニアを警戒して飛び退けば、シェルターと感染者との間に割って入れるだろう。そうすれば上手く捌きながらシェルターから引き離して行ける可能性も増える。
ニアはさらに一歩を詰める。ニアの間合いの中に感染者が入る。
感染者にとっては嫌な距離のはずだ。さすがにバイオロイドの感染者といえど、近接タイプのニアと打ち合えば無傷とは行かない。
だからこそ一旦距離を取ろうと、飛び退くはず──。
「避けない!?」
「避けないだと!?」
感染者は飛び退かなかった。
その場でニアの攻撃を受け止める。多数ある腕のうち防御に回した二本がニアのナイフによって弾かれる。それでもなお、感染者は距離を取ろうとはせずに近接戦にこだわっていた。
「行動予測を修正。くそっ! やりづらいぜッ」
「でも、近接を許してくれるんなら押し込むまで!」
「焼却機は使うんだよな!?」
「とーぜん! でも避けられてシェルター直撃したらまずいから、確実に倒せる場合のみ! 基本は逃げるつもりでいて」
「了解。新たな逃走経路算出開始!」
細かな作業はすべてアストラルに任せて、ニアは目の前の敵に集中する。
先のことは考えるな。
目の前の敵の動作のことだけを考えろ。
多数の伸びてくる腕。
それを往なし、躱す。やはり膂力は桁違い。表皮も恐ろしく硬い。
簡単にはナイフで切り飛ばすことはできない。
さすがはバイオロイドを素体とした感染者なだけはある。だが遠距離に特化した個体であったようだ。
感染者となり理性の大半を失った中で、やはり近接戦では精彩を欠く。
ニアは片腕でもなんとか食らいつける。きついが、ニアとアストラルも共鳴という奥の手を出したのだ。
押し切ることができる。
「根比べといこうか!」
さすがに本体への攻撃を許すようなことはしないはずだ。そうなる前に飛び退くはず。
そうしたら一気に焼却機で貫く。
今回はさすがに生かして逃がすという選択を取るのは不可能だ。
天秤にかけたら、ニアは自分の命を取る。
「いけるッ!」
そう思ったときだった。
目の前に無造作に、何かが転がったのが見えた。
感染者は道具を使わない。なぜなら理性を失っているから。
しかしニアはバイオロイドの感染者に接触するのは初めてだった。
予想外の事態に、ニアはそれが一瞬、何なのか判断し損ねる。
「閃光弾──ッ」
アストラルの声に我に返ったときには遅かった。
一瞬で視界を奪われ、気がついたときには宙に投げ出されていた。
「くそっ」
「焼却機!? そんなもんまで持ってやがるのか!?」
アストラルの悲鳴に近い叫びと共に、錐揉みになりながら感染者の方にわずかに回復した視線を向ける。
多肢を器用に使い、弓形の焼却機──高エネルギーの光の矢を番える、感染者の姿。
既に発射準備は整っている。
「避けろッニアッ!!」
「まずッ──」
空中に放り出されてはつかまるところすらない。つまりは方向転換もできないのだ。
このままでは詰む。
バイオロイドとはいえ、感染者を灰へと変える焼却機の一撃を至近距離で食らえば、ひとたまりもない。
そこから先はとっさの判断だった。
ニアは錐揉みになりながら、自分の焼却機を引き抜いた。
片手に収まってしまうほどの拳銃型の焼却機。
威力はそれほど高くないが、何よりも起動が速い。それがニアの焼却機の特徴だ。
その引き金を躊躇せずに引く。
拳銃の先から熱線が放たれ、森が直線上に切り裂かれる。
同時に感染者の焼却機も火を噴いた。こちらは超長距離でも威力の減衰しない高火力タイプ。
その一撃はニアから大きく外れてもなお、前髪を焦がした。
発射の直前で、ニアの焼却機による一撃の反力によって、自身の座標をずらしたのが幸いした。
「撤退……!」
ニアの攻撃により焼かれた森の方へ移動を開始した感染者を視界に捉えながら、ニアはアストラルに命令を下す。
満身創痍だった。
これ以上の戦闘行動は無理だ。自由落下に身を任せる。
下は川だった。
ぼちゃん、という衝撃の後に身を切るような、雪解け水に包まれる。
ニアは半ば意識を失いながら、谷底の急流に身を任せた。




