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霧雨と薔薇 ~侯爵令嬢ヴィクトリーヌの恋と決意~  作者: 藍銅 紅@『お姉様はずるい』コミカライズ連載中


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第1話 霧雨の薔薇園 


霧雨が降ると、わたくしは思い出す。

四年前の王城の薔薇園での交流会を。

……恋に落ちた、あのときを。



その日、薔薇園にはブライム・ガブリエル・リンダークネッシュ王太子殿下と同世代の、幼い令息や令嬢たちが数多く集められていた。

令息たちは、将来の側近候補として。

令嬢たちは、将来の王太子妃候補として。

だが、ブライム王太子殿下がお見えになる前に雨が降り出したのだ。


「申し訳ございません! 城の中へ! 大広間へご案内いたします!」


城の使用人が慌てて大声を出し、幼い令息や令嬢を大広間へと誘導した。


霧か煙のような細かい雨。すぐにずぶ濡れになることはないが、それでも皆急ぎ足になった。


ぞろぞろと王城の廊下を歩き、たどり着いたのはまだほとんど準備が整っていない大広間。


大広間の壁際には小さなテーブルや椅子などがいくつも並んでいたが、テーブルクロスも、茶の用意も、席次表の用意もない。使用人たちが急ぎ準備を整えようとしているが、急な予定変更だ。咎めるのは酷だ。


幼い令息や令嬢たちは所在なさげに立ち尽くす。


わたくしは迷った。わたくしだって今日は招待された客に過ぎない。口出しするのは僭越だ。

分かってはいたけれど……、わたくしはリンダークネッシュ王国の二大侯爵家の片方、ジェモン侯爵の娘。他の令嬢たちのようにぼんやりしていることはできない。


迷いと不安で心臓がぎゅっとなり、指先は冷えて震えた。でも……。

自分の身体をなだめるように、息を吸って、吐く。

僭越を言い出して咎められないだろうか。出しゃばりだと皆から言われないだろうか。怖い。でも……。


もう一度息を吸って吐く。

そして……注目を集めるために、わざと靴音をカツーンと響かせてから、思い切って言った。


「ねえ、皆様。準備が整うまで、座って待ちませんこと?」


令息や令嬢たちが、一斉にわたくしを見た。

震えそうになる声、緊張でこわばりそうになる顔。それを誤魔化すために、わざと首をかしげてみせた。

考えるフリ。わたくしの赤みを帯びた金色の髪をふわりと揺らす。


「そう……ね、席次もあるから……。上座には侯爵家の皆様が、中ほどに伯爵家の皆様、あちら側が子爵家、廊下側が男爵家の皆様でどうかしら?」


令息や令嬢たちがほっとしたように頷いてくれた。

良かった……。わたくしの口出しを咎めるような者はいないよう。


「同じ爵位でも、座席の位置を迷われるようなら、お互いに自己紹介をして席を決めればいいわ」


提案をしてすぐ、わたくしは率先して上座の席に向かった。


優雅に見えるよう、敢えてゆっくりとした歩みをとったわたくし。

その後を、オリーブ色の髪と瞳をした令息……リンダークネッシュ王国の二大侯爵家のもう片方、ルクヴルール侯爵家の三男であるクレメントが追いかけてきた。


「やあ、ヴィクトリーヌ。さすがだね」


へらへら笑うクレメントを、わたくしはじろりと睨む。


何がさすがだ。緊張のあまり、わたくしの心臓はひっくり返りそうだというのに。しかも……。


「呼びすてにしないで下さるかしら、クレメント・アンドレ・ルクヴルール侯爵令息。名前に『嬢』を付けるか、もしくは『ジェモン侯爵令嬢』と呼んでちょうだい」

「ええ⁉ 俺と君の仲だろ?」

「単に我がリンダークネッシュ王国の二大侯爵家の令息と令嬢というだけよ。個人的な付き合いなどしてはいないわ」


クレメントの馴れ馴れしい口調と態度。正直に言って、不快。

だいたいにして、今のような指示を出すのならば、クレメントのほうが良かったはずなのだ。

爵位的には同じ。共に二大侯爵家。

……けれども、実際に持つ権力ならば、わたくしのジェモン侯爵家よりもクレメントのルクヴルール侯爵家の方が上なのだから。


なのに。


クレメントは他の令息たち同様、ぼさっと突っ立っているだけだった。

役に立たない男! 


