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24/30

大学の名誉

 翌朝。


 高瀬朗は、いつもより早く目を覚ました。


 というより。


 ほとんど眠れなかった。


「……」


 ベッドの上。


 天井を見る。


 昨日。


 旧校舎。


 閉じ込められていたロキシー。


 彼女を見つけた瞬間。


 気がついたら。


 抱きしめていた。


『君を失うのが怖かった』


「……」


 朗は。


 両手で顔を覆った。


「言ったな……」


 完全に。


 言った。


 しかも。


 みんながいるところで。


「ほぼ告白じゃないか……」


 スマートフォン。


 いや。


 昨日盗まれたものは警察に回収されている。


 代替端末。


 メッセージ。


 ロキシー。


おはようございます。


 続いて。


昨日は助けに来てくれて、ありがとうございました。


 そして。


「君を失うのが怖かった」


「……」


 朗は。


 布団へ倒れ込んだ。


 さらに。


一生覚えています。


「絶対わざとだろ……」


 返信。


忘れてください。


 十秒。


嫌です♡


「ハート付けるな!」


 朝から。


 完全に負けていた。


     ◇


 一時間後。


 大学正門。


「アキラ!」


 本人。


 いつもと変わらない笑顔。


 いや。


 いつもより。


 少し嬉しそう。


「おはようございます」


「おはよう」


「眠れました?」


「君のせいで寝不足」


「私?」


「半分」


「残り半分は?」


「事件」


「また事件」


 ロキシーが。


 朗の横へ並ぶ。


「身体、大丈夫?」


 朗が聞く。


「はい」


「手首は?」


「少し赤いだけ」


「見せて」


「……」


 ロキシーが。


 急に黙った。


「何?」


「アキラ」


「うん」


「今日は積極的ですね」


「怪我を確認してるだけ!」


「はい」


 嬉しそうに。


 手を出す。


 朗は。


 薄く残る跡を見て。


 表情を曇らせた。


「……痛かった?」


「少し」


「ごめん」


「なぜアキラが謝るんです?」


「もっと早く気づいてれば」


「それは違います」


 ロキシーが。


 朗の手を握った。


「来てくれました」


「……」


「それで十分です」


     ◇


 午前九時半。


 法人本部。


 会議室。


 今日は。


 昨日までとは。


 空気が違った。


 宮原教授。


 片桐学生課長。


 三崎由紀子副理事長。


 久世直哉。


 警察関係者。


 大学法人の顧問弁護士。


 そして。


 朗とロキシー。


「理事長がお見えになります」


 職員が言った。


 扉。


 開く。


     ◇


 三崎俊明。


 六十一歳。


 大学法人理事長。


 創立者・三崎英一郎の曾孫。


 背が高い。


 銀縁眼鏡。


 濃いグレーのスーツ。


 写真で見るより。


 穏やかそうな男だった。


「皆さん」


 頭を下げる。


「この度は本学で重大な事態が発生したことについて」


 一度。


 ロキシーを見る。


「心よりお詫び申し上げます」


 深く。


 頭を下げた。


「ハートマンさん」


「はい」


「怖い思いをさせました」


「……はい」


「申し訳ありません」


 ロキシーも。


 静かに頭を下げた。


     ◇


「兄さん」


 三崎由紀子が言う。


「今日は形式的な謝罪を聞くために呼んだんじゃないわ」


「分かっている」


 俊明が。


 席につく。


「理事長室の制服ボタン」


「……」


「私のマスターカード」


「……」


「神谷圭介」


 由紀子の声。


 厳しい。


「説明して」


     ◇


 俊明は。


 少しだけ。


 目を閉じた。


「まず」


 静かに。


「私の部下が」


「部下?」


「理事長室職員が」


 一息。


「君の副理事長室へ入ったことは事実だ」


 朗の表情が。


