五十年前の命令
写真220。
五十年前。
夜明けの月姫山。
傷ついたエリザベス。
彼女を支える葛城宗一郎。
崖の下。
遠山征二。
離れた場所。
神谷隆三。
宮原正臣。
そして。
誰も。
これまで注目していなかった。
写真の奥。
山道に停まる。
一台の黒い車。
「これ」
エリザベスが言った。
「三崎家の車よ」
聖ミカエル修道院。
午後。
高瀬朗は。
スマートフォンの画像を拡大した。
「どうして分かるんです?」
「何度か見たことがある」
「大学で?」
「ええ」
エリザベスの表情から。
先ほどまでの笑顔が消えていた。
「理事会の日」
「……」
「いつも、この車で来ていた人がいた」
宮原教授が。
ゆっくり聞く。
「誰です?」
エリザベスは。
答えた。
「当時の理事長」
一呼吸。
「三崎重臣」
◇
三崎重臣。
大学創立者。
三崎英一郎の長男。
そして。
現在の理事長・三崎俊明と。
副理事長・三崎由紀子の祖父。
「創立者の息子……」
ロキシーが呟いた。
「事件当時」
宮原教授が調べる。
「六十八歳」
「理事長在任中です」
朗が写真を見る。
「でも」
山道。
小さな車。
「これだけじゃ」
「三崎重臣が乗っていたとは証明できない」
「はい」
「車があっただけ」
エリザベスは。
少し黙った。
「私」
「?」
「あの人を見ているわ」
◇
全員が。
エリザベスを見る。
「山で?」
「ええ」
「いつ?」
「夜が明ける少し前」
◇
五十年前。
エリザベスは。
ほとんど歩けなかった。
右足。
捻挫。
額。
血。
葛城宗一郎に支えられ。
旧道へ。
山を下りていた。
「途中で」
エリザベスが言う。
「車の音がした」
「この車?」
「たぶん」
「誰が?」
「葛城先生が」
突然。
緊張した。
『隠れていなさい』
「そう言われた」
◇
エリザベスは。
道から外れ。
木の陰。
そこへ。
黒い車。
三人。
降りた。
一人。
神谷隆三。
一人。
橘徹。
そして。
「三崎重臣」
◇
「橘徹もいた?」
朗が聞いた。
「ええ」
「日記には」
十月一日。
橘につけられている。
そう書いてあった。
「山では見なかったと」
「祠では」
エリザベスが答える。
「でも」
夜明け。
車で。
現れた。
◇
「何を話したんです?」
ロキシーが聞く。
「全部は聞こえなかった」
木。
風。
距離。
しかし。
一つだけ。
忘れられない。
三崎重臣が。
葛城へ言った。
『君は何も見なかった』
「……」
『学生も』
『外国人も』
『全部だ』
◇
「葛城先生は?」
「怒った」
「何て?」
エリザベスが。
微笑む。
「初めて見たわ」
「?」
「あんなに」
一度。
「怒鳴る先生」
◇
『学生を何だと思ってるんです!』
『エリザベスは怪我をしている!』
『まず病院へ――』
だが。
三崎重臣は。
冷静だった。
『外国人留学生一人と』
一言。
『この大学』
『どちらが大切だ』
◇
ロキシーの。
表情が。
変わった。
「……ひどい」
エリザベス。
小さく頷く。
「だから」
「?」
「葛城先生は」
一度。
「私を逃がした」
◇
神谷たちへ。
『私は知らない』
『彼女は別の道へ行った』
そう言い。
時間を稼いだ。
その間。
エリザベスは。
一人。
旧道を進んだ。
そして。
力尽き。
翌朝。
発見された。
「月峰病院」
「そう」
◇
朗は。
写真220を見る。
「つまり」
「?」
「この写真は」
単に。
エリザベスが生きていたことだけではない。
「三崎家が」
ロキシーが続ける。
「現場に来ていた証拠」
そして。
大学の最高責任者が。
事件を。
把握していた。
◇
「東京へ確認します」
宮原教授が。
電話を取った。
◇
三十分後。
大学側から。
一つの資料が送られてきた。
古い。
車両運行簿。
五十年前。
十月二日。
夜。
行先。
――月影地区。
使用者。
理事長 三崎重臣。
同乗者。
事務局長 神谷隆三。
備考。
顧問法律事務所 橘徹。
「……」
誰も。
すぐには。
話さなかった。
◇
「決まりですね」
ロキシーが。
小さく言った。
「少なくとも」
宮原教授。
