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14/30

帰国しなかった日

 ――エリザベスは死んでいない。


 久世直哉が残した紙。


 その一文を、高瀬朗は何度も読み返していた。


 東京へ戻った翌日。


 大学の図書館。


 午前十時。


 向かいにはロキシー。


 机の上には、これまで集めた資料が並んでいる。


「整理します」


 ロキシーがノートを開いた。


「十月二日」


「エリザベスが月影荘から山へ行った」


「葛城先生と一緒に」


「久世誠一が追った」


「そして月姫の祠で何かが起きた」


 朗が続ける。


「十月三日の朝」


「十九歳くらいの外国人女性が山道で保護」


「月峰病院へ移送」


「十月七日」


「退院」


「佐伯美津子が身元引受人」


「東京へ戻る」


 ロキシーがペンを止める。


「そして」


 二人が同時に言った。


「十月十二日」


 大学の公式記録。


 ――エリザベス・ウォーカー、個人的事情により帰国。


 朗は椅子にもたれた。


「問題はここだ」


「本当に帰ったのか」


「たぶん」


 朗は首を振る。


「帰ってない」


「私もそう思います」


「証拠が欲しい」


「佐伯美津子」


「ああ」


 彼女が。


 空白の五日間を知っている。


     ◇


 佐伯美津子。


 五十年前。


 二十八歳。


 月峰病院でエリザベスらしき女性の身元引受人になった。


 住所。


 東京都文京区。


 勤務先。


 私立聖和女子学院。


「今なら百歳近い」


 朗が言った。


「生きている可能性はあります」


「もちろん」


「でも」


 ロキシーがパソコン画面を見る。


「まず学校ですね」


「ああ」


 聖和女子学院。


 現在も存在していた。


 中高一貫の女子校。


 創立百年以上。


「問い合わせてみる」


「私が?」


「僕がやる」


「どうして?」


「君が電話するといきなり『五十年前に外国人女性を匿いませんでしたか』とか聞きそうだから」


「聞きます」


「だから僕がやる」


「失礼ですね」


「否定しなかっただろ」


     ◇


 事情を説明すると。


 意外にも学校側の反応は早かった。


 大学の宮原教授からも連絡を入れてもらい、午後には古い校史資料を閲覧できることになった。


「行きましょう」


「うん」


 ロキシーが鞄を持つ。


 そして。


 当然のように朗の横へ来る。


「何?」


「何でもありません」


「近い」


「いつものことです」


「開き直ったな」


「最近アキラも離れません」


「……」


 図星だった。


「事件中だから」


「便利な言葉ですね」


「何が」


「事件」


 ロキシーが笑う。


「何でも事件のせいにできます」


「何を言いたいんだよ」


「秘密です」


     ◇


 電車。


 二人は並んで座った。


 少し混んでいる。


 ロキシーが、そっと手を差し出した。


「……何?」


「はぐれないように」


「電車の中で?」


「はい」


「座ってるけど」


「念のため」


 朗は数秒考え。


 その手を握った。


「これでいい?」


「はい」


 ロキシーが嬉しそうに窓を見る。


「アキラ」


「何」


「慣れましたね」


「何に」


「私に」


「……どうかな」


 でも。


 否定できなかった。


     ◇


 聖和女子学院。


 都心にありながら。


 古い校舎が一部残る学校だった。


 レンガ造り。


 礼拝堂。


 木々。


「きれい」


 ロキシーが見上げる。


「ヨーロッパみたいです」


「ミッションスクールだからかな」


 二人を迎えてくれたのは。


 学院史料室の責任者。


 六十代の女性。


 小林だった。


「佐伯美津子先生についてですね」


「はい」


 朗が答える。


「五十年前、この学校に勤務していたと聞いています」


「その通りです」


「どんな先生だったんですか?」


「英語教師です」


 小林が古い教員名簿を出した。


 写真。


 若い女性。


 黒髪。


 眼鏡。


 穏やかな顔。


 ――佐伯美津子。


「この人」


 ロキシーが呟く。


「エリザベスを助けた?」


「まだ分からない」


 小林が二人を見る。


「ウォーカーさんという方との関係を調べているとか」


「はい」


「少し珍しいですね」


「珍しい?」


「最近」


 朗の顔が上がる。


「同じことを聞きに来た方がいました」


「誰です?」


 小林が記録を確認した。


「久世直哉さん」


 ロキシーと朗が顔を見合わせた。


「いつです?」


「三日前です」


「三日前……」


 久世が消える直前だった。


     ◇


「久世さんは何を?」


「佐伯先生の古い記録を」


「他には?」


「昭和期の学院日誌と、教員宿舎の記録」


「宿舎?」


 小林が説明する。


「昔は独身女性教員用の宿舎が、校内にあったんです」


「佐伯美津子も?」


「住んでいました」


 朗の脳内で線がつながった。


 エリザベスは。


 病院から佐伯美津子と東京へ戻った。


 大学には行かなかった。


 なら。


「先生」


「はい?」


「その宿舎に、来客の記録って残っていますか?」


「かなり古いですが」


 小林は立ち上がる。


