第7話 聖女
婚約手続きが終わり、ルクヴルール侯爵や教皇猊下たちともいろいろな調整やこまごました話も済ませた後。
全員が謁見の間から退出する前、わたくしはふと思いついたという感じに教皇猊下にお尋ねした。
「……わたくし、聖女様にご挨拶をしたほうがよろしいのかしら?」
「聖女……、ですか?」
「ええ。名目上であるとはいえ、聖女様とわたくしは……義母と義娘ということになるでしょう?」
「ああ……」
教皇猊下は考えこんでいた。
「……王太子殿下側とその妻となるヴィクトリーヌ嬢……、聖女と貴族側が良好な関係であると示すことは必要か……?」
「姑と嫁の争いなんて起きようもないのですが、一応形式として……。ブライム様が聖女様にお会いするのは難しくとも、わたくし一人なら……」
教会の奥の奥。男性は入り込めないその奥で、修道女に世話をされながら、子どものようにお過ごしだと噂の聖女様。
「……血を分けた息子である王太子殿下の婚儀にも、聖女は参列することはできないだろう。祝いの言葉をかけることも……。であれば、ヴィクトリーヌ嬢に教会まで赴いていただき、聖女からの祝いの言葉をもらう……。その程度の形式は必要か……」
独り言のように、ぶつぶつと呟かれる教皇猊下。
……常の丁寧な口調とは異なりちょっとぶっきらぼう。こっちのほうが素の喋り方なのかしらね。
「教皇猊下並びに聖女様のお認めになる婚姻であれば……」
「『不浄の子』と王太子殿下を罵りがちな一派を大人しくさせることも……」
政治的にブライム様を排除しても。それでも残る嫌悪感というものがある。
わたくしや貴族の側にではなく、教会の側に。
国王陛下が無理やりに聖女を犯し、その結果できた不義の子。
教会側……、司祭、司教、修道女……その他の聖職者。彼らだって、人なのだ。感情はある。
ブライム様に非はなくとも、厭う気持ちは否定できない。
聖女様が、幼児退行せずに、真っ当なままであったら。
今頃どれだけの命が救われただろう。結果、教会の威光はどれだけ国中に燦然と輝いたことだろう……。そんなふうに夢想する教会関係者は少なからずいる。教会関係者だけではなく、きっと平民の中にも。
聖女が健在であるとないのでは、大きく違う。
滅多にあらわれない聖女。
現聖女様だって、三十年ぶりだし、その前は……五十年位前だったかしら?
希少で貴重な聖女を……駄目にしたのが国王なのだ。
……薬か何かでボンクラ状態にされているのだって、温情だと思ってしまう。
貴族の令嬢であるわたくしだって、そう思ってしまうのだから、教会側の人間で、国王陛下やブライム様を厭う気持ちは……きっともっと大きい。
けれど、今後は王政を排して、議会という形で国を整えていくのだ。
……諍いばかりではなく、共闘していくという姿勢、協調と友愛の精神を互いに示すことが必要よね。たとえそれが大義名分だとしても。
「……分かりました。いつになるとはこの場では明言できませんが。近いうちに必ず、ヴィクトリーヌ嬢を聖女の元へとご案内いたしましょう」
「よろしくお願いいたします、教皇猊下」
あら。教皇猊下の口調が元に戻ってしまったわ。ちょっと残念。素を見せていただいて、少しだけ親しくなれた……なんて、思ってもみたのに。なんてね。
わたくしが、聖女様の元へとお伺いすることができたのは、婚約式からひと月ほど後のことだった。
まずわたくしは、王都にある大聖堂に赴いた。そして、修道女の服に着替えをした。
……きらびやかなドレスでは、貴族を思わせる服装では、国王を慰めに王城に通っていた頃を、聖女様が思い出すかもしれないから。
化粧も落として、わたくしの長い髪も首の後ろで簡易にまとめる。
「ほう! 修道女の姿もお似合いですな!」
着替えたわたくしを、教皇猊下がお褒め下さる。
「ありがとうございます。実をいいますと、ルクヴルール侯爵令息と婚儀を結ばねばならない羽目になったら、すべてを捨てて修道女になる道も……、少しばかり考えたのですよ」
「はっはっは。それはそれで、なかなかにおもしろい未来を描けたかもしれませんな!」
軽口なのか、本音なのか分からないような会話をしつつ、大聖堂の奥へと進む。
「この先は一般巡礼者も足を踏み入れることのない聖域……ということになっております」
大聖堂の東側の側廊から、外に出る。そこには大きな池と、その真ん中を突っ切るように真っすぐに伸びた橋があった。
船底を逆さにしたような形で、中央部が高く両端が低くなった屋根までがついている、かなりの長さのある橋。
橋の下の池には魚までが悠々と泳いでいた。
「心が休まるような景色ですね……」
ひらひらと尾びれを動かして泳ぐ魚たち。種類は分からないけれど、赤や白や黄色の魚たちが放たれていて、その池の向こう側は背の高い植物が植わっている。
「魚の餌やりもなかなか楽しいものです」
「教皇猊下が魚の餌やりを⁉」
「ええ。パクパクと口を動かして餌を求める魚のマヌケな姿を見るのはなごみますからな。時折、聖女様と一緒に無心になって魚に餌をやります」
「聖女様も⁉」
「聖女はこの儂を祖父とでも思っているのか『おじーちゃん、ほら、あの魚さん、すごいお口!』などと言いながら、夢中で餌やりをしておりますよ」
……これは、笑うところかしら? どうかしら?
