第29話:秘術の代償
翌朝、医務室の窓から差し込む朝日は、二人の間の気まずい沈壊をこれっぽっちも溶かしてはくれなかった。
コンコン、と激しくドアが叩かれ、目に涙を溜めたミレイアが「二人とも生きてるの!?」と部屋に飛び込んできたのは、それから間もなくのことだった。
全身傷だらけでベッドに腰掛ける二人を見て、ミレイアは「なんでその怪我で意識があるのよ……」とボロボロ涙を流しながらも、怪異を見るような目で腰を抜かしていた。
どうにか「聖女の特別な祈りと、俺の頑丈さのおかげだ」と煙に巻いて彼女を下がらせたが、周囲の医者や冒険者たちの疑念の視線は、しばらく消えそうにない。
再び二人きりになった医務室。
ブラッドはベッドの端に腰掛け、包帯の巻かれた己の手の甲をじっと見つめていた。その下には、今も仄白く脈打つ紋章がある。
「……おい」
低く、どこか掠れた声で、ブラッドは隣のベッドのリーネへと声をかけた。
リーネはシーツを小さく握りしめたまま、微かに肩を揺らし、けれど真っ直ぐにブラッドを見つめ返した。
彼女の胸の奥でも、ブラッドの心音がドクン、ドクンと一定のリズムで響き続けている。
「ブラッドさん、これは……一体、何が起きたのですか? 私の身体の中、魔力が……さっきから、治まりきらないほどに溢れていて」
リーネの戸惑いは尤もだった。知識のない彼女からすれば、ただ死なせたくなくて唇を重ねただけなのに、世界が一変してしまったのだから。
ブラッドは顔をしかめ、乱暴に髪を掻きむしった。
説明しなければならない。だが、どう言えばいい。書物にあった『強い精神的絆』だの『愛』だのという言葉が、あまりにも二人の現状に不釣り合いで、口にするだけで吐き気がするほど気恥ずかしい。
「……『血契』だ」
ブラッドは吐き捨てるように、断片的な事実だけを口にした。
「俺の一族に伝わる……血気術の、さらに奥にある特殊な契約だ。お前がやったあの突発的な行動のせいで、術式の条件が、奇跡的に噛み合っちまった」
「契約……」
「そうだ。手の甲の紋章は、その証だ。一段階目の契約が結ばれたことで、俺たちの血液の情報、魔力回路、そして――感情の波長が同期した。お前の魔力が増えたのも、俺の肉体の崩壊が死の淵で止まったのも、その効果だ」
リーネは自分の手の甲に触れながら、ブラッドの言葉を反芻するように目を瞬かせた。
「では、この胸の音も……?」
「……ああ。お前と俺の心拍だ。互いの距離が近ければ、嫌でも響き合う。……それと、お前が今、何を考えてるかも、なんとなく魂の境界を通して流れ込んでくる」
その言葉に、リーネの頬が、昨日よりもさらに赤く染まった。
ということは、自分が「この人を失いたくない」と強く願ってしまったあの瞬間の狂おしいエゴも、すべてこの男に伝わっているということか。
「……ですが、それほど強力な術が、ただ唇を重ねただけで発動するはずがありません。何か、決定的な『条件』があったのでは?」
リーネの真っ直ぐな、けれど確信を突いた問いに、ブラッドはあからさまに視線を逸らした。
――成立条件:双方の同意。
(俺が、お前を受け入れたからだ)なんて、死んでも言えるわけがない。
「……さあな。そんなものは知らん。だが、発動しちまったもんは消せない。周りには絶対に隠し通せ。ただでさえ忌避される血気術だ、こんな妙な紋章が見つかれば、どんな面倒に巻き込まれるか分からんからな」
立ち上がり、背を向けるブラッド。
だが、彼の胸の奥で刻まれる心音は、彼のぶっきらぼうな態度とは裏腹に、少しだけ早く、激しく脈打っていた。
リーネはそれを胸の奥で確かに聴きながら、気まずさに俯きつつも、どこか不思議な安心感に包まれていくのを自覚していた。




