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消された四枚

 翌朝。


 高瀬朗は、大学の正門をくぐるなり立ち止まった。


「……眠い」


 結局、昨夜はほとんど眠れなかった。


 原因は分かっている。


 五十年前の写真。


 エリザベス・ウォーカー。


 久世誠一。


 そして、写真番号二一七から二二〇までの、消えた四枚。


「アキラ」


「うわっ!」


 耳元で声がした。


 振り向くと、ロキシーが顔を覗き込んでいた。


「近い!」


「おはようございます」


「普通に挨拶してくれ」


「普通ですよ?」


「普通は耳元で囁かない」


 ロキシーは朗の目元を見る。


「寝不足?」


「まあ」


「私のこと考えていました?」


「写真のことだよ」


「写真より私を考えてください」


「朝から何言ってんだ」


 ロキシーは笑った。


 その笑顔を見ると、不思議と少し眠気が飛ぶ。


「ロキシーは眠れた?」


「はい」


「怖くなかった?」


「少し」


 そう答えてから、彼女は付け加えた。


「でも昨日、アキラと電話したので」


「……そう」


「安心しました」


 また、さらっと言う。


 朗は目を逸らした。


「行こう。講義遅れる」


「はい」


 ロキシーが横に並ぶ。


 やはり近い。


 だが最近、この距離にも少し慣れてきている。


 それが一番まずい気がした。


     ◇


 事件が動いたのは、一限終了後だった。


「アキラ」


「ん?」


「ロッカーに何か入っています」


 国際交流センター近くの学生用ロッカー。


 ロキシーのロッカーの隙間から、茶色い封筒が覗いていた。


 二人の表情が同時に変わった。


「触らないで」


「はい」


 今回はロキシーも素直だった。


 朗はスマートフォンを取り出す。


「学生課に連絡しよう」


「開けない?」


「先に大学へ見せる」


「成長しましたね、アキラ」


「誰のせいで慎重になったと思ってる」


 十分後。


 学生課職員と警備担当者が来た。


 封筒には宛名も差出人もない。


 危険物ではなさそうだという確認をした上で、職員が開封する。


 中から出てきたのは。


 一枚の古い写真だった。


「……」


 朗とロキシーが息を呑む。


 裏面には数字。


 217


「アキラ」


「ああ」


 消えた四枚の一枚。


 間違いない。


     ◇


 学生課の面談室。


 朗たちは職員立ち会いのもと、写真を確認した。


 白黒写真。


 夜。


 山あいの道。


 右側に古い木造建築が写っている。


 旅館らしい。


 玄関には看板。


「月……?」


 ロキシーが目を細める。


 写真が暗く、文字が読みにくい。


 朗も顔を近づけた。


「月影荘……かな」


「ツキカゲソウ?」


「たぶん」


 そして写真の中央。


 一人の外国人女性がいた。


 エリザベス。


 横顔。


 表情は険しい。


 彼女の前には、スーツ姿の中年男性。


 二人は何か言い争っているように見える。


 少し離れた場所。


 若い久世誠一が立っていた。


「お祖父さん」


 ロキシーが囁いた。


「ああ」


 久世誠一は二人を見ている。


 しかし近づいてはいない。


 さらに。


 写真の端。


「これ……」


 朗が指差す。


 木の陰。


 もう一人いる。


「誰?」


「分からない」


 顔は写っていない。


 黒い服。


 ただの通行人とも思える。


 しかし。


 明らかにエリザベスたちを見ている。


「五人いる」


 ロキシーが数える。


「エリザベス、久世さんのお祖父さん、中年の男、撮影者、それから……」


「木の陰の人物」


 朗は写真を裏返した。


 そこには鉛筆で。


October 2, 21:51

She refused.