「探してみましょう」


     ◇


 古い宿直日誌。


 昭和。


 十月。


 黄ばんだ紙。


 名前。


 時間。


 簡単な備考。


「十月七日」


 ロキシーの指が止まる。


 記録。


 午後六時四十分。


 佐伯美津子帰宅。


 そして。


 その下。


 ――同伴者一名。


「名前がない」


 朗が言う。


「女性?」


 備考。


 外国人女性。短期滞在予定。


 二人の表情が変わった。


「エリザベス」


 ロキシーが囁く。


「可能性が高い」


 次の日。


 十月八日。


 十月九日。


 十月十日。


 同伴者についての記載はない。


「泊まっていたから?」


「たぶん」


 そして。


 十月十一日。


 一行。


 ――佐伯教諭来客。


 大学関係者一名。


 面会拒否。


「……大学から来てる」


 朗が言う。


「誰?」


「名前がない」


 さらに。


 備考欄。


 ――外国人女性、外出せず。


 ロキシーの声が小さくなる。


「エリザベス」


「ああ」


     ◇


「十月十二日」


 朗がページをめくる。


 その日。


 大学の記録では。


 エリザベスが帰国した日。


 二人とも。


 無意識に息を止めていた。


 朝。


 記録なし。


 昼。


 記録なし。


 午後。


「あった」


 ロキシーの指。


 午後三時二十分。


 ――佐伯教諭、外国人女性と礼拝堂へ。


「……」


 朗は。


 何度も日付を確認した。


 十月十二日。


「いる」


「はい」


「東京に」


「はい」


 ロキシーが朗を見る。


「帰国していません」


 決定的だった。


 大学が。


 嘘をついている。


     ◇


「でも」


 朗が言う。


「これだけじゃエリザベス本人とは断定できない」


「外国人女性が別人の可能性?」


「ゼロではない」


「証拠」


「欲しいな」


 小林が考える。


「礼拝堂なら」


「何か?」


「当時、学院の創立記念行事が近かったんです」


「それが?」


「写真部が毎日記録写真を撮っていたはずです」


 二人。


 同時に立ち上がった。


「写真!?」


 小林が少し驚く。


「え、ええ」


「見せてください!」


「ロキシー」


「あ」


「すみません」


 それでも目が輝いている。


     ◇


 古いアルバム。


 昭和○○年度。


 十月十二日。


 礼拝堂。


 学生。


 教師。


 花の準備。


 式典リハーサル。


 ページをめくる。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


「あっ」


 ロキシーの指が止まった。


 礼拝堂の後方。


 女性が二人。


 一人は。


 佐伯美津子。


 そして隣。


 長い髪。


 白い肌。


 外国人女性。


 顔は横向き。


 だが。


「……エリザベス」


 朗も。


 確信した。


 第2話から。


 何度も見てきた顔。


 写真の裏。


 日時。


 十月十二日 午後三時四十八分。


「大学の記録では」


 ロキシーが言う。


「この日帰国」


「でも」


 朗は写真を握る。


「午後三時四十八分に東京にいた」


     ◇


 さらに。


 写真には。


 見過ごせないものがあった。


「ロキシー」


「はい?」


「エリザベスの手」


「?」


 拡大する。


 彼女は。


 一冊のノートを抱えている。


「見たことある」


 朗が言う。


「どこで?」


「大学の展示室」


 エリザベス・ウォーカー寄贈。


 日本滞在記録。


 あのノート。


「でも」


 ロキシーが眉を寄せる。


「寄贈されたのは帰国後じゃないですか?」


「記録上は」


 朗は考える。


「誰が大学へ持っていった?」


 エリザベス本人ではない。


 なぜなら。


 大学へ戻っていない可能性が高い。


「佐伯美津子?」


「あるいは」


「別の誰か」


     ◇


 小林が。


 アルバムの次のページを開いた。


「これは……」


 一枚。


 夕方。


 校門。


 佐伯美津子。


 エリザベス。


 そして。


 もう一人。


 若い男性。


 朗の目が大きくなる。


「久世誠一」


「お祖父さん」


 ロキシーも気づいた。


 写真部で見つけた。


 五十年前の青年。


 間違いない。


「会ってる」


「十月十二日に」


 つまり。


 久世誠一も。


 エリザベスが帰国していないことを知っていた。


     ◇


 写真の裏。


 鉛筆。


 簡単なメモ。


 ――午後六時。


 そして。


 撮影した生徒による一言。


 佐伯先生のお友達、お別れらしい。


「お別れ」


 ロキシーが呟く。


「どこへ行った?」


「分からない」


 その次。


 十月十三日。


 宿直記録。


 佐伯美津子。


 一人。


「エリザベスはいない」


「十二日の夜に出た」


「久世誠一と?」


「あるいは」


 朗は。


 もう一度写真を見る。


「別の誰かと」


     ◇


「佐伯先生自身の記録は?」


 ロキシーが聞く。


「日記とか」


 小林は首を振る。


「個人資料の大部分は退職時に持ち帰られています」


