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17/30

一番近くにいた人

 ――君は、最初から一番近くにいる人間を疑っていない。


 高瀬朗は、スマートフォンの画面を閉じた。


 閉じて。


 また開いた。


 何度見ても。


 同じだった。


 写真220。


 夜明け前の山道。


 エリザベス・ウォーカー。


 葛城宗一郎。


 崖の下にいる男。


 大学事務局長、神谷隆三。


 そして。


 そのさらに後方。


 一人の若い学生。


 加工された画像の横には。


 文字。


 M. Miyahara


「……宮原」


 偶然。


 そう思いたかった。


 だが。


 朗たちの調査に。


 最初から関わっている人物。


 民俗学者。


 月影荘へのフィールドワークを企画した人物。


 五十年前の事件に関係する土地について詳しかった人物。


 宮原教授。


「いや」


 朗は首を振った。


「年齢が合わない」


 現在六十代。


 五十年前なら。


 まだ子どもだ。


 写真に写る人物は。


 二十歳前後。


「父親……?」


 あるいは。


 兄。


 親族。


 それなら。


 あり得る。


 しかし。


 もっと嫌な疑問が浮かぶ。


 宮原教授は。


 知っていたのか?


     ◇


 スマートフォンが震えた。


 ロキシー。


『起きています?』


 朗は。


 少し迷った。


『起きてる』


 数秒。


 着信。


「もしもし」


『アキラ』


「何?」


『声が変です』


「……そう?」


『そうです』


 鋭い。


「何かありました?」


 朗は。


 答えなかった。


『アキラ』


「……メールが来た」


『また?』


「ああ」


『脅迫?』


「違う」


『では?』


「写真220」


 向こうが静かになる。


『届いたんですか?』


「コピーだけ」


『誰から?』


「分からない」


『何が写っていました?』


 朗は。


 一度。


 息を吐いた。


「宮原って名前」


『……先生?』


「本人じゃないと思う」


『年齢が違います』


「うん」


『でも親族?』


「たぶん」


 沈黙。


『アキラ』


「何?」


『明日、先生に聞きましょう』


「……簡単に言うな」


『どうして?』


「もし」


 口に出すのが。


 嫌だった。


「先生が、本当に関係していたら」


『はい』


「僕たち」


 ずっと。


 助けてもらった。


 月影荘。


 警察への連絡。


 資料閲覧。


 調査。


 その全部。


「利用されてた可能性もある」


 ロキシーは。


 少し黙った。


 そして。


『だったら』


「ん?」


『なおさら聞きましょう』


「……」


『分からないまま疑うほうが嫌です』


 朗は。


 少し笑った。


「君らしい」


『褒めました?』


「半分」


『残り半分は?』


「怖いもの知らず」


『違います』


「じゃあ?」


『怖くても聞くんです』


 葛城宗一郎。


 勇気とは。


 怖くないことではない。


 怖いけれど。


 戻ること。


「……そっか」


『はい』


「じゃあ」


 朗は決めた。


「明日、一緒に聞こう」


『もちろん』


「でも」


『?』


「絶対二人だけでは問い詰めない」


『宮原先生を?』


「念のため」


『分かりました』


「珍しく素直」


『アキラ』


「何?」


『私、ちゃんと成長してます』


「誰目線?」


『アキラに育てられました』


「育ててない!」


 電話の向こう。


 ロキシーが笑った。


 少しだけ。


 胸の重さが。


 軽くなった。


     ◇


 翌朝。


 大学。


 宮原教授の研究室。


 朗。


 ロキシー。


 そして。


 佐伯玲奈にも来てもらった。


「ずいぶん大人数だね」


 宮原教授は。


 いつもの調子で笑った。


「何かあったの?」


 朗は。


 教授を見る。


 穏やかな顔。


 これまで。


 何度も助けてもらった人。


 疑いたくない。


 でも。


「先生」


「うん?」


「これ」


 朗は。


 写真220の画像を見せた。


 教授の笑顔が。


 消えた。


「……どこで」


 最初の言葉が。


 それだった。


 朗の胸が。


 少し沈む。


「知ってたんですね」


 宮原教授は。


 すぐには答えなかった。


 画像を。


 じっと見る。


「先生」


 ロキシーが言う。


「この人」


 画面。


 若い学生。


 M. Miyahara。


「誰ですか?」


 長い沈黙。


 教授は。


 椅子へ深く座った。


「父だよ」


     ◇


 朗は。


 やはり。


 と思った。


 同時に。


 少しだけ。


 安心した。


「お父さん」


「宮原正臣」


 教授が言う。


「当時二十一歳」


