第45話:不吉なる図式、闇の境界線
鉄鼠が卓の上に滑らせた、血の刻印が押された古い羊皮紙。
ブラッドがその端を指先で押さえ、ゆっくりと広げた。
「昨夜お前達を襲った連中だがな」
鉄鼠が皺だらけの指で、羊皮紙に描かれた三つの意匠を順に指し示していく。
そこに描かれていたのは、夜の闇に白く浮かび上がる、見覚えのある、そして絶大な権力を誇る者たちの象徴だった。
一つは、優雅な白百合を象った、アルノヴァでも指折りの権勢を誇る『貴族街』の門閥。
一つは、天秤と硬貨をあしらった、都市の経済を裏から牛耳る『大商会』の不吉な印。
傷だらけの羊皮紙の最後に描かれていたのは――今日、二人が訪れたばかりの『ギルド本部』の、あの金色の紋章だった。
それらが複雑に絡み合い、一つの醜悪な蜘蛛の巣のような図式を描いている。
「犯人を教えろと言うなら教えてやる」
鉄鼠は昏い瞳を細め、杯の淵を指先でなぞりながら、楽しげに低く囁いた。
その図式が意味するものの重さに、リーネは法衣の胸元を強く握りしめ、思わず身を乗り出した。
「本当ですか?」
「だが俺は慈善事業じゃない」
鉄鼠の口調は、優しさなど一片もない、冷酷な商人のそれだった。
教国、貴族、大商会、そしてギルド本部。この黄金の都の最高中枢すべてが、昨夜の襲撃、あるいは自分たちが運んできた『海王種の魔核』を巡る巨大利権の渦に絡んでいる。
今のブラッドの力では、貴族には届かない。ガザリアのような副ギルド長にも勝てない。
ましてや、彼らの罪を暴く証拠など、何一つとして持ち合わせてはいないのだ。今すぐ彼らに牙を剥けば、待っているのは不条理な破滅だけであった。
ブラッドはフードの奥で三日月のような瞳を静かに据え置き、鉄鼠を正面から見据えた。
「条件は」
「一つだけだ」
鉄鼠は広げられた羊皮紙を無造作に折り畳むと、懐から別の、酷く汚れた布切れを取り出した。
そこには、小さな子供が身に付けるような、安物の守り袋が包まれていた。
「俺のガキを探してくれ」
裏社会の絶対的な権力者から飛び出した、不釣り合いな言葉。
だが、その声の響きには、血も涙もない闇の住人としての冷徹な執念が籠もっていた。
「……鉄鼠のガキ、ねえ」
ブラッドは鼻で笑った。だが、その頭は血気術士としての冷徹な計算を瞬時に弾き出していた。
この誘いに乗れば、あの巨大な権力者どもの包囲網を一時的に回避しつつ、この大都会アルノヴァの足元を固めることができる。何より、そのガキを追う過程で、この街の全貌――ノワール街の底から、輝かしい貴族街、ギルドの内部まで、すべてを内側から覗き見ることができるはずだ。
「いいだろう。その仕事、乗ってやる」
「話が早くて助かるよ、双剣使い。ガキは数日前から、ノワール街のさらに奥、古びた地下礼拝堂の周辺で足取りが途絶えている。……まずはそこを突っついてみな」
ブラッドは立ち上がり、コートの裾を翻した。リーネもそれに従って席を立つ。
「――ただの取引だ。勘違いするなよ、爺さん」
ブラッドが吐き捨てた、乾いた一言。信用も情も挟まない、どこまでも歪でシビアな、日陰者としての境界線。
だが、その冷淡な態度を不快がるどころか、鉄鼠は声を震わせて愉快そうに笑った。鉄鼠は杯を弄びながら、昏い瞳の奥を怪しく光らせた。
「だが誰が糸を引いているか、その糸の先くらいなら見せてやれる」
互いの利害のみで結ばれた、鉄錆の誓約。
二人は秘密の酒場を後にし、再びノワール街の昏い迷宮へと、音もなく足を踏み入れていった。




