第百七十五話 母の決断、父の受難。そして——旅立ちの紅茶会!?
ルヴァリア王国の王都の朝は、今日も優雅に、そして少しだけ騒がしい。
レイフォード伯爵家の居間には、陽光と紅茶の香りが満ちていた。
白磁のティーセットの向こう側で、母レイナは指先を添えた頬杖のまま、少しだけ難しい顔をしている。
アリアは、その正面で静かにお茶を飲んでいたが――心の内側では、なんともいえないもやもやを抱えていた。
(……さすがに、そろそろ、ですよね)
ノアとレオン。
あの二人が、留学先の アルヴェリア王立士官学園 でとんでもない騒動を起こしていることくらい、王都の噂はとっくにこちらにも届いている。
いや、噂どころか……
「……ロビーに“人が映る床”を作った、ですって?」
レイナは静かに、しかし深い嘆息をついた。
「ええ……学園の寮母さんからの手紙ですわ。
学園側からではなく、直接わざわざ。“お嬢さま、正直申しまして、あのご子息たちは……とても……たいへんです” って……」
(“とても”のところ、二重線引いてありましたもんね……)
アリアは、思い出して肩を落とした。
あの二人のすることだ。
床を磨きすぎて暴走、感動して暴走、感動が暴走に変換されてさらに暴走。
想像できすぎるあたりが本当に腹立たしい。
「……でも、お兄さまたち、怒っていいのか笑うべきなのか迷う方向で頑張ってるんですよね……」
「そうなのよね……」
レイナは、困ったように、それでもどこか愛おしそうに微笑む。
「真面目にやっている。間違いなく一生懸命。
ただし方向性が毎回少しずれていて、そのまま斜め四十五度に飛んでいくのよね……」
「お母様、それ“少し”じゃないと思います」
「……そうね」
二人は同時にため息をつき、また同時にふっと笑った。
しばらく、沈黙。
(……言うなら今かな)
アリアはお茶を置き、背筋を伸ばした。
「――お母様」
「なにかしら?」
少しだけ真剣な声音で、静かに切り出す。
「そろそろ……
ノアお兄様と、レオンお兄様……
一度、こちらに戻して差し上げてはどうでしょう?」
その言葉に、レイナの指がぴくりと止まる。
美しいまつ毛が揺れ、ゆっくりとアリアを見る。
「あなたも、そう思うのね」
「はい。
噂――だけならまだしも。
関係者の直接の手紙が増えてきています。
“被害報告”という言葉が使われはじめたあたりで、もう笑って見ているだけではいられない気がして」
言いながら、自分でも少し可笑しくなった。
「それに……
お兄さまたち、絶対に寂しいですよ」
遠く離れた異国。
慣れない環境。
そこで“頑張りすぎる兄たち”の姿が、容易に想像できてしまう。
ぽつり、とアリアは言葉を継いだ。
「……あの人たち、“家族が見ている”ってだけで、調子が整うタイプですから」
レイナは、ゆるりと目を伏せた。
静かに、考える。
夫が見たら確実に怖がるであろう、“本気のレイナ思考時間”である。
(あ……考え込んだ)
アリアは背筋をさらに伸ばした。
ここから先は、母の領域だ。
数分。
そして、タイミングを計ったかのように――
「レイナ~、紅茶淹れてる? 今日のケーキは何かな?」
ドアが勢いよく開いた。
入ってきたのは、 アレクシス・レイフォード伯爵。
この家の柱、そう大黒柱であり――そして、たぶん家族の中で一番“緊張感がない顔”をしている男。
「おや? なんだいなんだい、この沈んだ空気は。
さあ元気を出して! レモンタルトを持ってきたよ! 甘いものは正義だよ!」
(…………)
アリアは思った。
(父上。空気を読むって、言葉……知ってましたっけ?)
レイナも、一度瞬きをしてから――ふっと笑った。
しかし、それは“ほんわかした笑い”ではない。
(あ……これは……)
アリアの背中を、冷たいものがひたりと流れた。
「あなた」
レイナは、柔らかく微笑む。
「なんだい、レイナ?」
ほんの一瞬である。
しかし、確かに――伯爵の背筋にぞくっと走ったものがあった。
「今アリアと話していたのだけれどね。
ノアとレオンのことなのよ」
「おお、いいじゃないか。元気かい? やらかしてるかい?(←確信してる)」
レイナは、さらににこり。
「――あなたが、一度、アルヴェリア王立士官学園へ出向いて。
“あの二人を視てきて”くださらないかしら?」
「………………ん?」
空気が固まった。
「……私が、かね?」
「ええ、そうです」
にっこり。
「あ・な・た・が、です!!」
「うはぁ……お母様きっつぅぅぅ!!」
アリアは思わず心の中で叫んだ。
顔は笑っているのに、声が一切逃げ場を許していない。
「いえね?」
レイナは静かに言葉を重ねる。
「私は母として。
彼らの頑張りを誇りに思っているのよ。
でも同時に、“限界”も不安もあるでしょう?
ならば、まずは家族が会いに行くべきだわ」
「……う、うむ。
それは……もっともだが……」
伯爵、完全に逃げ場なし。
「なにより、あなたなら――」
「わたしなら?」
「向こうで何をやらかしても、“笑顔で許しを取って帰ってくる”能力にかけては天下一品だもの」
アリアは吹き出しそうになった。
(わかる……!
父上……見た目以上に交渉能力だけは本物なんですよね……!)
「頼りにしてるわ、アレクシス」
レイナは、ふわりと微笑った。
それは、断れない笑顔。
「………………了解したよ、レイナ」
伯爵は観念したように肩を落とし、しかし最後は笑った。
「愛する息子たちのためなら、父親として当然だとも。
よし、任せておきなさい!
ついでにお土産も買ってくるよ!」
(この人は本当に……)
レイナはそんな夫を見て、そっと視線を伏せた。
――優しく、どこか安心した横顔だった。
(ああ、よかった……)
アリアは胸の奥でそっとつぶやく。
母は母で必死に悩んでいた。
父は父で、きっと何かを持ち帰ってくる。
家族が、動き出した。
「さて、準備だな!」
やけに張り切って立ち上がる伯爵。
「旅支度! 書簡! あとおやつ! あと……」
「あなた。
“おやつ”は後回しでお願いしますね?」
「うっ……はい」
こうして――
軽そうに見えて実は重要任務を背負わされた父アレクシス伯爵は、
隣国アルヴェリアへ向けて旅立つこととなったのである。
その旅が“優雅な視察旅行”で済むのか、
それとも“二人の暴走を目の当たりにする心臓への試練”となるのか――
それはまだ、神のみぞ知る。
だが一つだけ確かなことがある。
レイフォード伯爵家は、今日も平和で騒がしく、そして暖かい。




