第四話
私は吊り橋を渡る前に顧問から渡された、あの氷のように冷たい手紙が気になり、リュックサックの中から封筒を取り出した。指先に伝わる不自然な温度は、この場所がもはや日常の延長線上にないことを無言で告げていた。
手紙の封を切ろうとした瞬間、洋館の外で空を割るような巨大な雷鳴が轟いた。
重厚な建築物であるはずの洋館が、まるで薄い紙細工のように激しく振動する。
美鶴が息を呑み、耳元で囁いた。
「今の、至近距離に落ちたわ」
美鶴と田口が、弾かれたように部屋を飛び出し、入り口のドアへと走っていく。慌てて私と大内も後を追ったが、広間に出た瞬間に立っていられないほどの衝撃に襲われた。
足元から突き上げるような、それでいてエレベーターで急上昇しているかのような、内臓を圧迫する独特の重力を全身に感じる。これが単なる地震ではないことは本能が理解していた。大気中の熱量と磁場が臨界点に達し、館そのものが物理的な境界を越えようとしているのだ。
他の三人が床に倒れ込み、苦悶の表情を浮かべるのを視界の端に捉えた。
やがて、暴力的な揺れが唐突に収まり、館は深い静寂に包まれた。
美鶴と田口がふらつきながら立ち上がり、入り口のドアを開けて外の様子を確認しに行く。
「地震なら、早く外に出たほうがいい」
大内がそう言い残して彼女たちの後を追った。
私は一人、広間に取り残された状態で、手に持ったままの手紙を広げた。
そこには、紛れもなく顧問の筆跡で、しかしこれまで見たこともないほど切迫した文字が並んでいた。
『私の兄が別荘の洋館で亡くなった。
亡くなる前に、私は兄からある依頼を受けた。兄はこう予言したのじゃ』
私は息を止めて、文字を追った。
『不思議な事が起きてしばらくすると、雷鳴と大雨の中に、聡明な少年少女が二十数年後の未来から洋館に姿を現すはずだ。
私に起きた不可解な出来事は、その少年少女の中でも、格別にIQの高い一人の少女が真相に辿り着くだろう。
この洋館は、雷や地震、大気熱といった自然界の強力なエネルギーを吸い取る力がある。エネルギーが臨界に達して洋館と空一面が緑に包まれ、いくつかの条件が整えば、洋館は時空を超えることができる。
もし二十年後に君が生きていたら、その聡明な少年少女たちを、この別荘に連れてきてほしい』
戦慄が走った。
顧問は、私たちがタイムスリップすることを知っていて、あえてこの「二十四年前」に連れてきたというのか。
「大変だ、美鶴に知らせないと」
私は手紙を握りしめ、洋館の外へ飛び出した。
雨の中、美鶴が呆然と上空を見上げている。
「ソウ、見て。空が……」
彼女の指差す先、気味の悪い緑色の雲が空一面を覆い、巨大な漏斗雲のように渦を巻いていた。
スカートを雨に濡らした田口が、震える声で叫んだ。
「洋館の壁を見て! 緑の壁が、上空の雲と連動して渦を巻いているわ!」
まさに、手紙に書かれていた「臨界」の状態だった。再び激しい稲光が走り、大粒の雨が私たちの肌を叩きつける。
私たちは逃げ込むように、全速力で洋館の入り口へと引き返した。
重いドアを押し開けた瞬間、広間の奥から鋭い声が響いた。
「君たちは誰だ。こんな時に勝手に入ってくるとは」
そこに立っていたのは、人相の悪い、髭を生やした中年の男性だった。
だが、私の視線はその男の背後から現れた、もう一人の人物に釘付けになった。
そこにいたのは、滝音二郎だった。
しかし、それは私が知っている「定年間近の顧問」ではない。
黒々と艶のある髪、張りのある若々しい肌。
何より、現在の彼にはない、獲物を狙うようなギラついた野心的な眼光が、レンズの奥で鋭く光っている。
私は息を呑んだ。
同一人物でありながら、あまりにも異質な存在。
目の前にいるのは、まだ「悪」に染まりきる前の、あるいはまさに今、深淵に足を踏み入れようとしている二十四年前の滝音二郎その人だった。




