第31話:白銀の殻、黒の法衣(前編)
グランポートの裏通り、潮の香りと鉄を叩く重い音が混ざり合う一角に、その工房はあった。
ギルド職員のミレイアから渡された紹介状を、ブラッドはひどく厳重に施錠された鉄扉の隙間に押し込む。
しばらくして、不機嫌そうに扉を開けたのは、煤と油にまみれた偏屈そうな初老のドワーフ職人、オルセンだった。
「ミレイアの小娘の紹介じゃなけりゃ、追い返すところだ。……で、そこの満身創痍のバケモノと、妙な魔力を垂れ流してるお嬢ちゃんが客か?」
オルセンは濁った眼光で二人を値踏みするように睨みつけると、ふん、と鼻を鳴らして工房の奥へと招き入れた。
工房の中には、凡百の鍛冶屋とは一線を画す、悍ましいほどの熱気と魔導具の異臭が立ち込めていた。壁には怪獣の骨や、怪しく明滅する鉱石が所狭しと並べられている。
「おい、お嬢ちゃん。ちょっとそこに立ってみな」
オルセンに促され、リーネは緊張した面持ちで工房の中央へ進み出た。
その瞬間、ブラッドの胸の奥で、トクン、と少し早い心音が響く。言うまでもなく、リーネの緊張が『血契』の繋がりを通して、ダイレクトに彼の心臓を揺らしたのだ。ブラッドは不快そうに眉根を寄せ、腕を組んで壁に寄りかかった。
「……ほう」
オルセンが手にした魔力測定の天秤が、リーネが近づいただけで狂ったように激しく揺れ動き、カチンと音を立てて振り切れた。職人の目が、驚愕に細められる。
「おいおい、ミレイアの奴、とんでもない素材を連れてきやがったな。お嬢ちゃん、その若さで教国の聖女様か何か知らんが……その身体、普通の黒法衣じゃ遠からず内側から焼き切れるぞ。魔力の総量も、出力の質も、人間の枠を完全にハミ出してやがる」
その言葉に、リーネは自身の両手をそっと見つめた。
昨夜、医務室でブラッドと唇を重ね――魂の合意によって『血契・第一段階』を結んでからというもの、彼女の体内を巡る魔力は、かつてないほどに濃密で、狂暴なほどの熱を帯びていた。
以前の彼女が「静かな泉」だとしたら、今の魔力は「激しく渦巻く奔流」だ。完全回復には程遠い肉体の痛みを、その圧倒的な魔力の膜が強引に保護しているのが自分でもよく分かる。
「だから来たんだ」
壁際から、ブラッドが冷たい声を掛けた。
「あいつの魔力の変質に合わせて、最高級の防具を仕立てろ。出力の伝導率が最も高く、かつ、前衛の俺の『盾』として簡単に壊れない頑丈なやつだ。……予算なら、これだけある」
ブラッドは懐から、ずしりと重い革袋を机に叩きつけた。中から溢れ出たのは、大銀貨200枚だ。
オルセンは一瞬目を丸くしたが、すぐに職人としての特有の下卑た笑みを浮かべ、机の上の金を指で弾いた。
「大銀貨200枚か……! 海底神殿の主を干からびさせた報酬の、ほとんど丸ごとじゃねえか。がめついと評判の双剣使いが、随分な大盤振る舞いだな? 自分じゃなく、女の装備に全部注ぎ込むとはよ」
「……あいつが死んだら、俺の身を守る防壁がなくなる。それだけだ。無駄口を叩かずに、さっさと測れ」
ブラッドはふいっと顔を背け、忌々しそうに吐き捨てた。
だが、そのぶっきらぼうな物言いの裏にある「配慮」は、血契を結んだ二人の間では、なんとなくの空気として伝わってしまう。
リーネの胸の奥で、すとん、と温かい感情が満ちていく。言葉が聞こえるわけではないのに、彼が自分のためにその大金を使ってくれたのだという事実が、優しい波長となってブラッドの胸の奥へと還っていった。
(……チッ。本当に鬱陶しいな)
自分の偽悪的な態度がすべて見透かされているような気恥ずかしさに、ブラッドは手の甲の紋章を包帯越しに強く握りしめ、ただ無言で耐えるしかなかった。
「よし、お嬢ちゃん、採寸だ。動くんじゃねえぞ」
