最初の脅迫状
「遠山雅人」
久世直哉が、ノートパソコンの画面を指した。
大学地下駐車場。
防犯カメラの映像。
帽子を取った男の横顔。
高瀬朗も。
ロキシーも。
何度も見たことがある。
国際交流センター職員。
ロキシーが交換留学生として来日してから、手続きや履修登録を担当していた男だった。
「遠山さん……」
ロキシーの声が小さくなる。
普段。
彼女が大学生活で困ったことがあれば。
『ハートマンさん、何かあったらいつでも相談してください』
そう言っていた人。
その男が。
写真二二〇を盗んだ可能性がある。
「間違いないんですか?」
朗が聞く。
「車については」
久世が答える。
「葛城家へ行った公用車と一致している」
「でも」
「神谷圭介の名前で借りていた」
「ああ」
「本人は北海道出張中」
「だから遠山さんが」
「他人の名前を使った」
朗は画面を見つめる。
「遠山征二との関係は?」
「祖父だ」
久世が答えた。
◇
遠山征二。
五十年前。
月姫山周辺の土地取得で。
大学と地元住民の間に入っていた仲介業者。
偽造された土地同意書。
エリザベスが見つけた資料。
そして。
写真二二〇。
崖の下に写っていた男。
「遠山雅人は」
久世が言う。
「ずっと祖父のことを調べていた」
「知り合い?」
「大学史関係の資料を調べていれば顔を合わせる」
「いつから?」
「三年くらい前」
ロキシーが眉を寄せる。
「私が来るずっと前」
「ああ」
「では」
朗が言う。
「今回の事件は、ロキシーが来たから始まったわけじゃない?」
「そこが違う」
久世が首を振った。
「調査自体は前からだ。でも」
一度。
「彼が急に動き始めたのは」
ロキシーを見る。
「君が来てからだ」
◇
「私?」
「そう」
「どうして?」
久世は答えなかった。
代わりに。
「本人に聞くべきだ」
「会えるんですか?」
「大学にはいる」
「今?」
「ああ」
朗が立ち上がる。
「じゃあ行きます」
ロキシーも立つ。
「私も」
朗が見る。
「もちろん一緒」
ロキシーが少し驚いた。
「止めないんですか?」
「一人で行くなって言っただろ」
「はい」
「僕も一人で行かない」
ロキシーの表情が。
少しだけ柔らかくなる。
「約束ですね」
「ああ」
◇
ただし。
二人だけでは行かなかった。
宮原教授。
大学の警備責任者。
そして久世。
一緒に国際交流センターへ向かった。
「アキラ」
廊下。
ロキシーが袖を引く。
「何?」
「少し怖いです」
「……うん」
「遠山さん」
「知ってる人だったから?」
「はい」
知らない相手なら。
最初から警戒できる。
でも。
親切にしてくれた人だった。
「もし」
ロキシーが言う。
「全部あの人だったら」
朗は。
少し考える。
「聞いてから決めよう」
「……」
「分からないまま疑うほうが嫌だって」
昨日。
ロキシー自身が言った。
「アキラ」
「何」
「覚えてたんですね」
「そりゃ覚えてるよ」
ロキシーが。
小さく笑った。
「はい」
◇
国際交流センター。
職員室。
「遠山さん」
宮原教授が呼ぶ。
デスク。
男が顔を上げた。
三十代半ば。
眼鏡。
穏やかな顔。
「ああ、宮原先生」
そして。
ロキシーを見る。
「ハートマンさんも」
いつもの顔。
「何か手続きですか?」
「違います」
朗が答えた。
遠山の目が。
朗へ移る。
「高瀬君」
「お話があります」
「何の?」
朗は。
スマートフォンを出した。
地下駐車場の画像。
画面を向ける。
「これ」
遠山の表情が。
止まった。
◇
「葛城隆一さんの家から」
朗が言う。
「写真二二〇が盗まれました」
「……」
「この車で」
「……」
「運転していたのは」
一息。
「遠山さんですよね」
遠山は。
何も言わない。
職員室に。
静かな時間。
やがて。
「ここでは」
遠山が言った。
「話しにくい」
◇
会議室。
扉を閉める。
六人。
遠山は。
椅子に座ると。
眼鏡を外した。
「……どこまで知っています?」
朗が答える。
「かなり」
「曖昧だな」
「月姫山の土地取得」
「……」
「偽造された同意書」
「……」
「遠山征二」
遠山の目が。
少し動く。
「あなたのお祖父さん」
「ああ」
「写真二二〇」
「……」
「葛城宗一郎」
「……」
「神谷隆三」
朗が言う。
「エリザベス・ウォーカー」
遠山は。
目を閉じた。
「そこまでか」
◇
「写真を盗んだんですか?」
