↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/30

古い校章と消えた名前

 翌朝。


 高瀬朗は、いつもより十五分早く大学に着いた。


 理由は一つ。


「アキラ!」


「……やっぱりいる」


 正門の前。


 ロキシーが待っていた。


 金色の髪を朝日に輝かせながら、大きく手を振っている。


「おはようございます!」


「おはよう」


「遅いです」


「約束の十分前なんだけど」


「私は三十分前からいました」


「早すぎるんだよ」


 ロキシーは朗の横に並んだ。


「では行きましょう」


「学生課な」


「はい」


「まず大学に報告する。それからだ」


「分かっています」


 昨日の脅迫状。


 朗は一晩考えた。


 ただの悪戯かもしれない。


 しかし、外国人留学生に対する「国へ帰れ」という文面は、笑って済ませていいものではない。


 何より。


 紙に入っていた、古い大学の校章。


 それが気になった。


「アキラ」


「何?」


「昨日、眠れました?」


「普通に寝たよ」


「私は少し興奮しました」


「怖くて?」


「いいえ」


 ロキシーは笑った。


「事件だから」


「そこは怖がってくれ」


     ◇


 学生課では、思ったより真剣に対応してもらえた。


 職員は手紙を確認し、ロキシーから状況を聞いた。


 昨日の昼。


 食堂で食事をしている間、鞄を椅子の横に置いていた。


 気づいたときには、外側のポケットに紙が差し込まれていた。


「警察にも相談したほうがいいでしょうか?」


 朗が聞く。


 職員は少し考えてから答えた。


「現時点では実害がありませんが、同様のことが続くようなら、その可能性もあります。こちらでも警備担当には共有します」


 ロキシーは頷いた。


「ありがとうございます」


「しばらく一人で行動しないようにしてください」


「はい」


 職員は朗を見る。


「高瀬さん、お知り合いなら、できれば帰りも一緒に」


「え?」


「分かりました!」


 ロキシーが先に答えた。


「いや、僕に聞いてるんだけど」


「アキラは優しいので大丈夫です」


「勝手に決めるな」


 職員が少し笑った。


 朗は諦めた。


「……できる範囲で」


 相談を終えて学生課を出る。


 するとロキシーは両手を腰に当てた。


「これで正式に、アキラは私の護衛ですね」


「違う」


「ボディーガード」


「違う」


「恋人?」


「もっと違う!」


 ロキシーが笑った。


「冗談です」


「君の場合、どこまで冗談なのか分からないんだよ」


「半分くらい?」


「余計怖い」


     ◇


 二人が次に向かったのは図書館だった。


 目的は古い校章。


「たしか大学史の資料にあったんだ」


 朗は検索端末を操作した。


「アキラ、こういうの得意ですね」


「検索するだけだよ」


「昨日もすぐ校章だと気づきました」


「授業で見ただけ」


「私は覚えてません」


「君はまだ来日したばかりだろ」


「そうでした」


 ロキシーは真顔で頷く。


「時々、自分が留学生なのを忘れます」


「忘れるな」


 大学史関係の本を数冊借り、閲覧席へ移動した。


 朗がページをめくる。


 大正期。


 昭和初期。


 戦後。


 大学の校舎は何度も建て替えられ、校章も少しずつ変化している。


「あった」


 朗の指が止まった。


 ロキシーがすぐに顔を寄せてくる。


「近い」


「見えません」


「向こう側に回って」


「ここでいいです」


「僕がよくない」


 とはいえ、もう慣れ始めている自分が怖かった。


 写真の下に説明がある。


 現在の校章が制定されたのは、四十七年前。


 それ以前は、一本の樹木を中心にした紋章が使われていた。


「昨日のと同じです」


「ああ」


 ロキシーがページを指でなぞった。


「でも、どうして昔のマークが今の紙に?」


「大学が復刻品でも作ってるとか」


「調べましょう」


「まあ、それはいいけど」


 朗はページをさらにめくった。


 そのとき。


「あれ?」


「どうしました?」


「これ」


 大学創立記念行事の写真。


 半世紀ほど前のものだ。


 学生たちが並んでいる。


 その中に、数人の外国人学生が写っていた。


「昔から留学生がいたんですね」


「人数は少なかったみたいだけど」


 ロキシーが写真を覗き込む。


 そして。


「この人」


「ん?」


 一人の女子学生を指した。


 白黒写真なので髪色は分からない。


 しかし、明らかに日本人ではない顔立ちをしている。


 写真の下には名前が並んでいる。


「エリザベス・ウォーカー」


 ロキシーが読み上げる。


「イギリス人かな」


「たぶん」


 朗は隣のページを見る。


 留学生受け入れ制度の歴史。


 そこには歴代の留学生名簿が掲載されていた。


「エリザベス……ウォーカー」


 ロキシーが指で追う。


 途中で止まった。


「あれ?」


「どうした?」


「名前がありません」


「え?」


 写真には写っている。


 だが名簿には載っていない。


「別の制度だったんじゃない?」


「でも、この写真の説明には『交換留学生』って書いてあります」


「……本当だ」


 朗も確認する。


 確かにそう書いてある。


