第41話:鉄錆の休息、燻る導火線
「……一日に二度も、あんたのクソ仕事に付き合う義理はねえよ」
ガザリアが差し出してきた、朱色の封蝋が押された新しい依頼書。
ブラッドはその書面に視線すら落とさず、ただ鼻で笑って背を向けた。
フードの奥から覗く横顔には、本部の最高幹部を前にしているという緊張感など微塵もない。
「おいおい、見もせずに断るのか? 連合の未来を左右する、破格の報酬が約束された特級案件だぞ」
「未来だの何だの、大層なものはあんたらだけで背負ってりゃいい。俺たちはグランポートのミレイアから『魔核を本部に届ける』任務を請け負っただけだ。引き渡しが済んだ以上、もうあんたに用はねえ」
どこまでも利己的で、冷淡な拒絶。
案内人の男がまたしても息を詰まらせたが、ガザリアは不快がるどころか、むしろ愉快そうに隻眼を細めて背もたれに身体を預けた。
「ククク、どこまでも飼い慣らせん狂犬め。いいだろう、引き渡し手続きの完了はギルドの台帳に確かに記しておいた。お前たちのBランクの報酬も、いつでも下ろせるようにしてある。……だが、覚えておけ。お前たちが望もうが望まいが、すでにその身はアルノヴァの渦中に沈んでいるのだということをな」
「そいつを切り伏せるために、刀ってのはあるんだよ」
ブラッドはそれだけ言い残すと、重厚な黒檀の扉を乱暴に押し開けて執術室を出た。
リーネはガザリアに小さく一礼し、急ぎ足でその背中を追う。
バタン、と扉が閉まり、静かな回廊を二人の足音が刻んでいく。
言葉の会話はなかったが、血契の繋がりを通じて、ブラッドの胸の奥から「早くあのクソ臭い部屋から出たかった」という、どこかへそ曲がりな苛立ちの波長が流れ込んできて、リーネは法衣の袖で口元を隠しながら、小さく微笑んだ。
本部の喧響に満ちたロビーを、今度は見向きもせずに通り抜け、二人は再びアルノヴァの大通りへと出た。
空はいつの間にか茜色に染まり始めており、大理石の街並みを黄金色の夕光が長く引き延ばしている。
家々や露店の軒先には、魔導具の灯火がぽつぽつと灯り始め、昼間とはまた違う、どこか妖艶で退廃的な都会の夜が始まろうとしていた。
「ブラッドさん、まずは宿を確保しましょうか。ミレイアさんから聞いていた場所へ向かいます」
「ああ。……それと、昨夜のトカゲの死に損ないが口にしてた、あの言葉が引っかかる」
ブラッドは人混みに紛れながら声を潜めた。
「『ノワール街』だったか。下っ端を金で釣って俺たちにぶつけてきた仲介屋がそこにいる。ギルドの偉そうなジジイの言う通りに動くのは反吐が出るが、自分の首を狙ってる奴の正体を知らねえまま眠るのは、もっと寝覚めが悪い」
「はい。私も、微力ながらお手伝いします」
リーネが小さく頷くと、ブラッドは「手足引っ張るなよ」といつも通りぶっきらぼうに返しつつも、その心音は心地よさそうに安定していた。
二人が辿り着いたのは、中央の大通りから数本外れた、少し落ち着いた裏路地に佇む宿だった。
石造りの三階建てで、一階は冒険者や旅人が集まる小綺麗な酒場になっている。
ミレイアの紹介状を見せると、愛想のいい店主が「お、グランポートの嬢ちゃんからの紹介かい。いい部屋が空いてるよ」と、最上階の部屋の鍵を渡してくれた。
案内されたのは、都会の宿にしては広く、窓からはアルノヴァの夜景が少しだけ覗く部屋だった。
部屋には、質素ながらも清潔なベッドが二つ、少し離れて並べられている。
リーネはそっと息を吐き出し、荷物を床に下ろした。
同じ部屋という空間に、二つのベッド。そこには明確な、けれど酷く近い二人の境界線が存在していた。言葉の会話はない。
ただ、お互いがそれぞれのベッドに腰掛け、一息ついた瞬間、血契の繋がりを伝って「ひとまずは無事に着いて良かった」という、静かな安らぎの波長だけが、部屋の静寂の中にしっとりと染み渡っていった。
やがて、部屋の窓から見える街の明かりが一段と輝きを増し、完全な夜が訪れた。
ブラッドは立ち上がり、窓の外を見た。
黄金の都アルノヴァ。
その輝きの裏に広がる暗黒街ノワール。
そして昨夜、自分たちを襲った者たち。
この街には、まだ見えていない何かがある。
「……まずは情報だ」
窓の下を見下ろしながら、ブラッドは小さく呟いた。
夜の街は急がない。
焦った獣から死んでいく。
それを彼は嫌と言う程知っていた。




