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19/30

創立者の下

 ――創立者の下には行くな。


 ――次に消えるのは、ロキシー・ハートマンだ。


 翌朝。


 高瀬朗は大学の正門をくぐりながら、昨夜の言葉を何度も思い返していた。


「アキラ」


「……」


「アキラ?」


「え?」


 隣を歩いていたロキシーが、不満そうに顔を覗き込んでいる。


「三回呼びました」


「ごめん」


「また考えています」


「ああ」


「私のこと?」


「今回はそう」


 朗が答えると。


 ロキシーの足が止まった。


「……」


「何?」


「もう一回」


「言わない」


「聞こえませんでした」


「絶対聞こえた」


 ロキシーが笑う。


 でも。


 すぐに真顔になった。


「脅迫状ですね」


「うん」


「私は大丈夫です」


「大丈夫じゃないから言ってるんだろ」


「でも」


「今日は」


 朗は足を止めた。


「絶対、僕から離れないで」


 ロキシーが目を瞬かせる。


「一メートル?」


「できれば」


「五十センチ?」


「……まあ」


「三十?」


「どんどん近くするな」


「ゼロでもいいですよ」


「それは困る」


「どうして?」


「歩けない」


 ロキシーが声を上げて笑った。


「でも」


 朗が続ける。


「本気だから」


 青い瞳。


 朗を見る。


「分かっています」


 ロキシーは。


 朗の袖を。


 そっと掴んだ。


「今日は」


「?」


「私も離れません」


     ◇


 午前九時。


 旧記念館前。


 参加者は。


 朗。


 ロキシー。


 宮原教授。


 久世直哉。


 遠山雅人。


 大学史資料担当の職員。


 警備員二名。


 さらに。


 大学側から連絡を受けた警察官が二人。


「ずいぶん大人数になりましたね」


 ロキシーが言う。


「これくらいでいい」


 朗は周囲を見る。


「むしろ足りないくらい」


「心配しすぎです」


「誰のせいだ」


「犯人?」


「そうだよ」


 旧記念館。


 大正期に建てられた石造りの建物。


 現在は。


 大学史資料の一部を保管するだけで。


 普段はほとんど使われていない。


 正面。


 階段。


 その上。


 大学創立者。


 三崎英一郎。


 胸像。


 その台座には。


 ――学問は人を自由にする。


 そう刻まれていた。


「創立者の下」


 朗が呟く。


「本当にそのままですね」


 ロキシーが言う。


「問題は」


 久世が胸像を見る。


「どの『下』かだ」


     ◇


 建物へ入る。


 埃。


 古い木の匂い。


 高い天井。


 ステンドグラス。


 壁には。


 歴代学長。


 卒業生。


 大学の古い写真。


「きれい」


 ロキシーが小さく言った。


「事件じゃなければ、ゆっくり見たいですね」


「今度来よう」


 朗が何気なく答えた。


 ロキシーが。


 急に黙る。


「……何?」


「今度?」


「うん」


「アキラと?」


「まあ、一緒に来れば」


 ロキシーの口元が。


 ゆっくり笑う。


「はい」


「そこまで嬉しい?」


「デートですね」


「違う!」


 宮原教授が後ろで笑った。


「高瀬君」


「先生」


「若いうちは、そのくらいでいいよ」


「何の話ですか!」


     ◇


 地下への階段。


 関係者以外立入禁止。


 資料担当者が鍵を開ける。


「この先は」


 職員が説明する。


「旧記念館建設時からある地下書庫です」


「創立当時から?」


「ええ」


「改修は?」


「何度か。でも構造自体はほぼ同じです」


 遠山雅人が。


 ずっと無言だった。


「遠山さん」


 朗が呼ぶ。


「何だ」


「大丈夫ですか?」


「……ああ」


「昨日は」


「怖いさ」


 遠山は。


 正直に答えた。


「俺の祖父が何を残したのか」


「……」


「本当に残したのか」


 一度。


「それを知るのがな」


     ◇


 地下。


 ひんやりした空気。


 書架。


 木箱。


 古い帳簿。


 新聞。


 卒業名簿。


「創立者の下」


 ロキシーが。


 上を見る。