「家族は?」


「確か」


 パソコンを確認する。


「姪御さんが連絡先になっていました」


「名前は?」


 朗が聞く。


 小林が読む。


「佐伯美津子先生は生涯独身でした」


「はい」


「現在の連絡先は」


 一度。


「佐伯玲奈さん」


 ロキシーの表情が変わる。


「玲奈?」


「何?」


「昨日」


 閉じ込められる前。


 あの女性。


「下の名前を聞きました」


「何て?」


「レナ」


 朗は立ち上がった。


     ◇


「同じ人?」


 学校を出たあと。


 ロキシーが言った。


「分からない」


「でも佐伯」


「うん」


「玲奈」


「うん」


「偶然?」


「可能性は低い気がする」


 昨日。


 ロキシーを古い診療所へ連れて行った女性。


 その人は。


 五十年前にエリザベスを救った佐伯美津子の。


 親族かもしれない。


「敵?」


 ロキシーが聞く。


「それも分からない」


「閉じ込められました」


「そうなんだけど」


「でも資料を見せられた」


「そう」


 殺そうとしたわけではない。


 傷つけてもいない。


 むしろ。


 診療記録へ導いた。


「助けてる?」


「やり方は最悪だけど」


「アキラ怒ってました」


「当たり前だろ」


「すごく格好よかったです」


「今それ言う?」


     ◇


 そのとき。


 背後から。


「高瀬朗さん」


 二人が振り返った。


 女性。


 三十代半ばほど。


 帽子。


 眼鏡。


 ロキシーの顔が変わる。


「この人」


 朗がすぐ前へ出た。


 ロキシーを背中側へ。


「あなたが佐伯玲奈?」


「はい」


 女性は。


 静かに帽子を取った。


「昨日は申し訳ありませんでした」


「申し訳ないで済むと思ってるんですか」


 朗の声が低くなる。


「彼女を閉じ込めた」


「分かっています」


「何のために」


「守るためです」


「何から?」


 佐伯玲奈は。


 周囲を見る。


「ここでは話せません」


「信用できません」


「当然です」


 即答だった。


「なら警察へ」


「それでも構いません」


 朗が少し驚く。


 逃げない。


「でも」


 玲奈は。


 一つの封筒を取り出した。


「これだけは」


 朗へ差し出す。


「先に見てください」


     ◇


 古い封筒。


 表。


 英字。


 For Akira Takase and Roxy Hartman


「……僕たちの名前?」


 五十年前のものではない。


 新しい封筒。


「誰が書いた?」


 朗が聞く。


 佐伯玲奈は答えた。


「久世直哉さんです」


「久世さん!?」


 ロキシーが前へ出る。


「どこにいるんです?」


「無事です」


「本当に?」


「はい」


「なぜ大学へ戻らない?」


 玲奈が。


 少しだけ目を伏せる。


「戻れないからです」


「誰のせいで?」


「大学の中に」


 一度。


 言葉を切る。


「今も、この事件を終わらせたくない人間がいるから」


     ◇


 朗が封筒を開く。


 中。


 久世直哉の字。


高瀬君。


君たちが佐伯美津子まで辿り着いたなら、もう祖父の秘密を隠しても意味がない。


エリザベス・ウォーカーは、十月十二日に帰国していない。


祖父は、その夜、彼女を東京駅まで送った。


「東京駅」


 ロキシーが囁く。


 続き。


しかし、彼女は空港へ行ったのではない。


午後十一時発の夜行列車に乗った。


行き先は――


 朗が止まる。


「……」


「アキラ?」


 最後の一行。


京都。


「京都?」


 ロキシーが驚く。


「なぜ京都?」


 佐伯玲奈が言った。


「それを知るために」


 二人を見る。


「写真二二〇が必要なんです」


「あなたは」


 朗が聞く。


「220がどこにあるか知ってる?」


 玲奈は。


 首を横に振った。


「いいえ」


「じゃあ誰が?」


「一人だけ」


「誰?」


 玲奈は。


 答える。


「佐伯美津子です」


「生きてるんですか?」


 ロキシーが聞く。


 玲奈は。


 静かに頷いた。


「九十八歳です」


 二人の呼吸が止まる。


「今も」


 玲奈が続ける。


「エリザベス・ウォーカーのことを覚えています」


 五十年前。


 帰国したことにされた十九歳の留学生。


 彼女を。


 最後に東京で匿った女性。


 佐伯美津子。


 その本人が。


 まだ生きている。


「会わせてください」


 朗が言った。


 佐伯玲奈は。


 すぐには答えなかった。


 そして。


「一つ条件があります」


「何です?」


「彼女に」


 玲奈の表情が。


 初めて険しくなる。


「『エリザベスは死んだのか』とは絶対に聞かないでください」


 ロキシーが眉を寄せる。


「なぜ?」


「その質問をすると」


 佐伯玲奈は。


 目を伏せた。


「祖母は必ず」


 静かに。


「『私が殺した』と答えるからです」


 朗も。


 ロキシーも。


 何も言えなかった。


 謎は。


 また一つ。


 大きくなった。


第14話 帰国しなかった日 了

挿絵(By みてみん)

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