何かの比喩か、当てこすりかもしれないけれど……、実は本心かもしれない……。先の修道服同様、軽口かもしれない……。
判断がつかないので、淑女の笑みを浮かべて「機会があれば、ご一緒させていただきたいですね」とだけ答えておく。
そうして、長い橋を渡りきった。
渡り切ったその先には木製の門があり、二名の修道士がその門の左右に立っていた。
「……この先にあるのは代々の聖女様がお過ごしになる聖女の庭ですが。教皇や修道士といえども男が入ることはできません」
「はい」
「ごゆるりとお過ごしくださいとは申し上げられませんが……、お進みください」
二名の修道士が音もたてずに門を開く。開かれた門の向こう側には一人の修道女が居て、わたくしに会釈をしてきた。
「どうぞ、お越しください」
「……ありがとう存じます。少々お邪魔させていただきます」
また、音もなく閉められた門。
その中は……別世界のようだった。
門から延びる壁。この聖女の庭とやらをぐるりと囲んでいるであろう壁は、広葉樹に阻まれて次第に見えなくなっていく。広がる緑の芝生。花壇の花。点在する小さな家々。その家の周りの畑。王家の離宮のようなきらびやかさは全くない。けれど、穏やかで安心できるような……まるで実物大の箱庭のようだ。
「……こちらへどうぞ。今の時間聖女様はたいてい畑で収穫を楽しんでおります」
「農作業を行うのですか⁉ 聖女様が⁉」
「農作業というよりは、お楽しみでございますね。水やりをし、できた果実や野菜を収穫して食べるのは……心の傷を癒す効果もございます」
心の傷を癒す……。もしかしてさっきの教皇猊下の魚の餌やりも、似たようなことなのかしら?
修道女に案内された畑に向かう。そこには……何やら野菜を収穫している聖女様がいた。左腕に下げた籠の中に、ひょいひょいと放り込まれる赤く丸い何かの野菜。
「ポモドと呼ばれる野菜です」
「……あんなに勢いよく放って、野菜が傷まないのかしら?」
「潰してソースにすることもできますので」
「なるほど……」
「ここでは聖女様のお心のままに過ごしていただいております」
近寄ってみれば、聞こえてくる笑い声。声の方に進めば、ブライム様と同じような明るいアカシアハチミツに似た髪の色が見えてきた。
あれが聖女様と……あとはお付きの修道女かしら?