「胸像の真下なら」


 宮原教授が。


 建物の図面を広げる。


「このあたりだ」


 地下書庫の中央。


 現在は。


 使われていない小部屋。


「でも」


 資料担当者が言う。


「そこは旧ボイラー室ですよ」


「中を?」


「もちろん」


 扉。


 錆びている。


 鍵。


 開ける。


     ◇


 小さな部屋。


 古い配管。


 レンガ壁。


 埃。


「何もない?」


 ロキシーが見回す。


「待って」


 朗が。


 スマートフォンのライトを壁へ向けた。


「ここ」


 レンガ。


 一部だけ。


 色が違う。


「新しい?」


 久世が近づく。


「新しいって言っても」


 表面を確認。


「数十年は経ってる」


「五十年?」


「あり得る」


 大学職員。


 警察。


 確認。


 壁を壊していいのか。


 建物管理担当へ連絡。


 許可。


「時間かかりますね」


 ロキシーが囁く。


「勝手に壊せないよ」


「映画ならすぐ壊します」


「現実だから」


「アキラは現実的」


「君が現実離れしすぎ」


     ◇


 三十分後。


 レンガを。


 一枚ずつ。


 慎重に外す。


 穴。


 その奥。


「何かあります」


 警備員。


 ライト。


 小さな。


 金属箱。


「……」


 遠山が。


 息を呑んだ。


「祖父……」


     ◇


 箱は。


 大学側。


 警察立ち会いで開封された。


 錆。


 かなり古い。


 鍵は壊れている。


 蓋。


 開く。


 中。


 茶封筒。


 三冊の帳簿。


 写真。


 そして。


 一枚のメモ。


 遠山が。


 震える手で見る。


「祖父の字だ」


 内容。


神谷に渡せば、全部消される。


だからここへ戻す。


本当の所有者の名前が残っている。


 ロキシーが。


 朗を見る。


「これ」


「ああ」


 土地取得。


 原本。


     ◇


 帳簿を確認する。


 月姫山。


 地番。


 所有者。


 共有林。


 神社。


 住民。


 そして。


 大学へ提出された同意書。


 コピー。


「違う」


 久世が気づく。


「何が?」


「署名」


 原本の名簿。


 大学保管資料。


 照合。


「人数が違います」


 ロキシーが言う。


 大学側資料では。


 三十八人が。


 売却へ同意。


 しかし。


 原本。


 実際の同意者。


「二十一人」


 朗が数える。


「十七人足りない」


「つまり」


 遠山が。


 顔を歪める。


「十七人分」


「偽造」


 宮原教授が答えた。


     ◇


 さらに。


 名前。


 何人かには。


 印。


 赤い丸。


「これ何だ?」


 朗が聞く。


 遠山が。


 目を閉じる。


「祖父の印だと思う」


「意味は?」


「……」


 別のメモ。


 あった。


赤印の者には署名をもらっていない。


神谷の指示により作成。


 部屋。


 静まり返る。


「証拠」


 ロキシーが。


 小さく言う。


「はい」


 宮原教授。


「ほぼ決定的だ」


     ◇


 遠山雅人は。


 座り込んだ。


「祖父は」


 声。


 震えている。


「本当にやったんだな」


 朗は。


 何も言わない。


「俺は」


 遠山が続ける。


「どこかで」


「……」


「大学に全部押しつけられただけなんじゃないかって」


「……」


「思いたかった」


 偽造。


 遠山征二自身も。


 確実に関与した。


 だが。


 一人ではない。


「遠山さん」


 朗が言う。


「お祖父さんは」


「……」


「悪いことをした」


「ああ」


「でも」


 メモを見る。


「最後には」


「……」


「残した」


 証拠を。


「全部消さなかった」


 遠山は。


 しばらく黙っていた。


「……そうだな」


     ◇


「アキラ」


 ロキシーが。


 小声で呼んだ。


「何?」


「これ」


 箱の中。


 封筒。


 その一つ。


 表。


 神谷隆三 個人


「手紙?」


 大学史担当者が。


 警察と確認。


 開封。


 中。


 二枚。