 変わった。


「誰です?」


 警察官が聞く。


 俊明は。


 答える。


「秘書室長」


「名前は?」


「大庭誠」


     ◇


 理事長室。


 秘書室長。


 大庭誠。


 五十四歳。


 大学勤務三十年以上。


「カードを盗んだ?」


 由紀子が。


 兄を睨む。


「私の指示ではない」


「じゃあなぜ?」


「それは」


 俊明が。


 唇を噛む。


「本人に確認する必要がある」


「今どこです?」


 警察官。


「昨夜から」


「まさか」


「出勤していない」


     ◇


「また消えた」


 朗が呟く。


「はい」


 ロキシーが。


 顔を曇らせる。


 久世。


 神谷。


 そして。


 今度は。


 大庭。


 何かが発覚するたびに。


 人間が。


 姿を消す。


     ◇


「でも」


 朗が言った。


「理事長」


「はい」


「あなたは」


 一瞬。


 迷う。


 でも。


 聞く。


「五十年前のことを、いつから知っていました?」


 俊明の表情が。


 止まった。


 三崎由紀子が。


 兄を見る。


「俊明?」


「……」


「知ってたの?」


 長い沈黙。


 そして。


「ああ」


 理事長が。


 答えた。


     ◇


「いつから?」


「二十年以上前」


「私には」


 由紀子が。


 声を低くする。


「三年前に初めて知ったと言ったわね」


「ああ」


「兄さんは」


 その手が。


 震えている。


「二十年前から知ってた?」


「……」


「なぜ黙ってたの!」


 会議室。


 初めて。


 感情的な声が響いた。


     ◇


「父から聞いた」


 俊明が。


 答える。


「私たちの父?」


「そうだ」


 先代理事長。


 三崎義彦。


 大学創立者。


 三崎英一郎の孫。


「父は」


 亡くなる直前。


 俊明だけを呼んだ。


 そして。


 五十年前の。


 月姫山事件について。


 話した。


「なぜ兄さんだけ?」


「私が後継者だったからだ」


「……」


「理事長になる人間だけが」


 一呼吸。


「知ればいい、と」


     ◇


 朗は。


 ぞっとした。


 秘密が。


 制度のように。


 引き継がれていた。


「代々?」


 宮原教授が聞く。


「大学の理事長だけが」


「……」


「この事件を?」


「少なくとも父は、そう考えていた」


     ◇


「だから」


 ロキシーが。


 静かに言った。


「あなたも黙った?」


 俊明。


 彼女を見る。


「はい」


「大学を守るため?」


「そう思っていました」


「今も?」


 朗が。


 横を見る。


 ロキシー。


 青い瞳。


 まっすぐ。


「今も、それが大学を守ることだと思っていますか?」


 俊明は。


 答えない。


     ◇


「十九歳だったそうですね」


 俊明が。


 不意に言った。


「エリザベスさんが?」


「はい」


「君も?」


「二十歳です」


「そうですか」


 少し。


 苦笑。


「五十年前も」


「?」


「同じようなことを言われたのでしょうね」


 嘘を隠すことは。


 大学を守ることではない。


「曾祖父の言葉も」


 俊明が。


 机を見る。


 ――大学が自らの名誉を守るために真実を曲げるなら、大学はその日に死ぬ。


「知っていました」


「それでも黙った?」


 ロキシーが聞く。


「はい」


     ◇


「なぜ?」


 今度は。


 朗が聞いた。


「怖かったからです」


 また。


 その言葉。


「大学がなくなるのが?」


「いいえ」


 俊明は。


 首を振った。


「自分が」


「?」


「創立者の子孫として」


「……」


「失敗した人間になるのが」


     ◇


 朗は。


 少し驚いた。


 大学を。


 守りたかった。


 だけではない。


 自分。


 家。


 名前。


 祖先。


