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消された九日間

 十月三日。


 女性。


 推定十九歳から二十歳。


 頭部打撲。


 右足捻挫。


 軽度の低体温。


 月姫山旧道で保護。


 日本語での会話可能。


 氏名回答を拒否。


 ――町外の病院へ移送。


「……ここなんだよな」


 翌朝。


 月影荘の食事処で、高瀬朗は診療記録のコピーを見つめていた。


 目の前の朝食には、ほとんど手をつけていない。


「アキラ」


「ん?」


「お味噌汁、冷めます」


「ああ」


「卵焼きも」


「うん」


「魚も」


「分かってるよ」


 向かいに座るロキシーが頬を膨らませた。


「昨日、私にちゃんと食べろと言ったでしょう?」


「言ったっけ」


「言いました」


「覚えてるの?」


「アキラの言葉はだいたい覚えています」


 朗は箸を止めた。


「……そういうの不意打ちで言うのやめて」


「なぜ?」


「朝から心臓に悪い」


「健康のためには心臓を動かしたほうがいいです」


「そういう問題じゃない」


 ロキシーがくすくす笑った。


 昨日。


 突然姿を消した彼女を探し回った。


 古い診療所。


 閉じ込められた部屋。


 無事な姿を見た瞬間、全身から力が抜けた。


 あの感覚を。


 朗はまだ忘れられない。


「……本当に一人で行くなよ」


 思わず言った。


「昨日から五回目です」


「五回でも十回でも言う」


「はい」


 ロキシーは素直に頷く。


「もうしません」


「本当に?」


「本当に」


 少し間を置いて。


「たぶん」


「おい!」


 いつもの調子。


 だが朗は、少し安心した。


     ◇


「問題は、この九日間だね」


 朝食後。


 宮原教授の部屋に集まった。


 机の上にはこれまでの資料が並んでいる。


 十月二日。


 エリザベスは月影荘から葛城宗一郎と山へ向かった。


 月姫の祠で争いになる。


 久世誠一が追いつく。


 さらに大学関係者らしい男たちも現れる。


 十月三日。


 正体不明の若い外国人女性が月姫山旧道で保護される。


 そして大学の公式記録では。


 十月十二日。


 エリザベス・ウォーカーは「個人的事情により帰国」。


「本当に帰国したなら」


 ロキシーが言う。


「十月三日から十二日の間に、大学へ戻るか、少なくとも大学と連絡を取ったはずです」


「そうだね」


 宮原教授が頷く。


「ところが、その記録が見当たらない」


「つまり」


 朗は資料を見る。


「大学側が意図的に消した」


「可能性はある」


「でも何のために?」


 教授は答えなかった。


 それが分かれば。


 事件の半分は解ける。


     ◇


「まず転送先の病院」


 朗が言う。


「そこが分かれば、エリザベスがその後どこへ行ったのか追える」


「黒く塗られています」


 ロキシーが診療記録を指す。


「でも」


「元の記録がどこかに残ってるかもしれない」


「町役場?」


「医療関係の古い記録は保存期間の問題もあるけど……」


 宮原教授が言う。


「当時この辺りから重症者を送る病院は、そう多くないはずだ」


「調べられます?」


「やってみよう」


     ◇


 一時間後。


 女将の協力で。


 地元の古い地図。


 観光案内誌。


 新聞縮刷版。


 電話帳。


 いくつもの資料を広げた。


「五十年前、この町には診療所が三つ」


 朗が整理する。


「入院設備があるのは一つだけ」


「でも」


 ロキシーが指差す。


「町外へ移送」


「そう」


「近隣の病院は?」


「三つ」


 県立病院。


 赤十字病院。


 そして。


 私立の小さな病院。


「月峰病院」


 ロキシーが読む。


「今もある?」


 朗が検索する。


「……ない」


「閉院?」


「二十年以上前に」


 その瞬間。


 女将が反応した。


「月峰病院……」


「知ってるんですか?」


「あそこなら」


 女将は少し考えた。


「昔、大学と関係があったはずです」


「大学?」


「ええ」


 朗とロキシーが顔を見合わせる。


「どういう関係?」


「詳しくは知りません。ただ」


 女将が言う。


「昔、夏になると大学の先生や学生が検診の手伝いに来ていました」


「うちの大学が?」


「そうです」


 また。


 大学。


     ◇


 月峰病院について調べる。


 古い新聞。


 地域史。


 ようやく見つけた。


「これ」


 宮原教授が記事を示した。


 昭和期。


 月峰病院。


 院長。


 葛城宗太郎。


「葛城?」


 ロキシーが声を上げる。


「葛城宗一郎と同じ名字」


 朗が記事を読む。


「父親……?」


 年齢から考えれば。


 あり得る。


 教授が資料を確認する。


「葛城宗一郎の父親で間違いない」


 空気が変わった。


「じゃあ」


 朗が呟く。


「エリザベスが移送された可能性のある病院は」


 葛城の家族が経営していた。


「偶然?」


 ロキシーが言う。


 誰も答えない。


 偶然にしては。