 一枚目。


 遠山征二が。


 神谷隆三へ送ったもの。


約束が違う。


私一人に責任を負わせるなら、原本を公表する。


 朗の目が。


 細くなる。


 次。


葛城も久世も知っている。


外国人の娘も知っている。


 ロキシーが。


 静かになる。


「エリザベス……」


 そして。


 最後。


写真もある。


     ◇


「二二〇」


 朗が呟く。


「だから神谷は写真を恐れた」


「はい」


「土地不正そのものの証拠じゃないけど」


「現場にいたことを示す」


「ああ」


 すべて。


 つながってきた。


 五十年前の事件。


 土地不正。


 エリザベス。


 写真220。


     ◇


「二枚目は?」


 ロキシーが聞く。


 朗が。


 手紙を開く。


 しかし。


「……ない」


「え?」


 封筒。


 確かに。


 紙が一枚だけ。


 でも。


 封筒の厚さ。


 跡。


「もう一枚入ってた」


 久世が言う。


「どうして分かる?」


「クリップ跡」


 角。


 二枚を。


 長期間まとめていた跡。


「抜かれた?」


「いつ?」


 全員。


 黙る。


     ◇


 箱自体は。


 レンガ壁の中。


 五十年間。


 封印。


 なら。


 一枚が抜かれたのは。


 封印する前?


 それとも。


「……違う」


 朗が言う。


「何が?」


 ロキシーが聞く。


「箱」


「?」


「埃」


 金属箱。


 周囲。


 かなり埃。


 だが。


 蓋。


 端。


「ここだけ」


 薄い。


「最近触られてる?」


 警察官が。


 手袋で確認。


「可能性はあります」


「でも壁は?」


「一度」


 宮原教授が。


 外されたレンガを見る。


「開けられて」


「戻された?」


 朗が続ける。


     ◇


 ロキシーの顔から。


 笑みが消えた。


「誰かが」


「僕たちより先に」


「ここへ来た」


 創立者の下。


 犯人は。


 知っていた。


 だから。


 昨夜。


 警告した。


 ――行くな。


「抜かれた紙」


 朗が言う。


「相手にとって」


「一番困るもの」


 久世。


「そういうことだろう」


     ◇


 その瞬間。


 地下。


 パチン。


「……?」


 照明が。


 消えた。


「え?」


 ロキシーの声。


 完全な暗闇。


「動かないで!」


 警察官。


「ブレーカーか?」


「全員その場に!」


 朗。


 反射的に。


「ロキシー!」


「ここです!」


 声。


 近い。


 手。


 暗闇。


「手出して!」


「はい!」


 触れる。


 握る。


「離さないで」


「はい」


 朗は。


 強く握る。


     ◇


 非常灯。


 数秒後。


 赤い光。


 点く。


 人数。


 確認。


 一人。


 二人。


 三人。


「全員います」


 警備員。


 ロキシー。


 朗のすぐ横。


 手。


 握ったまま。


「……」


 互いに。


 気づく。


「アキラ」


「何」


「手」


「今はいいだろ」


「はい」


 ロキシーが。


 少しだけ。


 握り返した。


     ◇


「停電ではない」


 警備担当が戻る。


「地下書庫だけ落とされてる」


「誰かが?」


「ブレーカーを切った可能性が高い」


「外には?」


「警備員がいた」


「侵入者?」


「確認します」


 緊張。


 空気。


 変わる。


     ◇


 そのとき。


「高瀬君」


 宮原教授。


 低い声。


「箱」


「え?」


 全員。


 見る。


 机。


 金属箱。


「……」


 写真。


 一枚。


 さっきまで。


 入っていた。


 遠山征二。


 神谷隆三。


 山。


 古い。


 その写真が。


「ない」


 久世が言う。


「誰か持った?」


「私は触ってない」


「俺も」


 警察官。


「全員ポケット確認を」


 騒ぎ。


 朗は。


 ロキシーの手を握ったまま。


 周囲を見る。


 誰か。


 この部屋。


 この人数の中。


 停電中に。


 写真を取った?


