032.2 過去の記憶
「……っ、ここは」
ガンガンと頭を内側から叩かれているような痛みに、翔太は顔をしかめながら起き上がろうとする。
しかし、体はピクリとも動かない。翔太が頭痛に耐えながら、自分の体をかくにんすると、ベッドに太いベルトで拘束されていた。
全力で力を入れたところで、自分を拘束するベルトが破れるような事は起こりそうもなく、翔太は全身を弛緩させてベッドに身を預ける。
ただただ静かな空気が流れる空間。
翔太の脳裏には、先ほどの見た過去の記憶が人生の転換期だったのだろうと、思案する。
才能に乏しい傍系から選出された鬼子。
嫉妬や妬みなど、負の感情に曝されながら、腐らず生きてこれたものだと、翔太は自画自賛する。もっとも、本家に引き取られた後に梓と出会っていなければ、今の翔太が存在していたかは怪しい。
「目が覚めたか、粗忽者」
「なずな、ちゃん……」
「ちゃんは止めろといってるだろ」
いつも間にか部屋に現れたなずなは、ズカズカと翔太が横たわるベッドに歩み寄る。そして、コツン、と翔太の額を拳で軽く小突く。
「で、気分はどうだ?」
「……最悪ですね」
「当然だ、馬鹿者。最高の気分とか言い出したなら、問答無用で、式神に首を噛みきらせ、一思いに殺ってるところだ」
「冗談、ですよね?」
「わたしがくだらん冗談を口にすると思うのか?」
なずなの淡々とした口調と感情の感じられない表情、翔太の額を冷たい汗が流れていく。
翔太の返事がないことは特に気にせず、なずなはパチン! と指を鳴らす。すると見慣れたゴールデン・リトリバーみたいな式神が現れ、彼女はその背に気だるそうによじ登る。
「さて、鬼灯にいくつか確認したいことがある。お前の元々の能力は知覚出きる領域内で、ありとあらゆる事象の掌握。間違いないか?」
ベットに縛り付けられているため、翔太は首を動かすが、なずなが手にしているタブレットに隠れて表情を確認することは出来なかった。
自分の超能力を正しく知っているのは、もう梓以外に存在しないはずだった。
淡々とした口調のなずな。ハッタリで訊ねているのではないと察し、翔太は小さく頷く。
「知覚という表現だが、実は正しくはない。例えば魔術師が魔術を発動する、例えば超能力者が超能力を発動する。原理がわからなくとも事象の発生源が何かを認識していれば、それを握り潰してしまうことが出来るだろ」
なずなのは手にしているタブレット端末の液晶モニタ、彼女の細くて小さな指が面倒そうになぞる。
なずなの言葉に、翔太の心臓がドクン! と跳ねる。
学園関係者はおろか、協会の尋問でも話していない、踏み込んだ内容を、なずなが口にしたからだ。
翔太の心音が徐々に速まっていく。彼の額には脂汗が滲み、浅い呼吸を繰り返す。
なずなは、翔太の変化に気づいているが、あえて無視して話を進める。
「あくまでも自身の知覚の及ぶ範囲であり、対処は容易い。稀有な能力であるが、危険度は低い、とレポートは締められたいる。誰が何時作成して提出したかわからないレポートだがな。わたしは、このレポートは、それなりの信憑性があると考えているが、全てが正しいとは思わない」
なずなは、一旦、言葉を区切る。
翔太の喘ぐような呼吸音だけが、部屋の中に響く。
「わたしの想像を含んでいるが、認識さえしてしまえば、物理的な距離など関係なく、魔術だろうが超能力だろうが、ありとあらゆる事象に対して干渉することが可能だろう。わたしのように式神とリンクせずに、スマホのテレビ電話程度で。違うか?」
「ハァ、ハァ、ハァ……。そうです……」
翔太はかろうじて、なずなの問いに返事をする。
「更に言ってしまえば、このレポートは嘘は書いていない。が、本当のことを書いてない。知覚範囲の事象の把握。それで、ありとあらゆる事象をどうにか出来るなんて、違和感がある。本質は――」
翔太の脳裏に、二度と耳にしたくない声が響く。
それは
おぞましく――
おそろしく――
やわらかく――
やさしい声。
『キミも自身の能力について、誤解している。キミの能力は神に近いし能力だよ。例えば、キミの世話を任せている落ちこぼれを、世界から完全に消め――』
「タカマサァァァァァァァ!」
翔太が絶叫する。脳裏に響く声を書き消すように。
焦点が定まらない視界で、獣のように吼える彼に、なずなは自分の迂闊さに舌打ちする。
「落ち着け、鬼灯!」
「アァァァァァァ!」
なずなは、ベットに飛び乗ると白衣のポケットから小型拳銃のような物――注射器を取り出す。そのまま、翔太の首もとにあてると引き金を引く。ブシュと小さな音がすると、数秒後に翔太の動きが止まる。
「チッ、鎮痛剤を使うとつもりはなかったんだが、わたしもまだまだ未熟だな」
自虐的な笑みをこぼしながら、なずなは入り口のドアに視線を向ける。
「遠慮せずに入ってこい。あと一、二時間は鬼灯とまともに会話は出来ない。すまないな」
