大学を守る者
――副理事長秘書室。
その文字を。
高瀬朗は、もう何度見ただろう。
防犯カメラ。
神谷圭介。
そして。
彼が乗り込んだ車。
登録先。
副理事長秘書室。
「アキラ」
「ん?」
「また難しい顔」
「仕方ないだろ」
翌朝。
大学。
朗とロキシーは、宮原教授の研究室にいた。
「三崎副理事長か……」
宮原教授も腕を組んでいる。
三崎由紀子。
五十八歳。
大学副理事長。
創立者・三崎英一郎の曾孫。
大学法人の中枢にいる人物だった。
「神谷さんを」
ロキシーが言う。
「副理事長が動かしていた?」
「可能性はある」
朗が答える。
「でも」
「はい?」
「まだ決めつけない」
ロキシーが少し笑った。
「アキラ」
「何?」
「探偵っぽいです」
「またそれ?」
「最初よりずっと」
「最初は君に引っ張り回されてただけだからな」
「今もですよ?」
「自覚あるんだ」
◇
「会ってみよう」
宮原教授が言った。
「副理事長に?」
「ああ」
「直接?」
「ここまで来たら」
教授は朗たちを見る。
「大学側も説明する責任がある」
「先生」
「ん?」
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「大学の偉い人ですよ」
宮原教授が。
少し笑った。
「五十年前」
「……」
「父は怖くて黙った」
そして。
眼鏡を直す。
「同じことはしたくない」
朗は。
黙って頷いた。
◇
午後一時。
法人本部。
最上階。
朗は。
こんな場所へ入るのは初めてだった。
「すごい」
ロキシーが小声で言う。
「何が?」
「絨毯」
「そこ?」
「ふかふかです」
「緊張感」
「あります」
「本当に?」
ロキシーが。
そっと朗の袖を掴む。
「ほら」
「……」
「緊張しています」
朗は少し笑った。
「じゃあそのままでいいよ」
「はい」
◇
「お待ちしていました」
副理事長室。
三崎由紀子。
濃紺のスーツ。
肩までの黒髪。
年齢より若く見える。
柔らかな物腰。
しかし。
目だけは鋭かった。
「宮原先生」
「突然申し訳ありません」
「いいえ」
そして。
朗。
ロキシー。
「高瀬朗さん」
「はい」
「ロキシー・ハートマンさん」
「はい」
「あなたたちのことは」
一瞬。
「よく聞いています」
朗の背中が。
少し冷たくなった。
「誰からですか?」
三崎は。
答えた。
「神谷圭介さんから」
◇
応接セット。
四人。
三崎が。
静かに話し始める。
「まず」
「はい」
「昨日の防犯映像について」
神谷圭介。
副理事長秘書室の車。
「車を貸したのは事実です」
朗の表情が変わる。
「指示したんですか?」
「何を?」
「僕たちの監視を」
「いいえ」
即答。
「脅迫も?」
「していません」
「では」
「神谷さんに命じたのは」
三崎は。
少し間を置いた。
「大学史の調査です」
◇
「大学史?」
ロキシーが聞く。
「はい」
「なぜ神谷さんに?」
「大学創立百周年の記念史編纂」
神谷圭介。
大学史編纂室主任。
本来の仕事。
「三年前から」
三崎が言う。
「大学の歴史資料を整理していました」
「その中で」
朗が聞く。
「五十年前の事件を?」
「見つけたのは私です」
「副理事長が?」
「はい」
◇
三崎が。
古いファイルを机へ置く。
表紙。
――月姫山研修施設建設計画。
「これ」
朗が手に取る。
「大学が建設予定だった施設?」
「そうです」
「でも完成しなかった」
「計画そのものが消えました」
五十年前。
大学は。
月姫山周辺に。
大型の研修施設を建設しようとしていた。
だが。
突然中止。
大学史には。
わずか数行。
――諸般の事情により計画中止。
「諸般の事情」
ロキシーが言う。
「便利な言葉ですね」
「ええ」
三崎が。
苦く笑った。
「便利すぎます」
◇
「私が気になったのは」
