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銀色の腕時計

 銀色の腕時計。


 それだけだった。


 顔は見えない。


 声もない。


 だが。


 昨日、旧記念館の地下へ侵入した人物の左手には。


 確かに、それがあった。


 そして今。


 大学の正門前。


 高瀬朗の目の前を歩いていく男の左腕にも。


 よく似た時計がある。


「……片桐さん」


 朗が小さく呟いた。


 学生課長。


 片桐浩一。


 最初の脅迫状を大学へ届けたときから。


 何度も。


 相談に乗ってくれた人物。


「アキラ」


 ロキシーが小声で呼ぶ。


「本当に同じですか?」


「分からない」


「でも似てる?」


「ああ」


「追います?」


「追わない」


「即答」


「昨日決めただろ」


 朗は片桐の背中を見る。


「勝手に動かない」


「成長しました」


「君に言われると複雑」


     ◇


 二人は。


 まず宮原教授へ相談した。


「片桐君?」


 研究室。


 宮原教授が眉を寄せる。


「腕時計が?」


「防犯映像の人物と似ています」


「確証は?」


「ありません」


「それなら」


 教授は少し考え。


「直接問い詰める前に、昨日の映像を警察に確認してもらおう」


「はい」


 ロキシーも頷く。


 最近。


 本当に素直だ。


「何です?」


 朗の視線に気づく。


「いや」


「また成長したと思いました?」


「ちょっと」


「褒めてください」


「偉い偉い」


「子ども扱い!」


 宮原教授が笑った。


「君たち」


「はい?」


「事件が終わっても、その調子なのかい?」


 朗が。


 一瞬。


 黙る。


 ロキシーは。


 即答した。


「もちろんです」


「僕の意見は?」


「必要ですか?」


「必要だよ!」


     ◇


 警察の確認結果は。


 昼前に出た。


「同一製品の可能性はあります」


 大学警備室。


 刑事が映像を示す。


「ただし」


「ただし?」


「珍しい時計ではありません」


 国産メーカー。


 十年以上前から販売されているモデル。


「これだけでは本人確認には使えません」


「そうですよね」


 朗は。


 少し息を吐いた。


「でも」


 刑事が続ける。


「もう一つあります」


「何です?」


「歩き方」


「歩き方?」


 映像。


 フードの人物。


 歩く。


「左足」


 刑事が指す。


「わずかに引いている」


 朗が見る。


 確かに。


 ほんの少し。


 左右で歩幅が違う。


「片桐さんは?」


 ロキシーが聞く。


「昨日見たときは」


 朗は記憶を探る。


「普通だった」


「じゃあ違う?」


「まだ分からない」


     ◇


 午後。


 学生課。


「片桐さん」


 朗が声をかけた。


「高瀬君」


 片桐が顔を上げる。


 五十代半ば。


 穏やかな男。


「ハートマンさんも」


「こんにちは」


「今日はどうした?」


 朗は。


 逃げずに。


 聞いた。


「昨日の旧記念館の件です」


 一瞬。


 片桐の表情が固まった。


「……何かあった?」


「停電と侵入です」


「ああ」


「知ってるんですか?」


「学生課にも報告が来てる」


 自然。


 でも。


 朗は。


 左手を見る。


 銀色の腕時計。


「高瀬君?」


「……その時計」


「これ?」


 片桐が左腕を見る。


「どうした?」


「昨日」


 朗は。


 言う。


「地下へ侵入した人物が、同じような時計をしていました」


 ロキシーが。


 隣で息を止める。


 片桐は。


 しばらく。


 朗を見た。


「なるほど」


 驚かない。


「だから私を疑ってる?」


「はい」


 朗は。


 はっきり答えた。


     ◇


「正直だな」


 片桐が苦笑する。


「すみません」


「いや」


 時計を外す。


 机に置く。


「調べてもいい」


「え?」


「昨日は」


 片桐は。


 スケジュール帳を開く。


「午後九時まで学生課にいた」


「証明できます?」