「何回かお茶とか、一緒に飲んだだろ?」


クレメントの言い方では、まるでわたくしとクレメントが二人で会っていたように誤解される。冗談ではない。


「二大侯爵家の令息と令嬢として、共にブライム王太子殿下にご挨拶を差し上げただけでしょう? あなたのお兄様たちだって同席していたじゃない!」

「……それは、そう……だけどさ」

「誤解されるような発言は慎んでいただける? まだ正式に決まっていないとはいえ、わたくしはブライム王太子殿下の婚約者候補の筆頭なの」


わたくしはじろりと睨みつけてやった。

以前のお茶会のとき、会話の主導はクレメントのお兄様たちだった。クレメントはへらへらとお兄様たちに追従しかしていないのに、さも自分が素晴らしいことを言ったとばかりに胸を張っていた。

……わたくし、こういう男は嫌い。


「……ヴィクトリーヌは俺の婚約者になる可能性だってある。二大侯爵家の俺たちが結ばれて、ブライム王太子殿下を支えるって……」


そう、その可能性もある。

だからこそ、今日、この場に大勢の令嬢も集まっているのだ。

だけど、その中での筆頭はわたくし。もちろん二番手、三番手のご令嬢も検討されているだろうし。国政を鑑みて、別の令嬢が用意されるかもしれないけれど。


仮に、わたくしが王太子殿下の婚約者に選ばれなかったとしても。

馴れ馴れしく近寄って、呼び捨てにしてくるような男の婚約者になるのは絶対に嫌! 

呼び捨てにするなと言ったばかりなのに、性懲りもなくまた呼び捨て! 

学習能力はないのかしら⁉ 

それとももっとはっきりと迷惑と言わないと駄目なの⁉

ああ、ホント嫌!


「現状、あなたとわたくしは無関係な他人」

「ひどいなあ……」


わたくしはもう、クレメントなどと口もききたくない。もしも本当にわたくしがクレメントと婚約を結ばせられるのなら……何としても逃げよう。


だけど、決定は先になる。

国王陛下がお考えの途中……なのではなく、クレメントの父親であるルクヴルール侯爵が考えの途中なのだ。


そう、国王陛下は所詮お飾り。国政を動かしているのは二大侯爵家。

いや……、ルクヴルール侯爵は『影の国王』と称され、わたくしのお父様であるジェモン侯爵は『影の国王の追従者』と揶揄されている。


ルクヴルール侯爵が『影の国王』のままでいるか、それとも国王陛下などは廃してご自分が正式な国王に成り代わるのか。

まだ、決めかねているのだろう。


決められない理由はいくつもあるのだろうけど……、大きなものは教会側の動き。一応、聖女様がご存命である今、教会の力は強い。

ブライム王太子殿下が国王陛下と聖女様との間にできた御子であることも、教会の力を強めている一因でもある。


さすがの『影の国王』も『表の国王』になることは躊躇をしているのだろう。


色々な思惑が重なって、不安定な現状。


わたくしのお父様は『影の国王の追従者』と揶揄されてはいるが、そのような現状を、十二歳のわたくしにも分かりやすく教えてくださることはできるのだ。


娘の欲目かもしれないけれど……お父様は無能ではない。ただ一番強い相手に従い生きていくということを信条としているだけ。家のために、長いものにまかれているだけ。


クレメントは不満そうに口を窄めた。


これ以上余計なことを付け足される前に、クレメントから離れたほうがよさそうだ……と思ったところで、大広間のドアの向こうにアカシアハチミツのような透明感のある明るい髪の色が見えた。

