第3話 覚悟
「思惑は色々で。ブライム王太子殿下には、教皇の娘ではないテキトウな貴族の令嬢を宛がって、そして、侯爵令嬢はクレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息と婚儀を結ぶという意見もありまして」
「今の国王の代も、次の国王の代もお飾りの王夫妻、そして、実際に国政を担うのは二大侯爵家……の構図ですね」
「……そうね」
クレメントと夫婦になるのなんて、絶対に嫌だけど。それを願う貴族も多い。
「現体制に反対する者もいる。国王や王太子など最早不要。お飾りの国王を擁するのではなく、廃して、共和制もしくは議会制を取りたがる者……」
「廃する……にも意見が割れています。国王と王太子を弑して、新たな国作りを行いたい者たち……」
「何ですって!」
馬車の中だというのに、わたくしは立ち上がりそうになった。せいぜい『罪の子』と呼んで、悪口でも言っている程度だと思っていたのに。
……実害が、あるの? 敵、という言葉が出てくるくらいに……。
「落ち着いてください、侯爵令嬢。それは一部の者にすぎません」
わたくしは、頷いて、座りなおす。
「貴族の側にも教会の側にも……、どちらにも『祝福の子』として王太子を擁したい者がいる。そして、『罪の子』として王太子を弑したい者がいる」
「混乱というよりも、混沌状態ですかねえ……。それが今の今まで続いてきた」
レア嬢とリリ嬢がため息を吐く。
弑したい。
ブライム王太子殿下を取り巻く状況が、そこまでだとはわたくしは全く考えていなかった……。
「……その状況を、ブライム王太子殿下は……ご理解しているのね」
「はい」
「ですから、あたしたちを側に置いて、無能を装っています。万が一にでも、どこかの派閥に、ブライム王太子殿下が、まともな国王として立てるほどに有能だなんてバレたら」
「すぐにでもお命が危なくなるかもしれませんので」
「実は……毎回ではないですが、お食事に毒が入っていたこともあります」
「ですから、毒が混入されてしばらくの間は、あたしたちがクッキーとかサンドイッチとかを作っています。安全な材料で。もちろん毒見もしています」
「ちなみにそのサンドイッチの中にメモを忍ばせて、いろんな連絡をしているときもあります」
「そう……」
ああ……、阿呆はわたくしだ。
初恋の男の情けない姿。
何故、こんな男に恋をしたのか……。
そんなことを思って。
あれは……、ブライム王太子殿下の精いっぱいの演技。
生き延びるために、演じて……。
わたくしを「ヴィーちゃん」と呼ぶのもきっと演技なのだ。
四年前。十二歳。そんな幼いときから、ブライム王太子殿下は……。
「この状態は、きっと、王太子殿下が貴族学院をご卒業されるまで続くでしょう。卒業されたら……、さすがにもう婚約は引き延ばせない。誰かと婚儀を結び……、その結果、現国王と同じくお飾りとして生きるか、弑されるか……」
「ブライム王太子殿下はもうお覚悟をされています。ただ……、ヴィクトリーヌ・クリフォード・ジェモン侯爵令嬢に、少しだけ、伝えたいことがある……と」
「わたくしに……何を」
この状態でわたくしに……なんて。まるでそれは……遺言のよう。
「申し上げます。『ヴィクトリーヌ・クリフォード・ジェモン侯爵令嬢。あなたはクレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息と婚約し、結婚をして、しあわせな人生を送ってくれ。クレメントは気が利かないところも抜けているところもあるけれど、基本的に良いヤツだ。ヴィーちゃんを大切にしてくれるよ』とのことです」
「な、何よ、それ……」
「『ボクにはレアとリリがいるから、心配しなくてもいいよ』とも」
それは……、ブライム王太子殿下は、わたくしではなく……レア嬢とリリ嬢を愛しているということ……?
わたくしの……嫉妬のような感情は……顔にあらわれていたのだろう。二人が同時にくすりと笑った。
「あたしたちは、親が借金を抱えて……、一家で心中でもするしかないと思ったときに王太子殿下に救ってもらったんです」
「だから、この命は王太子殿下に捧げております」
「いざというときは……、お守りする覚悟ですけど」
「無理な場合は共に死にます。殿下を一人には致しません」
……貴族学院の中庭で、クッキーを食べさせていた時とは全く異なる顔つき。
ああ。そうか。さっきの「うん、悪いね。レア、リリ、頼むね」は……、「レア、リリ。ヴィクトリーヌにボクの言葉を伝えてくれ、頼むね」だったんだ。
伝言。
わたくしにしあわせな人生を送ってくれと。
……それは……、ブライム王太子殿下。あなた様はご自分のしあわせを、もう、既に、諦めているということ?
わたしが、ブライム王太子殿下の代わりにしあわせになってほしいということ?
安全に生きるために、クレメントと一緒になれと?
どうして?
わたくしとブライム王太子殿下は、これまで何度か交流を持ってきた。その場にはクレメントやその兄たちも居たけれど……。
そう、交流を何度もした。
王城に行った。
薔薇園を見た。
散策もした。
霧雨のあの日、ブライム王太子殿下はわたくしのドレスを「すっごくきれい!」と褒めてくださった。
……ねえ、わたくしは、あのときの、ブライム王太子殿下の真っすぐな瞳に……、率直な物言いに……、きっと恋をしたの。
大人になったら、わたくしはブライム王太子殿下に嫁ぎ、この国の王妃となる。
本当は、心の奥底で、こっそりと、そんな未来を夢見てもいた。たとえお飾りの国王夫妻となったとしても、ブライム殿下のお側に居られれば、それだけでわたくしはしあわせだから……なんて。
……もしかしてブライム王太子殿下とわたくしの婚約話がなかなか進まないのは……、クレメントが……ルクヴルール侯爵が難色を示しているからなのかしらと思ったりもしたけれど。王太子殿下が話を止めていた?