「同僚が三人」


「地下へ行った時間は午前中です」


「午前中?」


 片桐の表情が変わる。


「九時台から十時台です」


「それなら」


 少し考える。


「私は人事部との会議だ」


「場所は?」


「本館六階」


「記録は?」


「残ってる」


 アリバイ。


 簡単に確認できる。


「じゃあ」


 ロキシーが言う。


「違う?」


「たぶん」


 でも。


 片桐は。


 二人を見た。


「それだけじゃないんだろ」


「え?」


「君たちは」


 片桐が。


 小さく息を吐く。


「五十年前の件を調べてる」


     ◇


 二人。


 固まった。


「知ってたんですか?」


「最初からではない」


「いつから?」


「君たちがエリザベス・ウォーカーについて学生課へ相談した頃から」


 朗が。


 眉を寄せる。


「じゃあ」


「調べた」


「なぜ?」


 片桐は。


 周囲を見る。


 職員。


 学生。


「場所を変えよう」


     ◇


 小会議室。


 扉を閉める。


「片桐さん」


 朗が言う。


「隠してたことがありますね」


「ある」


 即答。


「何です?」


「私は」


 一度。


「五十年前の事件を知っている」


「どうして?」


「父だ」


 また。


 親世代。


「お父さんが?」


「学生課職員だった」


 片桐浩一の父。


 片桐信夫。


 当時二十九歳。


 学生課。


「エリザベスの失踪処理を」


「担当した」


     ◇


「帰国記録」


 朗が言う。


「偽装?」


「父が作った」


 ロキシーの表情が。


 変わった。


「お父さんが?」


「ああ」


「命令されて?」


「神谷隆三に」


 また。


 神谷。


「父は」


 片桐が。


 苦い顔をする。


「ずっと後悔していた」


     ◇


 十月十二日。


 エリザベスは。


 帰国していない。


 それでも。


 大学の内部記録には。


 帰国。


 退学。


 交換留学終了。


 そう処理された。


「パスポート確認は?」


 朗が聞く。


「当時は今ほど電子化されてない」


「でも空港の出国記録と合わないはず」


「大学内の資料だけなら」


 片桐が言う。


「どうにでもできた」


 つまり。


 大学は。


 本当に彼女が国外へ出たかどうかなど。


 確認していなかった。


 いや。


「確認しなかった」


「そうだ」


     ◇


「それを」


 ロキシーが聞く。


「片桐さんはいつ知った?」


「父が死ぬ前」


「何年前?」


「十二年前」


「それから?」


「私も調べた」


「一人で?」


「そう」


「何が分かった?」


 片桐は。


 少し迷った。


「かなり」


     ◇


 机の引き出し。


 片桐が。


 一枚のUSBメモリを出した。


「これは?」


「父の資料をデジタル化したもの」


「見せても?」


「ああ」


 ノートパソコン。


 フォルダ。


 五十年前。


 学生課内部文書。


 エリザベス・ウォーカー。


 朗とロキシーが。


 画面を見る。


「これ……」


 帰国処理。


 担当。


 片桐信夫。


 承認。


 神谷隆三。


 そして。


 備考。


 本人面談なし。特例処理。


「完全におかしい」


 朗が言う。


「そうだ」


     ◇


「なぜ今まで公表しなかったんです?」


 ロキシーが聞いた。


 片桐が。


 黙る。


「怖かった?」


「それもある」


「他には?」


「証拠が足りなかった」


「これだけでも」


「大学内の手続きが不自然だったことしか証明できない」


「でも」


「それに」


 片桐の顔が。


 少し苦しくなる。


「父の名前が出る」


 朗は。


 黙った。


「父は」


 偽装に加担した。


「命令されたとしても」


 片桐は。


 机を見る。


「やったことは消えない」


     ◇


「でも」


 朗が言った。


「今は?」


「今?」


「もう」


 一呼吸。


「隠すつもりはないですよね」


 片桐が。


 朗を見る。


「君は」