あの色は……。


「ブライム王太子殿下……」


軽い足取りで、大広間にやってきたのはブライム・ガブリエル・リンダークネッシュ王太子殿下。


わたくしや大広間にいた令息や令嬢たちが立ち上がり、一斉に頭を下げる。


だけど……、ブライム王太子殿下は、わたくしたちには何の言葉もかけないまま、大広間を素通りして、バルコニーに出てしまった。


「え……?」


ちらと目線を流して見れば、ブライム王太子殿下はバルコニーの柵に手をついて、薔薇園を見下ろしているようだった。


そのまま待っていても、ブライム王太子殿下はじっとしたまま。


このまま放置されれば、全員がずっと頭を下げ続けたままになる。


……礼儀に反する上に、二度目の僭越になるけれど、クレメントは動かないし、仕方がない。

わたくしはさっと右の手を払い、皆に向かって「顔を上げて」と指示をした。

それから、慌てず優雅にゆっくりと見えるように……、王太子殿下の行動は予定の通りだと言わんばかりに……、わたくしもバルコニーに向かう。


そのわたくしの後を、クレメントがぶつぶつ言いながら慌てて追いかけてきた。

せっかくわたくしが場を取り繕ったというのに台無しだ。

舌打ちしたい気分を押さえて、バルコニーに出る。


外は霧雨が続いていた。

雨が、薔薇園の赤、ピンク、黄色、白……色とりどりの薔薇の花を濡らす。輪郭がかすんでぼんやりとして……まるで水彩画のように、淡くて美しい。


その美しさを背景にして立つブライム王太子殿下。

アカシアハチミツのような透明感のある明るい色の髪。中途半端に伸びたその髪をまとめるための金糸で刺繍されたオレンジ色のリボン。

対比のせいか、王太子殿下のお姿がやけにくっきりと浮き上がるようにして見えた。


だが、見惚れている場合ではない。皆が待っているのだ。わたくしは、姿勢を正す。息を吸ったそのタイミングで……ブライム王太子殿下が呟かれた。


「きれいだねえ……。ボク、雨も好きかも」


クレメントが「……ええと、はい?」とオリーブグリーン色の髪を揺らすように、頭を傾けた。


「雨がね、薔薇を濡らして。その水滴が宝石みたいに見えるんだよ!」

「はあ……?」


王太子殿下はくるりと振り返った。

髪と同じ、アカシアハチミツ色の瞳が真っ直ぐにわたくしを見る。

キラキラと輝く大きな瞳。

わたくしの胸が、鼓動が……何故だか早くなった。


「ほら! ヴィーちゃんのドレスも!」


確かにわたくしは赤いドレスを着用していた。スカート部分にはキラキラしたビーズの縫い取りがある。それは……水滴のように、見えなくもない。


「すっごくきれい!」


……きれいだと言われたのは、ドレスであって、わたくしではない。

なのに。

咄嗟に何の言葉も出なかった。

表情を取り繕うことさえできなかった。


侯爵家の娘として、矜持を保たねばならない。

なのに……心臓がバクバクと音を立てた。


ああ……、どうしよう。お褒めいただきまして、ありがとうございますとでも言えばいい? いいえ、違うわ。薔薇の花の上の水滴がきれいですねって同意をすればいいの……?


高位貴族の娘として、わたくしはかなり高度な教育は受けてきている。マナーや会話については、大人顔負けだと家庭教師にも褒めてもらっていた。


他者から容姿や仕草を褒められることなども当然何度もある。慣れている。


でも、ブライム王太子殿下の真っすぐな視線と……嘘や追従などのない素直な言葉に……、何と返答してよいのか分からない。


ただ胸が高鳴り続けた。

喉が詰まった。

顔も赤くなっているような気もした。


……わたくし、どうしたのかしら?


「……あのですねえ、ブライム王太子殿下。ご令嬢の名はきちんとお呼びください。ジェモン侯爵令嬢、もしくはヴィクトリーヌ嬢です!」


クレメントが文句を言った。

……それ、わたくしがさっきクレメントに文句を言ったのと同じようなセリフよね。


「えー? 長い名前なんて覚えられないんだけどー?」

「覚えてください! 礼儀です!」

「えー……。クーちゃんとかヴィーちゃんでいいだろー? だって、相手が誰か分かればいいんだしー。他の子たちと違って、ボクと二人はもともと仲良しだろー」


仲良しと言っていいのかしら?