一呼吸置いて、入り口のドアが静かに開く。そこには暗い表情をした梓の姿があった。なずなが顎をしゃくると、彼女は静かに部屋に入ってくる。
「本来であれば、鬼灯から聞き出すのが正しいのだが……。神代、少し確認したいことがある。神代の口から話せる内容だけでいい。わたしの質問に答えてくれ」
「……わかりました」
梓の返事に間髪いれずに、指を鳴らすなずな。瞬時に人払いと防音など諸々の効果を付与した決壊が部屋に展開される。
一瞬、目を見開いて驚いた素振りをみせた梓だったが、すぐに表情は戻る。式神の咥えてきたパイプ椅子を受け取り、なずなの正面の位置に座る。
ぴんと伸ばした背筋に太ももあたりに揃えて置かれた手。所作の美しさに、なずなは惚れ惚れしてしまう。
「まず、神代は鬼灯の超能力について、正確に知っているのか?」
「はい、知ってます」
「協会に誰が何時提出したかわからないレポートに、知覚領域の事象を掌握と書いてあった。これは嘘ではないが、真実ではないと、わたしは考えている。もし、話せることがあれば教えてくれ」
なずなは真っ直ぐに梓を見つめる。彼女は何か思案する素振りをみせた後、翔太を確認する。時間にして数秒。梓はゆっくりと口を開く。
「翔太の超能力は、認識した事象を掌握することで、魔術や超能力を解除出来るのは、単に副作用です」
「副作用だと……すでに規格外の超能力だぞ」
「はい。玄谷先生、光は波動と粒子の性質を持っていることをご存じですか?」
「ああ、知っている。二重スリット実験だな」
なずなは梓の問いに、光の波動と粒子をの二重性を観測する実験を答える。梓はその回答に満足したのか、言葉を続ける。
「では、時間は連続的なものですか?」
「……そうだな」
梓の質問に、なずなは訝しげながら答える。時間は連続的なもの以外にあり得ない。
「時間は連続的なものであり、刹那を積み重ねた断続的なものです。少なくとも翔太にとっては」
「ッ! なんだって……」
「事象を掌握して解除しているわけではなく、事象の起点となった時間を掌握しているんです。ただピンポイントで起点となった時間を指定できるほどの精度はありません」
「……あってたまるか。ピンポイントで時間操作なんて、それこそ神の御業に等しい」
なずなは、努めて平静を努めて言葉を吐き捨てる。時間操作を人が行うなど、人知の範疇を逸脱している。
身体の芯から染み出してくる得たいの知れない何かに、なずなは翔太に見据えてしまう。
「刹那が積み重なった結果、重さがあり、翔太が動かせる重さは最大で十秒です。過去を視るだけなら、その限りではないみたいです。あと偶発的精神転写体など軽いやつも例外としてあります」
「重さか。なるほどな」
なずなは内心、安堵する。制限無しで、過去改編が出来れば、それこそ世界を破壊することも容易だ。協会から問答無用で抹殺指令が出てもおかしくない。
「あくまでも、翔太の純粋な超能力ならば、です。アイツのせいで……」
ギリッと梓が奥歯を噛み締める。彼女の全身から殺気が放たれる。なずなの式神が、あまりにも濃密な負の感情に、なずなと梓の間に移動し、身構えて主人を守る。
「アイツとは?」
「…… 霧島家初代当主、尊征。アイツのせいで、翔太は、世界喰いと繋がってしまった。世界喰いは翔太の能力を変質させ、時間を喰らうようになった」
「時間を……喰らう、だと」
「翔太の能力は書き換えるから、時間としては残る。でも、世界喰いは違う。時間を喰らう。世界喰いに、喰われた人間は根こそぎ時間を喰い尽くされる。喰われた人間は存在しなかったことになる」
「そんな、まさか!」
「……そう。霧島家は、いつの間にか消滅してますよね」
梓の静かな声に、なずなは絶句する。
日本の裏の世界で有名な一族。代々の当主は、優れた異能力者で、協会でも発言力を持っていた。
しかし、いつの間にか霧島家は没落していた。直系の血縁者は見つからず、ほぼ一般人として過ごしている傍系の血縁者も本家が断絶した理由を知らなかった。
一般人として過ごしている傍系の血縁者に裏社会について、情報を流していないから、と当時は納得したなずな。彼女は梓の言葉に背筋に冷たい汗が流れていく。
「……協会が、翔太を殺すという選択肢を選べないのは、世界喰いが翔太から離れるのか、放たれるのか、わからないと忠告したから。もちろん、この忠告を残したのは、霧島家の関係者。たぶん私が識っていたから、消滅せずに残ったと考えられる」
「……思った以上に厄介だな」
「玄谷先生、翔太と私から手を引いた方が――」
「神代、わたしを侮るなよ」
なずなの鋭い言葉。彼女から放たれる凛とした気配。梓は反射的に喉を鳴らす。
「鬼灯も神代も、わたしの可愛い生徒だ。可愛い生徒が厄介をかけてくる。教師として頼られている証拠だ」
優しく微笑むなずな。しばらく呆然としていた梓だったが、小さく嗚咽をこぼし始める。
なずなは、式神を足場にして肩を震わせる梓を抱き締めると、優しく頭を撫でるのだった。