「印刷ミス?」


「かもしれない」


 だが。


 妙だった。


 写真には名前がある。


 名簿にはない。


 それだけなら単なる編集ミスで済む。


 しかし昨日の脅迫状に、五十年近く前の校章が使われていた。


 偶然なのか。


「アキラ」


「ん?」


「気になっていますね」


「まあ」


「顔に出ています」


「君に言われたくない」


 ロキシーは嬉しそうに笑った。


「やっぱり探偵向きです」


「まだ言ってるのか」


     ◇


 二人は図書館の受付へ向かった。


「すみません」


 朗が声をかける。


「古い大学史について調べているんですが、昔の留学生記録ってありますか?」


 司書の女性が答えた。


「一般書架にないものなら、大学資料室ですね」


「資料室?」


「三階の奥です。ただし、一部は閲覧申請が必要です」


 ロキシーの目が輝く。


「行きましょう」


「食いつくの早いな」


 三階。


 普段ほとんど行かない場所だ。


 廊下の一番奥に、小さな札があった。


 ――大学史資料室。


 中には古い写真、卒業アルバム、新聞、記念誌などが並んでいる。


 担当職員に事情を話す。


「五十年くらい前の留学生名簿ですか」


「はい」


「古いものならありますよ」


 職員は棚から薄いファイルを取り出した。


「閲覧だけでお願いします」


「ありがとうございます」


 二人は机に座った。


「アキラ」


「何?」


「なんだか本当に事件を調べてるみたいです」


「だから楽しそうにするなって」


 ファイルを開く。


 一年ごとに留学生の名前、国籍、所属学部などが記録されていた。


 四十八年前。


 四十九年前。


 五十年前。


「……いた」


 朗が言った。


 エリザベス・ウォーカー。


 英国。


 文学部。


 来日時十九歳。


「ちゃんといるじゃないですか」


「ああ」


 しかし。


 その横に、赤い線が引かれていた。


 そして、小さな文字がある。


 ――帰国。


「途中で帰ったんですね」


「そうみたいだな」


「日付は?」


 朗は確認する。


「十月十二日」


 その瞬間。


 ロキシーの表情が変わった。


「アキラ」


「何?」


「このページ」


 ロキシーが指差す。


 エリザベスの名前の下。


 紙がわずかに傷んでいる。


「破れています」


「本当だ」


 名前の右側。


 本来なら備考欄があるはずの場所が、細長く切り取られていた。


 自然に破れたようには見えない。


 刃物。


 あるいはハサミ。


 そんな切り口だ。


「何か書いてあった?」


「分かりません」


「職員さんに聞こう」


 担当職員を呼ぶ。


 しかし。


「最初からこうでしたよ」


「最初から?」


「少なくとも私が担当になった十年前には」


「修復前のコピーとかは?」


「確認してみますが……」


 職員は首を傾げた。


「ただ、その方について調べる人は珍しいですね」


 ロキシーが反応した。


「前にもいたんですか?」


「え?」


「今、『珍しい』って」


「ああ」


 職員は少し考えた。


「何年か前にも一人、同じ名前について聞きに来た学生がいた気がします」


「誰ですか?」


「さすがに名前までは覚えていません」


「いつ頃?」


「三年……いや、四年くらい前かな」


 朗とロキシーは顔を見合わせた。


     ◇


 資料室を出たあと。


 ロキシーは黙っていた。


 珍しい。


 いつもなら何かしら喋っている。


「どうした?」


「考えています」


「何を?」


「エリザベスさん」


「まだ事件と関係あるか分からないよ」


「でも」


 ロキシーが立ち止まった。


「私と同じです」


「何が?」


「外国人留学生」


「それだけなら今も何百人もいるだろ」


「そうじゃなくて」


 青い瞳が少し真剣になる。


「若い女の子が、一人で外国に来たんです」


 朗は黙る。


「五十年前でしょう? 今よりずっと大変だったはずです」


「まあな」


「なのに、途中で帰った」


「ホームシックとか」


「そうかもしれません」


「家庭の事情とか」


「それもあります」


 ロキシーは窓の外を見た。


「でも、名前の横だけ切り取られている」


 朗も答えられなかった。


 確かに。


 偶然にしては妙だった。


「アキラ」


「ん?」


「もし私が突然帰国したら、どうします?」


「……何だよ、急に」


「例えばです」


「連絡するよ」


「それだけ?」


「理由を聞く」


「それでも教えなかったら?」


 朗は少し考えた。


「心配する」


「探しに来ます?」


「外国まで?」


「はい」


「それは……」


 ロキシーがじっと見る。


「行かない?」


「分からないよ」


「ひどい」


「まだ知り合って一週間だぞ!」


「友達なのに」


「友達なら普通、いきなり国外まで追わないだろ」


 ロキシーは頬を膨らませた。


「日本人は冷たいです」


「でかい主語にするな」


「ではアキラが冷たい」


「もっと悪い!」


 ようやくロキシーが笑った。


 朗は少し安心した。


     ◇


 昼。


 二人は昨日と同じ学生食堂にいた。


「今日も同じ席?」


「現場検証です」


「昼飯食うだけだろ」