「彼女は拒否した」


 ロキシーが訳した。


「何を?」


「分かりません」


 部屋が静かになった。


     ◇


「これを入れた人は、私たちを助けようとしてるんでしょうか」


 学生課を出たあと。


 ロキシーが言った。


「可能性は高いと思う」


「なぜ名乗らない?」


「名乗れない理由があるんじゃない?」


「犯人が怖い?」


「あるいは」


 朗は少し考えた。


「本人も何か隠してる」


 ロキシーが朗を見る。


「アキラ、だんだん探偵らしくなりました」


「嬉しくない」


「私は嬉しいです」


「なんで」


「相棒だから」


 その言葉を聞いて、朗は少し笑った。


「……まあ、それはいいけど」


「認めました」


「何を」


「相棒」


「前にも言っただろ」


 ロキシーは満足そうだった。


     ◇


 二人は図書館へ向かった。


 今度は勝手な調査ではない。


 学生課へ伝えた上で、公開資料だけを見る。


「月影荘」


 朗が検索する。


「昔の旅館なら、もうない可能性もあるな」


「場所は山梨でしたね」


「ああ」


 第十二号の民俗研究会報。


 調査旅行。


 山梨県の山間部。


 山岳信仰。


 古い祠。


 温泉町。


 キーワードを組み合わせる。


「……あった」


 朗が画面を指差す。


 古い地域史。


 昭和期の宿泊施設一覧。


 そこに。


 月影荘旅館


「あります!」


「所在地は……」


 朗は地名を読む。


 山梨県。


 山間の小さな温泉地。


 大学から電車とバスで三時間ほど。


「今も営業してる?」


 検索する。


 数秒。


「ある」


 二人が顔を見合わせた。


 現在は改装されているものの、旅館自体は残っている。


 創業百年以上。


「アキラ」


「何」


「行きましょう」


「即決すると思った」


「重要な場所です」


「でも勝手には行かない」


「えー」


「えー、じゃない」


 朗は腕を組んだ。


「脅迫されてるんだから」


「では大学に相談しましょう」


「旅行の許可なんて出ないだろ」


「調査旅行なら?」


「誰が連れてくんだよ」


 そのとき。


 背後から声がした。


「何の調査旅行?」


 二人が振り返る。


 日本文化学科の教授。


 宮原教授だった。


 六十代。


 民俗学専攻。


「先生」


「高瀬君とハートマンさんじゃないか」


 ロキシーが目を輝かせた。


「先生!」


 嫌な予感。


「私たち、山梨へ行きたいです」


「いきなりだな」


 朗は頭を抱えた。


     ◇


 事情を説明すると。


 意外な反応が返ってきた。


「月影荘?」


 宮原教授が眉を上げる。


「先生、知ってるんですか?」


「知ってるも何も」


 教授は眼鏡を外した。


「来月、ゼミのフィールドワークで近くまで行くよ」


「え?」


 朗とロキシーが同時に声を上げる。


「山岳信仰と地域伝承の調査」


 教授は二人を見る。


「ハートマンさんは留学生だから正式なゼミ生ではないが、興味があるなら参加していい」


「行きます!」


「即答だね」


「アキラも!」


「僕まで?」


 ロキシーが朗の腕を掴む。


「相棒でしょう?」


 教授が二人を見比べる。


 少し笑った。


「仲がいいんだな」


「違います!」


「はい!」


 声が重なった。


 ロキシーを見る。


「なんで君は肯定するんだ」


「仲良しですよ?」


「そうだけど!」


 教授が面白そうに笑う。


「高瀬君も参加したらいい。現地資料を読む人手が欲しかったところだ」


「……分かりました」


 こうして。


 思わぬ形で。


 月影荘へ行く道が開いた。


     ◇


 昼休み。


 二人は中庭にいた。


「旅行です」


 ロキシーが嬉しそうに言う。


「調査な」


「お泊まりです」


「ゼミ合宿」


「温泉ありますか?」


「温泉地なんだからあるだろ」


「浴衣!」


「テンション上がるところそこ?」


「日本の旅館、初めてです」


 確かに。


 事件とは別に、ロキシーにとっては楽しみなのだろう。


「アキラも浴衣?」


「たぶん」


「楽しみです」


「何が」


「秘密」


「嫌な予感しかしない」