「三人が現地へ行ったことは」
資料で。
確認できる。
◇
そして。
東京。
大学法人本部。
画面越し。
三崎俊明理事長。
三崎由紀子副理事長。
京都。
朗。
ロキシー。
宮原教授。
エリザベス。
オンラインで。
つながった。
◇
「祖父です」
三崎俊明が。
写真を見た瞬間。
言った。
「……知っていたんですか?」
朗が聞く。
「車については」
「事件現場へ行ったことも?」
「父から」
一度。
「聞いていました」
三崎由紀子が。
兄を見る。
「また」
声。
低い。
「私には話してなかったわね」
「……ああ」
◇
「俊明さん」
エリザベスが。
画面へ近づいた。
「初めまして」
三崎俊明の。
表情が。
固まる。
「あなたが」
「エリザベス・ウォーカーです」
「……」
理事長。
立ち上がった。
画面越し。
深く。
頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
◇
「あなたが」
エリザベス。
「謝ることではありません」
「しかし」
「あなたは」
一言。
「五十年前、そこにいなかった」
俊明。
顔を上げられない。
「でも」
「……」
「今」
エリザベスが続ける。
「どうするかは」
「……」
「あなたの責任です」
◇
沈黙。
長い。
やがて。
三崎俊明が。
顔を上げた。
「すべて」
「?」
「公表します」
◇
由紀子が。
兄を見る。
「本当に?」
「ああ」
「土地取得も?」
「公表する」
「帰国記録の偽装も?」
「公表する」
「祖父の関与も?」
一瞬。
俊明の目。
揺れる。
だが。
「公表する」
◇
「そして」
理事長は。
エリザベスを見る。
「あなたの現在の情報は」
「……」
「本人の希望なく」
一言。
「公開しません」
エリザベスの。
表情が。
少しだけ。
柔らかくなる。
「ありがとう」
◇
「第三者委員会を設置します」
俊明が言う。
「警察にも」
「……」
「保存資料をすべて提出する」
「兄さん」
「由紀子」
「何?」
「私も」
一度。
「責任を取る」
◇
「辞めるの?」
「その判断も」
調査。
理事会。
外部委員。
それらへ。
委ねる。
「でも」
俊明は。
少し笑った。
「もう」
「?」
「三崎家だから」
一息。
「守らなければならない、とは考えない」
◇
創立者。
三崎英一郎。
日記。
――大学が自らの名誉を守るために真実を曲げるなら、大学はその日に死ぬ。
「曾祖父の大学を」
俊明が言った。
「守るなら」
「……」
「祖父の嘘を」
一度。
「終わらせるべきでした」
◇
通話。
終わる。
◇
ロキシーが。
椅子へ深く座った。
「……長かったです」
「まだ終わってない」
朗が言う。
「分かっています」
「橘さんの件」
「はい」
「写真220が大庭さんの家に移った経緯」
「はい」
すると。
宮原教授のスマートフォン。
着信。
「警察からだ」
◇
橘達也。
事情聴取。
端末。
メール。
ログ。
神谷圭介との連絡。
解析が。
進んだ。
「分かりました」
宮原教授が。
電話を切る。
「何が?」
朗。
「写真220」
◇
神谷圭介は。
葛城家から。
写真220を盗んだ。
その後。
匿名の人物から。
指示。
大庭誠へ渡せ。
「橘?」
ロキシー。
「そうだ」
◇
神谷は。
深夜。
大庭誠の自宅。
郵便受けへ。
封筒。
入れた。
「だから」
朗が言う。
「橘さんは」
――大庭の家へ置いたのは私じゃない。
「嘘ではなかった」
「自分では」
宮原教授。
「置いていない」
「神谷に置かせた」
「はい」
ロキシーが。
眉を寄せる。
「ずるい」
「弁護士らしいと言うと怒られそうだけど」
「かなりずるいです」
◇
「でも」
朗が聞く。
「なぜ大庭さんへ?」
宮原教授。
警察からの情報を読む。
「橘は」
「?」
「大庭なら」
一息。
「写真を処分すると考えた」
◇
大庭家。
父。
大庭和夫。
五十年前。
隠蔽側。
息子。
誠。
父の名誉。
大学。
エリザベス。
「燃やすと思った?」
「そういうことだ」
「でも」
ロキシー。
少し笑う。
「燃やさなかった」
