第八話
外の雨は勢いを増し、洋館の窓を暴力的に叩き続けている。
稲光が走るたびに、広間の古い調度品が不気味な影を壁に投げかけていた。
「外部との連絡が今もできないのなら、試したいことがあるわ。倒れた男性が持っていたあの折りたたみ式の携帯、私が今持っているけれど、これは衛星と繋がる可能性があるわ。洋館の外に停めてあった、あの大きなアンテナ付きの車のエンジンをかければ、回線が生き返るかもしれない」
美鶴が私の耳元で囁いた。彼女の熱い吐息が首筋をくすぐり、湿った髪から漂う石鹸の香りが鼻腔を突く。
美鶴からは、人前ではあまり名前で呼ばれることはない。けれど、二人きりのときは私の名前である早月をソウゲツではなく、親しみを込めて「ソウ」と呼び捨てにする。その特権的な響きに、私の心拍は僅かに跳ねた。
私は美鶴から携帯電話を受け取ると、滝の顔に向かって突き出し、真っ向から提案した。
「外部とコンタクトできるアイデアがあります。美鶴が持っているこれは、おそらく衛星携帯としても機能するはずだ。洋館の外にアンテナ付きの車がありましたよね。雨の中申し訳ないですが、あの車のエンジンをかけてきてもらえませんか」
滝は携帯電話を凝視し、窓の外の激しい雨脚を確認した。その表情には、物理学者としての好奇心と、得体の知れない事態への恐怖が入り混じっている。
「滝さん、それから、下にいる他の人たちのことも詳しく教えてください。失礼ですが、外部と接触したくない事情を持つ大人が紛れ込んでいる可能性も否定できません」
滝は観念したように重い口を開いた。
「下にいる大人は三人だ。全員、兄の知り合いじゃ。ロングヘアの女性は北山乙子。女流棋士タイトルの赤龍戦で優勝した時の人で、盤面を見つめる際の集中力は異常なほどだ。獲物を狙う猛禽のような目をしておる。そしてその友人が、ショートカットの小野丞莉月。二十歳のアマチュアだが、実力はプロ級だ。兄が将棋の関係で彼女を洋館に誘ったら、別の男が付いてきたのだ」
滝は一度言葉を切り、広間の隅で洋館の絵画を値踏みするように眺めていた男を指した。
「髭を生やした男は宇曽口史郎。莉月の義兄と名乗っているが、本性は埋蔵金やお宝を追いかけ回す強欲なライターだ。この山の頂に宝が眠っているという噂をどこからか聞きつけ、勝手に兄の敷地に立ち入っていた。宇曽口は昨日、山の中で『古い箱』を見つけたと自慢げに話していたが、中身は空だったと言って兄を詰問していた。その時の兄は、まるで魂を抜かれたかのように真っ青な顔をしていたよ。宇曽口は、兄が中身を隠したと確信しているはずだ」
滝の話を聞き、美鶴の瞳に鋭い光が宿った。
宇曽口の下卑た視線、北山の異常な執着、そして太郎校長が「空の箱」を見て怯えたという事実。
この密室の惨劇は、単なる強盗や怨恨ではなく、タキオン粒子という禁忌の力を巡る「強欲」の衝突が生んだ結果ではないか。
「兄はもう一人、内藤という弟子のような中性的な男を連れていたはずだが、今は姿が見えんな。便所にでも行っているのだろう」
美鶴と私は顔を見合わせた。行方不明の助手。そして揃い始めた容疑者たちの駒。
私は滝に再度、車のキーを促した。
「急がないと、犯人が次の一手を指す前に。滝さん、お願いします」
わずかに雨脚が弱まった隙を突き、滝は渋々ズボンのポケットからキーを取り出した。
「エンジンをかけて、すぐに戻ってくる。それまで勝手な真似はするなよ」
滝が嵐の中へと駆け出していく背中を見送りながら、美鶴は私の腕を強く掴んだ。彼女の痣が、再び不気味な熱を帯び始めていた。




