第6話 選択
「ごめんなさいね、ブライム王太子殿下。……ああ、婚約者になりますので、今後はブライム様と呼ばせていただきますわ」
張り付けたような淑女の笑みを浮かべながら、告げる。
「ヴィーちゃん……、い、いや、ヴィクトリーヌ嬢」
「ヴィーで構いませんわ。婚約者であるのなら、愛称呼びも、呼び捨ても、親しさを表すようで素敵ですもの」
わたくしは表情を真顔に戻す。いいえ、怒りすら含んだ冷たい感情を顔に浮かべてみせる。
「ですが、婚約者でもないのに馴れ馴れしく、このわたくしを呼び捨てにする男は嫌いなの」
「は?」
わたくしの言葉にブライム様は戸惑い、ルクヴルール侯爵は笑った。
「はっはっは! すみませんな、王太子殿下! 馴れ馴れしい男というのは我が愚息のことでございますよ!」
「ええと……愚息って……クレメント?」
「ええ。わたくし、あの男が嫌いなの」
だから、ブライム様からのご提案には乗れないの。ごめんなさいね。
瞳の色は冷たいまま、高慢に見えるように、口角を上げて笑う顔を作る。
「この場にお越しの皆様……ルクヴルール侯爵や教皇猊下は既にご承知のことですけど、ブライム様とそちらのお二人にはご説明が要りますわね」
「ヴィー……」
黙っていなさいと目線で示す。
「ブライム様とクレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息。わたくしはこの二人のどちらかと婚姻を結ぶとされていた。従って、我が国の他の高位貴族の令息たちには既に婚約者もしくは婚約内定者がいる」
四年も無駄な時間を経過させている間に、他の貴族たちはもうさっさと相手を見繕っている。
「ブライム様とクレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息以外から、わたくしの婚約者を見繕うとすれば……、既に決定もしくは内定している他者の婚約を破棄させるか、もしくは子爵や男爵位の令息……ということになってしまう」
わたくしは、わざと吐きだすように息をした。
「……王太子妃にもなることができるはずだったこのわたくしが、下級貴族の令息と婚姻? 冗談ではないし、もっと冗談ではないのがクレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息との婚姻。重ねて言うけれど、わたくし、あの男は嫌い」
女は感情的だと思われているだろう。ルクヴルール侯爵だけでなく、教皇猊下もその腹心であろう司教たちも、笑うのを耐えるかのように、口元に力を込めた。
「消去法で、わたくしにはブライム様しか残されていないの。ああ、他国に相手を求めれば、もしかしたらいるかもしれないけれど。王太子殿下と二大侯爵家の三男。それを蹴ってまで、他国に相手を求めるとすれば……ありもしない腹も探られるでしょう。そこまでするのは実に面倒。……ここまでは、お分かりいただけるかしら?」
はくはくと口を動かすブライム様。その口が小さく「消去法……」と呟く。
それを気にしないフリで、わたくしはちらと視線を玉座に座ったままの国王陛下に向ける。
「……かといって、お飾りの王妃になるつもりもないのよ」
ブライム様。あなたを国王陛下のような傀儡にはしない。
わたくしも、ならない。
絶対に。
そのためなら、嘘だっていくらでも吐く。
「だから、提案したの。ルクヴルール侯爵に。王政なんてやめましょうって。わたくしとしてはルクヴルール侯爵に次の国王となっていただいてもいいのだけど、そうすれば教会側の反発を招くでしょう?」
野心家の教皇猊下。
ルクヴルール侯爵が国王になったら……神の御名の元に、ルクヴルール侯爵を粛清でもするにちがいない。聖女様の件もあるから、国王ごと貴族を粛清するだけの大義名分はあるのだ。ただ……、実際に大規模な粛清をしてしまえば、全面戦争。
国が二つに割れる。
教皇猊下もルクヴルール侯爵も、そこまでする気はない。あれば、この四年間、ずるずると膠着状態を継続なんてしていない。
「どうすれば円満に貴族側と教会側の納得がいく形が取れるのか。王政ではなく共和制もしくは議会民主制にすればいいだけ。陰でコソコソ動くのではなく、堂々と、議会という場を作って、そこで戦えばいいじゃないですかとね。女の浅知恵ですけど」
「いやいやなかなか、現状を打破するにはおもしろい提案ですよ」
ルクヴルール侯爵が笑い、教皇猊下も頷いた。
「単なる浅知恵を国の制度の転換へときちんと成り立たせるのは皆様にお任せをして……。代わりに王太子殿下はわたくしが面倒をみることにしたの。国政に出ることなく、どこかの田舎か離宮でのんびりとお暮らしになれるだけの環境を整えますとね」
「それが……ボクとヴィーちゃんの……結婚?」
「そうですわ」
信じられないように、わたくしを見るブライム様。
「ブライム様に選択肢は三つ。一つ、わたくしと婚姻を結び一生飼われる。二つ、現国王陛下のように傀儡になる」