「学生?」


「文学部」


「民俗研究会?」


 教授が頷いた。


「そうだ」


 ロキシーが。


 写真を見つめる。


「だから先生は」


「月姫の祠を知っていた?」


 朗が続ける。


「父から聞いていた」


「エリザベスのことも?」


「……ああ」


 教授は。


 目を伏せる。


「子どもの頃から」


     ◇


「どうして言わなかったんです?」


 朗の声は。


 思ったより強くなった。


「僕たちが」


「……」


「ずっと調べてるの、知ってましたよね」


「ああ」


「エリザベスのことも」


「ああ」


「お父さんが現場にいたことも」


「知っていた」


「なのに」


 朗は。


 拳を握る。


「黙ってた」


「そうだ」


 言い訳をしない。


 それが。


 逆に腹立たしかった。


「どうしてですか」


 宮原教授は。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 そして。


「怖かったからだ」


 朗が。


 止まる。


     ◇


「父は」


 教授が言う。


「死ぬまであの夜のことを話したがらなかった」


「でも先生には?」


「断片的に」


「何を?」


「自分は」


 一度。


「何もできなかった、と」


 写真。


 宮原正臣は。


 遠くから。


 事件を見ている。


「父は写真部でもなければ」


「はい」


「エリザベスと特別仲が良かったわけでもない」


「ではなぜ?」


「民俗研究会の一員だった」


「調査旅行に参加していた」


「そう」


     ◇


 十月二日。


 夜。


 宮原正臣は。


 宿で騒ぎを聞いた。


 エリザベスが。


 葛城と出ていった。


 久世誠一も。


 あとを追った。


「父も追った?」


「途中まで」


「なぜ?」


「好奇心」


 教授が苦笑した。


「君たちと同じだ」


「……」


「でも」


 山へ入り。


 知らない大人たちがいることに気づいた。


 大学の事務局長。


 神谷隆三。


 他の職員。


 そこで。


 宮原正臣は。


 怖くなった。


「隠れたんですね」


 ロキシーが言う。


「そう聞いている」


「最後まで?」


「ああ」


「写真220は?」


 朗が聞く。


「久世誠一が撮った」


「お父さんは写り込んだだけ?」


「そうだと思う」


     ◇


「事件のあと」


 宮原正臣は。


 大学へ戻った。


 そして。


 呼び出された。


「誰に?」


「神谷隆三」


 やはり。


「何を言われたんです?」


 教授は。


 苦い顔。


「何も見ていない」


「……」


「そういうことにしろ、と」


「お父さんは?」


「従った」


 ロキシーが。


 少し眉を下げる。


「怖かったんですね」


「二十一歳だった」


「……」


「奨学金」


「……」


「卒業」


「……」


「就職」


 全部。


 大学に握られていた。


「父は」


 教授が言う。


「生涯そのことを悔やんだ」


     ◇


「先生が民俗学者になったのは」


 朗が聞いた。


「お父さんの影響ですか?」


「半分は」


 教授は。


 初めて。


 少し笑った。


「父は研究を続けられなかった」


「なぜ?」


「事件のあと」


 民俗研究会を辞めた。


 卒業後。


 大学とは。


 距離を置いた。


「普通の会社員になったよ」


「では先生は?」


「逆に」


 教授が。


 本棚を見る。


「父が捨てたものを拾いたかったのかもしれない」


     ◇


「でも」


 朗は。


 まだ納得できていなかった。


「先生は、事件のことを知っていた」


「ああ」


「なのに」


「君たちへ話さなかった」


「それは」


 宮原教授が。


 朗を見る。


「証拠がなかったから」


「……」


「父の話だけだった」


「でも」


「それに」


 教授が続ける。


「家族の話を」


 一度。


 言葉に詰まる。


「自分から暴く勇気がなかった」


     ◇


 朗は。


 何も言えなくなった。


 葛城宗一郎。


 怖がった。


 久世誠一。


 後悔した。


 佐伯美津子。


 名前を殺した。


 山岡。


 黙った。


 そして。


 宮原教授。


 父の沈黙を。


 引き継いだ。


 五十年前の事件は。


 大悪人一人が作ったものではない。


 多くの人間が。


 少しずつ。


 怖がり。


 黙り。


 逃げた。


 その積み重ねだった。


     ◇


「高瀬君」


 教授が言う。


「失望したかい?」


 朗は。


 すぐには答えなかった。


「……少し」


 ロキシーが。


 横を見る。


「正直ですね」


「先生が聞いたから」


 宮原教授が。


 苦笑した。


「君らしい」


「でも」


 朗は続ける。


「先生自身が」


「……」