 出来すぎていた。


     ◇


「葛城宗一郎」


 朗はスマートフォンを操作した。


「大学では何をしていた人なんだ?」


 これまで。


 事件の中心人物なのに。


 詳しい経歴を調べ切れていなかった。


 教授の古い名簿。


 研究紀要。


 大学史。


「文化人類学」


 朗が読む。


「専門は民俗学と宗教文化」


「エリザベスと同じ分野」


「指導教員だった?」


 資料。


 あった。


 交換留学生担当教員。


 葛城宗一郎。


「……」


 ロキシーが静かになった。


「先生だったんですね」


「ああ」


「信頼していた?」


「最初は、たぶん」


 だからこそ。


 エリザベスは手紙に書いた。


 ――葛城先生を信じないで。


     ◇


「でも」


 ロキシーが言う。


「エリザベスは何を知ったんでしょう?」


「分からない」


「木箱」


「うん」


「写真」


「うん」


「月姫様」


 朗が考える。


 エリザベスが抱えていた木箱。


 葛城が欲しがった。


 大学関係者まで山へ来た。


「普通の民俗資料じゃない」


「私もそう思います」


「大学にとって困る何か」


「あるいは葛城先生にとって」


「そうだな」


     ◇


 昼前。


 朗たちは月峰病院跡へ向かった。


 現在は。


 福祉施設になっている。


 旧病院の建物は一部だけ残されていた。


 管理者へ事情を説明する。


「五十年前の患者記録?」


 職員は驚いた。


「さすがに残ってないと思いますけどね」


「何か古い資料だけでも」


 宮原教授が頼む。


「倉庫を確認してみます」


 二十分。


 三十分。


 待つ。


 朗は外のベンチに座った。


 ロキシーも隣。


「アキラ」


「何?」


「昨日のこと、まだ怒ってます?」


「……少し」


「ごめんなさい」


「でも」


 朗はロキシーを見る。


「怒ってるというより怖かった」


「はい」


「君がいなくなるの」


「……」


 ロキシーが少し黙った。


「私も」


「何?」


「昨日、閉じ込められたとき」


 手を見る。


「最初は平気だと思ってました」


「うん」


「でも」


 声が小さくなる。


「誰も来なかったらどうしようって」


「……」


「アキラにもう会えなかったらって」


 朗は答えられなかった。


「そしたら」


 ロキシーが笑う。


「本当に来た」


「そりゃ行くよ」


「嬉しかった」


 そして。


 少しだけ。


 朗の肩へ寄る。


「近い」


「嫌ですか?」


「……もう、それ聞かなくていい」


「なぜ?」


「嫌じゃないって分かってるだろ」


 ロキシーが。


 ものすごく嬉しそうに笑った。


「はい」


     ◇


「ありましたよ!」


 職員の声。


 二人は慌てて離れた。


「……」


「……」


 朗の顔が赤い。


 ロキシーは笑っている。


「何してたんだい?」


 宮原教授が戻ってくる。


「何も!」


「はい、何も」


「君たち、息合ってきたね」


「先生!」


     ◇


 保管庫。


 古い段ボール。


 カルテそのものは残っていない。


 だが。


 入退院台帳。


 一部だけ。


「十月三日」


 ページを探す。


 あった。


 女性患者。


 名前。


 E・W


「……イニシャル」


 ロキシーが囁く。


 年齢。


 十九歳。


 入院日。


 十月三日。


「これだ」


 朗の心臓が早くなる。


 そして。


 退院日。


 十月七日。


「四日間入院してた?」


「そうなる」


 退院先。


 空白。


 しかし。


 備考。


 一行。


「身元引受人……」


 朗が読む。


 そこには。


 名前があった。


 佐伯美津子。


「佐伯」


 ロキシーが固まる。


「昨日の女性」


「佐伯って名乗った」


「同じ名字?」


 もちろん。


 五十年前の人物と昨日の女性が同一人物のはずはない。


「親族?」


「可能性はある」


     ◇


 さらに。


 備考欄。


 朗が読む。


「本人希望により」


 少し字が薄い。


「大学への連絡は行わず」


 ロキシーの目が大きくなる。


「エリザベス本人が?」


「そう書いてある」


「大学に戻りたくなかった」


「ああ」


「なぜ?」


「葛城がいるから」


 少なくとも。


 その可能性は高い。


 次の一行。


「身元引受人とともに……」


 読みにくい。


 教授が眼鏡をかけ直す。


「これは」


 指でなぞる。


「東京へ移動」


「東京?」


 二人が同時に声を上げる。


     ◇


「エリザベスは」


 ロキシーが言う。


「東京へ戻っていた?」


「大学も東京だ」


「でも大学には行ってない」


「別の場所へ」


「佐伯美津子と」


「ああ」


 事件の舞台が。


 再び東京へ戻った。


     ◇


「十月七日」


 朗が整理する。


「エリザベスは病院を退院」


「佐伯美津子と東京へ」


「そして大学記録では十月十二日に帰国」


「五日後」


 ロキシーが指を数える。


