第37話:夜を駆ける牙、無知なる凶刃
パチリ、と焚き火が大きく爆ぜた瞬間。
木々の影から躍り出てきたのは、夜の闇に紛れるような黒い外套を纏った八人の男たちだった。
その手には、光を反射しないよう泥で汚された凶刃が握られている。
正面から飛び込んできた男が、首筋を狙って短剣を突き出す。
ブラッドは地を蹴り、ごく自然な体術のステップだけでその刃を紙一重でかわした。
「遅ぇよ」
すれ違いざま、逆手に持った一振りの刃が、音もなく空を薙いだ。
ただの一閃。しかし、薄く細い曲刀の刃に刻まれた深い溝は、男が着込んでいた硬革の胸当てごと、その肉体を斜めに一刀両断にしていた。
骨を断つ感触すら残さず、男は悲鳴をあげる暇もなく、どさりと地面に崩れ落ちた。
「なっ……!?」
仲間が一瞬で肉片に変えられたことに、背後から迫っていた二人の刺客が息を呑む。
彼らはブラッドを包囲しようと左右に散ったが、その足元へ、夜の闇を編み込んだような漆黒の障壁が滑り込んだ。
リーネの『トワイライト・シールド』だ。男たちの足首の自由を奪うためだけに、最低限の魔力で精密に展開された、小さな罠。
「がっ……足が、動かねえ!?」
刺客の動きが完全に停止したその瞬間、地を走るような低姿勢から、双刃が二条の軌跡を描いて夜の闇を奔った。
ザシュッ、と肉を削ぐ不気味な音が重なり、足を止められた二人の首筋から同時に鮮血が吹き上がる。
その血すらも、刃の溝へと吸い込まれ、曲刀の切れ味をさらに鋭く研ぎ澄ませていく。
「化け物め、話が違うぞ!」
残った五人が一斉に距離を取り、馬車の荷台――『海王種の魔核』が眠る金属箱へと狙いを切り替えようとした。
だが、その動線にはすでにリーネが立ち塞がっている。
彼女が展開した漆黒の障壁が馬車の前を完璧にガードし、刺客たちはそれ以上、一歩も前に進めない。
「邪魔だ、どけぇ!」
焦った刺客たちがリーネに刃を向けようとするが、その隙をブラッドが逃すはずがなかった。
背後から音もなく接近したブラッドの双刃が、容赦なく彼らの身体を切り裂いていく。
「ぎゃあああああっ!?」
「腕が、俺の腕がぁっ!」
まともな連携すらさせてもらえず、三人の男が次々と地面に転がり、動かなくなった。
残ったのは、後方で指示を出していたリーダー格の男と、その護衛の一人だけだった。
「ひ、ひぃっ……!」
わずか数十秒。八人の襲撃部隊は完全に壊滅した。
リーダー格の男は恐怖で顔を真っ白に染め、連れてきた護衛をブラッドの方へと突き飛ばしながら、一目散に林の奥へと走り出した。
突き飛ばされた護衛の男は、決死の覚悟で短剣を振り下ろそうとしたが、ブラッドはそれを一瞥すらしない。
すれ違いざまに横一閃。もう一振りの双刃が男の胴体を真横に両断し、内臓が地面にぶちまけられる。
ブラッドは血に濡れた双刃をなびかせながら、逃げる男の背中を冷ややかに見つめ、地面に転がっていた敵の短剣を一本、足元から蹴り上げた。
シュッ――。
正確に放たれた短剣が、逃げる男の右太ももを深く貫く。
「ぎゃっ……ああああああっ!?」
男は前のめりに転倒し、激しく地面を転がった。這って逃げようとするその背中に、音もなく近づいたブラッドの影が落ちる。
「あ、悪かった! 助けてくれ! 頼む、命だけは――」
男が振り返り、涙と鼻水で顔を汚しながら命乞いをする。
ブラッドは、滴る血を吸い上げてさらにその輝きを増した刃の切っ先を、男の喉元へと容赦なく突き立てた。
「誰の差し金だ」
ブラッドの声は、どこまでも低く、冷酷だった。少し遅れて歩み寄ってきたリーネも、白銀の胸当てを焚き火の光に反射させながら、無言で男を見下ろしている。
「い、言えない! 言ったら俺は殺される……!」
「今言わなければ、ここで細切れにするだけだ。……吐け」
ブラッドの瞳に狂暴な殺気が宿る。男は恐怖のあまり失禁し、狂ったように首を振った。
「し、知らないんだ! 本気で知らないんだよ! 俺たちはアルノヴァの裏通りにある『ノワール街』の、しがない雇われの鉄砲玉だ! 顔も知らない仲介屋から、前金と『魔核を積んだ馬車を襲え』っていう情報だけを渡されたんだ! 誰が金を払ったのか、上層部の奴らが何を企んでるのかなんて、俺たち下っ端が知らされるわけがないだろう! 助けてくれ、本気で何も知らないんだ……!!」
男の口から出たのは、肺を震わせるような、本物の無知と絶望の絶叫だった。
トクン――。
その瞬間、ブラッドの持つ双刃を通じて、そして二人の血契の繋がりを通じて、男の「魂の波長」がリーネたちへと伝わってきた。流れ込んできたのは、純然たる、嘘偽りのない恐怖の拒絶。
この男は、本当に何も知らない。黒幕の尻尾に繋がるような情報を、何一つ持たされていない使い捨ての捨て駒。それが、この国の裏社会のリアルだった。
「チッ……。本当に、ただのゴミか」
ブラッドは忌々しそうに舌打ちをし、刃を引き抜いた。嘘を吐いているなら肉を削ぐつもりだったが、ここまで綺麗な無知では、尋問する価値すらない。
「ブラッドさん、どうしますか?」
リーネが静かに問いかける。ブラッドは振り返り、馬車の荷台へと歩き出しながら、冷たく言い放った。
「放っておけ。足を潰した。この夜の森だ、放っておいても魔物の餌になるだろうよ」
「……分かりました」
リーネは男に視線を向けることなく、ブラッドの後を追った。
馬車の陰で様子を伺っていたヨハンが、「終わったかい」と怯えた声を出したが、ブラッドは「出すぞ」とだけ答え、再び荷台へと乗り込んだ。
手掛かりすら残さない、アルノヴァの徹底した陰謀のやり方。これから向かう首都が、どれほど底の知れない闇に包まれているのかを、二人は肌で実感していた。しかし、言葉はなくとも、二人の胸の奥で同期する心音は、少しのブレもなく、静かな闘志を共有していた。
どんな闇が待っていようと、邪魔するものは、この双刃で切り伏せて進むだけだ。
夜の帳のなか、馬車は再びガタゴトと音を立て、混沌の首都アルノヴァへと向かって走り出すのだった。