一つ目と二つ目は、ブライム様にとってはきっと大差はないでしょう。
だけど、わたくしを選べば、少なくともブライム様にある程度の自由意志は残される。
玉座の上で、ぼんやりとしているだけの国王陛下。死んではいない。だけど、この場で一言さえも発しない。ただ、そこにいるだけ。きっと薬か何かが使われている。
多分だけど、リリ嬢とレア嬢が言う「毒が王太子殿下の食事に混入されていることがある」というのは、即座に死に直結するものではなく……、ゆるゆると思考を散漫にする類のものではないのかとわたくしは思っている。確証はないけど……。
「三つ、病を得て儚くなる。その際は、その両腕にぶら下がっているお二人のご令嬢も、ブライム様と運命を共にすることになりますわね」
「リリとレアを……⁉」
「ここまで内情を知って、放置はできませんもの。一蓮托生ですわね」
わたくしは冷たく言い放つ。でも、お願い。どうかわたくしを選んで。心の中では必死に祈りながら淡々と告げる。
「どれを選んでいただいてもわたくしは構わない。まあ……いろいろと手間ですから、一つ目を選んでいただきたいとは思いますけれど」
答えられないブライム様に、諭すようにつけ加える。
「もちろん、子を作る行為をしなければ、その二人も一緒に面倒をみますし、他のご令嬢をいくらでもつけ加えていただいても構いませんわ。我がジェモン侯爵家の資金はその程度の人数を抱えても特に問題はありませんし、わたくしも個人的にいくつかの事業を営んでおりますので、それなりに個人資産は潤沢です」
言い終えた時、ブライム様から蔑むような冷たい瞳を向けられた。
浮かれるな。
ブライム様がわたくしを選んでも。
そこに愛だの恋だの甘やかな感情はないのだから。
悟られるな。
ルクヴルール侯爵にも教皇猊下にも……ブライム様にも。
わたくしの本心は……初恋の気持ちは……誰にも見せない。
雨に濡れた薔薇の花。その花弁の上の雨のしずく。
風に揺れれば、しずくなど零れて落ちる。
……落とすわけにはいかないのだ。せめて、政情が安定し、ブライム様の価値がなくなるまで。……殺す意味もなく、傀儡にする意味もなくなるまで。安心で安全な暮らしが得られるまで。
わたくしの、心の中は誰にも見せない。
霧雨に濡れる薔薇の花。
わたくしの、選択。……それで、いい。
寒々しい雰囲気の中、婚約式はつつがなく終わった。
……というか、名前を書くだけですものね。
婚約届に名を書いた後、ブライム様はリリ嬢とレア嬢を伴って、さっさと謁見の間から出て行った。
わたくしに、一言さえもかけることなく。
心が痛む。
ずきずきと。
この程度で傷ついている場合ではないというのに。
取り繕うように、わたくしは淑女的な微笑みを浮かべ、肩をすくめてみせた。
「……とりあえず、殿下の直筆の記名さえあれば後はどうでもいいですな」
ルクヴルール侯爵の言葉にわたくしと教皇猊下が同時に頷く。
「そうですね。これで婚約は成立した。おめでとうございます、ジェモン侯爵、ヴィクトリーヌ嬢。神の御名の元に祝福を」
「ありがとう存じます、教皇猊下。今後はよろしくお願いいたします」
「一年後の結婚式は大々的に行いましょう」
「そうですな。まだ、ブライム殿下は王太子のまま。我々が国政の変更をするための体制を整えるまで、華々しい話題で平民や下級貴族の目を引き付けておいていただきましょう」
ブライム様とわたくしの結婚式は茶番。
王太子殿下と侯爵令嬢の婚儀という晴れがましさの影で、ルクヴルール侯爵と教皇猊下は着々と国の体制を変える準備をする。
わたくしは聞かされていないけど……、国王陛下はご病気で引退……ということになるかもしれない。聖女様は……、そのまま、かしらね。教会の奥で、いつまでも子どものお心のまま。
……わたくしはブライム様を、国王陛下や聖女様のようにはしたくない。
たとえ嫌われても。
ご自身のご意思を持って、生きていてくだされば。
それに、十年後や二十年後。ルクヴルール侯爵と教皇猊下の議会政治が盤石のモノとなったら。そのときは、きっと、ブライム様を自由にさせてあげられるはず。
それまでの間、わたくしが守れるところに居て。
……でも、それは誰にも伝えない。わたくしの心に秘めたまま。
わたくしはクレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息と婚姻を結びたくないから、ブライム様を飼い、そして、ルクヴルール侯爵と教皇猊下の議会政治が盤石になるように協力するという形をとる。
……結果、ブライム様に嫌われても、憎まれても。
ううん、嫌うまでは行かないかもしれない。ブライム様は優しい方だから。
演戯をしてまで、わたくしに安全をと言ってくれた。
でも、ごめんなさいね。
殿下がわたくしの安全を願ってくれるのなら、わたくしだって同じなの。
お願い。あなたを守らせて。




