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血契の双刃 〜その契約は、愛か呪いか〜  作者: クマハム
第1章:亡国の血と黄昏の誓い
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第17話:亡霊の問い、聖女の祈り



 血の匂いが充満する外廊下を後にし、ブラッドは軋む木扉を静かに押し開けた。


 部屋の奥、黴臭い毛皮の椅子に深く腰掛けていた闇商人の元締め――青白い肥満体の男は、闖入者の姿を見るや否や、短い悲鳴を上げて机の上の書類を掻き集めようとした。


 だが、その不格好な手が動くよりも早く、ブラッドの投じた短剣が男の右手の甲を机の木板ごと深く突き刺し、縫い止める。


「ぎゃあああああッ!?」


 夜の静寂を切り裂くような絶叫。男は脂汗を流し、激痛に顔を歪ませながら身悶えした。


 ブラッドは表情一つ変えず、音もなく男の間合いへと踏み込むと、その喉元へ冷たい『血喰双刃』の切っ先を突きつけた。


「声を出すな。次は顎を叩き割る」


 凍てつくような亡霊の声に、男は悲鳴を喉の奥で強引に飲み込み、ひぃひぃと引きつった呼吸を繰り返した。

 ブラッドは空いた左手で、男が隠そうとした机の上の書類をひったくる。


 そこに書かれていたのは、ただの泥臭い「グランポートの地元商人の密輸記録」と、ただの「民間薬の取引メモ」に過ぎなかった。


「……ブラッドさん、やはり。表向きは完全に偽装されています」


 部屋の隅で、積み上げられた木箱を調べていたリーネが、物憂げな月光の差し込む窓辺でぽつりと呟いた。


 彼女の手元には、ミレイアが懸念していた紫色の小瓶がいくつか転がっている。

 リーネはその中の一本を取り出し、ボトルの底に付着した乾いた澱(おり)を注意深く削り取った。


 彼女は胸元の銀の聖印を掲げ、目を閉じて密かに祈りを捧げる。


 すると、削り取られた澱から、一瞬だけ、目を凝らさなければ見落とすほどの微弱な「純白の燐光」が煤のように立ち上り、すぐに消えた。


「これは……『聖水』の精製過程で生じる、特有の魔力の燃え滓(かす)です。普通の闇商人が作れるものではありません。この紫の毒薬……ベースに教国の聖なる術理が使われています。それも、痛覚を麻痺させ、肉体を強制的に過活性化させる、本国でも禁忌とされる秘蹟の劣化コピーです」


 リーネの碧眼に、冷たい怒りと、拭いきれない拒絶の色が混ざり合う。


 ルクスリアは、決して自らの名を汚すような証拠を残さない。しかし、その術理の根底にある「匂い」までは完全に消し去れなかった。

 教国の下級神官としてその術理に触れていたリーネだからこそ、その不気味な共通点に気づけたのだ。


「この薬をどこで手に入れた。吐け」


 ブラッドは双剣の刃を、男の首筋にさらに深く食い込ませた。男の皮膚から、じわりと血が滲む。


「し、知らねえ! 本当に知らねえんだ! 俺はただ、月に一度、顔を隠した奴からこの薬の原液を安く買い取って、薄めて売ってただけだ! どこの誰かなんて、名乗りもしねえよ……!」


 男の言葉は、嘘を吐いているようには見えなかった。本当に何も知らされていない、ただの使い捨てのネズミ。


 だが、ブラッドの手にある「取引メモ」を取り上げたリーネが、その余白に殴り書きされた『日付と金額の奇妙なズレ』に目を留めた。


「……ブラッドさん、このメモの取引周期、教国の『下級巡察官』がこの地方を回る巡回スケジュールと、不自然なほどぴったり一致しています。おそらく、本国に黙ってこの地へ流された、個人の横領か……あるいは、地方の審問官が個人的に行っている、悪質な実験です」


 そこに大きな組織の陰謀や、魔族の巨頭の名などない。あるのは、光の届かない地方都市の片隅で、教国の権威をカサに着た「一人の腐った人間の、卑小な悪意」だった。

 しかし、それが教国のやり方だ。光を掲げるその裏で、こうした泥にまみれた歪みが無数に生まれ、放置されている。ブラッドは冷酷に鼻で笑うと、男の脳天に向けて、双剣の柄頭を容赦なく叩きつけた。鈍い衝撃音とともに、男は意識を失って床へと崩れ落ちた。


「……行きましょう、ブラッドさん。ここにある原液とメモがあれば、私がギルドの裏で中和剤を作れます。ミレイアさんとの約束は果たせます」


 リーネが小さくため息を吐き、静かに部屋を出ようとする。


 だが、その背中に、ブラッドの鋭い声が突き刺さる。


「リーネ」


 彼女の足が止まる。


 ブラッドは闇の中に佇んだまま、その血塗られた双剣を鞘に収めることなく、冷徹な碧眼で彼女の後ろ姿を見つめていた。


「お前は、なぜ教国の、それも表に出ない秘蹟の劣化コピーを見抜ける。……ただの下級神官が、なぜそこまで奴らの『裏の顔』に詳しい」


 重苦しい沈黙が、黴臭い部屋を支配する。


 窓外から差し込む微かな月光が、リーネの神官服を白く浮かび上がらせていた。彼女はきつく胸元の銀の聖印を握りしめ、ゆっくりと振り返る。その美しく、どこか哀しげな碧眼には、微かな諦念と、覚悟の光が宿っていた。


「……私は、あの国で『不完全な聖女』と呼ばれていました。……それ以上でも、それ以下でもありません」


 スラムの闇の奥底で、ついにリーネの過去の、その最初のピースが微かにこぼれ落ちた。しかし、それがブラッドの探す「故郷の亡霊」へと繋がるのかは、未だ誰にも分からなかった。








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