ロキシーが聞いた。
遠山は。
しばらく彼女を見る。
「盗んだ」
あっさり。
認めた。
「なぜ?」
「必要だった」
「何のため?」
「祖父のためだ」
「遠山征二?」
「ああ」
◇
「世間の記録では」
遠山が言う。
「祖父は詐欺師だ」
実際。
遠山征二は。
後年。
別件の土地詐欺で有罪になっている。
「でも」
「無実だと言うんですか?」
朗が聞く。
「違う」
「え?」
「祖父は」
遠山は。
苦い顔をする。
「悪いことをした」
否定しない。
「土地の同意書を書き換えた」
「では」
「ただし」
声が強くなる。
「一人でやったわけじゃない」
◇
大学側。
神谷隆三。
土地開発業者。
遠山征二。
複数の人間が。
関わった。
「なのに」
遠山は言う。
「最後に責任を全部被ったのは祖父だった」
「大学は?」
「知らぬ存ぜぬ」
「神谷隆三は?」
「出世した」
神谷は。
その後。
大学理事まで上り詰めた。
一方。
遠山征二は。
大学との契約を切られ。
後に別の詐欺事件で逮捕。
「祖父は」
遠山が続ける。
「死ぬ直前まで言っていた」
『俺だけが悪かったんじゃない』
◇
「だから写真二二〇を?」
「写真には」
遠山が言う。
「神谷隆三が現場にいたことが写っている」
「ああ」
「祖父も」
「はい」
「つまり」
遠山は拳を握る。
「大学の説明が嘘だった証拠になる」
写真220。
大学側は長年。
月姫山の出来事自体を。
なかったことにしてきた。
「でも」
朗が言う。
「盗む必要はない」
「……」
「葛城さんに話せば」
「信じてもらえない」
「どうして決めつけるんです?」
「五十年間」
遠山の声が低くなる。
「誰も遠山家の話なんて聞かなかったからだ」
◇
ロキシーが。
静かに聞いた。
「最初の手紙」
遠山の顔が変わる。
「……何?」
「私の鞄に入っていた」
英語。
――ここへ来たことを後悔する前に国へ帰れ。
「あなたですか?」
沈黙。
朗が遠山を見る。
「遠山さん」
やがて。
「……そうだ」
遠山が答えた。
◇
ロキシーの顔から。
完全に笑顔が消えた。
「どうして?」
「君が」
「私が?」
「似ていた」
「誰に?」
聞く必要も。
なかった。
「エリザベス」
ロキシーが。
小さく言った。
「写真だけだ」
遠山が答える。
「顔そのものじゃない」
「では?」
「好奇心」
「……」
「来日してすぐ」
遠山は。
ロキシーの交換留学書類を担当した。
研究希望。
日本民俗学。
昔話。
地域伝承。
そして。
「月姫山の資料を見たいと言った」
「私?」
ロキシーが驚く。
「最初の面談でね」
「覚えていません」
「君にとっては雑談だった」
◇
ロキシーは。
日本へ来たばかりの頃。
興味のある民間伝承について。
いくつも話していた。
その中で。
大学の古い研究資料に。
月姫伝承があると知り。
「見てみたい」
そう言った。
遠山には。
それが。
五十年前の事件を。
再び掘り起こすように見えた。
「だから帰れと?」
「ああ」
「怖がらせて?」
「……」
「私が外国人だから?」
「違う!」
遠山が。
初めて声を荒らげた。
「逆だ」
「え?」
「君まで」
一度。
「巻き込まれたら嫌だった」
◇
「じゃあ」
朗が言う。
「監視してたのもあなた?」
「最初は」
「写真を撮った?」
「ああ」
「中庭の?」
「そうだ」
「脅迫メッセージは?」
遠山が。
首を横に振る。
「送っていない」
「……」
「『次は警告だけでは済まない』」
「知らない」
「ロキシーを狙うと言った電話」
「知らない」
「旧診療所へ閉じ込めた?」
「違う」
佐伯玲奈が。
小さく。
「それは私です」
「そこは本当に反省してください」
朗が即座に言う。
「はい……」
◇
「つまり」
宮原教授が整理する。
「遠山君は」
「最初の手紙」
「はい」
「そして初期の監視」
「……はい」
「写真220の窃盗」
「はい」
「だが」
「現在の脅迫は違う」
「違います」
遠山は。
はっきり言った。
◇
「十月二日の写真を探せ」
朗が聞く。
「あのメモは?」
「知らない」
「写真217をロキシーのロッカーへ?」
「違う」
「218を月影荘へ?」
「知らない」
また。
二つ。
いや。
三つの意思がある。
一つ。
真相から遠ざけようとする者。
一つ。
真相へ導こうとする者。
そして。
遠山。
自分の家族の名誉を守るために動いた者。
