第2話 内密の話
レア嬢が手にしたクッキーをブライム王太子殿下の口元へと差し出す。
「はーい、殿下ぁ、あーんして♡」
「おお! もしやこのクッキーはレアの手作りなのかい?」
「うん♡ そーなのぉ」
「ではいただこう。あーん」
そのまま、ぱくりと。ブライム王太子殿下が、クッキーに齧り付く。
ちょっとお待ちになって。殿下がお食べになるのなら毒見は……。
ショックを受けたわたくしが硬直している間に、ブライム王太子殿下が二枚目を催促する。
「おいしいなあ! レアは将来ボクの専属おやつ係になるかい?」
「うふふふふ~。レア、嬉しい♡」
……かわいらしい令嬢に「あーん」などとされて鼻の下を伸ばしているブライム王太子殿下。
わたくしは、何故、どうして、こんな情けない男に恋をしたのか……。
拳を握り締め、自分で自分を殴りつけたくなる気持ちをぐっとこらえる。
殴る代わりに、ベンチの後ろで、置物のように突っ立っているだけのクレメントを睨む。半ば八つ当たりだけれど……。
わたくしは四年という時間が経過しても、未だ婚約者候補。正式に話が進むことがないままなのだ。
けれど、クレメントはもうブライム王太子殿下の正式な側近。
だから、クレメントは貴族学院内では常にブライム王太子殿下の側に居る。
だというのに……突っ立っているだけ。
側近ならば!
王太子殿下の阿呆な様子を!
止めるなり、他の生徒から見えない場所に誘導したりする程度のことはしなさいよ!
怒鳴りたい。が、怒鳴れない。
ジェモン侯爵家の令嬢であるわたくしが、ルクヴルール侯爵の令息を怒鳴りつければ……、二大侯爵家の間で、それなりの争いになる可能性はある。
争えば、負けるのはわたくしのジェモン侯爵家の方。
関係悪化はよろしくない。
では、ブライム王太子殿下に直接文句を言うか。
もしも、わたくしがすでにブライム王太子殿下の婚約者であれば、それも可能かもしれない。
だが、未だ婚約者候補の筆頭と黙されているだけで、本契約には至ってはいないのだ。かといって、他の令嬢に婚約の話が通っているようなこともない。
四年前からずっと続いている保留状態。
つまり、単なる侯爵令嬢が王太子殿下を怒鳴りつけるのは……よろしくないどころか不敬だろう。
しかし。
王太子ともあろう者が、下級貴族の令嬢を侍らせ、ウフフアハハとしている姿を他の生徒たちに見せるのも……。
大問題。
臣下として、ご忠告申し上げる域には達している……と判断せざるを得ない。
初恋の男が情けない姿をさらしている逆恨みでもなく!
ましてや、王太子殿下の左右に侍っている令嬢に対する嫉妬でもない!
ないったらないわよ!