 ロキシーは昨日、自分の鞄を置いていた場所を確認する。


「ここでした」


「犯人が手紙を入れたなら、食堂にいた誰かだよな」


「たぶん」


「でも人が多すぎる」


 昼休み。


 何百人もの学生が行き交う。


「防犯カメラとか?」


「大学に頼まないと無理だろうな」


 朗は周囲を見る。


 すると。


「ん?」


「どうしました?」


「あれ」


 近くの掲示板。


 国際交流イベントのポスターが貼られている。


 その端に小さなマーク。


 一本の樹木。


 古い校章だった。


「同じ!」


 ロキシーが立ち上がる。


 二人で近づく。


 ポスターには、


 ――創立百周年記念・復刻デザイン。


 と書かれている。


「なんだ」


 朗は肩を落とした。


「古い校章、普通に使われてるじゃないか」


「つまり紙も記念品?」


「可能性高いな」


 ロキシーも少し残念そうだった。


「謎が一つ減りました」


「残念がるな」


 ポスターの下。


 記念グッズ販売中。


 レターセット。


 ノート。


 封筒。


 大学購買部で購入可能。


「これなら誰でも買える」


「犯人の手がかりにはならないですね」


「ああ」


 朗は少し安心した。


 古い校章と五十年前の留学生。


 たまたま結びつけすぎていただけかもしれない。


「やっぱりエリザベスの件は関係な――」


「アキラ」


「何?」


 ロキシーがポスターを見たまま固まっている。


「どうした?」


「これ」


 記念イベントの説明欄。


 過去の大学史展示。


 歴代学生の写真展。


 留学生交流史。


 そして。


 特別展示資料の一覧。


 その中に。


 ――英国人留学生 E・ウォーカー氏寄贈資料。


「……エリザベス?」


 朗が呟く。


 ロキシーが頷いた。


「帰国しただけなら、寄贈資料が大学に残っていてもおかしくない」


「そうですね」


「展示場所は?」


 ロキシーが指差す。


「旧図書館棟」


「今日行く?」


「もちろん」


「即答だな」


     ◇


 旧図書館棟は、現在ほとんど使われていない建物だった。


 一階の一部だけが大学史展示スペースになっている。


 二人が入る。


 古い写真。


 教科書。


 制服。


 学生証。


 戦前の机。


 ロキシーは目を輝かせた。


「面白い!」


「事件忘れてるだろ」


「両方大事です」


 奥へ進む。


 留学生交流史コーナー。


「あった」


 展示ケース。


 その中に一冊の小さなノートが置かれていた。


 説明札。


 ――E・ウォーカー寄贈 日本滞在記録。


「日記?」


「みたいだな」


 だが中身は開かれていない。


「読みたい」


「展示物だから無理だろ」


「申請すれば?」


「また申請かよ」


 ロキシーは展示ケースへ顔を近づけた。


「アキラ」


「今度は何?」


「これ」


 ケースの端。


 小さな紙片。


 展示説明のコピーらしい。


 そこには一文だけ書かれていた。


 ――E・ウォーカーは昭和○○年十月十二日、個人的事情により急遽帰国した。


「さっきの名簿と同じ日付ですね」


「ああ」


 その下。


 鉛筆で何か書かれていた。


 消しかけてある。


 朗は目を細めた。


「何て書いてある?」


 ロキシーが読む。


「……She did not go home」


「え?」


 朗も文字を見る。


 確かにそう読めた。


 英語。


 たった五語。


 ロキシーが日本語にする。


「彼女は――帰国していない」


 二人は黙った。


 その瞬間。


 背後で。


 カタン。


 音がした。


 振り返る。


 誰もいない。


「……誰かいた?」


 朗が言う。


「今、足音もしました」


「僕も聞いた」


 二人は通路へ出た。


 廊下。


 無人。


 ただし。


 遠くの出口の扉だけが、ゆっくり閉じていくところだった。


 ロキシーが走り出す。


「待て!」


 二人で外へ出る。


 だが。


 そこにはもう誰もいなかった。


「逃げました」


「追うなよ!」


「でも!」


「相手が誰か分からないんだぞ」


 朗は息を整える。


 ふと。


 ロキシーの足元に何か落ちていることに気づいた。


「ロキシー」


「?」


「それ」


 小さな紙。


 拾う。


 昨日と同じ。


 創立記念のレターセットだった。


 今度は日本語。


 たった一行。


 朗の背筋が寒くなった。


 そこには、こう書かれていた。


 エリザベス・ウォーカーのことを調べるな。


 ロキシーが朗を見る。


 朗もロキシーを見る。


 昨日までは。


 ただの悪戯かもしれなかった。


 だが、もう違う。


 誰かが。


 僕たちの行動を見ている。


 そして。


 五十年前の留学生について調べられることを、明らかに恐れている。


「アキラ」


「……何」


 ロキシーの青い瞳が光った。


「やっぱり事件です」


 朗はため息をついた。


「そこ、嬉しそうに言うところじゃないからな」


 けれど。


 僕自身も。


 もう、この謎から目を離せなくなっていた。


第2話 古い校章と消えた名前 了

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。