第三話
三島美鶴に促され、私は息を引き取った白髪の男性、滝音太郎の遺体をまじまじと見つめた。
確かに、顔の造作は将棋部の顧問に酷似しているが、眉毛や髭の毛先までが雪のように真っ白だ。記憶にある顧問の髪は、白黒が混じり合ったグレーだったはずだ。
二〇〇〇年という時代の空気は、二〇二四年のそれとは明らかに違っていた。鼻を突くのは、古い紙と乾燥した埃、そして死の匂いが混ざり合った重苦しい澱みだ。周囲からは電化製品の駆動音や、基地局が発する微弱な電波の圧迫感が完全に消失し、世界からデジタルのノイズが剥ぎ取られたような、不気味なほどの静寂が辺りを支配している。
「ソウ、見て。私のスマホ、これを見て」
田口が差し出した液晶画面を覗き込み、私は息を呑んだ。そこには電波の状態を示すアンテナではなく、激しい砂嵐が渦巻いていた。白黒のノイズが画面を埋め尽くし、バチバチと耳障りな電子音を立てている。時空の干渉。未来の技術が、この時代の物理法則にあからさまに拒絶されている証拠だった。
美鶴は私の腕に触れたまま、しがみつくように遺体を見つめている。至近距離にいる彼女の体温が、雨に濡れた肌を通じて伝わってくる。私の恐怖と興奮で跳ね上がる心拍に呼応するように、彼女のうなじにある赤龍の紋が、衣服の下で脈打つような紅い光を明滅させていた。
共鳴している。私の生命エネルギーが、彼女の痣を活性化させる燃料へと変換されているのを、肌を通じて実感した。
私は大内に声をかけながら、剣道部の先輩から聞いた不思議な話を思い出していた。
「大内、あの剣道部の鈴木先輩から聞いた話を覚えているか。二〇〇〇年に起きたあの未解決事件だ」
「ああ。確か、俺たちの高校の校長が行方不明になり、その後、この緑の洋館で刺殺体で見つかったという話だろう」
大内の声が、静寂の中で不自然に響く。先輩の話では、容疑者として招かれていた女流棋士の北山、アマ将棋名人の女性、トレジャーハンター、そして顧問の弟である滝音二郎の四人が挙がっていたはずだ。
「校長を刺した犯人は、ついぞ見つからなかった。決め手や証拠がないまま迷宮入りした事件なんだ。大内も同じ話を聞いていたか」
「大体同じだよ。鈴木先輩は、その怪しげなトレジャーハンターが近所に住んでいたからって、お宝の話をよくしていたな」
美鶴が私たちの会話を割るようにして、鋭い声を上げた。
「ということは、この白髪の男性は、その時の滝音太郎校長なの。そして私たちは、令和から約二十年前にタイムスリップしたということかしら。面白いわ。謎も犯人も、まるごと詰ませてあげましょう」
美鶴は不敵な笑みを浮かべ、窓の錠前に降り積もった、あり得ないほど厚い未来の埃を指差した。
「滝音太郎校長か、あるいは弟の顧問が、この歪みを正すために私たちを呼び寄せた。そう考えるのが妥当ね。謎が解けたら、私たちも令和に戻れるかもしれない。さあ、ソウ。盤面を整理するわよ。犯人はまだ、この洋館の時間の中に潜んでいる」
その時、館を揺らすほどの地鳴りが響き、天井からパラパラと漆喰が剥がれ落ちた。緑色の壁が再び脈動を始め、私たちの感覚を狂わせていく。二〇〇〇年の夏は、まだ始まったばかりだ。




