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血契の双刃 〜その契約は、愛か呪いか〜  作者: クマハム
第1章:亡国の血と黄昏の誓い
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第21話:冷えた指先、不器用な熱



 潮騒の洞窟から戻った冒険者ギルドのロビーは、夕刻の活気に包まれつつあった。


 潮風と魔獣の粘液で薄汚れた外套を纏った二人が受付に姿を現すと、ミレイアはすぐに安堵の表情を浮かべ、カウンターの奥から身を乗り出した。


「ブラッドさん、リーネさん! お帰りなさい……! 無事だったのね」


「ああ。洞窟の『深淵の落とし子』はすべて間引いた。これが証拠の魔核だ」


 ブラッドが革袋をカウンターに放り出すと、中から鈍く光る青黒い石がいくつか転がり出た。

 ミレイアはそれらを手際よく確認し、約束通りの報酬である大銀貨20枚が詰まった袋を差し出す。


「確かに。本当にありがとうございました、これで漁師さんたちも明日から海に出られます。……リーネさん、本当にありがとう」


 ミレイアが微笑みかけると、リーネはいつものように「お役に立てて良かったです」と物腰柔らかに返そうとした。


 ――だが、その声は微かに震え、言葉の後半はかすれて消えた。


「リーネ……さん?」


 ミレイアが不審に思った瞬間、リーネの身体がぐらりと横に傾いた。


 咄嗟にカウンターを掴もうとした細い指先が、力なく滑る。

 洞窟での激しい波飛沫を浴び続けた身体は芯まで冷え切っており、連続した『プリズム・シェル』の行使による魔力消費は、彼女の華奢な肉体が耐えられる限界を超えていたのだ。


 床に倒れ込む寸前、その身体を、無骨な黒い手甲が乱暴に、しかし確実に受け止めた。


「……おい」


 ブラッドの冷徹な碧眼が、腕の中の少女を見下ろす。

 リーネの顔色は白紙のように青ざめ、呼吸は浅く、小さく身震いを繰り返していた。

 他人の「痛み」には敏感な癖に、自分に蓄積した疲労にはどこまでも無頓着な彼女らしい、限界の迎え方だった。


「大変、完全に冷え切ってる……! 魔力の枯渇と、軽い熱を併発してるみたい。ブラッドさん、彼女を奥の休憩室へ! すぐに毛布と温かいお水を用意します!」


 ミレイアが素早く受付の仕切りを上げ、奥の部屋へと先導する。

 ブラッドは面倒そうに一つ息を吐くと、軽い羽毛でも扱うようにリーネを横抱きにし、長い足で後に続いた。


 ギルドの奥にある簡素な休憩室。


 ベッドに横たえられ、ミレイアが用意した幾重もの毛布に包まれてもなお、リーネの震えは止まらなかった。

 意識は朧げで、睫毛をかすかに揺らしながら、苦しげな吐息を漏らしている。


「リーネさん、自分のことになると本当に無理ばかりして……。お水、ここに置いておきますね。私、まだ受付を空けるわけにはいかなくて……ブラッドさん、少しだけ彼女を見ていてもらえますか?」


「……道具の手入れをするだけだ。勝手にしろ」


 ブラッドは壁に背を預けたまま、視線すら合わさずにぶっきらぼうに答えた。

 ミレイアはそんな彼の不器用な態度に少しだけ苦笑し、「よろしくお願いしますね」と言い残して部屋を後にした。


 パチパチと、部屋の隅の小さな薪ストーブが爆ぜる音だけが響く。


 ブラッドはベッドサイドの卓上に目をやった。

 そこには、ミレイアが置いていった湯呑みと、リーネがいつも持ち歩いている薬草袋が置かれている。

 彼女が毎朝、自分のために淹れていた心を落ち着かせるための、ただのハーブの葉だ。


「……チッ」


 ブラッドは舌打ちを一つすると、背中の双剣を壁に立てかけ、不器用な手つきで鉄瓶の湯を器に注いだ。

 乾燥したハーブが琥珀色の湯気の中で躍り、部屋の中に深く、どこか懐かしい清涼な香りが広がり始める。


 ブラッドは器を持ち、ベッドの端に腰掛けた。


「起きろ、リーネ。道具が錆びて動かなくなれば、俺の死角が塞がらなくなる」


「……ん……っ……、ブラッド……さん……?」


 冷徹な声に呼び起こされるように、リーネが辛うじて長い睫毛を持ち上げた。

 まだ焦点の合わない碧眼が、目の前に差し出された琥珀色の湯気を見つめる。


「飲め。お前がいつも淹れている、ただの草の汁だ」


「あ……、すみません……私、不覚を……」


 身を起こそうとする彼女の肩を、ブラッドの手が強引に押し留めた。

 彼は器をリーネの唇へと手荒に近づける。

 温かい湯気が彼女の青白い顔を包み込み、ゆっくりと、その喉へとハーブティーが流れ込んでいった。


 野草の心地よい苦味と、じんわりとした熱が、彼女の冷え切った身体の内側をゆっくりと満たしていく。


「……ふふ、少し……苦いですね。いつもより、葉の量が多いです……」


 温かい器を両手で包み込みながら、リーネは微かに頬を緩めた。その瞳に、いつもの物腰柔らかい光が少しずつ戻ってくる。


「お前が適量を教えないからだ」


「そうですね……。でも、とっても温かいです。……ありがとうございます、ブラッドさん」


 リーネは毛布に包まったまま、心からの安堵を込めて微笑んだ。


 ブラッドは何も言わず、ただ立ち上がって再び壁の影へと身を潜めたが、その碧眼は、彼女の呼吸が安定するのを静かに見守っていた。


 互いの「異端」を知り、過酷な戦いを経て――戦いの後の静かな部屋で、二人の亡霊と聖女の距離は、不器用ながらも確かに、その体温を分かち合うように縮まりつつあった。









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