「僕たちを邪魔したわけじゃないんですよね」


「していない」


「脅迫も?」


「もちろん」


「写真を盗んだ?」


「していない」


「ロキシーを閉じ込めた?」


「それは佐伯さんだろう」


 佐伯玲奈が。


 少し気まずそうに。


「すみません」


「本当にそこは反省してください」


     ◇


「それなら」


 朗が。


 教授を見る。


「今から全部教えてください」


「全部?」


「知ってること」


「……」


「もう」


 一呼吸。


「家族の秘密だからって隠さないでください」


 宮原教授は。


 長い間。


 朗を見た。


 そして。


 頷いた。


「分かった」


     ◇


 教授は。


 机の鍵を開けた。


 引き出し。


 奥。


 一冊の古いノート。


「これは?」


「父の日記」


 ロキシーの目が。


 大きくなる。


「ずっと持ってたんですか?」


「父が亡くなったあとに」


「事件のことは?」


「少しだけ」


 ページ。


 昭和。


 十月。


 古い文字。


 教授が開く。


「ここだ」


     ◇


十月三日。


夜が明けた。


エリザベスは生きていた。


葛城先生も。


しかし神谷は、すべてをなかったことにすると言った。


 朗が読む。


 次。


久世は写真を持っている。


神谷はそれを恐れている。


私は何も言えなかった。


 さらに。


ただ一つ、妙だった。


 朗の指が止まる。


「妙だった?」


 続き。


崖から落ちた男は、神谷の部下ではない。


「え?」


 全員が。


 固まった。


     ◇


「今まで」


 ロキシーが言う。


「大学関係者だと思っていました」


「僕も」


 朗が続ける。


「神谷側の人間だと」


 日記。


あの男は、村の人間だった。


「地元?」


「山岡さん?」


「いや」


 年齢。


 別人。


 続き。


神谷と取引をしていた土地仲介人。


 朗の目が。


 細くなる。


名前は、遠山征二。


「遠山?」


 教授が。


 初めて口にした。


「父の日記でしか知らない名前だ」


     ◇


「土地仲介人」


 朗が整理する。


「大学が土地を買うために使った人物?」


「そうだろう」


「偽造された同意書」


「……」


「この人が作った?」


「可能性は高い」


 つまり。


 葛城。


 神谷。


 大学。


 地元。


 そこに。


 もう一人。


 外部の人間。


     ◇


「遠山征二」


 佐伯玲奈が。


 スマートフォンで検索する。


「古い新聞にあります」


「何?」


「不動産会社」


 五十年前。


 地方の土地開発。


 山林売買。


 そして。


 十数年後。


 詐欺事件で逮捕。


「本人は?」


「三十年前に死亡」


「じゃあ現在とは」


 ロキシーが言う。


「関係ない?」


「分からない」


 朗は。


 日記を見る。


 何か。


 引っかかる。


     ◇


「先生」


「ん?」


「この人」


 写真220。


 崖の下。


「遠山征二?」


「父の日記を信じるなら」


「じゃあ」


 朗が。


 画像を拡大する。


 崖の下。


 男。


 そして。


 その手。


「……何か持ってる」


「何?」


 ロキシーが顔を近づける。


「紙?」


「いや」


 長方形。


「封筒?」


 朗が。


 さらに拡大する。


 古い画像。


 鮮明ではない。


 だが。


 何か。


 胸へ抱えている。


「木箱から取ったもの?」


 ロキシーが言う。


「あり得る」


     ◇


「父の日記には」


 宮原教授がページをめくる。


「もう一つある」


「何です?」


 十月四日。


神谷は、資料の一部が消えたと怒っていた。


エリザベスは持っていない。


葛城先生も知らない。


なら、遠山が持ち出したのだろうか。


「資料の一部」


「土地台帳?」


「それだけじゃないかも」


 朗が呟く。


     ◇


 さらに。


 数ページ。


 事件から。


 半年後。


遠山の会社が突然、大学との取引を打ち切られた。


神谷は彼を切った。


しかし遠山は何かを持っている。


だから神谷は完全には動けない。


 朗が。


 顔を上げる。


「弱み」


「そういうこと?」


「遠山征二が」


 大学の不正を証明する資料を。


 持ち出した。


 だから。


 写真220。


 それだけではない。


     ◇


「現在の犯人は」


 ロキシーが言う。


「遠山さんの家族?」


「可能性が出てきた」


「でも」


 朗は。


 スマートフォン。


 匿名メール。


 思い出す。


 ――神谷圭介も利用されている。


 ――本当に写真220を必要としている人物は、君たちのすぐ近くにいる。


「このメール」


 佐伯玲奈へ見せる。


 彼女の表情が変わる。


「これ」