「ややこしすぎる」
朗が呟いた。
「同感だ」
久世が答えた。
◇
「写真220」
ロキシーが言う。
「今、どこです?」
遠山は。
答えない。
「遠山さん」
「……」
「見せてください」
「駄目だ」
「なぜ?」
「まだ」
「まだ?」
「足りない」
朗が眉を寄せる。
「何が?」
「証拠だ」
◇
写真220だけでは。
神谷隆三が現場にいたことは示せる。
しかし。
土地同意書の偽造そのものまでは。
証明できない。
「祖父は」
遠山が言う。
「一部の書類を持ち出した」
「写真にも写っていました」
「ああ」
「今どこ?」
「分からない」
「家族には?」
「残っていなかった」
「捨てた?」
「違う」
遠山は。
鞄から。
一枚の古い紙を出した。
◇
「祖父の遺品だ」
メモ。
震えた文字。
本物は大学へ返した。
「……大学?」
朗が読む。
次。
ただし、神谷には渡していない。
さらに。
あそこなら、誰も探さない。
最後。
短い文字。
創立者の下。
「創立者?」
ロキシーが聞く。
「大学の創立者?」
「そうだと思う」
遠山が答える。
「何年も探した」
「見つからない?」
「ああ」
◇
朗は。
何かを思い出す。
大学。
創立者。
銅像。
記念館。
「創立者の下……」
宮原教授が。
考える。
「大学史資料館の地下?」
「あるんですか?」
「旧記念館」
現在。
ほとんど使われていない建物。
創立者の胸像。
古い文書庫。
「地下書庫がある」
「そこだ」
遠山が。
立ち上がる。
「待って」
朗が止める。
「今から勝手に行くの?」
「何年探したと思ってる」
「だからって」
「高瀬」
「今度は」
朗は。
遠山を真っ直ぐ見る。
「大学の許可を取る」
「……」
「警察にも話す」
「そんなことをしたら」
「証拠が消される?」
「ああ」
「なら」
朗は。
少し考える。
「同時に動く」
◇
ロキシーが。
朗を見る。
「アキラ」
「何?」
「頼もしくなりました」
「今言う?」
「前は」
「?」
「私が行くって言ったら」
ロキシーは少し笑う。
「アキラが『やめよう』って言ってました」
「……」
「今は」
「安全に行く方法を考えてる」
「はい」
「まあ」
朗は頭を掻く。
「君に付き合ってたら」
一息。
「そうなった」
ロキシーの笑顔。
「私のおかげ」
「半分だけ」
「残り半分?」
「事件のせい」
「また事件のせいにした」
◇
その日の午後。
宮原教授から。
大学側へ正式に申請。
警備担当。
資料担当。
複数人立ち会いで。
翌朝。
旧記念館の地下書庫を確認することになった。
「今夜は」
朗がロキシーへ言う。
「一人で動くなよ」
「アキラも」
「ああ」
「約束」
「約束」
ロキシーが。
小指を出す。
「何それ」
「日本の約束」
「覚えたの?」
「はい」
朗も。
仕方なく小指を絡める。
「指切り」
ロキシーが笑う。
「破ったら?」
「針千本」
「怖いです」
「だから守って」
「アキラも」
「ああ」
◇
夜。
朗のスマートフォンが鳴った。
ロキシー?
違う。
遠山雅人。
『高瀬』
「どうしました?」
『今』
遠山の声。
妙に低い。
『俺の机に写真が置かれていた』
「写真?」
『お前たちだ』
朗の表情が変わる。
「何?」
『今日の会議室』
「……」
『俺が話しているところ』
つまり。
誰かが。
会議室の外から。
見ていた。
「裏は?」
遠山が。
数秒。
黙る。
『文字がある』
「何て?」
そして。
読み上げた。
余計なことを話したな。
朗の背筋が冷たくなる。
続き。
創立者の下には行くな。
「……」
『高瀬』
「はい」
遠山の声が。
震えた。
『最後にもう一行ある』
「何です?」
電話越し。
遠山が言う。
次に消えるのは、
一瞬。
ロキシー・ハートマンだ。
朗は。
何も言わなかった。
ただ。
ゆっくり。
拳を握った。
もう。
脅しではない。
相手は。
二人が明日どこへ行くのか。
知っている。
そして。
ロキシーの名前を。
はっきり。
書いた。
「遠山さん」
『何だ』
「明日」
朗の声が。
自分でも驚くほど。
静かだった。
「予定どおり行きます」
『高瀬』
「ただし」
一息。
「ロキシーには、絶対に手を出させない」
最初は。
事件に。
巻き込まれただけだった。
けれど。
もう。
違う。
朗は。
自分から。
真相へ向かっていた。
第18話 最初の脅迫状 了




