チャプター2 戦闘
「チェック──経路上に感染者の気配なし……。いや、ちょっと待て。いるな」
アストラルの定期報告に、不穏な気配が混じる。
今まで順調に感染者を避けてきたが、ついに捕まったようだった。
シェルター外縁の街から出発して一週間。今ニアとアストラルがいる地域は感染爆発前には地方都市だった場所だ。
感染爆発によって二〇〇年前に滅んだ街の一つ。
そこかしこに崩れたビルや、土に還ろうとしている住宅がある。
運が悪い。この地域は感染者の支配地域ではないはずなのに。
ニアはため息をつきながらアストラルに訊ねる。
「群体?」
「いや、個体だ。野良だな。しかもかなり反応が小さい。相当に弱った個体か、もしくは元々雑魚だが運良く生き残ってきたかだな」
ニアの問いに、上空で調査を続けるアストラルが応える。
相棒との間に繋がれる専用回路だ。専用回線ではあるが、向こうが気づく可能性もゼロではない。慎重に言葉を選ぶ。
「戦闘は?」
「たぶん避けられないな。経路の左右は広域の感染者群生地区だ。そこを抜けるのは自殺行為だし、迂回しようとしたらそれこそ永遠に目的地に着けねぇ」
ニアは顔をしかめる。
できれば戦いたくなかった。感染者となり自我を失った存在ではあるが、彼らは元々人類だ。
「どこかに移動する気配は?」
「ない。この動かなさだと恐らく休眠モードで獲物が近寄ってくるのを待っているんだ。根比べをするほどの時間的余裕はないぜ」
「やるしかないかぁ」
ついにため息と共に、ニアが覚悟を決める。
悪あがきもここまでのようだ。当然のことながら戦いたくはない。しかし、それが仕事の支障となるのであれば別だ。ニアはそこまで慈悲深いわけではない。
「相変わらず嫌そうだな。討伐すれば報奨金もでるだろーが」
「まあ、そうなんだけどね……」
確かにその通りだが、金がもらえるからと言って割り切れるわけではない。
ニアは自分の考えが、その他の多くのバイオロイドから乖離していることも知っている。ナノマシンの拡散から二〇〇年たった現在では、感染者はナノマシンに侵された哀れな人々というよりも、人類の版図を奪う敵としての認識の方が強い。当然のことながらシェルターの中の人類は、討伐を推奨しているし、討伐証明部位を持ち帰れば報奨金も出る。
だがニアにとって、はいそうですか、と簡単に心の整理が付く問題ではなかった。
「よーし、切り替えよう。アストラル、広域探索モードから集中精査へ。接敵までは?」
背負っていた荷物を目立たない草場に隠すと、自分に言い聞かせる。
やると決まった以上はできるだけ早く決着をつける必要がある。実際に戦う場面で尻込みすれば、死ぬのはこちらだ。
「ニアの全力疾走で六〇〇秒ってとこだな」
「よし感染者に感知されたときには、目視できる位置にいたい。アストラルは高高度からの精査を続けてくれる? いつも通り、接敵するまでは緊急時以外はスタンドアローンで」
感染者は大抵の場合、バイオロイドよりも大柄でリーチが長い。ついでに言えば、遠距離攻撃を持つ者もいる。近接戦闘を得意とするニアとしては、相手が気付いたときには、既に懐に入っている形が理想だ。
アストラルも周辺探査、情報分析は得意だが戦闘向きではないバードだ。だからこそ相手に発見される芽を、できるだけ摘んだ上で一気に仕掛ける。
「了解。つまんねぇ怪我すんじゃねぇぞ」
アストラルのつっけんどんな言葉と共に通話が切れる。
「ふふ。素直に気をつけてって言えないもんかね。さーてやりますか」
思わず笑みが漏れる。アストラルは皮肉屋ですぐに怒るけど、本当のところは優しい子だ。相棒として、信頼している。
「怒るとご飯抜きにするところは嫌だけど!」
そこまで考えて意識を切り替える。片膝を付き、両手を地面につけた姿勢──クラウチングスタートの姿勢だ。
「──身体拡張モード『疾風』スタンバイ」
起動キーによって全身のナノマシンが活性化する。バイオロイドは自身の身体にもナノマシンを定着させている。もちろん感染者のように暴走しているナノマシンではなく、コントロールでき、兵器として有利に働くものだ。
全身が粟立つような感覚。
わずかな反重力作用による全身の軽量化と駆動系の強化。
地面を大きく蹴り出し荒野の中を疾走する。景色が高速で流れる。スタンドアローンに移行する前に、アストラルから送られた周辺の詳細地図と進路を頼りに一気に進んでいく。
最高時速は一二〇キロを超える。すべてを自分の認知機能だけでまかなうのは不可能だ。
風のように通り過ぎる景色の先に、こんもりとした有機的な影が見えてきた。透き通るような体表に、多肢、多足の身体。ナメクジのような本体に、背中には大量の人間の腕を生やし、脚に当たる部分は人の脚がたくさん生えた容姿。二つの赤い瞳は既に人の意志どころか、生物的な感情すら有していない。ナノマシンによって体組成を書き換えられた人類の末路。