     ◇


「待ってください」


 ロキシーが。


 言った。


「何?」


「私」


 足元。


「何か踏んでいます」


 見る。


 紙。


 白。


「触らないで」


 警察。


 拾う。


 新しい紙。


 古くない。


 印刷文字。


 朗。


 見る。


もう戻れ。


 一行。


次は、本当に彼女を連れていく。


 朗の顔から。


 表情が消えた。


     ◇


「いつ置かれた?」


「停電中?」


「でも」


 久世。


「全員ここにいた」


「じゃあ」


 ロキシーが。


 周囲を見る。


 小部屋。


 壁。


 棚。


 古い配管。


「別の入口?」


 朗が。


 上を見る。


 換気口。


「まさか」


     ◇


 古い建物。


 地下配管。


 旧ボイラー室。


 図面。


 確認。


「あります」


 資料担当者。


「何が?」


「保守用通路」


「どこへ?」


「隣の地下倉庫」


「入口は?」


「現在は封鎖されているはず」


「“はず”」


 朗が。


 繰り返す。


     ◇


 警察。


 隣の倉庫へ。


 扉。


 鍵。


 だが。


 内側。


 開いていた。


 狭い通路。


 床。


 足跡。


 新しい。


 そして。


 出口。


 旧記念館裏。


「逃げられた」


 警察官が言う。


 犯人は。


 最初から。


 建物内部に。


 潜んでいた。


     ◇


 外。


 昼。


 朗。


 ロキシー。


 警察。


 大学関係者。


「今日は」


 朗が言う。


「もう帰ろう」


「はい」


 珍しく。


 ロキシーは。


 反論しなかった。


「怖かった?」


「……はい」


 正直だった。


「暗くなったとき」


「うん」


「一瞬」


 彼女が。


 自分の手を見る。


「アキラがいなくなったと思いました」


「僕も」


「え?」


「君の声が聞こえるまで」


「……」


「怖かった」


 ロキシーが。


 朗を見る。


     ◇


「だから」


 朗は。


 手を出した。


「今日は」


「?」


「駅まで」


 少し恥ずかしくなる。


「これで行こう」


 ロキシーの目が。


 大きくなる。


「手?」


「嫌ならいいけど」


「嫌じゃありません!」


 即答。


 握る。


 強い。


「痛い」


「すみません」


「離すなとは言ったけど」


「では少し弱く」


「うん」


 並んで歩く。


     ◇


「アキラ」


「何?」


「昔は」


「?」


「私が近づくと逃げてました」


「今でも近すぎると逃げるよ」


「でも今」


「……」


「アキラから手を出しました」


「事件中だから」


「また事件」


「便利だから」


「ずるいです」


 でも。


 ロキシーは。


 手を離さない。


     ◇


 その夜。


 大学警備室。


 地下通路。


 防犯カメラ。


 映像。


 旧記念館裏口。


 時刻。


 午前八時十二分。


 一人。


 フード。


 マスク。


 建物へ入る人物。


 そして。


 事件後。


 午前十時四十一分。


 同じ人物。


 外へ。


 手には。


 封筒。


 警備員が。


 画像を拡大する。


「顔は?」


「見えません」


「体格は?」


 男性とも。


 女性とも。


 判断しづらい。


 ただ。


 ひとつ。


 映った。


 左手。


 腕時計。


 特徴的な。


 銀色。


 文字盤。


     ◇


 翌朝。


 朗は。


 大学へ向かう途中。


 ロキシーと合流した。


「おはようございます」


「おはよう」


 その瞬間。


 朗の視線が。


 通り過ぎる人物へ。


 止まった。


 大学職員。


 顔見知り。


「……」


「アキラ?」


 左手。


 銀色の腕時計。


 同じ。


 いや。


 似ているだけかもしれない。


 でも。


 その人物は。


 二人を見ると。


 笑った。


「高瀬君、ハートマンさん」


「……おはようございます」


 朗が答える。


 ロキシーも頭を下げる。


 人物。


 歩いていく。


 背中。


「アキラ」


 ロキシーが。


 小声で聞く。


「どうしました?」


 朗は。


 答えた。


「あの人」


「?」


「昨日の防犯映像」


 声を落とす。


「同じ時計かもしれない」


「誰です?」


 朗は。


 遠ざかる背中を見る。


 大学の。


 学生課長。


 これまで。


 最初の脅迫状を届けたときから。


 二人の相談を。


 ずっと受けてきた人物。


「……片桐さん」


 ロキシーの表情が。


 変わる。


 また。


 一番近くにいた人間。


 事件は。


 さらに。


 大学の内側へ。


 潜っていった。


第19話 創立者の下 了

挿絵(By みてみん)

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