オルセンは奥から、魔力を帯びた特殊な銀の巻き尺を取り出し、リーネの身体の各部を測り始めた。
肩幅、腕の長さ、そして胸元から腰回りへ。職人としての厳格な手際ではあったが、男性の手が身体に近づくたびに、リーネは無意識のうちに身体を硬くし、息を詰まらせた。
ドクン、ドクン、ドクン――。
リーネの緊張と、かすかな初々しい羞恥心が、細かく速い拍動となってブラッドの魂を叩く。
(おい……緊張しすぎだ。しっかりしろ)
ブラッドは心の中でそう毒づき、不機嫌そうに腕組みを強くした。脳内会話ができるわけではない。けれど、ブラッドのその「呆れつつも、落ち着かせようとするかのような」重い魂の波長を感じ取ったリーネは、少しだけハッとして、必死に呼吸を整えようとした。
お互いに視線は全く合わせていない。ブラッドは相変わらず不機嫌そうな顔で腕を組み、リーネは真っ赤になった耳を隠すように俯いている。
けれど、二人の胸の奥では、完全に同期した少し早めの心拍が、トクン、トクンと不思議なリズムで重なり合っていた。
オルセンはそんな二人の妙に張り詰めた、けれどどこか他人が踏み込めない独特な「気まずい空気」に気がついたのか、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら巻き尺を引いた。
「なるほどな。ただの雇われの防壁じゃなさそうだ。……安心しな、お兄ちゃん。このお嬢ちゃんの身体のラインを一番美しく見せつつ、どんな魔獣の爪も通さない、最高の一着を仕立ててやるよ」
「……性能だけを保証すればいい。見た目などどうでもいい」
ブラッドは冷酷に言い返したが、その心拍は微かに早くなっていた。
「奥の倉庫に、ちょうどいい出物がある。深海に棲む魔獣の純白の殻を削り出した軽量胸当てと、聖水で百年編み込まれた極上の魔導シルクだ。これならお嬢ちゃんの膨れ上がった魔力にも耐えられるし、お前さんの前衛としての動きの邪魔にもならん。――代金は、この大銀貨200枚、綺麗に全部貰い受けるがね」
「構わん。すぐに取りかかれ。俺たちは明日、ミレイアとの約束でギルドの依頼をこなさなきゃならん。それまでに完璧に仕上げろ」
「おいおい、人使いが荒いねえ。だが、職人の意地にかけて、明日の朝、お前さんたちが依頼に出発する前までには完璧に仕上げてやるよ。宿で大人しく待ってな」
オルセンはそう言うと、大銀貨の袋を抱え、興奮した様子で工房の奥へと引っ込んでいった。
残された工房の静寂のなか、ブラッドとリーネは、どちらからともなく歩き出し、裏通りの冷たい空気の中へと戻った。夕暮れのグランポートの街並みが、二人を黄金色に染め上げていく。
「……ブラッドさん、ありがとうございました。私のために、あんな大金を……」
リーネは歩調を合わせながら、消え入るような声で、けれど心の底からの感謝を伝えた。
「勘違いするな」
ブラッドは前を見据えたまま、ポケットに手を突っ込んでぶっきらぼうに言った。
「言ったはずだ。お前が死ねば、俺の盾がなくなる。明日の依頼だって、どれほどの魔獣が出るか分からんからな。……それに、お前のそのうるさい心音が少しでも静かになるなら、大銀貨200枚など安いもんだ」
その言葉に、リーネは小さく吹きこぼれるように笑った。何を考えているかはっきりとは分からなくても、彼のその不器用な優しさだけは、今の彼女には確かに届いていた。
「はい。早く新しい装備に慣れて、明日の依頼でも……ブラッドさんの『盾』として、しっかりお役に立てるように頑張りますね」
言葉の応酬はいつも通り冷たく、不器用。
けれど、二人の胸の奥で刻まれる心音は、夕闇のなかで、静かに、優しく、どこまでも同じリズムを奏でながら寄り添い合っていた。