 ロキシーが朗の顔を覗き込む。


「同じ部屋になるかもしれません」


「なるわけないだろ!」


「残念」


「残念がるな」


 近くの学生が振り返る。


 朗は顔を伏せた。


「君、本当にそういうこと平然と言うよな」


「嫌ですか?」


「……嫌っていうか」


「ではいいですね」


「何がいいんだよ」


 ロキシーが笑った。


     ◇


 その日の放課後。


 二人は久世直哉の研究室を訪ねた。


 写真のことを伝えるためだった。


「二一七が?」


 久世の顔色が変わった。


「知ってるんですね」


 朗が言う。


「……見たことはある」


「どこで?」


「祖父の遺品」


 ロキシーが身を乗り出す。


「では四枚全部?」


「昔、一度だけ」


「今どこです?」


「知らない」


「なくなった?」


「祖父が亡くなった後、整理したときにはなかった」


 久世は写真のコピーを見る。


 そして。


 月影荘という文字に目を止めた。


「君たち」


 顔を上げる。


「まさか、そこへ行くつもりじゃないだろうな」


「来月、大学のフィールドワークがあります」


 久世の表情が険しくなった。


「行くな」


 朗は眉を寄せる。


「またそれですか」


「今度は本気だ」


「理由を教えてください」


「言えない」


「それじゃ納得できません」


 久世が黙る。


 しばらくして。


「祖父は」


 低い声。


「月影荘に二度と近づかなかった」


「なぜ?」


「知らない」


「本当に?」


「本当だ」


 久世の手が少し震えていた。


「でも、死ぬ前に一度だけ言った」


「何を?」


 久世は写真を見つめた。


「もしあの夜に戻れるなら」


 声がかすれる。


「自分は、エリザベスと一緒に山へ行く、と」


 ロキシーの表情が変わった。


「山?」


 朗も聞き返す。


「エリザベスは山へ行ったんですか?」


「それ以上は聞けなかった」


 久世は顔を背ける。


「祖父は泣いていたから」


     ◇


 大学を出る頃には、外は薄暗くなっていた。


 朗とロキシーは駅へ向かう。


 今日は。


 ロキシーのほうから袖を掴んできた。


「怖い?」


 朗が尋ねる。


「少し」


「行くのやめてもいいんだぞ」


「嫌です」


「やっぱり即答だな」


「でも」


 ロキシーは少しだけ朗へ寄った。


「アキラも来てください」


「行くよ」


「絶対?」


「教授にも参加するって言ったし」


「そうじゃなくて」


 ロキシーが立ち止まる。


「途中で一人にしないでください」


 青い瞳。


 いつもの冗談ではない。


「……分かった」


「約束?」


「ああ」


 朗は右手を出した。


「約束」


 ロキシーがその手を見る。


 そして。


 握った。


「日本では、約束するとき手をつなぐんですか?」


「今だけ」


「では長く約束しましょう」


「何だそれ」


 でも。


 朗は手を離さなかった。


     ◇


 その夜。


 月影荘。


 山あいの古い温泉旅館。


 営業終了後のロビー。


 年老いた女将が、一人で帳簿を整理していた。


 電話が鳴る。


「はい、月影荘でございます」


 電話の向こうから。


 男の声。


『来月、○○大学の学生が行く』


 女将の手が止まった。


「……大学?」


『エリザベス・ウォーカーを調べている』


 受話器を握る手が震えた。


「まさか」


『五十年前のことを、まだ覚えているな?』


 女将は答えなかった。


 視線の先。


 ロビーの壁。


 一枚の古い集合写真。


 若い学生たち。


 その中央に。


 金髪の外国人女性が笑っている。


 エリザベス。


 女将は小さく呟いた。


「……忘れられるわけがないでしょう」


 電話は切れていた。


 そして。


 誰もいない旅館の廊下。


 その奥。


 今は使われていない一室の扉には。


 古びた木札が掛かっていた。


 二〇三号室。


 五十年前。


 エリザベス・ウォーカーが泊まった部屋だった。


第6話 消された四枚 了

挿絵(By みてみん)

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