婚約者と側近。現状は、その候補でしかないのだけれど。


ただ……王太子殿下にヴィーちゃんと呼ばれたのは……、不快ではないどころか……、ほんの少し、嬉しかった。クレメントに呼び捨てにされたのは不快だったのに。どうしてかしらね……?


クレメントは、歯ぎしりをした後に言った。


「……だったら俺はブライム王太子殿下のことを『ブーちゃん』と呼びますけど⁉」


クレメントがクーちゃん。

ヴィクトリーヌがヴィーちゃん。

ブライム王太子殿下は……ブーちゃん。


いくらなんでも非礼に過ぎる……。


わたくしはクレメントを咎めようとした。なのに、ブライム王太子殿下はお笑いになった。


「あははははは! さすがにボクもブーちゃんは嫌かなー! 豚さんみたいだしー」

「では、きちんと!」

「わかったよー、クレメント! ヴィーちゃんのことはヴィクトリーヌ嬢って呼ぶね!」


ブライム王太子殿下の、まるで子犬のようにかわいらしい笑顔。でも……、ほんの少し、何故だかどこかさみしげにも思えて。

その笑顔を……もっとずっと……満面の笑みにして差し上げたいなんて、わたくしは思って……。


ずっとずっと……、ああ、何だろう、この気持ちは。


もっと、ずっと。そして……もっと、何度も。

きれいだと言ってほしい。

ドレスではなく、このわたくしを。


笑いかけてほしい。

他の誰かではなく、このわたくしに。


ああ……。そうか。恋だ。わたくしは、恋をしたのだ。今、ブライム王太子殿下に。


突然足元にぽっかりと穴が開いて、そこに落ちていくような気持ち。

怖いのに……、心のどこかがふんわりして。穴に落ちているのに、そこに浮いてもいるみたいで。


ああ……。そうなのね。これが恋というものなのね……。


初めての恋。

その感情に、わたくしの全身は、心は、心臓は……震えを止めることが出来ずに。


霧雨と、薔薇と、ブライム王太子殿下の「ヴィーちゃん」とわたくしを呼ぶ声と、アカシアハチミツのような髪の色と瞳の色が……。


震え続ける心にしみ込んでいって……。


この交流会の後も、ブライム王太子殿下にお会いするごとに、恋の気持ちはますます深くなっていって……。



だけど。

だけど……。



あれから四年。

十六歳になったわたくしは、宝物のようだった初恋を……後悔している。


霧雨の薔薇園の思い出も初恋の感情も、心の中から取り出して、捨てて、足蹴にした上で、暖炉の炎で燃やしてしまいたい。

拳を握って、恋心を思い切り殴ってしまいたい。


貴族学院に通い出してから、毎日のように、そんな怒りに駆られている。


何故かと言えば……。


貴族学院の中庭。

その花壇の近くに設置されたベンチに、今日もブライム王太子殿下はお座りになっている。


一人ではない。

右側と左側に一人ずつ、かわいらしい令嬢を侍らしている。このところ、毎日のように……だ。


右側に座り、ブライム王太子殿下と手を繋いでいるのがリリ・イザベル・ロージェ子爵令嬢。

淡いベビーピンク色のふわふわした髪を、二つ分けにして結んでいるたれ目のご令嬢。


左側に座っているのがレア・コラン・ドゥメッシュー男爵令嬢。

薄いベビーブルーの水色の髪の、その毛先を内側にくるりと丁寧に巻いている。


わたくしとは異なるかわいらしいご令嬢たち。わたくしの高位貴族然とした微笑みとは異なる、愛らしい笑顔。


……もしかしてブライム王太子殿下は凛とした美しさより、リリ嬢やレア嬢のような可愛らしい女性を求めるのだろうか……。


無くしてしまいたいというのに、まだ残っている恋心が……、ずきずきと、痛む。





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