「何か?」


「文章に見覚えがある」


「え?」


     ◇


「誰?」


 朗が聞く。


「断定できません」


「でも?」


「久世直哉」


 ロキシーが立ち上がる。


「久世さん?」


「メールの書き方」


「知ってるんですか?」


「彼とは連絡を取っていたから」


「今どこに?」


「それは」


 玲奈が。


 口を閉じる。


 朗の表情が。


 変わった。


「佐伯さん」


「……」


「知ってるんですね」


     ◇


 佐伯玲奈は。


 長く黙った。


 そして。


「ごめんなさい」


 小さく言った。


「久世直哉さんは」


「どこ?」


「私の家です」


「……」


「え?」


 ロキシーが。


 固まる。


「無事なの?」


「はい」


「じゃあ!」


「でも」


 玲奈が続ける。


「本人が大学へ戻りたくないと」


「なぜ?」


「写真220を盗んだ犯人を」


 一度。


 息を吐く。


「知っているから」


     ◇


 空気が。


 一気に変わった。


「誰です?」


 朗が聞く。


「それは」


「久世さん本人に聞いてください」


「今から」


「はい」


 玲奈が立ち上がる。


     ◇


 研究室を出る。


 廊下。


 朗。


 ロキシー。


 少し後ろ。


 宮原教授。


 ロキシーが。


 朗の袖をつかんだ。


「アキラ」


「何?」


「大丈夫?」


「何が?」


「先生を疑ったこと」


 朗は。


 少し考えた。


「嫌だった」


「はい」


「でも」


「?」


「聞いてよかった」


 ロキシーが。


 微笑む。


「私も」


「それに」


「はい?」


 朗は。


 小さく言った。


「君が一緒だったから聞けた」


 ロキシーの足が。


 止まった。


「……」


「何」


「もう一回」


「言わない」


「聞こえませんでした」


「絶対聞こえた」


「アキラ」


 ロキシーが追いつく。


 今度は。


 袖ではなく。


 手を握る。


「ありがとう」


「……うん」


「私も」


 指を絡める。


「アキラがいるから怖くても行けます」


 朗は。


 手を離さなかった。


     ◇


 一時間後。


 佐伯玲奈のマンション。


 扉が開く。


「……」


 久世直哉が。


 立っていた。


 少しやつれている。


「久世さん!」


 ロキシーが声を上げる。


「無事だったんですね」


「まあね」


 久世は。


 朗を見る。


「高瀬」


「はい」


「宮原先生のところへ行った?」


「行きました」


「全部聞いた?」


「たぶん」


「そう」


 久世は。


 深く息を吐いた。


「なら」


 部屋の奥へ。


「次は俺の番だ」


     ◇


 テーブル。


 その上。


 一冊のノートパソコン。


 久世が開く。


「写真220を盗んだ人間」


 朗。


 ロキシー。


 玲奈。


 全員。


 画面を見る。


「防犯カメラ?」


「葛城家の近所」


「映ってた?」


「ああ」


 映像。


 夜。


 葛城家。


 一人の人物。


 帽子。


 マスク。


 顔。


 ほとんど見えない。


 でも。


 車。


 駐車場。


 ナンバー。


 久世が停止する。


「この車」


 朗が。


 文字を見る。


「大学?」


「公用車だ」


「誰が使った?」


 久世が。


 次の画面。


 大学の車両使用記録。


 一行。


 利用者。


 神谷圭介。


「やっぱり」


 ロキシーが言う。


 だが。


 久世は首を振る。


「違う」


「え?」


「神谷圭介は」


 画面。


 別の記録。


 出張。


 北海道。


 同じ日。


「東京にいなかった」


「じゃあ」


「誰かが」


 朗が言う。


「神谷さんの名前で車を借りた」


「そう」


     ◇


「誰?」


 ロキシーが聞く。


 久世は。


 もう一枚。


 画像を出した。


 大学の地下駐車場。


 公用車へ乗る人物。


 帽子を取った。


 横顔。


 朗の呼吸が。


 止まった。


「……嘘だろ」


 知っている。


 大学で。


 何度も。


 見ている人物。


 国際交流センター。


 留学生対応。


 ロキシーが来日したときから。


 関わっていた。


「この人」


 ロキシーの顔から。


 笑顔が消えた。


「私の」


 一言。


「留学生担当です」


 画面に写っている男。


 国際交流センター職員。


 遠山雅人。


 久世が。


 静かに言った。


「遠山征二の孫だ」


 朗は。


 画面から目を離せなかった。


 最初から。


 本当に。


 一番近くにいた。


第17話 一番近くにいた人 了

挿絵(By みてみん)

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