感染者だ。
「見えた!」
「接敵を確認。通信復旧。奴さんも気づいたぜ!」
感染者もこちらの接近に気がついたようだ。もう隠れていても仕方がない。すぐさまアストラルが通信をつなげてくる。
「素体は子供か……!」
丸まった姿勢から、のたりと身体を起こした感染者の上背をみて、ニアが歯ぎしりする。
通常の個体より一回りは小さいのだ。これは感染する前の身体が小さいことを意味する──つまり子供ということだ。
だがここで止まるわけにはいかない。ニアは懐から一対のナイフを抜く。
すぐに通電し、虫の羽音のような高振動を始めたナイフを片手に切り込んで行く。
「……ふッ」
感染者から伸びる手が、ニアの軌道を後追いで貫いていく。
地面に刺さった腕は、大きくアスファルトを抉り取る。
子供が素体とはいえその膂力は半端ではない。
感染者の腕はまるで、タコやイカのように関節をもたず、しかもかなりの距離まで伸ばすことが可能だ。つまり間合いが広い。しかも腕の数も多いから手数も多いときた。
動きを止められたら負ける。
近づいてしまったら動き続けるしかないのだ。
「こなくそッ」
軌道を塞ぐ腕の何本かを、切り飛ばす。鉄すら容易く切り裂くナイフが重い。
感染者の身体は軟体のように見えて非常に頑丈だ。
「GIAAAAOOOOッ!」
攻撃を受けたことに怒った感染者が、絶叫を上げる。その声量に地面までもビリビリと揺れる。本能的な恐怖感を煽るが、それほど脅威ではない。
そもそも攻撃自体が単調だ。
感染者も個体によって強さが変わる。やはり何度も戦闘を経験し生き残った個体ほど、その戦闘は洗練され手強くなる。そういった意味で、この感染者はほとんど戦闘を経験したことがない様子だった。もしかしたらここで蹲っていたのも、獲物を狩ることができずに餓えて動けなくなっていたのかもしれない。
「そういった攻撃は通用しないんだなッ」
「GIGIGIGIGIGIッ」
先ほどから咆吼を上げ続ける感染者の攻撃をかわしながら、相手の腕を切り落としていく。切り落とされた腕はすぐには再生しない。ある程度、攻撃力を削いだところで一気に行動不能に追い込むのだ。時間は掛かるが一番安全な方法だ。
「腕の損耗率三〇パーセント。まずいぞ、思った以上に大騒ぎしやがる。左右を群生地域に挟まれているんだぞ。寄ってきちまう!」
アストラルの焦った声がニアの脳内に響く。それは確かに不味い。この個体だけの戦闘で負ける可能性は低いだろう。だが他の感染者を呼ばれたら、今度はこちらが袋叩きだ。
悠長にやっている時間はない。
「おーけー! なるはやで終わらせよ! 急所推定箇所を算出!」
「データ不足だ! 的中率三九パーセント!」
アストラルから悲鳴のような返答がある。
確かに戦い始めて大して時間が経っていない。現状で正確に急所を見つけろというのは、酷だろう。
「だったら三つ候補を! 合わせて的中率だいたい一二〇パーセントだ!」
「足し算じゃないだろが! ああもう! 視覚に反映するぞ!」
ニアの軽口に、突っ込みを入れながらニアの視界に重なるようにAR映像が投影される。
腕が生える本体部分に光るポイントが三箇所。確率は三分の一だ。
「さん……きゅッ!」
この場合深く考えていても仕方がない。一番手近なところから潰すことにする。
一気に猛攻をかける。
「くっ!」
やはり切り落とした腕の数が少ない。本来ならもっと時間をかけて戦う相手だ。
腕による弾幕が張られて、入りこむ隙間がほとんどない。
腕と腕の間。
わずかな間隙に身体を押し込む。頬と二の腕に腕がかすってわずかな裂傷を生む。
大丈夫。戦闘に大きな支障はない。
「はい、一つ目!」
果たして最短距離で予想ポイントに突き刺さった。
感染者の動きが止まる。
「どう!?」
ニアが叫ぶ。
「外れだ! 再計算ッ! 急所候補箇所を修正!」
アストラルの分析が返ってきたのは数瞬後。
しかし本体に攻撃を受けた感染者が身もだえする方が、一瞬早かった。
「……ぐッ」
がむしゃらに振り回した感染者の腕が、ニアの脇腹をかする。それだけで吹き飛ばされる。
錐揉みに飛びながら、既に錆の塊となっている自動車の残骸を吹き飛ばし、さらにビルのコンクリートに突っ込んだ。
「大丈夫か!?」
「大丈夫ッ! 受け流したッ!」
衝撃に一瞬飛びそうになった意識を、意地でつなぎ止める。
こめかみからの出血を感じながら、瓦礫の中から飛び出す。案の定、目の前には既に感染者が迫っている。こっちの復帰を待ってくれるほど優しい相手じゃない。
「──身体拡張モード『強靱』スタンバイ!」
先ほどとは別のウェイクワードによって、全身の自重が一気に上がる。
