第50話:錆びつく理想、血汐の洗礼
爆煙と粉塵が渦巻く信徒室に、無慈悲な殺戮の鉄嵐が吹き荒れた。
「ひ、あ……っ!?」
レンの背後にいた少年のひとり、トマスが、恐怖に顔を歪めて悲鳴を上げた。
黒装束の暗殺者が放った魔導弩の矢が、容赦なくその肩を深く穿ったのだ。鮮血が壁に飛び散り、トマスは錆びついた鉄パイプを取り落として床に転がった。
「トマス!!」
レンが叫び、駆け寄ろうとする。だが、その少年の命を確実に刈り取るべく、別の黒装束が音もなく頭上から細身の短剣を突き立てようと舞い降りていた。
「動くな、ガキ!」
その白刃の軌道に割り込んだのは、ブラッドの『血喰双刃』だった。
キィィィンと耳を劈く金属音が狭い室内に響き渡る。ブラッドは強引に短剣を弾き返すと、そのまま相手の懐に踏み込み、容赦のない蹴りで壁へと叩きつけた。石壁に激突した暗殺者が骨の砕ける音を立てて崩れ落ちる。
だが、息をつく暇などなかった。天井の崩落穴から、次々と新たな黒装束が舞い降りてくる。その数、優に十を超えていた。
「チッ、数が多いな……!」
ブラッドはフードの奥で舌打ちを漏らした。
彼らを庇うために、ブラッドは回避行動を制限され、正面から敵の攻撃を受け止めざるを得ない防戦を強いられていた。
「リーネ! ガキどもを祭壇の影に集めろ! 盾になれ!」
「はいっ!」
リーネは素早く法衣の裾を翻し、負傷したトマスを引きずりながら祭壇の窪みへと若者たちを押し込んだ。彼女の手の手の甲にある血契の紋章が烈しく明滅し、ブラッドへと血気が絶え間なく供給されていく。
「レン! ぼさっとするな! その帳簿を絶対に手放すなよ!」
ブラッドの怒声に、レンはハッと我に返った。
少年の手は、恐怖でガタガタと震えていた。彼がこれまで戦ってきた裏社会とは、精々が縄張り争いの殴り合いの延長に過ぎなかったのだ。
一切の躊躇なく命を奪いにくる「本物の兵器」を前にして、彼の掲げていた崇高な理想は、一瞬にして足元から瓦解しかけていた。
「これが……これがお前たちの言っていた、世界を変えるための戦場だ!」
ブラッドは襲い来る二人の暗殺者の斬撃を双刃で受け流し、火花を散らしながら言い放った。
「お前たちが紙切れに書いた綺麗な言葉は、今、その流れてる仲間の血を止められるか!? 理想を叫べば、目の前の刃が止まってくれるとでも思ったか!」
反論したかった。だが、言葉が出ない。
レンはここで論破されているのではなかった。圧倒的な現実に、文字通り力で殴られているのだ。
その時、戦況がさらに歪に動いた。
ブラッドが三人の暗殺者に同時に迫られ、完全にその双剣を拘束された刹那。一人の黒装束が、ブラッドの死角をすり抜け、祭壇の影で身を縮めるトマスへと短剣を振り上げた。
ブラッドの刃は、届かない。
「――やめろおおおっ!!」
叫んだのは、レンだった。
少年は、恐怖を、絶望を、そのすべてを怒号で叩き伏せ、床に転がっていた錆びついた鉄パイプを両手で握り締め、暗殺者へと飛びかかった。
技も、力も、何もかもが足りない無謀な一撃。
暗殺者は眉一つ動かさず、レンの突き出した鉄パイプを最小限の動きで受け流すと、容赦のない裏拳を少年の顔面に叩き込んだ。
「ガハッ……!?」
レンの身体が派手に吹き飛び、床を転がる。
だが、その無謀な足掻きが作った、ほんの一瞬の『隙』を、死線に生きる双剣使いが見逃すはずがなかった。
「ルァッ!」
拘束を強引に振りほどいたブラッドが、文字通り影を飛び越える速度で肉薄する。
閃光。
レンを吹き飛ばした暗殺者の首が、一瞬の遅れもなく宙を舞った。
床に這いつくばり、口から血を流すレンの前に、ブラッドが音もなく立ち塞がる。その背中からは、先ほど受けた左肩の裂傷から、じわりと赤い血が滴っていた。
「馬鹿が」
ブラッドが、冷淡に吐き捨てる。
レンは痛みに顔を歪めながらも、ブラッドの背中を睨み据え、消え入りそうな声で、しかし明確な意志を込めて言い返した。
「……仲間を、見殺しにできるか」
その言葉を聞いたブラッドは、小さく、本当に小さく鼻を鳴らした。
「だったら最初からそうしろ」
理想の御託を並べる前に、目の前の命のために動け。
それが、ブラッドなりの、この少年に対する最低最悪で、最大の肯定だった。
「……っ!」
レンは血に濡れた拳を、壊れるほどに固く握り締めた。
痛いほどに理解した。理想だけでは、何一つ届かない。目の前の仲間一人すら守れない。
だが――だからといって、ここで諦める気にも、あの父親の支配に甘んじる気にも、到底なれなかった。
肩から血を流しながらも、不敵に双刃を構え直すブラッド。
そして、その背中で、初めて「本物の覚悟」を宿らせた少年の眼差し。
錆びついた理想の先にある、本当の闘いが、今この泥濘の中で産声を上げようとしていた。




