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夏休みの山奥に洋館でタイムスリップしたら、死体が転がってた。〜棋士の紋章と因果の詰み〜  作者: lavie800


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第十四話

緑の箱がもたらした異常な重圧が去った後、館の空気はさらに冷たく、鋭利なものへと変貌していた。宇曽口が握りしめるチップの脈動に呼応するように、洋館の壁面を走る緑色の光が激しさを増していく。

外の豪雨は止む気配がなく、時折響く雷鳴が館全体を物理的に震わせていた。

「ガタガタとうるさい。自家発電の調子が悪いのか」

宇曽口が苛立ちを露わにして天井を見上げた直後、広間の照明が激しく明滅し、完全な暗闇が訪れた。視界が完全に奪われた瞬間、私のすぐ隣で美鶴の気配が揺れた。

「ソウ、動かないで」

囁きと共に、柔らかな体温が私の腕に触れる。暗闇の中で美鶴がしがみついてきたのだ。雨に濡れて湿り気を帯びた彼女の体温と、微かに漂う石鹸の香りが、極限の緊張感の中で妙に生々しく鼻腔を突く。薄いブラウス越しに伝わる彼女の身体の曲線と、押し付けられる乳房の柔らかな弾力に、私の心臓が激しく脈打った。

その瞬間、彼女のうなじにある「赤龍」の紋が、私の高鳴る鼓動と同期して、服越しに鮮烈な紅い光を放った。タキオンの熱が彼女の肌から伝わり、周囲の空気をわずかに歪ませる。

その直後、暗闇を切り裂くような悲鳴が上がった。

「うわあああ!」

若き二郎の声だ。何かが倒れる鈍い音と、肉を断つ嫌な感触が闇の中で響く。

数秒後、非常灯が頼りなく点滅し、青白い光が広間を照らし出した。

そこには、右肩を深く切り裂かれ、血を流して床に崩れる二郎の姿があった。その数メートル傍らで、大内が虚ろな目で立ち尽くしている。

「大内、貴様、やったのか!」

私が詰め寄ろうとしたが、美鶴が私の制服の裾を強く引いて制した。

「美鶴、大内が犯人かもしれないだろう。あいつはナイフを持っていたんだ」

「大内君が持っていたカッターナイフは、私がさっき預かったわ。布に包んで私のポケットの中にある。それに、見て。大内君はこの闇が訪れた瞬間から、ずっと震える田口さんの肩を抱いていた。そこから二郎先生の場所まで移動して攻撃し、また元の位置に戻るのは物理的に不可能よ」

美鶴は冷静に全員の配置を指し示した。宇曽口は出口付近、北山は将棋盤の傍、そしてアマチュア棋士の小野丞莉月は、二郎のすぐ背後の影にいたはずだ。

「切り口が鋭利すぎるわ。犯人は物理的な距離を無視して攻撃している。……小野丞さん。いえ、何かを探っているスパイさん。二郎先生の研究ノート、いつの間に手に入れたのかしら」

莉月は一瞬、完璧な無表情を貫いたが、やがて冷ややかな笑みを浮かべた。

「あら、私はただ、太郎さんの研究データを回収しに来ただけよ。タキオンについて調査していたわ。ざっくり見ても、まだこの世の誰も発表していない内容ね」

彼女の手には、二郎が持っていたはずの研究ノートが握られていた。莉月は太郎のタキオン研究成果を狙う、産業スパイだったのだ。

「美鶴、タキオンは、本当に光速を超える粒子なのか。それがどうして、こんな不可能な事件を引き起こすんだ」

私の問いに、美鶴は私の腕に密着したまま、熱っぽい吐息と共に囁いた。

「アインシュタインの相対性理論では、光速 c を超えるには無限のエネルギーが必要だとされるわ。けれどタキオンは、最初から光より速い速度 v > c で動くと仮定された、『虚数の質量』を持つ粒子なの。虚数の質量を持つということは、エネルギーを失うほど加速し、無限の速度に近づくという性質を持っているのよ」

美鶴は空いた手で、傍らにあった将棋の歩を一つ指で弾いた。

「いい、ソウ。普通の時間は、一歩、二歩と順番に進むわよね。原因があって、結果がある。これが因果律。でも、光速を超えて動くタキオンの世界では、その順番がひっくり返るの。『結果が、原因よりも先に届いてしまう』のよ」

「結果が、先に……?」

「そう。将棋で言えば、相手が指す前に、その指し手がすでに盤面に現れているようなもの。犯人はこの『時間の逆転』を利用して、未来から過去へと殺意を送り込んでいる。……でも、この不安定な力を制御するには、三つの触媒――紋章が必要なの。結果が原因より先に届いてしまうことを、因果律の崩壊と呼ぶわ」


美鶴は私の耳元に顔を寄せ、その唇が触れそうなほどの距離で続けた。

「宇曽口さんの**『緑の箱』が空間の座標を固定し、莉月さんが狙っている『赤の結晶』がエネルギーを増幅させる。そして最後の『駒』が時間の引き金**になる……。これらが揃ったとき、因果律は完全に、誰かの手によって崩壊、将棋で言う『指し直される』ことになるわ。本来の終局が最後の結果なのに、終局があり、その後に終局の原因である対局が始まるのが、指し直しよ」


和装の上からでも巨乳が目立つ莉月が独り言を呟いている。

「どうやら、タイムリープの研究もあるみたいね」

莉月が、奪った研究資料をめくりながら冷酷な表情で呟いた。

「まあ、あなたたち子供には関係ないわ。私はこのデータと触媒を回収して、ゴージャスな暮らしがしたいのよ。そして、この偽りの歴史という盤面で、誰かの仮面を剥がしてやるわ」

莉月の目はもはや、将棋の勝敗など見ていなかった。彼女の狙いは、この洋館に隠された「時間の主導権」そのものだった。

窓の外で、不吉な緑色の雷鳴が再び轟き、彼女の持つ研究ノートと美鶴の「赤龍」が、共鳴するように激しく明滅した。

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