4話 動けない北極星
幾何学に飲み込まれた瞬間、音が意味不明なノイズへと変わる。暑いのか寒いのかも分からない。空気の感覚すら滅茶苦茶だった。さまざまな香水を無理やり混ぜ込んだような匂いがする。口の中には、あらゆる料理を詰め込まれたような味が広がる。脳を直接かき回されるような不快感に思考が揺らいだ。
その瞬間だった。
『君のせいだ』
ノーチェの脳裏に声が響く。彼女は思い出す。暴走した祝福が、アルバの頬を切り裂いた瞬間を。息を呑んだノーチェの祝福は突如として暴れ出す。
(……っ、だめ)
彼女はとっさにしゃがみ込む。地面に手をつき、闇を霧に変えて広げる。何度も練習した祝福の発散方法だった。
彼女は集中する。闇が雷とならないように。……ノーチェは動けなかった。
『人形に戻りなさい』
ルナリアの脳裏に声が響く。その瞬間、ルナリアは「やなんだけど」と呟いた。声を振り払っても、視界に映るのは歪んだ幾何学だけだった。
「……何これ?」
彼女は体を動かす。だが、現実は幻影に飲み込まれ、周りのことを一切認識できない。……ルナリアは何も出来なかった。
『正解に固執しなさい』
クラロの脳裏に声が響く。クラロは思考を回す。計算や合理を駆使しても、正解が分からなかった。
「……どういうことだ?」
彼は思考する。だが、自分の感覚すら信用できない。……クラロは目を開けられなかった。
幾何学が晴れる。ハッと気がついた三人はあたりを見回す。……いない。
「アルバ……?」
「カント? どこ行ったのよ」
「……イルシオン? ……どこだ?」
隣に立つ人がいない。ヘニオの姿も消えている。そして、彼のいた場所には一枚の紙が落ちていた。
『修復者は預かったよ。ボクの作品にしてあげるから安心してね。展示会は三日後。ちゃんと、君たちだけで来るんだよ?』
ノーチェは何も言わずに紙を見つめた。静かに手を振るわせ、そして。声を絞り出すように呟いた。
「……悔しいよ」
アルバを守れなかった。何も出来なかった。前はうまくいったのに。
ルナリアは足を強くダン、と鳴らした。
「……ほんと、最悪」
カントがいなくなったことも、何も出来なかった自分も。苛立ちに任せて花びらをまき散らす。何も出来ない花びらが、それでも彼女の苛立ちを乗せて消えていく。
クラロは静かに思考を巡らせた。
「……なぜ動けなかった。……敵の祝福は?」
原因を探ろうとしてもうまくいかない。情報が少なすぎる。彼は対処に思考を切り替えた。……使えるリソースが限られている。それを最大限に活用するためには……。
クラロは姉に視線を向ける。……利害は一致する。だが、交渉の成功確率は未知数だ。……それでも。
「……ノーチェ姉上、ルナリア姉上」
名前を呼ぶ。二人は顔を上げた。
「……協力、しないか?」
その言葉を聞いた瞬間、二人の目は丸く見開かれた。
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