「ああ」
「返した」
◇
橘達也の。
計算。
一つ。
狂った。
そして。
もう一つ。
神谷圭介。
橘は。
神谷の祖父の手紙を。
見せた。
家族の。
最も痛い秘密。
それを。
利用して。
写真を。
盗ませた。
ロキシーたちを。
止めさせた。
◇
「人の」
ロキシーが。
静かに言う。
「怖いところを」
「……」
「ずっと使ったんですね」
遠山。
祖父の名誉。
神谷。
祖父の罪。
大庭。
父とエリザベス。
理事長。
大学の名誉。
「自分では」
朗。
呟く。
「ほとんど動かずに」
◇
橘達也。
現在の脅迫。
ほぼ。
全容。
判明。
ただし。
最初の手紙は。
遠山雅人。
写真217。
218。
そして。
十月二日を探せ。
それは。
片桐浩一。
診療記録。
佐伯玲奈。
つまり。
同じ事件を。
全員が。
違う方向へ。
動かしていた。
◇
「ややこしい事件でした」
ロキシーが言う。
「本当に」
「犯人が一人じゃない」
「というより」
朗。
少し考える。
「秘密を持ってる人が多すぎた」
「はい」
◇
エリザベスが。
窓の外を見ていた。
「五十年前も」
「?」
「そうだった」
「……」
「誰か一人が」
一度。
「全部悪かったわけじゃない」
三崎重臣。
神谷隆三。
橘徹。
遠山征二。
葛城宗一郎。
宮原正臣。
片桐信夫。
大庭和夫。
「それぞれ」
エリザベス。
「少しずつ」
「……」
「自分を守った」
◇
そして。
十九歳の。
外国人留学生。
その人生が。
消された。
◇
「だから」
ロキシーが。
十字架を握る。
「今度は」
「?」
「みんなで」
一度。
「戻すんですね」
◇
「何を?」
エリザベスが聞く。
「あなたの名前」
◇
エリザベス。
少し。
驚く。
「でも」
ロキシー。
すぐに続ける。
「今のあなたから」
「……」
「エリーズという名前を」
「……」
「奪うんじゃありません」
朗も。
ロキシーを見る。
「エリザベスだったあなたも」
「……」
「エリーズとして生きたあなたも」
「……」
「両方」
一言。
「本当だから」
◇
エリザベスの。
目に。
涙。
「あなた」
「はい」
「二十歳?」
「はい」
「ずいぶん」
笑う。
「生意気ね」
「よく言われます」
「僕からは毎日」
「アキラ!」
◇
夕方。
修道院の庭。
朗。
ロキシー。
二人。
歩いていた。
事件は。
ようやく。
出口が見えた。
◇
「アキラ」
「何?」
「あと少しですね」
「うん」
「終わったら」
「……」
朗。
少し。
緊張。
ロキシーが。
すぐ気づく。
「何です?」
「いや」
「また何か言おうとした」
「してない」
「しました」
「してない」
「顔がそう言っています」
◇
ロキシー。
朗の前へ。
回り込む。
「事件が終わったら」
「……」
「何です?」
「まだ言わない」
「また!」
「今度は」
朗。
少し笑う。
「逃げてるんじゃない」
「?」
「ちゃんと」
一呼吸。
「言いたいから」
◇
ロキシーが。
動きを止めた。
頬。
少しずつ。
赤くなる。
「アキラ」
「何」
「それ」
「?」
「かなり期待していい言葉です」
「勝手に期待するな」
「無理です」
◇
二人。
歩き出す。
少し。
手。
触れる。
ロキシー。
握ろうとする。
その前に。
朗が。
握った。
「……」
「何」
「いいえ」
ロキシー。
ものすごく。
嬉しそうに。
笑った。
◇
その夜。
エリザベスは。
修道院の部屋。
一人。
電話を。
かけていた。
東京。
高齢者施設。
◇
『はい』
女性の声。
年老いた。
でも。
聞いた瞬間。
五十年前へ。
戻る。
◇
「美津子?」
沈黙。
◇
『……誰?』
◇
エリザベスの。
唇が。
震えた。
「私」
一度。
涙。
「リジーよ」
◇
長い。
長い。
沈黙。
◇
そして。
電話の向こう。
九十八歳の。
佐伯美津子が。
泣きながら。
笑った。
◇
『遅いわよ』
◇
エリザベスも。
笑った。
「ごめんなさい」
◇
五十年。
消えていた名前が。
ようやく。
大切な人のところへ。
帰った。
第28話 五十年前の命令 了