「はい」


「厳しいな」


「すみません」


「いや」


 少し笑う。


「正しい」


     ◇


「じゃあ」


 ロキシーが。


 ふと聞いた。


「写真217と218」


 片桐の目が。


 動いた。


「何?」


「誰が私たちに渡したんです?」


 沈黙。


 朗も。


 気づく。


「知ってる?」


 片桐は。


 答えなかった。


「片桐さん」


「……私だ」


 朗とロキシー。


「え?」


     ◇


「二一七を」


 片桐が言う。


「ハートマンさんのロッカーへ入れた」


「あなたが?」


「ああ」


「二一八も?」


「月影荘の部屋の前へ置いた」


「どうやって?」


「大学の出張で」


「月影荘に?」


「君たちが行った日の夕方」


 朗が。


 呆然とする。


「じゃあ」


「『十月二日の写真を探せ』も?」


「そうだ」


     ◇


 ここまで。


 真相へ導いていた人物。


 片桐。


「なぜ名乗らなかった?」


 朗が聞く。


「父のことがある」


「でも」


「それに」


 片桐が。


 ロキシーを見る。


「誰を信用していいか分からなかった」


 大学内部。


 五十年前。


 隠蔽。


 今。


 写真220を盗む者。


「だから」


 匿名。


 手掛かりだけ。


     ◇


「でも」


 ロキシーが言う。


「警告メッセージ」


「私じゃない」


「脅迫?」


「違う」


「中庭の写真?」


「違う」


「『次は警告だけでは済まない』」


「知らない」


 つまり。


 また。


 役割が分かれた。


 遠山。


 最初の脅迫。


 片桐。


 真相への誘導。


 佐伯玲奈。


 診療記録への誘導。


 そして。


 今も二人を。


 本気で脅している者。


「残ったのは」


 朗が言う。


「一人」


「まだ正体が分からない人間」


 ロキシーが続ける。


     ◇


「片桐さん」


 朗が聞く。


「昨日の地下」


「私は行ってない」


「でも」


「?」


「あなたが片桐信夫の息子だと」


「……」


「犯人は知ってる?」


 片桐の顔が。


 変わった。


「なぜ?」


「だって」


 朗が考える。


「地下の資料に」


 片桐信夫の名前も。


 残っていた。


「もし犯人が」


 全部。


 消したいなら。


「片桐さんも危ない」


     ◇


 その瞬間。


 片桐のスマートフォンが。


 震えた。


「……」


 画面。


 知らない番号。


 メッセージ。


 片桐の表情が。


 凍る。


「何です?」


 朗が聞く。


 片桐は。


 無言で。


 画面を見せた。


 一枚の写真。


 今。


 この会議室。


 窓の外から。


 撮られている。


 片桐。


 朗。


 ロキシー。


「……今?」


 ロキシーが。


 反射的に窓を見る。


 向かい。


 別棟。


 教室。


 人影。


「アキラ!」


 朗も見る。


 カーテン。


 動く。


「警備!」


     ◇


 警備員。


 警察。


 別棟へ。


 走る。


 だが。


 部屋。


 空。


 机。


 椅子。


 そして。


 窓辺。


 一枚の紙。


 残されていた。


片桐まで話したか。


 朗が読む。


 次。


五十年前の亡霊は、よく喋る。


 さらに。


なら、順番を変える。


「順番?」


 ロキシーが言う。


 最後。


 赤い文字。


次は高瀬朗だ。


     ◇


「……僕?」


 これまで。


 狙われると。


 書かれていたのは。


 ロキシー。


 初めて。


 朗。


「アキラ」


 ロキシーの声。


「大丈夫」


「大丈夫じゃありません!」


 朗が。


 驚く。


「ロキシー?」


「今まで」


 青い瞳。


 怒っている。


「ずっと私ばかり心配して」


「……」


「自分が狙われたら大丈夫?」


「いや」


「駄目です」


 朗の袖を。


 強く掴む。


「今日は」


「?」


「私から離れないでください」


 役割。


 逆。