三崎がページを開く。
「金額です」
土地購入費。
朗が見る。
「高い?」
「当時の周辺地価と比べて」
三崎が言う。
「約二・六倍」
「そんなに?」
「はい」
大学は。
土地を直接取得していなかった。
一度。
仲介会社が購入。
その後。
大学へ転売。
「仲介会社」
朗には分かった。
「遠山征二」
「彼の会社です」
ただし。
そこで終わらない。
◇
「会社の出資者」
三崎が別の資料を出す。
「匿名組合?」
「当時は別名義ですが」
「誰?」
三崎は。
一枚の紙を指した。
神谷隆三。
「……」
朗が。
息を吐いた。
「自分が関係する会社に土地を買わせて」
「高値で大学へ売った?」
ロキシーが続ける。
「その疑いがあります」
「大学のお金を?」
「そうです」
◇
偽造された土地同意書。
不当に高い売買価格。
大学事務局長。
仲介業者。
「つまり」
朗が言う。
「エリザベスが見つけたのは」
「単なる土地のトラブルじゃない」
「大学内部の不正?」
三崎が。
頷いた。
◇
「では」
宮原教授が聞く。
「なぜ公表しなかったんです?」
三崎は。
答えない。
「三崎さん」
「……」
「あなたは三年前に知った」
「はい」
「なのに」
「調査中だったからです」
「三年も?」
教授の声が。
少し厳しくなる。
三崎は。
目を伏せた。
「それだけではありません」
「では?」
静かに。
「怖かったんです」
◇
朗は。
その言葉を。
最近何度聞いただろう。
葛城。
宮原の父。
山岡。
片桐。
そして。
今。
大学副理事長。
「何が?」
ロキシーが聞く。
「大学が」
三崎は言った。
「壊れることが」
「……」
「私は」
机の上。
大学の徽章。
「この大学で育ちました」
「はい」
「曾祖父が創った大学です」
「だから守りたかった?」
「ええ」
◇
「でも」
ロキシーが。
まっすぐ言った。
「嘘を守ることは」
三崎を見る。
「大学を守ることですか?」
部屋。
一瞬。
静まり返った。
「ロキシー」
朗が小さく呼ぶ。
「何です?」
「いや」
やっぱり。
言う。
三崎は。
怒らなかった。
むしろ。
少し笑った。
「エリザベスさんも」
ロキシーの目が。
動く。
「同じようなことを言ったそうですね」
「知っているんですか?」
「葛城宗一郎先生の記録で」
◇
『嘘を嘘だと言えないなら、学問は何のためにあるんですか?』
十九歳。
外国人留学生。
五十年前。
三崎は。
ロキシーを見る。
「あなたは」
「?」
「本当によく似ています」
ロキシーは。
少し照れたように。
「よく言われます」
朗が横から言う。
「最近、特に」
◇
「だから」
三崎が続けた。
「私も決めました」
「何を?」
「公表します」
朗が。
目を見開く。
「全部?」
「確認できた事実は」
「大学として?」
「理事会に諮ります」
「通るんですか?」
「簡単ではありません」
「でも」
「もう」
三崎は。
静かに言った。
「五十年前と同じことはできません」
◇
宮原教授が。
少しだけ笑った。
「私と同じですね」
「何が?」
「父の沈黙を」
「……」
「子どもが終わらせる」
三崎も。
小さく笑う。
「そうかもしれません」
◇
「では」
朗は。
本題へ戻る。
「神谷圭介は?」
三崎の顔。
険しくなる。
「彼は」
「はい」
「私の調査担当でした」
「五十年前の神谷隆三が祖父だと知っていて?」
「もちろん」
「なぜ彼を?」
「だからこそです」
◇
三崎は。
神谷圭介本人から。
祖父の汚名を調べたい。
そう申し出を受けたという。
「汚名?」
朗が聞く。
「神谷圭介さんは」
三崎が言う。
「祖父が大学史から意図的に悪人へ仕立てられた、と考えていました」
「実際」
ロキシーが言う。
「不正をしていた」
「その可能性が非常に高い」
「だから」
「彼にとって」
三崎が静かに言う。
