第9話 侯爵令息
「待てよっ! ヴィクトリーヌ……嬢!」
追いかけてきたクレメントが、わたくしの手首をつかむ。
「手を放しなさい、クレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息。不快だし不敬よ」
「あ、ああ……、すまない……。だけど、俺は……。君が、王太子殿下の婚約者になることに納得がいかない」
「納得? どうしてあなたを納得させなくてはならないの?」
「お、俺は! 君の婚約者……」
「過去に、候補の一人だっただけ。それにわたくしは正式にブライム様の婚約者になったの」
「で、でも……」
掴まれたままの手を払う。
触れられたところが気持ち悪い。
ますます嫌いだという気持ちが強くなる。
「ごちゃごちゃうるさい。わたくしがあなたに話すことなど何もない。ルクヴルール侯爵には正式に抗議させていただくわ。あなたの不快さと不敬さをね」
「ま……待てよ、ヴィクトリーヌ!」
わたくしは振り向きもせずに足早に馬車に向かう。さっさとジェモン侯爵の屋敷に帰って、ルクヴルール侯爵に抗議の手紙を書かなくては。
ブライム様に聖女様の宝石を渡すことが出来て、よくなった気分が急降下。
本当にあの男は不快。
* クレメント視点 *
ヴィクトリーヌがブライム王太子殿下と婚約を結んだと聞かされた次の日。俺は父上の執務室に呼ばれた。
「……失礼します、父上。クレメント、参りました」
執務室の中には父上だけではなく、二人の兄上もいた。
上の兄は将来父上の後を継ぐ。下の兄は今は宰相府で働いている。父の補佐として政治の中心で活躍するのだろう。
二人とも、父とよく似た鋭い目つき。しかも、口も達者だし。
……正直に言えば、俺は父も兄たちも苦手だ。
「クレメント、ジェモン侯爵令嬢から抗議の手紙が来ている」
「え……」
「王太子の婚約者となったジェモン侯爵令嬢を、何度抗議しても呼び捨てにするとはいったいどういう了見だ。息子の教育はしっかりしてほしい。手紙の内容を要約すればそういうことだ」
父上の咎めるような言葉に、俺は何も言うことができない。
兄たちも、わざとらしくため息を吐く。
「……俺が、ヴィクトリーヌ……嬢の、婚約者になる可能性もあると……、言っていたではないですか」
「可能性だろ? 正式決定なんかじゃない」
上の兄がバッサリと言った。
「それなのに、勝手に自分が婚約者になると思いこんで呼び捨てにしたんだろ? オマエ阿呆かよ、クレメント。ああいう矜持の高い女を、勝手に自分のモノ扱いしたら、そりゃあ嫌われるだろー?」
下の兄がおもしろそうに笑って、更に続けた。
「せめて最初に抗議されたところで謝って改めて関係を作りなおせば、ここまで嫌われることはなかったのに。しつこく呼び捨てにした上に、ご令嬢の手首まで掴むとは……。やれやれ。我が弟はここまで馬鹿で常識知らずとは」
兄たちの言い方に、腹が立つ。だけど、父も兄たち同様、俺を汚いモノでも見るような目で見てくる。
……何も言えない。
悔しい。
「あの手の女は一度嫌ったらもう覆らないぞ。クモが嫌い、虫が嫌い、それと同じでクレメントが嫌いだろうさ」
「う……」
兄たちの言い方がひどすぎる。
父上が、ため息と共に言った。
「クレメント、お前はしばらく学院に通わなくていい」
「え⁉ 父上⁉」
「ブライム王太子殿下の側近役ももう不要になる。だからお前はどこかに婿入りさせる」
「嫌です! 待って下さい!」
「これは決定だ。これ以上ジェモン侯爵令嬢に迷惑をかけるのなら我が家から除籍するぞ」
「父上……、お、俺は……」
俺は、ヴィクトリーヌが好きなんだ。彼女との未来以外欲しくないんだ。
兄たちが俺をあざ笑う。
「フラれた女にいつまでもしがみ付いている男はみっともないぞ」
「家の評判を下げるようなことをするな」
「う……」
俺の何が悪いんだ。俺は悪くない。悪くないのに……。
だけど、それ以来。学院に通うための馬車も出してもらえず。俺は、屋敷に閉じ込められるようにして、領地経営の勉強ばかりをさせられていた。
冗談じゃない。
まともに勉強をすることなく、むすっとしていたら、その勉強もなくなった。
ブライム王太子殿下の側近に戻してもらえるかと思った。ブライム王太子殿下なんて、下位貴族の女なんかを侍らしている阿呆で不実な男だけど……、側に居れば、ヴィクトリーヌがご機嫌伺とかにやってくる。
会う機会があれば。
今からでも……。
だけど、俺は屋敷から出されることはなかった。
軟禁のようなもの。
ただ、幾度か見合いの席を設けられて、そのときは相手の屋敷に行くこともあった。
見合いの最中に不機嫌な顔で、相手の令嬢の顔も見ないし名も呼ばないでいたら……、見合い相手から断られたらしい。
「おい、クレメント。お前このままじゃ、どこかの未亡人の相手でもさせられる羽目になるぞ。いい加減に機嫌を直して、婚姻に前向きになれ」
「嫌です。俺はヴィクトリーヌがいいんだ!」
「ヴィクトリーヌ『嬢』もしくはジェモン侯爵令嬢。お前がそう頑なだから嫌われるんだぞ?」
「き、嫌われてなんかありません!」
「めっちゃくちゃ嫌われているよ。だって、お前と結婚するくらいなら修道女になるって言っていたくらいだし」
「え?」
「でも、修道女になるとさあ、教皇の手先にされるから。だったら王太子殿下を飼うって言っていたって父上から聞いたぞ?」
「飼う……?」
なんだその言い方は。
「そう。だって国王なんて傀儡だし。王太子殿下だって未来は同じだ。あのジェモン侯爵令嬢なら、傀儡の夫を操って、国を支配して、影の女王にもなれそうだけどなー」
「ヴィクトリーヌはそんな女じゃ……」
「そんな女だろ? 父上の評価は高いけどな。彼女が男だったら、おもしろい政敵になっていただろうってさ」
「そーそー。彼女からおもしろい提案をされたとかで、父上は、今ウキウキして教会側とやりあっているよ」
見合い相手から断られるのが続いたけど。父上も忙しいのか、もうこれ以上俺に見合いは持ちかけては来なかった。
貴族学院の方も、ブライム王太子殿下やヴィクトリーヌに近寄らないことを条件に通ってもいいということになった。
見張りの使用人もつけられているので、遠くから、中庭や食堂にいる四人を見る。
……愛妾になるという下級貴族の小娘たちとヴィクトリーヌの関係もよさそうだ。
ふっとした瞬間に、ヴィクトリーヌは二人の小娘に優し気な視線を送ることもある。
……俺にはあんな目線は寄越さないくせに。
イライラする。
ヴィクトリーヌにも小娘たちにもブライム王太子殿下にも……、父上にも兄たちにも。
イライラする。
だけど、俺は……ヴィクトリーヌに近寄ることもできないんだ……。
そんな俺の前に現われたのが……、見知らぬ男たちだった。




