第40話:白大理石の審判、奥の院の静寂
広大な受付ロビーを満たしていた、数百人もの冒険者たちの好奇と嫉妬の視線。その重苦しい空気の中を、ブラッドとリーネがカウンターへ向かって真っ直ぐに進んでいた、その時だった。
「――そこまでで結構です、グランポートの若き獅子たち」
カウンターの奥、一般の受付窓口とは一線を画す重厚な木製の扉が音もなく開き、一人の男が姿を現した。
仕立ての良い漆黒の長衣を纏い、白髪を綺麗に後ろへ撫で付けたその男は、冒険者というよりはどこか一国の高官のような、洗練された知的さと冷徹さを漂わせている。
その胸元に刻まれた金色の紋章は、彼が本部の最高幹部の一人、あるいはギルド長の側近であることを示していた。
「ここでは少々、耳目が多すぎる。中身が中身です、どうぞこちらへ」
男は慇懃に一礼すると、ロビーの連中には目もくれず、奥へと続く廊下を示した。
周囲の冒険者たちから「おい、いきなり奥の院に呼ばれたぞ……」と、さらに鋭さを増したざわめきが上がる。
ブラッドはフードの奥で小さく舌打ちをしたが、脇に抱えた魔核の箱を直すと、迷いのない足取りで男の後に続いた。
リーネもその背中を守るように、静かに歩調を合わせる。
ギィ、と重い防音扉が閉まった瞬間、ロビーの喧騒は完全に遮断され、廊下には奇妙なほどの静寂が広がった。
足音がすべて吸い込まれるような厚手の絨毯が敷かれた回廊。壁の至る所には、外からの侵入や内部での魔力暴発を防ぐための、極めて高度な防御結界の魔方陣が淡く発光している。
奥へ進むほどに、空気の「密度」が変わっていくのを、リーネは肌で敏感に察知していた。
言葉の会話はなくとも、血契の繋がりを通じて、ブラッドの胸の奥からも同様の、あるいはそれ以上の鋭い警戒の波長が流れ込んでくる。
通路の曲がり角、天井の梁の上、目に見えない死角のあちこちに、本部専属の精鋭たちが息を殺して潜んでいるのが分かった。いつでも侵入者を、あるいは自分たちを抹殺できる構えだ。
都会のギルドの本拠地。それは単なる集会所ではなく、文字通り、連合の最高戦力が集まる要塞なのだと、その肌をチクチクと刺すような緊張感が物語っていた。
「さあ、こちらです。我が主がお待ちかねだ」
案内人の男が、回廊の最奥にある、巨大な一対の黒檀の扉を開いた。
部屋に入った瞬間、リーネは息を呑み、ブラッドは僅かに顎を引いた。
そこは、広大な執務室だった。壁一面の本棚には膨大な古文書が並び、部屋の奥の大きな窓からは、アルノヴァの美しい街並みが一望できる。
そして、部屋の中央にある巨大な執務机の後ろに、その人物は座っていた。
アルカディア冒険者同盟本部・副ギルド長、ガザリア。
かつては連合最高峰の戦士として数々の神話を打ち立て、今はその武力を背景に、十の都市国家の利権を裏から操る、冷徹な政治家。
その鍛え上げられた巨躯は、上質な衣服の上からでも容易に分かり、何よりその隻眼の奥にある瞳は、すべてを見透かすように昏く光っていた。
「――ようこそ、アルノヴァへ。長旅、大義であった」
ガザリアが低く、地鳴りのような声で言葉を発した、その刹那。
――ドォンッ!!!
肉眼で見えるかのような、圧倒的な「魔力圧」と「殺気」の濁流が、挨拶代わりに二人へと叩きつけられた。
室内の空気が一瞬で凍りつき、重力が数倍になったかのような錯覚を覚えるほどの重圧。
並の冒険者であれば、この場に膝を突き、呼吸をすることすら忘れて恐怖に震え上がるだろう。
ガザリアは、グランポートで急にBランクへ飛び級し、特級依頼を完遂したというこの若者二人が、本物の実力者なのか、それともただ運が良かっただけの田舎者なのかを、その圧倒的な存在感で冷酷に「値踏み」しにきたのだ。
ドクン、ドクン、ドクン――!
ブラッドの心拍が跳ね上がり、首元のチョーカーがその暴走を抑えようと鈍い音を立てる。
血契を通じて、ブラッドの胸の奥から「ふざけた真似を……!」という、ドス黒い怒りと闘志の波長がリーネへと流れ込んできた。
(させない――!)
リーネは一歩前へ踏み出した。彼女の纏う『聖闇の法衣』が、主の意思に応じるように銀と黒の淡い魔力の粒子を放つ。
リーネは、ガザリアの放つ強烈な威圧の濁流の前に、音もなく静かな『魔力の壁』を展開した。
激しい光と闇の反転。彼女の清廉にして強固な魔力は、部屋を満たしていた重圧を、まるで大岩を避ける清流のように、二人の周囲から綺麗に霧散させてみせたのだ。
「……チッ。大都会の偉い様ってのは、どいつもこいつも嫌がらせがお上手らしいな」
圧力が消え去った空間で、ブラッドは不敵に唇を歪め、一歩前に出た。
フードの奥から覗く彼の瞳には、恐怖など一片もなく、ただ「いつでも首を撥ねる」と言わんばかりの、飢えた獣の眼光が宿っている。
「品定めは終わったか? 終わったなら、さっさとこの忌々しい箱を受け取りな」
ブラッドは、脇に抱えていた魔核の封印箱を、ガザリアの執務机の上へと容赦なく叩きつけた。
部屋の空気が、再び一触即発の緊張感で張り詰める。
案内人の男が青ざめて武器に手をかけようとしたが、それをガザリアは、大きな手手を挙げて制した。
「……ハッ、ハハハハ! 見事なものだな!」
ガザリアの口から、今度は本物の豪快な笑い声が弾けた。室内に満ちていた刺すような殺気が、嘘のように綺麗に霧散していく。
「ただの漁夫の利で海王種を仕留めた田舎者かと思ったが……なるほど、グランポートのミレイアが、特例の飛び級を認めてまで本部に送り込んできただけのことはある。その若さで、私の威圧を正面から霧散させるとはな」
ガザリアは隻眼を細め、机の上の封印箱に愛おしげに触れた。
「確かに、グランポート支部からの特級護送依頼『海王種の魔核』の引き渡し、しかと確認した。これで名実ともに、お前たちのBランクとしての実績は本部の台帳に刻まれる。……だがな」
ガザリアはそこで言葉を区切り、机の引き出しから、一枚の、どす黒い朱色の封蝋が押された『新しい依頼書』を取り出した。
「お前たちも、昨夜の道中で身を以て知ったはずだ。この魔核という名の『巨大利権』を、アルノヴァの有象無象が、どれほど血眼になって狙っているかをな。……依頼は、これで終わりではないぞ?」
差し出された、新たな火種。
ブラッドとリーネは、言葉はなくとも、お互いの手の甲の紋章から伝わる心音で、同時に覚悟を決めていた。ここからが、黄金の都アルノヴァの陰謀の、本当の本番なのだと。




