第58話:波紋
泥巣の薄暗い天井を見つめたまま、リーネはぽつり、ぽつりと、自らの過去を打ち明け始めた。
「神聖教国ルクスリアにおいて、神官が扱うべきは、神の奇跡を体現する『光の魔法』だけです。ですが……私はかつて、目の前で苦しむどうしても救いたかった人のために、教国で禁忌とされている『闇魔法』を使ってしまいました」
人を救うために、他人の苦痛を自らに引き受ける魔法『ペイン・イーター』に手を染めたこと。
光の信仰を掲げる国において、ただそれだけの優しさの代償として「異端」の烙印を押され、国を追われたこと。
「……これが、私の過去のすべてです」
リーネは胸元の銀の聖印を、きつく白むほどに握りしめた。その声に迷いはなかった。
「そんなの……」
沈黙を破ったのは、レンだった。
レンは激しく拳を握りしめ、その端正な顔を怒りに歪めていた。
「そんなの理不尽だ! 人を助けようとしただけじゃないか! 苦しむ人を放っておけなくて、痛みを代わりに引き受けた……リーネさんは、何も悪くない!」
地上の巨大な宗教組織が突きつけた理不尽に対する、真っ直ぐな激昂。
その言葉に、リーネの目からポロポロと温かい涙が零れ落ちる。
「ありがとう、レンくん……」
「――でも」
レンの言葉が、ふと途切れた。
怒りに燃えていた彼の瞳に、奇妙な迷いと、冷たい困惑が混ざり込んでいく。
「……でも、それだけで、あんな連中が来るのか?」
部屋は再び、しんと静まり返った。
ブラッドは何も言わなかった。
背中に『血喰双刃』を背負ったまま、壁に寄りかかる双刃の剣士は、三日月の瞳を薄く開けて、ただそのやり取りを静かに眺めている。
鉄鼠は無造作に、手元の煙草を灰皿へと揉み消した。
「気に入らねえな」
ボソリと吐き捨てられた一言のあと、泥巣には、誰一人として破ることのできない重苦しい静寂だけが残された。




