第10話:術理の交錯
夜が明けきらぬ薄暗いスラムの路地。ギルドの開門に向けて歩き出したブラッドの斜め後ろを、リーネは静かな足取りで付いてきていた。
「リーネ」
前を歩いたまま、ブラッドが低く声をかける。
「お前が昨日使った『ペイン・イーター』とやらは、ただ痛みを消すだけで傷そのものは治っていないな」
「……はい。感覚を闇の魔力で麻痺させているだけです。応急処置にしかなりません」
実際には、『ペイン・イーター』は、痛覚の一部を自分が肩代わりする術。リーネはブラッドには話さなかった。
「戦いの中で軽率にそれを使うな。痛みが消えれば、自分の肉体がどれだけ破損しているか狂いが生じる。致命傷を見落とせば命取りだ。あの術を使うタイミングは、今後すべて俺が指示する」
それは冷酷な命令だったが、戦場における極めて正しい合理性に基づいていた。
リーネは、彼の戦いに対する妥協のない厳しさを肌で感じ、小さく頷いた。
「分かりました、ブラッドさん。ですが、もしあなたが骨を折るような深い傷を負った時は、大人しく私の『リライト・ヒール』を受けてくださいね。金色の光の糸で傷口を縫い合わせます。……少し、擽ったいですが」
「そんな傷は負わない。だが、頭に入れておく」
お互いの「手の内」を最低限すり合わせ、二人は冒険者ギルドの重い扉を押し開けた。
――朝のギルド内が、一瞬で奇妙な静寂に包まれる。
昨日、単独で狼の群れを瞬殺して戻ってきた不気味なEランクの新人、ブラッド。
彼が、あまりにも不釣り合いな「絶世の美女」を連れて現れたからだ。
黒を基調とした神官服に、夜明けの光を浴びて輝く金の髪。スラムには存在するはずのない清廉な少女の姿に、荒くれ者たちが色めき立つ。
「おいおい、あのガキ、今度は女連れかよ……」
「しかも上等な神官サマじゃねえか。どうなってんだ?」
周囲の品定めの視線や下俗な囁きを、ブラッドは完全に無視してカウンターへ歩み寄る。受付のミレイアもまた、目を丸くして二人を交互に見つめていた。
「あ、あの……ブラッドさん? そちらの方は……?」
「臨時の同行者だ。二人で受けるのに丁度いい依頼を出せ。できれば、Cランクへの昇格推薦が絡むような、手応えのあるやつを」
その要求に、ミレイアはゴクリと唾を飲み込んだ。まだ登録して二日目の新人が、早くもCランクへの昇格を視野に入れている。
普通の冒険者なら無謀と笑うところだが、今のブラッドの目には、それを当然のように遂行できるだけの冷徹な確信があった。
「……分かりました。現在、ギルドに届いているCランク昇格の適性依頼が一つあります」
ミレイアが神妙な面持ちで、一枚の羊皮紙をカウンターに提示する。
「グランポート近郊の『忘却の森』。そこに現れた、Dランク最上位の魔物――『鉄甲の巨蜘蛛』の討伐です。硬質の外殻を持ち、前衛の刃を弾き返す強敵ですが……お二人で、受けられますか?」
ブラッドはリーネを一瞥した。
リーネは静かに微笑み、胸元の銀の聖印に手を添えて頷いてみせる。
「問題ありません。精一杯、ブラッドさんをお守りします」
ブラッドは無造作に羊皮紙を掴み取った。亡霊と聖女、二人のプロフェッショナルによる初の「公式依頼」が、ここから幕を開ける。