「受け入れ難かったのでしょう」
◇
「いつから様子が変わったんです?」
朗が聞く。
「二か月前」
「何があった?」
「写真220」
全員。
反応する。
「存在を知った?」
「はい」
「誰から?」
「葛城家です」
「……」
神谷圭介は。
大学史資料調査として。
葛城隆一へ接触。
そこで。
父・葛城宗一郎が。
写真220を保管していたと知った。
「それから」
三崎が言う。
「彼は私に報告しなくなった」
◇
「葛城家から写真を盗んだ」
「おそらく」
「脅迫も?」
「分かりません」
「昨日の映像」
朗がスマートフォン。
神谷。
別棟。
撮影。
「これは本人ですよね」
「間違いありません」
つまり。
少なくとも。
現在の脅迫の一部。
神谷圭介が関わっている。
◇
「でも」
ロキシーが。
首を傾げた。
「車」
「はい?」
「昨日」
神谷さんは。
三崎副理事長の車に乗った。
「運転していた女性」
「ああ」
「誰ですか?」
三崎が。
少し困った顔。
「私です」
「……え?」
「え?」
朗とロキシー。
同時。
◇
「副理事長本人!?」
朗が思わず大きな声。
「はい」
「サングラス」
「日差しが強かったので」
「じゃあ」
「神谷さんを」
三崎が言う。
「問いただすために呼びました」
「いつ?」
「昨日」
「何を話した?」
「写真220を返しなさい、と」
「答えは?」
三崎の表情が。
暗くなる。
「持っていない」
◇
「盗んだのに?」
「本人は」
「ではどこに?」
「分かりません」
「神谷さんが嘘を?」
「それも分かりません」
三崎が。
机へ手を置く。
「ただ」
「?」
「彼は」
昨日。
車内で。
こう言った。
『もう遅いんです』
『写真は僕の手を離れた』
◇
「誰に渡した?」
朗が聞く。
「答えませんでした」
「それから?」
「車を降りました」
「どこで?」
「大学近く」
「今どこに?」
三崎は。
首を横に振った。
「昨夜から」
一呼吸。
「連絡が取れません」
◇
また。
一人。
消えた。
「逃げた?」
ロキシーが聞く。
「分かりません」
「あるいは」
朗が言う。
「神谷さん自身も」
「危険?」
「可能性ある」
あのメール。
――神谷圭介もまた利用されている。
あれは。
嘘ではなかった?
◇
「一つ」
三崎が言った。
「見せたいものがあります」
金庫。
鍵。
中。
古い封筒。
「これは?」
「曾祖父」
「創立者?」
「三崎英一郎の日記です」
「事件当時は?」
「すでに亡くなっています」
大学創立から。
長い年月。
だが。
その日記。
最後の数年。
一文。
大学運営について。
大学が自らの名誉を守るために真実を曲げるなら、大学はその日に死ぬ。
朗。
ロキシー。
黙って読む。
「曾祖父なら」
三崎が言う。
「今の私を」
少し笑う。
「叱るでしょうね」
◇
副理事長室を出た。
廊下。
ロキシー。
朗。
「アキラ」
「何?」
「大学って」
「うん」
「人みたいですね」
「人?」
「はい」
ロキシーが。
ゆっくり歩く。
「間違える」
「……」
「隠す」
「うん」
「怖がる」
「うん」
「でも」
朗を見る。
「やり直すこともできる」
「……そうだね」
「私は」
小さく笑う。
「やり直せるほうが好きです」
◇
「ロキシー」
「はい?」
「もし」
「?」
「今回の事件が終わったら」
ロキシーが。
朗を見る。
「終わったら?」
「……」
朗は。
言おうとして。
やめた。
「いや」
「アキラ」
「何」
「今、逃げました」
「逃げてない」
「絶対何か言おうとしました」
「事件終わってから」
「では」
ロキシーが。
にっこり笑う。
「忘れません」
「……」
「楽しみにしてます」
「ハードル上げるな」
◇
夕方。
朗とロキシーは。
駅へ向かった。
最近。
自然に。
並んで歩く距離が。
近くなった。