学院内では身分の差などにはこだわらず交流をせよとの方針もあるが……、さすがに、見逃せない。
胸の中の煮えたぎるような怒りの感情は隠して、淑女らしい微笑みを作り、わたくしはブライム王太子殿下の前へと進んだ。
「ごきげんよう、ブライム王太子殿下」
制服のスカートを軽くつまんで、淑女の礼をとる。
「あー、ヴィーちゃんだぁ。相変わらず美人だねぇ。あ、今日は髪の毛結っているの? すんごく似合っているね! 瞳の緋色とリボンの色が同じなのもかわいい」
不覚にも、褒められて照れてしまったわたくし。
ううう……。胸はドキドキと高鳴るけど……落ち着かなくては。
クレメントが「ジェモン侯爵令嬢、もしくはヴィクトリーヌ嬢です!」と怒鳴っているが、雑音だ。
「ありがとう存じます、王太子殿下。しかし、少々物申してもよろしゅうございますか?」
内心の動揺など見せないようにしつつ、にこやかに、しとやかに、告げる。
「うん、いーよ? なんかあったのー?」
「あったと言いますか……、左右のご令嬢との距離が、少々近いようで……、生徒たちの噂になっておりまして……」
「あー? 噂、ねぇ……」
困ったように笑いながら、周囲をぐるりと見渡すブライム王太子殿下。
遠巻きに殿下たちの様子を見ていた生徒たちが……そそくさと中庭から去って行く。
殿下と手を繋いでいたリリ・イザベル・ロージェ子爵令嬢が、桃色の髪を揺らしながら、ぴょこんと立ち上がった。
「ええっとー! このベンチにぃ、あたしたちがぁ、殿下と座っているとマズいんですかぁ?」
トコトコと、小刻みに歩いて。わたくしの顔をじっと見つめてくる。
「オトモダチ、ですよぉ、オ・ト・モ・ダ・チ!」
にっこーとした笑顔は実に可愛らしいけれど……、瞳の奥は何か言いたげだ。
「侯爵令嬢がぁ、気にするようなことじゃありませーん」
「そうですよぉ。レアとリリはぁ、殿下とおしゃべりしたり、クッキーを食べたりしているだけで、それ以上のことはないですもーん♡」
「……周囲からの目も少しは考えたらどうかしら?」
「えー? でもぉ、殿下はぁ、あたしたちはコレでいいよーって言って下さっていますよぉ?」
リリ嬢が後ろを振り向いて、ブライム殿下に「そうですよねー、殿下ぁ」と言いかけ……、そのまま、何故だか体勢を崩した。
「きゃっ!」
「リリっ!」
わたくしのほうに、後ろ向きに倒れるリリ嬢。
レア嬢が咄嗟に手を伸ばし、リリ嬢の身体を支えようとする。が、リリ嬢はそのまま地面にへたり込んだ。
「ちょっとぉ! 何をするんですかぁ!」
そんなふうに怒鳴られると、まるでわたくしがリリ嬢を突き飛ばしでもしたかのように、思われてしまう……。
「わ、わたくしは……何も」
していないという前に、リリ嬢が「痛ぁいぃぃぃ!」と泣きだした。
レア嬢が、わたくしの手首をグイっと掴んで……、耳元で、ボソッと一言呟いた後、大袈裟に騒ぎ出した。
「貴族の娘の身体に傷でもついたら大変なんですよぉ! ねえ、手当とかしてもらえませんかぁ? ジェモン侯爵家にはお抱えの優秀なお医者様とかいるんでしょう?」
わざとらしくぎゃあぎゃあ騒ぐレア嬢。
だけど、わたくしは……、戸惑っていた。
なぜなら今、レア嬢から低い声でこっそりと「内密に話が」と言われたのだ。
なんなの? その言葉は……。
何か、ある。きっと、何か。この場では聞くことができない何かが。
「……分かりました。我が家までお越しくださる? わたくしの馬車に同乗してもらって構いませんから」
密談ならば、馬車の中が最適だ。
誰にも聞かれることはない。
「さぁすが侯爵家のご令嬢! ありがとうございますぅ。さ、リリ、痛いだろうけど、行こう?」
「うん……、レアぁ……」
泣き顔のリリ嬢に手を差し出すレア嬢。
わたくしはブライム王太子殿下に一礼をする。
「治療を施しますので、この場は去らせていただきます」
「うん、悪いね。レア、リリ、頼むね」
……置物のように突っ立ったままで、ただボソボソと独り言のように「学院の保健医に見てもらえばいいのに」と呟くクレメントは無視。わたくしたちはそのままその場を辞した。
リリ嬢は、レア嬢に寄り掛かり、くすんくすんと泣きながら、レア嬢はそんなリリ嬢を慰めながら、わたくしの後についてくる。「内密に」との言葉をささやかれたせいか、二人の様子がどうも演技のように思えてしまう。ブライム王太子殿下の「レア、リリ、頼むね」という言い方もおかしいような……。「レア、『リリを』頼むね」ではないの?