「……分かった」


「絶対です」


「うん」


「約束」


 ロキシーが。


 小指を出す。


 第18話。


 二人がしたのと同じ。


 指切り。


 朗は。


 小指を絡めた。


「約束」


     ◇


「でも」


 朗が。


 少し笑う。


「今度は僕が守られる側?」


「はい」


「頼もしいな」


「任せてください」


「何するの?」


「ずっとくっついています」


「それは守る方法なの?」


「一番安全です」


「誰にとって?」


「私に」


「目的変わってる!」


 片桐が。


 思わず笑った。


 緊張した部屋に。


 少しだけ。


 空気が戻った。


     ◇


 その日の夕方。


 警察から。


 一つ連絡。


 向かいの別棟。


 防犯カメラ。


 犯人らしい人物。


 映っていた。


「見ます」


 朗。


 ロキシー。


 宮原教授。


 片桐。


 久世。


 警備室。


 映像。


 午後一時十四分。


 帽子。


 マスク。


 中肉中背。


 階段。


 四階。


 撮影。


 そして。


 退出。


「顔は?」


「この角度なら」


 映像。


 玄関。


 風。


 帽子。


 ずれる。


 ほんの。


 一秒。


「止めて!」


 朗が言った。


 静止。


 顔。


 半分。


 だが。


 見える。


「……」


 宮原教授の。


 顔色が変わった。


「先生?」


 朗が見る。


「知ってるんですか?」


 教授が。


 画面へ近づく。


「知っている」


「誰?」


 教授は。


 信じられないという顔で。


 名前を言った。


「神谷圭介」


 大学史編纂室主任。


 五十年前の事務局長。


 神谷隆三の孫。


「でも」


 朗が言う。


「遠山さんは、神谷さんも利用されているって」


「そうだった」


 久世が答える。


「だから」


 一息。


「利用されているふりをしていた可能性もある」


     ◇


 さらに。


 防犯映像。


 神谷圭介。


 大学を出る。


 時刻。


 午後一時二十七分。


 駐車場。


 一台の車。


 助手席。


 乗り込む。


「運転手」


 ロキシーが指す。


「誰?」


 画質。


 悪い。


 でも。


 女性。


 長い髪。


 サングラス。


「また新しい人?」


 朗が呟く。


「待って」


 片桐が。


 画像を拡大。


 車の。


 フロントガラス。


 大学の駐車許可証。


 所属。


 文字。


「……理事室」


 宮原教授が言う。


 現在。


 大学の理事。


 その中に。


 神谷姓はいない。


「車両番号で」


 警備員が検索する。


 一分。


「出ました」


「誰?」


 画面。


 登録者。


 副理事長秘書室。


 朗の眉が。


 動く。


「副理事長?」


「名前は?」


 宮原教授が。


 ゆっくり答えた。


「三崎由紀子」


「三崎……」


 創立者。


 三崎英一郎。


「子孫?」


「曾孫だ」


 また。


 創立者。


 地下資料。


 大学の中枢。


     ◇


 そのとき。


 久世が。


 低い声で言った。


「そういうことか」


「何が?」


 朗が聞く。


「神谷圭介が」


 神谷家。


 遠山家。


 葛城家。


 宮原家。


 片桐家。


 五十年前の関係者の子孫たち。


「一人で動いてたんじゃない」


 久世が。


 画面を見る。


「大学そのものを」


 一呼吸。


「守ろうとしてる奴がいる」


 朗は。


 胸像の言葉を思い出した。


 ――学問は人を自由にする。


 皮肉だった。


 五十年前。


 大学は。


 一人の学生の自由を奪った。


 そして今。


 その大学を守るために。


 また。


 誰かが。


 二人を黙らせようとしている。


 事件は。


 ついに。


 大学の最上層へ。


 つながった。


第20話 銀色の腕時計 了

挿絵(By みてみん)

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