貴族学園に入学しても話が進まない上に、レア嬢とリリ嬢との仲睦まじい姿を見せつけられて、嫉妬も感じた。
……でも、あれは演技。生き延びるために阿呆を演じて、無害だと主張して。
しあわせに……って。わたくしは安全に生き延びろってこと?
「……ブライム王太子殿下は……馬鹿ね」
恋心。わたくしの。
ブライム王太子殿下のお気持ちは、分からない。
だけど……、演技をしてまで、わたくしに伝言をしてくださった程度には……わたくしにお心を傾けてくださっているの……かもしれない。
『すっごくきれい!』
真っすぐな瞳。
真っすぐな声。
わたくしの心に響いた……四年間、ずっと響き続けているブライム王太子殿下の声。
わたくしは両手で顔を覆った。
泣くわけにはいかない。
レア嬢とリリ嬢の前だから……ではなく、泣けば目が赤くなる。マリーたち侍女や使用人に泣いたと分かられてしまう。
歯を食いしばって、耐える。
レア嬢とリリ嬢は……わたくしの気持ちが落ち着くまで、あとは何も言わずにいてくれた。
しばらくの後、馬車の小窓から外を見ていたレア嬢がぼそりと言った。
「雨が降ってきそうですね」
わたくしも、のろのろと顔を上げ、外を見た。
灰色の雲が、空を覆っている。
太陽は見えない。
そして……馬車がジェモン侯爵家のタウンハウスに到着したときに……ポツリと雨粒が落ちてきた。
降り出した雨は、霧雨となった。
ジェモン侯爵家の壮麗な薔薇園の上に、赤い花弁の上に、緑の葉の上に降り注ぐ。
レア嬢とリリ嬢を使用人に送らせた後、わたくしは自室からバルコニーに出て、濡れる薔薇を見続けていた。
わたくしの後ろに控えていたマリーが「お嬢様……、庇があるとはいえ、雨に濡れてしまいます……」と言ってきた。
けれど、返事もしないで一心に薔薇を見る。
考える。
『雨がね、薔薇を濡らして。その水滴が宝石みたいに見えるんだよ!』
『ほら! ヴィーちゃんのドレスも!』
もしかしたら、あの時にはもう既に。
ご自分のお命が脅かされていることに……気が付いていたのかしら?
大広間で、待っていた令息や令嬢たちに何も言わずに……バルコニーに出て、外を見ていたブライム王太子殿下。
あの時……、本当は何を考えていたのかしら?
集まった者たちに声がかけられないほどに、心の中が荒れていた?
それとも……あれは、今日のレア嬢たちのような演技?
わたくしには分からない。
『クレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息と婚約し、結婚をして、しあわせな人生を送ってくれ』
分からないけど……、殿下はレア嬢たちに演技をさせてまで、わたくしにしあわせな人生をと言って下さった。
まるで、ご自分はしあわせにはならないから、せめてわたくしだけは……と、告げられたよう。ご自分の不幸に、巻き込まれないでくれと……。
……馬鹿だ。ブライム王太子殿下は。馬鹿だ。わたくしも。
わたくしは、あなたが、わたくしのドレスを……褒めてくださったときから、ずっと、本当は……あなたが好きなのに。
なのに、王太子殿下を取り巻く状況も知らず、レア嬢とリリ嬢に嫉妬して……。演技だなんて、欠片も思わずに。
クレメントの無能さにイライラしたけど。
彼どころじゃない。わたくしだって状況の見えていない無能よ。
ああ……。一体わたくしはこの四年間何をしていたの?
見るべきものも見ず、知るべきものも知らず。
自分一人、分かっているつもりで、クレメントを心の中とはいえ見下げて。
クレメントの手を取って、安全に生き延びて……なんて、レア嬢たちから説明をされて。
ようやく、王太子殿下の状況を知った。
お命すら、脅かされていると……。
だというのに、わたくしは王太子殿下の言葉に少し苛ついている。
好きでもない男の手を取って、しあわせになるとでも? そんな人生、何になる? 安全よりなにより、優先すべきことが人生にはあるでしょう⁉
……なんて、現在進行形で命の危険があるブライム王太子殿下に「安全なんて要らない」と告げたら、ゼイタクだとでも言われるだろうか?
でも……、正直に言えば、わたくしはレア嬢とリリ嬢が羨ましい。
手駒としてでも、ブライム王太子殿下がご自分で、彼女たちを選んで側に置いている。
一緒に生きて、死ねるのだ。
安全に、穏やかに、クレメントと人生を送るよりは。
わたくしは困難が待ち受けていてもいいから……ブライム王太子殿下と共に生きたい。
空を見上げる。
灰色の雲に分厚く覆われた空。雲の上にある太陽など見えなくて。
雨が降り続ける。
雨に耐えて濡れるだけの薔薇。
でも……薔薇の花や葉の上の水滴は……宝石みたいに美しい。
『すっごくきれい!』
四年前の王太子殿下の声が聞こえてくるようだ。
ならば、わたくしも……、雨に濡れた薔薇になる。
「マリー」
「はい、お嬢様」
「わたくし、ルクヴルール侯爵にお会いしたいの。お父様と一緒にね」
たとえどんな苦難が降りかかって来ようとも、萎れるのではなく、雨のしずくさえも己の輝きに変えてみせよう……。