 それを。


 傷つけたくなかった。


「名誉」


 久世が言った。


「要するに」


 俊明が。


 苦く笑った。


「その通りです」


     ◇


「では」


 警察官が聞く。


「今回の脅迫について」


「私は関与していません」


「神谷圭介さんを動かした?」


「していない」


「写真220を盗ませた?」


「していない」


「大庭誠さんは?」


「……」


「あなたの指示では?」


「違います」


 はっきり。


 否定。


     ◇


「証明できますか?」


「完全には」


「では」


「ただし」


 俊明が。


 警察官を見る。


「大庭について」


 一つ。


「心当たりがあります」


     ◇


 大庭誠。


 理事長秘書室長。


 父親も。


 この大学の職員だった。


「名前は?」


「大庭和夫」


 宮原教授が。


 何か。


 思い出す。


「大庭……」


「知ってます?」


 朗が聞く。


「待って」


 宮原教授。


 鞄。


 父の日記。


 ページ。


 めくる。


「ここ」


     ◇


 五十年前。


 十月三日。


神谷と一緒にいた学生課の男が、何度も写真を探していた。


名前は大庭和夫。


「学生課?」


 片桐が反応する。


「父の同僚だ」


「片桐信夫さんと?」


「ああ」


     ◇


 さらに。


 別の記録。


 片桐。


 USB。


 学生課内部文書。


「大庭和夫」


 あった。


 事務職員。


 エリザベス・ウォーカー。


 帰国処理補助。


「この人も」


 朗が言う。


「関わってた」


「しかも」


 片桐が。


 別ファイル。


「退職後」


「?」


「大学関連法人へ」


 その後。


 常務。


 理事。


 出世。


     ◇


「父親は」


 神谷隆三の。


 指示に従った。


 そして。


 その息子。


 大庭誠は。


 現在。


 理事長秘書室長。


「これ」


 ロキシーが。


 静かに言う。


「似ています」


「何が?」


「神谷さん」


「……」


「片桐さん」


「……」


「宮原先生」


「……」


「遠山さん」


 五十年前。


 親の世代が抱えたものを。


 子や孫が。


 引き継いでいる。


「事件が」


 ロキシーが。


 少し悲しそうに言った。


「家族の間を移動しているみたいです」


     ◇


「大庭誠は」


 朗が言う。


「何のために?」


 父の罪を。


 守るため?


 大学を守るため?


 それとも。


「もっと別の理由が」


 久世が言った。


     ◇


 そのとき。


 警察官のスマートフォン。


 着信。


「はい」


 数秒。


 表情が変わる。


「分かりました」


 切る。


「どうしました?」


「大庭誠さんの」


 一呼吸。


「自宅から」


 全員を見る。


「写真220が見つかりました」


     ◇


「……!」


 朗。


 ロキシー。


 久世。


 一斉に。


 立ち上がる。


「本物?」


「鑑定はこれから」


「でも」


「裏面」


 警察官。


 スマートフォン。


 画像。


 数字。


 220


     ◇


 ついに。


 最後の写真。


 所在が。


 判明した。


 ただ。


 問題があった。


「大庭さん本人は?」


「いません」


「逃げた?」


「不明です」


「写真だけ?」


「いいえ」


 警察官が。


 次の画像を見せた。


 机。


 封筒。


 そして。


 一通の手紙。


「遺書?」


 ロキシーが聞く。


「違います」


 警察官は。


 文章を読む。


写真は返す。


もう意味がない。


だが、エリザベス・ウォーカーの真実だけは公表させない。


「……なぜ?」


 朗が呟く。


 土地不正。


 大学の隠蔽。


 それらより。


 エリザベス本人の。


 その後。


 そちらを。


 隠したい?