「今日は」
ロキシーが聞く。
「手をつながないんですか?」
「毎日つなぐもの?」
「私は毎日でも」
「……」
朗が。
少し迷う。
そして。
右手。
出す。
「駅まで」
「はい」
ロキシー。
すぐ握る。
「アキラ」
「何?」
「事件のせい?」
「……」
「また事件のせい?」
朗は。
少し考え。
「今日は」
「?」
「違う」
ロキシーの目。
大きくなる。
「……」
「何?」
「何でもありません」
でも。
ものすごく。
嬉しそうだった。
◇
改札。
「じゃあ明日」
朗が言う。
「はい」
「家着いたら連絡して」
「アキラも」
「うん」
「知らない人についていかない」
「僕も?」
「狙われています」
「そうだった」
「絶対です」
「分かった」
ロキシーが。
手を振る。
「おやすみなさい」
「まだ早い」
「予告です」
「何だそれ」
ロキシーが。
電車へ乗る。
朗は。
見送った。
◇
ホーム。
人混み。
朗が。
鞄へ手を入れる。
「……?」
スマートフォン。
ない。
「え?」
ポケット。
ない。
鞄。
もう一度。
「嘘だろ」
さっきまで。
持っていた。
「落とした?」
駅。
来た道。
振り返る。
そのとき。
一人の男が。
朗の肩へぶつかった。
「すみません」
「あ」
男は。
すぐ人混みへ。
帽子。
マスク。
「……」
朗の胸。
嫌な感覚。
◇
同じ頃。
電車。
ロキシーのスマートフォンが震えた。
「アキラ?」
表示。
高瀬朗
メッセージ。
ごめん。大学に忘れ物した。
「忘れ物?」
続く。
片桐さんから連絡が来た。
旧校舎の保健室に資料があるらしい。
ロキシーが。
眉を寄せる。
さらに。
僕は先に戻る。
ロキシーも来てくれる?
そして。
最後。
できれば一人で。
◇
ロキシーは。
画面を見つめた。
「……一人?」
少し。
変。
アキラなら。
そんなことを言う?
一人で行くな。
ずっと。
言っていた。
「アキラ……?」
電話をかける。
しかし。
出ない。
もう一度。
出ない。
そのとき。
メッセージ。
電話はできない。
急いで。
一瞬。
ロキシーは迷った。
だが。
もし。
朗に何かあったら。
電車のドアが開く。
次の駅。
ロキシーは。
立ち上がった。
◇
一方。
朗は。
駅員へ。
スマートフォンの紛失を伝えていた。
「落とした場所は?」
「たぶん改札付近です」
「機種は?」
説明。
その瞬間。
朗は。
気づいた。
スマートフォンがない。
つまり。
「……ロキシー」
犯人が。
自分の電話を持っている。
なら。
「まずい」
顔から。
血の気が引いた。
「どうしました?」
駅員の声。
朗は。
もう聞いていなかった。
ロキシー。
自分の番号。
自分の名前。
彼女なら。
信用する。
「ロキシー!」
朗は。
駅員へ頭を下げる。
「すみません、電話を貸してください!」
◇
その頃。
ロキシーは。
大学最寄り駅へ戻っていた。
夕暮れ。
キャンパス。
人は。
昼よりずっと少ない。
スマートフォン。
またメッセージ。
旧校舎。
二階。
保健室。
そして。
待ってる。
ロキシーが。
大学を見る。
「アキラ」
少し。
怖い。
でも。
朗がいる。
そう思った。
彼女は。
旧校舎へ向かって。
歩き始めた。
◇
同じ時刻。
駅員室の電話。
朗。
ロキシーへ。
呼び出し。
一回。
二回。
三回。
「出て」
四回。
「お願いだから」
そして。
通話。
つながる。
「ロキシー!」
だが。
返事は。
なかった。
代わりに。
遠く。
誰かの声。
『来たか』
男。
「……誰だ!」
そして。
通話は。
切れた。
朗の顔から。
完全に。
血の気が消えた。
「ロキシー……」
事件を追ってきた二人。
けれど。
今。
初めて。
事件のほうが。
ロキシーを。
捕まえようとしていた。
第21話 大学を守る者 了