「これ、大きい!」
「そうですね、聖女様。もぎとられますか?」
「うんっ! ねえ、こっちはまだ駄目? もっと赤くなってから?」
「まだ先が青いですからね。あと三日ほどでしょうか」
「わかった! ねえ、このくらいでいい? 足りる? 調理場に持っていくわ!」
走り出した聖女様。追いかける修道女たち。わたくしたちのほうにやってくる。わたくしのお母様と変わらない年代のはずなのに、まるで少女のようにはしゃいで……。
わたくしに気が付いた聖女様は、にぱっと笑った。
「こんにちは! 新しい修道女の人?」
「え、ええと……」
答えようとしたとき、聖女様が躓かれた。
「あっ!」
わたくしはとっさに手を伸ばして、聖女様のお体を受け止める。
「いた……っ!」
わたくしの手の甲に、籠が引っかかってしまった。痛みを感じたかと思えば、うっすらと血がにじんできた。
「ごめんなさい! 痛いよね⁉」
「……大丈夫ですわ」
「すぐ治すから!」
聖女様がわたくしの手を包む。ほわっとした暖かな感触。手の甲にあったはずの傷は……なくなった。
これが、聖女様の治癒。
「すごい……、ありがとうございます」
「ううん。あたしが躓いたせいで、ごめんね」
修道女たちが「そうですよ、聖女様! 勢いよくお走りにならないでくださいね!」と言いながら、籠からこぼれたポモドを拾う。
「はーい。ごめんね、みんなも」
えへへ……とかわいらしく笑って。
幼児退行していると聞いていたけれど……、幼児ではなく少女くらいの精神年齢のよう。
でも、実年齢はわたくしの親たち世代のはず。
「それで、あなたは?」
「わたくしは……聖女様にご挨拶に上がったのですわ……」
「ご挨拶?」
ブライム様のことを告げていいのだろうか。
幼児から、少女のころへとのびのび育ちなおした聖女様のお心を……また、虐げることにならないのか。
形式上、ここでご挨拶だけをして、そのまま帰ったほうが良いのでは……。
迷う。
実際に、こんなにも明るくお元気な、まるで少女のような聖女様を見れば……迷ってしまう。
本当は、伝えたかった。
ブライム様のことを。
元々はそのつもりでいた。
でも……。
「……わたくし、結婚をするのです」
「結婚?」
「ええ。……聖女様とおなじ、アカシアハチミツ色をした髪を持つ優しい人と」
「同じ髪の色……」
「はい……」
じっとわたくしを見つめてくる瞳の色も……ブライム様と同じ。面立ちもよく似ていらっしゃる。
「その人は男性ですから、ここにはやってこられません。だからわたくしが代わりに来ました。できるなら、その人の未来がしあわせであるように、祝福をいただきたくて」
「祝福……」
アカシアハチミツ色の瞳が……まるで水晶のようにきらりと輝いた。
「あなたとその人に祝福を?」
わたくしは首を横に振った。
「いいえ。わたくしには不要です。わたくしと婚姻を結ぶあの人にだけ、お願いしたいのです」
「……分かったわ。じゃあ、その人の姿を胸に思いうかべて」
「はい」
胸の前で手を組んで、目を瞑って、心の中でブライム様を思い浮かべる。
どうか、ブライム様に祝福を。明るくて優しい未来があの方に訪れますように……。
「あなたの思いはきれいね」
「え?」
目を開けたわたくし。
聖女様は小さな宝石のようなものをわたくしに手渡してくれた。
「あなたの願いとあたしの祝福を形にしたの。あなたの結婚相手に渡してね」
わたくしの掌の中の……水晶のような……透明でキラキラした宝石。
「あ……、ありがとうございます……」
宝石を手に握り締めて。
何度も何度もお礼を言って。
わたくしは聖女様の庭を辞した。
お渡ししよう。必ずブライム様に。
聖女様……ブライム様のお母様が、ブライム様を祝福してくださったのですよ……と。
これは、わたくしの勝手な自己満足だけど……。
ブライム様に喜んでいただけたら、わたくしは嬉しい。
馬車で、ジェモン侯爵の屋敷の自室に帰って。
わたくしはこの宝石を入れるための小さな小袋を作った。
アクセサリー加工してしまえば、宝石を削ることになってしまうから、これは、このままブライム様にお渡ししたかった。
小袋に刺繍を施して、長い紐をつけて、首から下げられるように。
常に、身に着けていただけるようにした。
……聖女様は、きれいと言って下さったけど、この宝石がきれいなのはわたくしの思いのせいではない。聖女様のお心がきれいだから。
聖女様からの宝石であれば、わたくしが刺繍をした小袋も一緒に受け取っていただけるに違いない……なんて、わたくしはずるい。
……好きな相手に、好きだと言うことはできないけれど。蔑みの目を向けられても仕方がないのだけれど。
せめて、わたくしの気持ちの形を、たった一つでいいから受け取ってほしい。
「……ホント、わたくしはずるいわね」
自嘲する。
忘れるな。
この宝石を免罪符にするな。
わたくしは、ブライム殿下に嫌われても仕方がないのだ。
忘れるな。
部屋の外を見る。雨が降ってきた。霧雨だ。
心が折れそうになったら、何度でも、霧雨に濡れる薔薇を見よう。
そして、決意を重ねよう。
どんなことをしても、蔑まれても。
絶対に守ると決めたあなたを……、いつか、自由にしてみせるから。