考え過ぎかしら? でも……何か引っかかる。
考えながら歩いているうちに、馬車乗り場に到着。
我が家の馬車がすでに待機して、その馬車の横ではわたくしの侍女が馬車のドアを開けて待っていた。
「お帰りなさいませ、ヴィクトリーヌお嬢様」
「ああ、マリー。ただいま。あのね、この二人のご令嬢を我が家に連れて行かねばならなくなったの」
「まあ! それでは私は……、後部に立ちますね」
我が家の馬車は、四人掛けなので、わたくし、マリー、レア嬢、リリ嬢の四人で乗れないことはない。
だけど、細めの車体は四人で座ればかなり狭い。
その上、わたくし一人が上座、レア嬢とリリ嬢が下座に座るとすると、マリーがわたくしの隣に座ることになる。だけれど……、侍女であるマリーが、わたくしと同格の席に座ることはできない。
だから、馬車の後部に設けられた、本来は従僕が立って乗るランブルシートにマリーが乗ると言ってくれたのだ。
「ごめんなさいね、マリー。寒くはないかしら?」
「今日はこの時期にしては暖かですから大丈夫です」
頷いて、わたくしとレア嬢とリリ嬢とで馬車に乗り込む。
マリーがランブルシートに立ったことを確認して、御者が馬車を出発させた。
さて……、と思ったところで、レア嬢とリリ嬢が、すっと頭を下げた。
「王太子殿下のご指示とはいえ、侯爵令嬢にご無礼をいたしました。申し訳ございません」
口調も改まっている。
「……やっぱり演技?」
レア嬢とリリ嬢は、ふっと表情を緩めた。
「……殿下は、侯爵令嬢なら、きっとお気づきになるとおっしゃっていました」
「あら……」
ちょっと嬉しい。
「王太子殿下の後ろには常にクレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息が控えておりますので、このような手段を取らせていただいたのです」
「侯爵令息が問題? それとも……クヴルール侯爵に話が伝わるのが問題?」
「王太子殿下は、第一にクヴルール侯爵に内密にしたいと」
「なるほど……。つまり、あなたたちお二人は、ブライム王太子殿下の個人的な手駒……なのね?」
レア嬢が頷いた。
「わざとらしくイチャイチャすれば、侯爵令嬢がご注意くださるかと。その際にアタシたちのどちらかが怪我をしたフリをする。そうしたら、内密な話ができる」
「ブライム王太子殿下がわたくしを直接呼び止めるのではダメだったのね?」
「ええ」
「はい。クヴルール侯爵だけでなく、その他の派閥関係もありますので、危険はなるべく減らしたいのです。現状、誰が敵か、正確にはわからないので」
「危険? 敵?」
ブライム王太子殿下とわたくしの接触が……?
どうして?
だって、話が進んでいないとはいえ、わたくしはブライム王の婚約者候補なのに……。
「侯爵令嬢は、王太子殿下のお立場をどの程度ご理解なさっておりますか?」
「え?」
立場? 現国王唯一のお子であり、母親は聖女。故に、次期国王となる……ということ?
