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血契の双刃 〜その契約は、愛か呪いか〜  作者: クマハム
第1章:亡国の血と黄昏の誓い
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第36話:灯火の波長、夜を裂く鉄錆



 グランポートを発って二日目の夜。


 馬車は主要な街道から少し外れた、鬱蒼とした木々に囲まれた林の中に停まっていた。

 アルノヴァへの道のりは長く、特級護送依頼という性質上、下手に目立つ宿場町に泊まるより、夜番を置いての野営の方が安全だという御者・ヨハンの判断だった。


 ヨハンが馬車の荷台で浅い眠りにつくなか、森の開けた一角では、小さな焚き火がパチパチと微かな火花を散らしていた。


 夜の森は、耳が痛くなるほどに静まり返っている。冷たい夜気がじわじわと足元から這い上がってくるなか、ブラッドとリーネは火を挟んで対角線上に座り、静かに夜番を務めていた。


 シュッ、シュッ、と。


 衣服の擦れる音に混じって、規則正しい金属の擦れ合う音が響いていた。


 ブラッドは無言のまま、膝の上に置いた二振りの双刃を、油の染みた布で丁寧に磨き上げている。

 火の光を浴びて鈍くぎらつくその刃は、お世辞にも美しいとは言えなかった。むしろ、幾星霜もの戦場で無数の血を吸い、吸い上げた怨嗟ごと焼き付けられたかのような、禍々しい黒みを帯びている。


「……本当に、不思議な剣ですね」


 膝を抱えて炎を見つめていたリーネが、ぽつりと声を漏らした。


 ブラッドの手が僅かに止まり、前髪の隙間から冷ややかな視線が彼女へ向けられる。


「何がだ」


「その双刃です。オルセンさんの工房でも聞きました。300年前から伝わる業物で、使えば使うほど威力を増していくなんて……」


 リーネは、自身の白銀の胸当てにそっと触れた。自分の防具は新調され、彼女の魔力を完璧に制御してくれている。

 だが、目の前の男が振るうのは、新調などという言葉とは無縁の、歴史そのものが呪いとなった鉄塊だ。


「まるで……ブラッドさんの生き方そのものみたいだな、って、少し思ったんです。傷を重ねるほどに、強くなっていくところが」


「くだらん妄想をするな」


 ブラッドは鼻で笑い、再び刃を磨き始めた。


「これはただの、300年間血を吸い続けてなまくらにならなかった、呪われた人斬り包丁だ。戦えば戦うほど、こいつは次の血を求めて重くなる。……俺の生き方だと? 一緒にするな。俺はただ、生き延びるために邪魔な奴を斬ってきただけだ」


 言葉は、いつものように突き放す冷たさだった。


 だが、その瞬間。血契の繋がりを通じて、ブラッドの胸の奥から、ズシリと重い『何か』がリーネの魂へと流れ込んできた。


(あ……)


 それは、彼がこれまで一人で歩んできた、果てしない荒野の記憶のようだった。

 誰にも頼れず、魔族の血を引く「バケモノ」として疎まれ、ただ両手の刃だけを信じて死線を潜り抜けてきた、絶対的な孤独。言葉としては何一つ聞こえない。

 けれど、その生々しい感情の「質量」そのものが、リーネの胸を締め付けるように伝わってくる。


 かわいそう、などという安っぽい同情ではない。ただ、その孤独を、これからは自分が『盾』として半分背負うのだという、静かな決意がリーネの心を満たしていく。


 優しい、けれど揺るぎない光の波長。


 それが血契を逆流してブラッドの胸の奥を叩いた瞬間、ブラッドは露骨に不快そうな顔をして、布を乱暴にポケットに突っ込んだ。


「おい、クソ聖女。変な気を回すなと言ったはずだ。お前のそのうるさい波長のせいで、刃が鈍る」


「私は何も言っていません」


「頭の中のうるささが伝わってきてるんだよ。……チッ」


 ブラッドは忌々しそうに双刃を鞘に収めると、腕を組んで丸太に深く寄りかかった。

 だが、その心拍はいつもより僅かに早い。自分の頑なな過去を、言葉もなく包み込んでくるようなリーネの気配に、どうしようもなく調子を狂わされているのだ。


 夜の更け方とともに、森の冷気はいっそう厳しさを増していった。


 リーネは新調された法衣の上から自分の肩を抱くようにしたが、寒さで小さく身体が震えるのを止められない。


 ドクン、トクン――。


 リーネの「寒い」という無意識の感覚が、細かな拍動となってブラッドへ伝わる。


 ブラッドはしばらく目を閉じて無視を決め込んでいたが、ついに大きな溜息をつくと、身を起こして自分が羽織っていた年季の入った革の上着を脱いだ。そして、火を挟んだ向こう側のリーネへと、それをバサリと投げつけた。


「……っ! ブラッドさん?」


「見張りが寒さで使い物にならなくなったら困る。着ておけ。お前に風邪でも引かれて、魔力の壁が薄くなったら俺の命に関わる」


 どこまでも利己的な言い訳。


 けれど、投げ込まれた上着からは、焚き火の熱とは違う、ブラッド自身の確かな体温と、微かな鉄錆の香りが漂っていた。


「……ありがとうございます」


 リーネは上着を深く羽織り、その温もりに包まれながら小さく微笑んだ。


 その瞬間、リーネの胸から溢れた「純粋な嬉しさと、愛おしさ」の感情が、爆発的な温かい波長となって血契の境界線を越えた。


 ドクン!!!


 ブラッドの心臓が、跳ね馬のように大きく一度脈打った。


 彼は顔を一瞬で引き攣らせ、今度こそ完全にそっぽを向いた。

 お互いの考えていることなんて、はっきりとは分からない。けれど、「今のなし! 伝わらないで!」と焦るリーネの動揺と、「クソ、全部流れ込んできやがる」と耳まで朱に染めてへたり込むブラッドの気まずさが、焚き火の明かりのなかで完璧にシンクロしていた。


 言葉はなくとも、お互いの体温と感情の距離が、確実に溶け合っていく。


 だが、その焦れったくも温かい時間は、唐突に終わりを告げた。


 カチリ。


 ブラッドの膝の上の双刃が、鞘の中で微かに震え、鳴いた。300年の業物が、周囲の闇に潜む「明確な殺意」に反応したのだ。


 同時に、二人の手の甲の『血契の紋章』が、警告の熱を帯びてドクドクと脈打ち始める。


「……チッ。俺の邪魔しやがって、命知らずな奴らだ」


 ブラッドの声から、一切の気弱さが消え失せ、冷酷な獣のそれへと変貌した。彼は立ち上がり、音もなく双刃を抜き放つ。


「ブラッドさん、四方から……! 人型が、八」


 リーネも即座に立ち上がり、上着を脱ぎ捨てて聖闇の魔力を指先に集めた。言葉を交わすまでもない。

 血契の紋章を通じて、「敵が来る、俺が前を斬る、お前は後ろを支えろ」という戦闘の意思が、完璧なニュアンスとして二人の間で共有されていた。


 パチリ、と焚き火が大きく爆ぜた瞬間。

周囲の暗闇から、漆黒の外套を纏った暗殺者たちが、音もなく一斉に躍り出てきた。

 狙いは馬車の中の魔核、割って入った新しいBランクの冒険者二人。


「死ね」


ブラッドの身体が、闇を裂いて突進する。

アルノヴァへの長い旅路、その最初の血飛沫が、静まり返った夜の森に鮮烈に飛び散ろうとしていた。









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