第二十四話 真犯人
空間からまばゆい緑の光が輝き渦が生き物のように回っている。激しい雷鳴が大地を震わせ、崩壊を始めた洋館の裂け目から、緑色のタキオン光が奔流となって天を突いていた。叩きつけるような雨脚はさらに勢いを増し、容赦なく私たちの体温を奪い去ろうとする。私は混濁する意識を必死に繋ぎ止め、荒い呼吸を繰り返す美鶴の隣に立った。
「犯人は、莉月さん、あなただ」
私は震える指先で、アマチュア名人の小野丞莉月を指した。彼女の産業スパイとしての冷徹な動き、そして未来の定跡を独占しようとする剥き出しの野心が、すべての動機に思えたからだ。だが、私の隣で美鶴は悲しげに、そして静かに首を横に振った。
「それじゃあ、まさか、大内が田口さんの復讐のために」
私が次なる疑念を口にすると、それも即座に否定された。
「違うわ、ソウ。この因果の盤面を支配し、未来と過去を無残に弄んでいるのは、あなたよ。北山乙子さん」
美鶴の鋭い指先が、冷雨に打たれながらも不敵に佇む女流棋士、北山乙子を真っ直ぐに指し示した。北山は濡れて顔に張り付いた髪を無造作にかき上げ、隠そうともせずに自らの乳房の横にある紋章を晒している。
「あなたは未来の自分と情報を共有し、過去を都合よく書き換えようとしている。二〇〇〇年の今、あなたが男性棋士からタイトルを次々と奪い、連勝を重ねているのは、あなたの実力などではないわ。未来へ飛び、まだ誰も知らない未来のAIが発見した『神の一手』を、カンニングの道具として使い続けているだけよ。あなたは滝音太郎さんの研究にいち早く気づき、タキオンによるタイムリープの秘密を、その強欲な指先で横取りしたのよ」
北山は何も答えず、ただ唇の端を吊り上げて美鶴を見つめている。その不気味な余裕が、かえって彼女の人間離れした異質さを際立たせていた。
「三つの紋章が揃わなくても、この洋館にはタキオンが噴出する緑の渦の発生場所がいくつも存在する。あなたは二十四年前からその座標を知り尽くし、そこにある種の触媒を持ち込んだ。それが、あなたの身体そのものよ」
美鶴の言葉に、私は耳を疑った。生身の人間が、物理法則を歪める機械の一部だというのか。
「タキオンが湧き出る緑の渦の中で、『赤』と『龍』を合わせることで時空の扉が開く。あなたは、赤い乳輪と赤い乳首という特異な肉体を持ち、その傍らに黒い龍の入れ墨を刻み込んだ。その身体で渦に包まれるとき、あなたの細胞はタキオンと共鳴し、時間を超える力を得た。最初は偶然だったかもしれないけれど、やがてあなたはその制御方法を完全に身に付けたのよ。どれくらいの快感を与えれば、どれほど過去や未来へ跳べるのか、その距離を測る術をね」
私は北山の乳房を直視した。激しい雨に濡れて透けた薄いブラウスの奥で、その赤い乳首は不気味なほど鮮やかに直立し、まるで時空の信号を受信するアンテナのように見えた。彼女の肉体そのものが、因果を食い破るための悪魔的なデバイスとして機能していたのだ。
「未来の将棋定跡というカンニングの証拠を完全に消すために、あなたは太郎さんを殺した。時空のずらしを使い、犯行時刻そのものを物理的に消去した、誰にも解けない密室殺人よ。助手の内藤さんは、太郎さんのメモからタイムリープのヒントを見つけていたから消した。宇曽口さんはトレジャーハンターとしての直感で、埋蔵金ではなくタキオンという究極の財宝に辿り着こうとしていたから殺した。二郎先生も、その名前からしてタキオンの秘密を共有しているはずだと疑い、過去の彼を殺して未来の彼を消去しようとした。莉月さんを生かしていたのは、彼女を犯人に仕立て上げるため。彼女にはタキオンのノートは理解できても、肉体を使ったリープの仕組みまではわからないと踏んだからよ」
太郎殺害の凄惨な真実と、北山の非道な裏切りが、美鶴の冷徹な宣告によって次々と剥がされていく。
「なぜそこまでわかるのか、という顔をしているわね、北山さん。それはね、私もあなたと同じ『赤龍の紋』を身に付けているからよ」
美鶴は自らのワンピースの襟元を緩め、雨に打たれるうなじを露わにした。そこには北山の入れ墨と酷似した、しかしより高潔で、透き通るような輝きを放つ赤龍の紋章が、彼女の激しい鼓動に合わせて紅く脈打っていた。
私は驚愕した。私たちが令和の時代から二十四年前のこの夏へタイムスリップしてきたのは、不慮の事故でも偶然でもなかった。美鶴の内に秘められた力が、北山の放つ禍々しい狂気に共鳴し、この異常事態を引き起こしたのだ。
「さあ、北山さん。あなたの指した汚い手は、すべて読み切ったわ。ここからは、盤上での真剣勝負で決着をつける時間よ」
雨の中、美鶴の揺るぎない決意が赤龍の紋と共に燃え上がる。北山は初めてその完璧な無表情を歪め、獲物を見つけた獣のような残酷な笑みを浮かべた。二人の女性の間に、時空を超えた殺意と情念が渦巻き、崩壊しゆく洋館の周囲には、逃れられない詰みの気配が重く漂い始めていた。