     ◇


「続きがあります」


 警察官。


あの女性が生きていると知れば、


また同じことが起きる。


 ロキシーの表情が。


 変わる。


「生きている?」


 佐伯美津子は。


 言った。


 十年間。


 手紙が来た。


 その後。


 途絶えた。


 今。


 生きているかは。


 分からない。


「でも」


 朗が。


 手紙を見る。


「大庭さんは」


「知ってる?」


 ロキシーが続ける。


     ◇


 最後。


 一行。


京都へ行く。


 全員。


 黙る。


「京都」


 朗。


 思い出す。


 十月十二日。


 東京駅。


 夜行列車。


 エリザベスが。


 新しい人生を始めるために。


 向かった場所。


     ◇


「大庭さんは」


 ロキシーが。


 立ち上がる。


「エリザベスを探しに?」


「可能性がある」


 朗も立つ。


「警察へ任せる」


「でも」


「もちろん」


 朗が彼女を見る。


「僕たちも情報は追う」


「……」


「ただし」


「はい?」


「勝手に京都へ行かない」


 ロキシーが。


 少し笑う。


「アキラ」


「何」


「私のこと分かってきましたね」


「嫌というほど」


     ◇


 その日の夕方。


 写真220の。


 高解像度画像が。


 警察から共有された。


 許可された範囲で。


 朗。


 ロキシー。


 宮原教授。


 確認。


 夜明け。


 山道。


 エリザベス。


 傷。


 葛城宗一郎が。


 彼女を支えている。


 遠く。


 神谷隆三。


 崖の下。


 遠山征二。


 そして。


「……待って」


 ロキシーが言った。


「何?」


「エリザベス」


「うん」


「手」


 右手。


 何かを。


 握っている。


「ペンダント?」


 朗が。


 拡大する。


 小さな。


 十字架。


「教会」


 ロキシーが呟く。


 聖和女子学院。


 佐伯美津子。


 京都。


「これ」


 宮原教授が。


 眉を寄せる。


「どこかで見たことがある」


「どこ?」


「京都の」


 一度。


 考える。


「聖ミカエル修道院」


     ◇


「修道院?」


 朗が聞く。


「昔」


 宮原教授が言う。


「聖和女子学院と姉妹関係があったはずだ」


「佐伯美津子さんが?」


「エリザベスを」


 ロキシー。


「そこへ?」


 可能性。


 高い。


     ◇


「でも」


 朗が。


 写真を見る。


 十字架。


「なぜ写真220の時点で持ってる?」


 十月三日。


 まだ。


 佐伯美津子とは。


 出会っていない。


「つまり」


 宮原教授が言う。


「この十字架は」


「佐伯さんからもらったものじゃない」


 ロキシー。


「では誰から?」


     ◇


 写真。


 裏。


 久世誠一の。


 手書き。


 これまで。


 番号しか。


 見えていなかった部分。


 画像処理。


 文字。


 うっすら。


 浮かぶ。


L gave it to her.


「L?」


 ロキシーが読む。


「誰?」


 朗は。


 また一つ。


 新しい名前の影に。


 行き当たる。


     ◇


 その夜。


 朗。


 自宅。


 ロキシーと。


 通話。


『Lって誰でしょう』


「分からない」


『ElizabethのL?』


「頭文字なら違う」


『教会関係?』


「かも」


『京都』


「うん」


 そして。


『アキラ』


「何?」


『もし』


 一瞬。


『エリザベスが』


「うん」


『今も生きていたら』


 朗は。


 少し黙った。


 十九歳。


 五十年前。


 なら。


 現在。


 六十九歳前後。


「あり得る」


『会いたいです』


「僕も」


『一緒に?』


「ああ」


『……』


「何?」


『最近』


「?」


『アキラが、一緒って言うのが早いです』


 朗が。


 少し笑う。


「悪い?」


『いいえ』


 向こう。


 笑い声。


『大好きです』


「……」


 朗。


 固まる。


「え?」


『日本語の練習です』


「今の絶対わざと!」


『おやすみなさい!』


「逃げるな!」


 通話。


 切れた。


     ◇


「……」


 朗は。


 スマートフォンを見る。


 心臓。


 速い。


「……ずるいだろ」


 でも。


 笑っていた。


     ◇


 同じ頃。


 東京駅。


 新幹線ホーム。


 一人の男が。


 京都行きの列車へ。


 乗り込む。


 大庭誠。


 手には。


 一冊の古いノート。


 表紙。


 英語。


 Elizabeth Walker


 彼は。


 座席へ座る。


 そして。


 小さく呟いた。


「五十年前に」


 一度。


 目を閉じる。


「終わらせるべきだった」


 列車が。


 静かに。


 東京を離れていった。


第24話 大学の名誉 了

挿絵(By みてみん)

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