第38話:黄金の都、陰謀の息吹
夜通し走り続けた馬車が、なだらかな丘陵を越えたその時だった。
幌の隙間から差し込んできたのは、グランポートの湿った海風とは違う、どこか乾いた、けれど圧倒的な熱量を孕んだ南方の陽光だった。
「――わあ……」
リーネは思わず、小さく感嘆の声を漏らした。
視界の先、どこまでも広がる温暖な平原の向こうに、きらきらと太陽の光を反射する巨大な大河が流れている。
外壁の巨大な城門へと続く街道は、世界各地から集まった商人たちの馬車や、異国の衣服を纏った旅人で埋め尽くされ、遠目からでもその凄まじい活気が地鳴りのように伝わってくるようだった。
「……ふん。相変わらず、人の欲をそのまま形にしたような、悪趣味な街だ」
ブラッドは膝の上の双刃をそれぞれの鞘に収めながら、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
彼がこの大都会に対して、グランポートの時以上の強い「嫌悪」と「警戒」を抱いていることが、血契の繋がりを通じて冷たい微熱のようにリーネへ伝わってくる。ここは十数の都市国家を束ねる「商人評議会」の所在地。
表向きは自由と繁栄を謳歌する黄金の都だが、その実態は、貴族や商人ギルド、さらには他国の諜報員たちが互いの首を絞め合う、世界で最もシビアな伏魔殿なのだ。
「おい、お前ら。そろそろ城門に着くぞ。書類の準備はいいか」
御者台から、ヨハンが幌の向こうへ声をかけてきた。
馬車はいつの間にか、アルノヴァの巨大な第一城門――通称『黄金門』の前に広がる、果てしない検問の列に並んでいた。
見上げるような白亜の城門。そこを守る衛兵たちの装備は、一分の隙もない鉄製のフルプレートに、魔法の付与が施された長槍。彼らの視線は一介の旅人を監視するものではなく、あからさまに「危険分子」を炙り出そうとする、酷く冷徹なものだった。
「次、そこのギルド馬車。プレートと通行証を提示しろ」
衛兵隊長がヨハンを鋭く睨みつける。
ブラッドとリーネが馬車の荷台から姿を現し、更新されたばかりの『銀鉄』のプレートを差し出した。
「――っ、Bランクだと? この若さでか」
衛兵たちの目が一瞬で鋭くなる。さらに、二人の間に厳重に置かれた、魔導封印の施された金属箱へと視線が注がれた。
「……グランポート支部からの、特級護送ミッションだ。中身は冒険者同盟本部の最高公式機密。連合の法律に基づき、いかなる開封検閲も拒否する」
ブラッドが低く、地を這うような声で告げた。
その全身から放たれた底知れない眼光と、横に立つリーネの凛とした魔力の気配に衛兵隊長は一歩気圧され、額に嫌な汗を浮かべた。
「……確認した。通れ。だが、首都の法を破れば容赦はしないからな」
重い音を立てて巨大な鉄格子が上がり、馬車はゆっくりと、アルノヴァの内郭へと進入していった。
城門を潜り抜けた瞬間、二人の鼓膜を打ったのは、目も眩むような大歓声と、世界中から集まった富の匂いだった。
「さあさあ、南方の特産、太陽果の蜜漬けだよ!」
「魔導学院直輸入の魔導具が、今なら大特価!」
視界に飛び込んできたのは、見渡す限り広がる『世界最大級の市場』の一角だった。
大理石で美しく舗装された大通り。その両脇には色鮮やかな布で飾られた無数の露店が立ち並び、香辛料の刺激的な香りと、焼きたての肉の匂いが混ざり合って漂っている。
行き交う人々は、絹の高級な衣服を纏った富裕な商人から、肌の色の違う遠方の異国人まで、実にあらゆる人種が混ざり合っていた。
まさに、自由と繁栄の象徴。
しかし、その華やかな街並みを歩きながらも、リーネの胸の奥は、先ほどからずっと冷たく脈打ち続けていた。
(すごい活気だけど……でも、何かがおかしい……)
大通りの華やかな喧騒のすぐ真横、薄暗い路地裏からは、泥にまみれた物乞いの子供たちが飢えた獣のような目で大通りを見つめている。
さらに、往来を行き交う人々の中には、買い物をしているフリをしながらも、その視線だけは決して泳がせず、周囲を執拗に観察している「鋭すぎる目」がいくつも混ざり合っていた。
貴族の私兵、他国の諜報員、そして裏社会の潜入者たち。全員が笑顔の裏に刃を隠し、互いの隙を窺っている。
「――おい、クソ聖女。キョロキョロするな。狙われるぞ」
ブラッドがフードを深く被りながら、低い声でリーネを促した。
「は、はい……すみません」
リーネは慌てて歩調を合わせ、馬車の横を歩く。
自分たちが抱えている『海王種の魔核』という巨大な利権の塊は、この貪欲な首都アルノヴァにおいて、どれほどの餓狼を呼び寄せることになるのだろうか。
大理石の道を揺れながら進む馬車。
二人の視線の先には、街の中心にそびえ立つ「評議会議事堂」、そして――これから向かう目的地、**『アルカディア冒険者同盟本部』**の重厚な尖塔が、曇り空の向こうにそびえ立っていた。




