↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/30

距離の近い留学生

挿絵(By みてみん)

 その金髪の女の子は、僕の顔を覗き込みながら言った。


「アキラ。日本では、女の子が男の子の部屋に行ったら、恋人という意味ですか?」


「――は?」


 高瀬朗は固まった。


 四月の昼下がり。


 大学の学生食堂には、昼休みを過ぎたというのにまだ大勢の学生が残っている。


 そのど真ん中で。


 向かいに座る外国人留学生が、とんでもない質問を投げてきた。


「だから、男の子の部屋に行くことです」


「いや……別に、必ずしもそういう意味じゃないけど」


「そうなんですか?」


「友達同士でも行くことはあるだろうし」


「よかった」


 彼女――ロキシー・ハートマンは、ぱっと笑った。


 腰まで届く金色の髪。


 透き通るような青い瞳。


 日本人離れした――という表現は彼女の場合当然なのだが――整った顔立ち。


 ただ座っているだけで周囲の視線を集める。


「では今日、アキラの部屋に行きます」


「なんでそうなるんだよ!」


 思わず大声が出た。


 周囲の学生が一斉にこちらを見る。


 朗はすぐに俯いた。


「……目立つからやめてくれ」


「アキラが大きな声を出したんですよ?」


「誰のせいだ」


「私?」


「そうだよ」


 ロキシーは楽しそうに笑った。


 来日してまだ一週間。


 なのに彼女は、すでに僕の大学生活の平穏を完全に破壊しつつあった。


      ◇


 一週間前。


 朗は新年度最初の講義へ向かっていた。


 東京都内にある私立大学。


 文学部日本文化学科、二年。


 大学生活二年目。


 今年こそ少しくらい人間関係を広げよう。


 そう思っていた。


 友達を百人作りたいとは思わない。


 一人でいい。


 一人増えれば上出来だ。


 そんな慎ましい目標だった。


「Excuse me!」


 その声を聞くまでは。


 振り返る。


 金髪の女性が立っていた。


「あの」


「はい?」


「国際交流センターは、どこですか?」


 日本語だった。


 少しだけイントネーションが違うが、かなり流暢だ。


「ああ、それなら……」


 朗はキャンパスの奥を指差した。


「この道をまっすぐ行って、図書館の前を右です」


「右」


「はい」


「図書館の前を右」


「そうです」


 女性はにっこり笑った。


「ありがとうございます」


「いえ」


 朗は軽く会釈して、その場を去ろうとした。


 ところが。


「待ってください」


「え?」


「一緒に来てくれませんか?」


「僕が?」


「はい」


「いや、場所は今説明したので――」


「迷うかもしれません」


「一本道ですよ?」


「私は日本に来て三日目です」


「それ関係ある?」


「あります」


 真顔で言われた。


 断る理由を考えているうちに、彼女は朗の隣に並んだ。


 近い。


 肩が触れそうだった。


「あの……」


「はい?」


「もう少し離れてもらっていいですか?」


 女性は不思議そうな顔をした。


「どうして?」


「近いからです」


「友達はこのくらいでしょう?」


「まだ友達じゃないですよね?」


「では友達になりましょう」


「え?」


 彼女は右手を差し出した。


「私はロキシー・ハートマンです。交換留学生です」


「……高瀬朗」


「アキラ」


「いきなり名前?」


「私はロキシー。あなたはアキラ」


「いや、それはそうだけど」


「これで友達ですね」


 強引だった。


 圧倒的に強引だった。


 朗が人生で出会ったことのないタイプだ。


 だが、不思議と嫌な感じはしなかった。


 朗も仕方なく右手を差し出した。


「よろしく」


「よろしくお願いします、アキラ」


 握手をする。


 その瞬間。


 ロキシーが朗の顔をじっと見た。


「何?」


「アキラは緊張しています」


「してないよ」


「しています」


「なんで分かるんだよ」


「手が冷たいです」


「……」


「女の子と握手するの、慣れていない?」


「余計なお世話だ!」


 ロキシーが声を上げて笑った。


 最悪だ。


 でも。


 少しだけ楽しかった。


      ◇


 それからロキシーは、なぜか朗の隣にいるようになった。


 理由は単純。


 二人とも同じ日本文化学科だったからだ。


「アキラ。この漢字は?」


「『忖度』」


「ソンタク?」


「相手の気持ちを推し量る、みたいな意味」


「なぜ言わないんですか?」


「何を?」


「気持ちを」


「……え?」


「相手の気持ちを考えるより、本人に聞けば早いでしょう?」


「まあ、そうだけど」


「日本人は難しいです」


「それは否定できないな」


 そんな会話を毎日のようにした。


 ロキシーは日本が好きだった。


 神社。


 寺。


 昔話。


 妖怪。


 古い町並み。


 日本文学。


 特に民間伝承に興味があるらしい。


「雪女は本当に人を殺しますか?」


「伝承による」


「河童は?」


「河童も地域によって全然違う」


「鬼は?」


「それも同じ」


「面白い!」


 ロキシーは何でも面白がった。


 朗にとって当たり前だった日本の文化が、彼女の目を通すと少し違って見えた。


 そのこと自体は、悪くない。


 問題は一つ。


 距離が近い。


 とにかく近い。