レア嬢とリリ嬢の質問の意味がよく分からない。
公的な立場を問われたわけではないようだけど……。
「時間もないので、端的に申し上げますね。現国王はお飾り。国の政治はほぼクヴルール侯爵が動かしている」
「ええ、そうね。それが悪いとはわたくしは思わないけれど……」
わたくしのお父様はクヴルール侯爵に意見は言うけれど、大きく反対をすることはない。二大侯爵家が敵対していれば、不穏になるので、お父様たちが友好関係を保っているのは良いと思う。
だって、現国王陛下は無能で阿呆なボンクラ国王だ。見栄えだけは良いので、お飾りとしては最上……かもしれないが。でも……。
「はい。あの国王に国を任せれば、恐ろしいことになるかもしれませんし……」
「今は、大人しくお飾りをしているみたいですが。あたしたちが生まれる前は……」
以前、国王陛下が貴族学院に通われていたとき、元平民の男爵令嬢と恋に落ちた。
婚約者のご令嬢との婚約を、卒業パーティの場で破棄宣言。男爵令嬢を王妃にすると宣った。
もちろん、そんな男爵令嬢などは、即座に男爵家ごと粛清されたが……。
でも……男爵令嬢が粛清されたことなどは、悲劇の前座でしかなかったのだ。
元々国王などはお飾り。実際に国の政治を動かしてきたのは歴代の二大侯爵家。今はほぼルクヴルール侯爵のようなもの。
だから、王の嘆きなどどうでもよかった。
国王など、放置しておいても国の政治も経済も動く。
放っておかなかったのは……心清き聖女様。
男爵令嬢を失い嘆く国王の心に寄り添い、慰め……結果、勘違いをした国王によって、聖女は純潔を散らされた。
「男爵令嬢との『真実の愛』は叶わなかった! だが、聖女との『運命の恋』を得て、この我は、幸福を知った!」
国王は歓喜に満ちていたが、聖女は違う。
聖女とは、神に仕える者。神の花嫁。
婚姻を結ぶことなく、清らかなまま、一生を終える。
代わりに、人々の病や怪我を治癒する力を持つらしい。まあ、子を産んでも力を失わない聖女もいたらしいけれど……。
そもそも、聖女は何十年に一度しか現れない尊い存在だ。真綿にくるまれるように、大切にされるのが当然。
「我は、聖女を王妃に、新たなる人生を歩む!」
傷心の国王を慰めたのは、聖女としての清らかで優しい心からだった。
決して男爵令嬢の後釜に座るつもりなどなかったのだ。
なのに、いきなり手折られ。しかもたった一度の行為で……子が出来た。
その子が、ブライム・ガブリエル・リンダークネッシュ王太子殿下。
聖女は……、聖女の心は、妊娠や出産に耐えられなかった。
幼児退行をし……、今では神に祈るだけの日々を送っているらしい。
この顛末に、教会側の対応は……割れた。
聖女を汚した国王を粛清せよと叫ぶ者たちは、意外にも少数だった。
多くは、生まれたブライム王太子殿下を『神が授けし祝福の子』と呼んだ。
現教皇は野心家で、聖女が産んだ『祝福の子』が王位に就くということは、これすなわち教会が国の政治を主導するべきという神の啓示……と主張。
更に、教皇の娘……戸籍上は教皇の姪をブライム王太子殿下の婚約者とするべく動いているらしい。
らしいというのは、わたくしも直接教皇に会ったことはなく、噂でしかないからなのだけれど。
ブライム王太子殿下の婚約者が未だに決まっていないのは、そういった教会側の横やりもあるのだろう。
とはいえ、やはりブライム王太子殿下を『罪の子』とする教会の者もいるわけで、教会側も一枚岩ではない。
もちろんわたくしたち貴族の側もそうではあるが。
ちなみにルクヴルール侯爵は三人の令息がいるが、令嬢はいない。
もしもいれば、ブライム王太子殿下の婚約者の地位を、わたくしと争っただろう。
まあ、ありえないもしもを考えても仕方がないのだけれど……。
貴族側も意見が割れているのだ。
阿呆な国王と狂った聖女。その息子であるブライム王太子殿下の婚約者……つまり後の王妃に誰を据えるか。
教会の思惑通りに、教皇の娘を後の王妃にする案は、貴族側は反発している。
順当に考えれば、二大侯爵家の唯一の令嬢、このわたくしが王太子妃、後の王妃になる……のだが。
「本来であれば、ブライム王太子殿下と侯爵令嬢の婚約が取り交わされているハズでした」
「ですが、阿呆の息子もきっと阿呆。有能な侯爵令嬢を、飾り物の王妃にするのはもったいないという意見も多く」
「……そうね」
もしもわたくしが阿呆であったら。
ブライム王太子殿下とわたくしの婚儀がさっさと成立していたかもしれないのにね……。




