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血契の双刃 〜その契約は、愛か呪いか〜  作者: クマハム
第1章:亡国の血と黄昏の誓い
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第27話:奈落のタイムリミット



 古代の主の巨躯が沈んだ海底神殿は、不気味なほど静まり返っていた。


 水面に浮かぶ赤黒い肉片と、鉄臭い硝煙の匂い。

 その中心で、ブラッドとリーネは、お互いに泥のように冷たい水底へ倒れ込んでいた。


「おい……リーネ。魔法の、持続時間は」


 ブラッドが、感覚の消え失せた唇を強引に動かして呟いた。


 リーネの闇魔法『ペイン・イーター』によって、全身の激痛は完全に遮断されている。

 だが、痛まないだけで、体内の血管は破裂し、太ももの筋肉は断裂したままだ。オイルの切れた機械を無理やり動かしているような、おぞましい違和感だけが全身を支配している。


「……長くて、あと三分、というところです……」


 ブラッドの足首を掴んだまま、リーネが微かに睫毛を揺らした。


 彼女の白い肌は今や死人のように青白く、額からは冷や汗が絶え間なく流れている。ブラッドの負うべきだった「内臓が焼き切れるような過負荷の激痛」がすべて彼女に流れ込んでいるのだ。

 痛みだけでショック死しかねない地獄の中で、彼女は奇跡的に、その強靭な精神力だけで意識を繋ぎ止めていた。


「三分か……。ここで痛みが戻れば、二人まとめて溺死だな」


「ええ、ですから……早く、立ってください。不格好に這いつくばっている暇はありませんよ、ブラッドさん」


 おぞましい激痛の渦中にいながら、リーネは血に染まった唇で、いつものように物腰柔らかく微笑んでみせた。

 その微笑みに宿る底知れない狂気に、ブラッドは小さく鼻で笑う。


「チッ……人使いの荒い聖女様だ」


 ブラッドは水底から『血喰双刃』を拾い上げ、鞘へと収めた。


 バキバキ、と、痛覚を失った脳の命令に従って、断裂した太ももの肉が強引に駆動する。

 肉体が「これ以上動かせば崩壊する」と叫んでいるはずの絶望的な負荷を無視し、ブラッドはゾンビのように立ち上がった。


 そのまま、身を震わせるリーネの華奢な身体を、無骨に、しかし確実に抱え上げる。


「っ……!」


「舌を噛むなよ。行くぞ」


 一歩、踏み出すごとに、ブラッドの衣服から生々しい血が滴り、水面を赤く染めていく。


 痛みのない、しかし確実に死へと近づく肉体を内側の執念だけで引きずりながら、ブラッドは黒成岩の長い階段を一歩ずつ、泥臭く登り始めた。


 カツン、カツンと、暗い階段に二人の足音と、荒い呼吸音だけが響く。


 リーネはブラッドの胸元に顔を埋め、彼の心音が不規則に、けれど必死に脈打つのを聴いていた。彼女の身体を苛む激痛が、徐々に、しかし確実に限界へと近づいていく。


 二分。三分――。


 薄暗い階段の先から、松明の赤黒い光が漏れ聞こえる前線の喧騒が見えてきた。他の冒険者たちの怒号や、ギルド職員たちの声が、遠くから耳に届く。


 ――そして、その瞬間に、限界(タイムリミット)が訪れた。


「――あ、ぐ……ッ!!」


 リーネの小さな悲鳴とともに、繋ぎ止められていた闇の魔力が、完全に霧散した。


 遮断されていた「世界の牙」が、一気にブラッドの脳へと突き刺さる。


「……ガ、ッあ、あああアアアッッ!!!」


 破裂した血管、断裂した筋肉、焼き切れた心臓のすべての激痛が、ダムが決壊したかのようにブラッドの全身へ同時にバックハンドで叩きつけられた。


 あまりの劇痛に、ブラッドの視界が一瞬で真っ白に染まる。


 ドサリ!!!


 階段を登りきり、他の冒険者たちが固まる入り口付近の広場へ転がり出ると同時に、二人の身体は冷たい地面へと激しく叩きつけられた。


「な、何だ!? 奥から誰か出てきたぞ!」


「おい、あの凄腕の双剣使いと、聖女様だ……! おい、嘘だろ、全身血まみれじゃねえか!!」


 周囲の冒険者たちが驚愕し、一斉に駆け寄ってくる足音が聞こえる。


 だが、ブラッドの碧眼はすでに光を失い、意識の暗転の底へと沈みかけていた。


 隣に倒れたリーネもまた、全ての痛みの負荷から解放され、糸の切れた人形のように静かに目を閉じている。


 他人に一切の事情を明かさず、誰の手も借りず、ただ二人の狂気だけで奈落の底から生還してみせた亡霊たちは、大勢の野次馬の真ん中で、同時に深い意識の闇へと堕ちていくのだった。








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