「アキラ」


 図書館で隣に座る。


「この文章、読んでください」


 身体ごと寄ってくる。


「近い」


「?」


「顔」


「文字が見えません」


「向こうから見ればいいだろ」


「こっちのほうが近いです」


「だからその近さが問題なんだよ!」


 青い瞳が目の前にある。


 金色の髪から、甘い香りがする。


 朗は顔を背けた。


「顔が赤いです」


「暑いだけ」


「四月ですよ?」


「日本の四月は暑い日もある」


「今日は十八度です」


「なんで気温覚えてるんだよ」


「天気予報を見ました」


 勝てない。


 この留学生には絶対勝てない。


      ◇


 そして今日。


 学生食堂での問題発言である。


「どうして僕の部屋に来たいんだよ」


「日本語を教えてください」


「図書館でいいだろ」


「それから日本の映画を見ます」


「自分の部屋で見ろよ」


「アキラと見たいです」


 さらっと言う。


 朗の箸が止まった。


「……そういうこと簡単に言うなよ」


「なぜ?」


「勘違いする男もいるから」


「アキラは勘違いしますか?」


「しない」


 即答。


 ロキシーはじっと朗を見る。


「本当に?」


「本当に」


「残念」


「何が!?」


 また周囲が見る。


 朗は頭を抱えた。


「もう勘弁してくれ……」


 そのときだった。


「あれ?」


 ロキシーが急に真顔になった。


「どうした?」


「鞄」


 椅子の横に置いていた黒いショルダーバッグ。


 その外ポケットから白い紙が出ている。


「こんなの入れました?」


「僕が?」


「違います?」


「触ってないよ」


 ロキシーが紙を取り出した。


 四つ折りだった。


 開く。


 笑顔が消えた。


「……」


「何?」


 朗も覗き込む。


 英文だった。


 短い。


 朗でも意味は分かった。


 たった一文。


 ――GO BACK HOME BEFORE YOU REGRET COMING HERE.


「……帰れ?」


「はい」


 ロキシーが小さく答える。


「ここへ来たことを後悔する前に、国へ帰れ」


 朗の背筋が冷たくなった。


「誰かの嫌がらせじゃないか?」


「そうかもしれません」


「学生課に持っていこう」


「はい」


 意外にもロキシーは素直に頷いた。


「こういうのは自分たちでどうにかする話じゃない。念のため大学に相談したほうが――」


「アキラ」


「ん?」


「これ」


 ロキシーが紙の端を指差した。


「何?」


「見てください」


 薄い染みのようなものがある。


 朗は紙を手に取った。


「汚れ?」


「違います」


 ロキシーは近くの窓へ歩いた。


 夕方の光へ紙をかざす。


「ほら」


「……あ」


 透かしがあった。


 丸い紋章。


 中央に一本の木。


 その周囲を囲む文字。


「これ……」


 朗は眉を寄せた。


 どこかで見たことがある。


「アキラ?」


「待って」


 記憶を探る。


 あった。


 去年受けた「大学史」の講義。


 明治期に建てられた旧校舎。


 古い資料。


 そこに描かれていた。


「昔の大学の校章だ」


「昔?」


「たしか五十年くらい前まで使われていた」


「では、この紙も古い?」


「いや」


 朗は触った。


「紙自体は新しいと思う」


「昔のマークが入った新しい紙?」


「……そういうことになる」


 二人は顔を見合わせた。


 数秒。


 ロキシーの青い瞳が輝いた。


 嫌な予感がした。


 ものすごく嫌な予感が。


「アキラ」


「何?」


「面白くなってきました」


「なってない!」


「これは事件です」


「嫌がらせだよ」


「だから事件です」


「大学に届ける。それで終わり」


「そして調べます」


「調べない」


「どうして?」


「危ないから!」


「ではアキラが一緒なら大丈夫です」


「そういう問題じゃ――」


 ロキシーは急に顔を近づけた。


 まただ。


 近い。


「お願いします」


 青い瞳が真正面から朗を見る。


「……」


「アキラ?」


「ずるいだろ、それ」


「何が?」


「その距離で頼むの」


 ロキシーは少し考えたあと――さらに五センチ近づいた。


「では、これなら?」


「近くなってる!」


 ロキシーが笑った。


「決まりですね」


「何も決まってない!」


「私が探偵」


「やらない」


「アキラが助手」


「もっと嫌だ!」


「ではアキラが探偵」


「そういう問題じゃない!」


 夕方の学生食堂にロキシーの笑い声が響いた。


 このときの僕は、まだ知らなかった。


 この一枚の手紙が。


 五十年前、この大学から突然姿を消した一人の外国人留学生へつながっていることを。


 そして。


 僕がこれからロキシーと一緒に、いくつもの事件へ首を突っ込むことになることを。


 当然ながら――。


 彼女との距離が、事件を解決するたびにどんどん近くなっていくことも。


 まだ、知らなかった。


 ただ。


 この日を境に。


 平凡だった僕の大学生活は、完全に終わった。


 そして代わりに。


 とびきり騒がしくて。


 少し危険で。


 たぶん一生忘れられない一年が始まった。


第1話 距離の近い留学生 了

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。