ニアの関節がきしみを上げ、ナノマシンに生成された加重力に耐える。与えられた質量は、そのものが武器になる。さらには全身の駆動系を一気にフルスロットルに持っていく。全身の体温が急上昇し、蒸気が陽炎のように上がる。
「的中率七三パーセントだ。やれるか!?」
「とーぜん! どっちにしようか……な!!」
アストラルに返答しながら、迫る腕を払いのける。
先ほどはニアの体重を掛けて切り落とすしかなかった腕を、わずかな所作で吹き飛ばす。それが『強靱』によって質量と膂力を得た結果だ。
感染者もまさかニアが、迫る自分を避けようとすらしないとは思わなかったのだろう。
わずかに慌てた様子もあるが、もう遅い。
数トンの巨体に急制動を掛けるのも、軌道変更も間に合わない。
「ああああああッ!」
一気に押し寄せる腕を切り裂きながら、迫る感染者を正面から迎え撃つ。もしタイミングを間違えば、感染者の質量に挽きつぶされるのは、ニアの方だ。果たしてニアの刃が、感染者の胴へと深く突き込まれた。
加速度のついた全質量を支える。
地面にめり込んだ脚が、大地をめくり上げながら、後退していく。
どれくらい続いただろうか。
感染者の動きを完全に止めたのと、感染者の四肢が力なく垂れたのは同時だった。
「急所に的中! 機能の九〇パーセントを喪失! 被害状況を確認」
すかさずアストラルからの分析結果が送られてくる。
そこには、わずかに喜色が混じっている。
「ちょっとすりむいただけだよ。──状況終了。ありがとう、アス」
ニアは自身に大きな損傷がないことを確認する。頭を切ったから出血は酷いが、見かけ倒しだ。
「ったく無茶しやがるから、ひやひやするぜ。…………で、どーすんだよ。わざと急所外したろ」
アストラルから呆れたような声が届いた。ニアはビクビクと痙攣を続ける感染者からナイフを引き抜いて大きく深呼吸した後、答えた。
「…………うん」
やはり気がついていたらしい。
「とどめを刺す気は、ないのか?」
「うん」
恐らくこの感染者は、人間だったときには少年だったはずだ。大きく変異してしまっても、その体つきから何となく分かる。だからこそ、とどめを刺すことはできない。感染者にはコアがあり、たとえ戦闘不能に追い込んでもコアを破壊しなければいつかどこかのタイミングで蘇る。ついでに言えば寿命と呼ばれるものも現時点では確認されていない。
今はコア付近のあらゆる動作の結節点を貫いた状態、つまりは行動不能ではあるが急所であるコアは破壊していない。これで死ぬことはないはずだ。
一週間もすれば、また今までどおり動き出すだろう。
もしとどめを刺すのであればバイオロイドにとって切り札となる武器、焼却機で焼き払うのが最も効率的だ。だが、今回はそれをせずとも事態を切り抜けることができた。
だとすれば、もうこれ以上のことはしなくても良いんじゃないか。
感染者は今の世の中では人類の敵だ。そして仲間のバイオロイドを襲う仇でもある。ニアの知り合いも既に何人も感染者と戦って命を落としている。そういった意味で、とどめを刺さないことにも後ろめたい気持ちがあるのも事実だった。ニアが殺さなかった個体が、いつか人類を、そして仲間を捕食するのかもしれない。
「万が一にも感染者の治療法が確立されれば、助かるかもしれないもんな! ニアのお人好しには呆れるぜッ」
半ばやけっぱちの声音でアストラルからの返答が届く。
口調はいつもどおり荒い。皮肉もたっぷりだ。
だけどニアのやることを否定するようなことはなかった。
アストラルはニアの気持ちを分かってくれているのだ。思わず、涙腺が緩みそうになる。
「アス〜」
「うわっ、泣くんじゃねぇよ! みっともねぇ! オレが泣かしたみたいだろうが!」
通信から焦る声が、聞こえてくるが、今はそれすらも愛おしい。
バイオロイドの運用を始めるとき、ヒト型のマスターと、トリ型のバードを対にしたことは、類いまれな良い設計だったとニアは思う。
ニア自身、アストラルがいなかったら今頃、孤独に潰されていた。
こっそりとアストラルに感謝する。直接言うとつけあがりそうだから、言わないけれど。
「でも自分の命が危険なときには容赦するなよ。それだけは約束しろ」
「分かってるよ。わたしだって死にたくないし」
アストラルの度重なる念押しに、ニアは頷く。ニアだって聖人君子ではない。自分の命を犠牲にしてまで相手を助ける選択など簡単にはできない。自分と他人の命を天秤に掛けたら、十中八九は自分の命を優先する。
そこは割り切っているつもりだ。
たとえ生き残った後に後悔したり、悩むことになってもだ。
「ならよし」
「頑張ったらお腹減っちゃった」
「はいはい。早めにここから離れるぞ。隠した荷物を回収してから食事と休息だ」
ニアはぐうとお腹を鳴らす。
アストラルの反応はいつもより幾分優しかった。




