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血契の双刃 〜その契約は、愛か呪いか〜  作者: クマハム
第1章:亡国の血と黄昏の誓い
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第39話:大理石の牙城、注がれる視線



 賑やかなグランド・バザールを通り抜けると、馬車が進む街並みは急速にその姿を変えていった。


 大理石の舗装はいっそう美しく磨き上げられ、通りの両脇には、精緻な彫刻が施された石造りの大邸宅や、歴史ある大商人ギルドの重厚な商館が整然と立ち並ぶ。

 行き交う馬車も、装飾の施された高級なものばかりになり、すれ違う人々からは、洗練された、けれどどこか冷ややかな香水の匂いが漂ってくる。


 グランポートの、あの磯の香りと潮風が混ざり合った、泥臭くも温かい空気とは何もかもが違っていた。


 世界中から集まる富と魔導具の熱、そして人間の底知れない欲望が凝縮された独特な都会の気配に、リーネは幌馬車の荷台の中で、無意識に自分の肩を小さくすぼめていた。


(……なんだか、息が詰まりそう……)


 胸の奥が、小さく、不規則に脈打つ。


 すると、トクン、とリーネの動揺に応じるように、箱を挟んで向かいに座るブラッドの胸の奥から、低く、どっしりとした波長が血契の繋がりを伝って流れ込んできた。


 それは、周囲を鋭く威嚇する狼の唸りのようでありながら、同時に、怯えるリーネの心をそっと宥めるような、不器用な温かさを孕んでいた。


「……これだから中央の奴らは反吐が出る。すました顔をして、腹の底では他人の足を引っ張ることしか考えてねえ」


 ブラッドは腕を組んだまま、不機嫌そうに吐き捨てた。


 言葉はいつも通りに辛辣だ。けれど、彼の放つ波長のおかげで、リーネの硬くなっていた身体から、すっと余計な緊張が抜けていくのが分かった。


「……はい。でも、ブラッドさんがいてくれれば、私は大丈夫です」


 リーネが真っ直ぐな瞳で見つめると、ブラッドは「ふん」と露骨に顔を背けた。

 だが、血契の境界線を越えて伝わってくる彼の心音は、ほんの少しだけ、気恥ずかしそうに速くなっている。

 そんなお互いの感情の微細な揺れを、言葉を交わさずとも肌で感じ取れるこの不思議な繋がりが、今のリーネにとっては、世界で何よりも心強い拠り所だった。


「おい、お前ら。着いたぞ。……ありゃあ、たまげたな。やっぱり本部の建物は格が違うわ」


 御者台からヨハンの感嘆の声が響き、馬車が静かに停車した。


 ブラッドとリーネが荷台から外へ足を踏み出すと、目の前には、思わず見上げるほどの圧倒的な巨構がそびえ立っていた。


 ――アルカディア冒険者同盟本部。


 それは、グランポート支部のような「酒場を兼ねた案内所」とは、文字通り次元が違っていた。白大理石で作られたその建物は、もはやギルドというよりは、一つの堅牢な要塞、あるいは王城のようだった。天を突くような尖塔がいくつも並び、その重厚な門前には、魔法の付与が施された一級品のフルプレートを纏い、彫像のように微動だにせず周囲を警戒する護衛の冒険者たちが立ち並んでいる。


 十の都市国家が互いに牽制し合うこの連合において、冒険者同盟本部は、国家間の利権調整を行う絶対的な緩衝材だ。ゆえに、どの国の王宮にも劣らないほどの権威と武力が、この大理石の牙城には集約されているのだ。


「ヨハン、ここまでありがとよ。悪党の死体は森に転がしてきたから、お前の取り分はギルドにしっかり請求しとけ」


 ブラッドはそう言うと、海王種の魔核が収められた、厳重な封印箱を脇に抱えた。


「おう、ありがとよ。お前らも、この街の連中には気をつけろよ。田舎の魔獣より、都会の人間の方がよっぽどタチが悪いからな」


 ヨハンは短く別れを告げると、馬車を引いてギルド裏手の馬場へと去っていった。


「……行くぞ、リーネ。さっさと荷物をぶん投げて、美味いもんで食いに行く」


「はい、ブラッドさん」


 ブラッドが先頭に立ち、本部の重厚な黒鉄の扉を力任せに押し開けた。


 ギィィ……と低い音を立てて扉が開いた瞬間。


 広大な本部の受付ロビーを包んでいた喧騒が、嘘のように一瞬で凪いだ。


 天井が高く、大理石の柱が立ち並ぶ広大なロビーには、連合中から集まった高ランクの冒険者や、高級な衣服を纏った大商人のエージェントたちがひしめき合っていた。


 その数百人もの視線が、一斉に、入り口に立つ二人の姿へと突き刺さった。


 ざわざわ、と波が広がるように、不穏な私語がロビーを満たしていく。 


「おい、あれか……」


「ああ、間違いない。グランポートの田舎ギルドで、登録直後にいきなり『Bランク』へ飛び級昇格したっていう、例の……」


「片方は教国の法衣を着た聖女だろ。もう片方の男は、見たこともねえ双剣使いだ」


「おい見ろ、あの男が抱えてる箱。あれが……『海王種の魔核』か」


 好奇、猜疑、嫉妬、そして隠しきれない貪欲な敵意。


 あらゆる人間のドス黒い感情の波長が、物理的な質量となってリーネの肌へと押し寄せてくる。


 だが、ブラッドはその無数の視線を浴びながらも、眉一つ動かさなかった。彼はフードの下で、鋭い三日月のような瞳を不敵に細めると、大理石の床をコツ、コツと鳴らしながら、真っ直ぐに受付カウンターへと歩き出した。


 彼の横を歩くリーネもまた、白銀の胸当てにそっと手を添え、背筋を真っ直ぐに伸ばして前を見据える。


 言葉の会話など、今の二人には必要ない。


 周囲から向けられる全方位の敵意のなかで、二人の手の甲の紋章は、カチリ、と静かな熱を帯びていた。

 


 ドクン、ドクン、ドクン――。


 完璧な同期を保ったまま、重く、力強く脈打つ二人の心音。


「どれほどの餓狼が群がってこようと、邪魔する奴は全員切り伏せる」というブラッドの傲慢な闘志と、「あなたの刃を守る盾になる」というリーネの静かな決意が、血契の繋がりの中で、世界で最も強固な一本の鎖となって結ばれていた。


 黄金の都アルノヴァ、その陰謀の最奥へと、二人の亡霊は堂々とその足を踏み入れていく。







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