「この五日間」


「何があった?」


 教授が静かに言った。


「それを調べる必要がある」


     ◇


 そのとき。


 朗が台帳の下。


 紙片に気づいた。


「これ何です?」


 古いメモ。


 受付担当者の走り書き。


 名前。


 住所。


「住所?」


 佐伯美津子のものらしい。


 東京都。


 文京区。


 そして。


 勤務先。


 朗は読んだ。


「私立……」


 文字がかすれている。


「聖和女子学院?」


 ロキシーが覗く。


「学校?」


「みたいだな」


「佐伯美津子は先生?」


「かもしれない」


     ◇


 そこへ。


 宮原教授のスマートフォンが鳴った。


「失礼」


 電話に出る。


「はい、宮原です」


 しばらく。


 教授の表情が変わった。


「……分かりました」


 切る。


「先生?」


「大学からだ」


「何か?」


「久世君が」


 朗が立ち上がる。


「久世さん?」


「今朝から連絡が取れないらしい」


「え?」


「研究室にも来ていない」


「それだけなら休みでは?」


「いや」


 教授の顔が険しい。


「昨夜」


 言葉を選ぶ。


「研究室が荒らされたそうだ」


     ◇


「何が盗まれたんです?」


 朗が聞く。


「まだ分からない」


「写真?」


 ロキシーが言う。


「二二〇?」


「可能性はある」


 教授は時計を見る。


「予定を変更しよう」


「東京へ戻る?」


「ああ」


 月影荘で得られる情報は。


 かなり集まった。


 そして。


 事件の中心が。


 東京へ移った。


     ◇


 午後。


 月影荘を出る。


 女将が玄関で見送った。


「お気をつけて」


「ありがとうございました」


 ロキシーが深く頭を下げる。


「また来てもいいですか?」


「もちろん」


 女将が笑う。


「次は」


 一瞬。


 朗を見る。


「事件ではなく、普通の旅行で」


 ロキシーが満面の笑み。


「アキラと?」


「なんで僕に聞く」


 女将がくすくす笑った。


「お似合いですよ」


「ち、違います!」


「ありがとうございます」


「なんで君は礼を言うんだ!」


 最後まで。


 そうだった。


     ◇


 帰りの電車。


 ロキシーは窓側。


 朗は隣。


「楽しかったです」


「事件だらけだったけど?」


「でも」


 ロキシーが指を折る。


「温泉」


「うん」


「浴衣」


「うん」


「山」


「うん」


「謎」


「うん」


「アキラ」


「僕も観光名所?」


「一番重要」


 朗は窓の外を見る。


「……そう」


「顔が赤い」


「夕日」


「まだ昼です」


「知ってる」


 ロキシーが笑う。


     ◇


 しばらくして。


 静かになった。


 見ると。


 ロキシーが眠っていた。


 朗の肩に。


 頭を預けて。


「……」


 起こそうと思った。


 でも。


 やめた。


「まあいいか」


 金色の髪が肩にかかる。


 電車の揺れ。


 窓の外。


 山が少しずつ遠ざかる。


 朗は。


 小さく呟いた。


「今度こそ守るから」


 ロキシーは。


 眠ったままだった。


     ◇


 二時間後。


 東京。


 大学へ到着した頃には。


 もう夕方だった。


 大学院棟。


 久世直哉の研究室。


 扉は。


 警備員立ち会いのもと開けられていた。


 本。


 書類。


 箱。


 床へ散乱している。


「ひどい」


 ロキシーが呟く。


 朗は部屋を見る。


 何か。


 探された。


 明らかだ。


「久世さんは?」


「まだ連絡が取れていない」


 宮原教授が答える。


 そのとき。


「高瀬君」


 警備員が。


 一枚の紙を差し出した。


「机の上に君の名前があった」


「僕?」


 紙。


 久世の字。


 短い文章。


 朗は読む。


高瀬朗へ。


もし君がここまで辿り着いたなら、祖父が守ったものを託す。


エリザベスは死んでいない。


そして、写真220は――


 そこで。


 文章が途切れている。


 紙の下半分が。


 破られていた。


「……またか」


 ロキシーが。


 机を見る。


「誰かが続きだけ持っていった」


「ああ」


「でも」


 朗は手紙を見つめる。


 久世も。


 はっきり書いた。


 ――エリザベスは死んでいない。


 朗は顔を上げた。


「ロキシー」


「はい」


「次に探すのは写真じゃない」


「では?」


「人だ」


「誰を?」


 朗は。


 台帳にあった名前を思い出す。


 五十年前。


 エリザベスを病院から連れ出し。


 東京へ連れてきた女性。


「佐伯美津子」


 そして。


 昨日。


 ロキシーへ近づいた。


 佐伯を名乗る謎の女性。


「たぶん」


 朗が言う。


「この二人をつなげれば」


 五十年前と現在が。


 初めて一本につながる。


「エリザベスがどこへ消えたのか分かる」


 ロキシーの青い瞳が。


 再び強く輝いた。


「では」


 今度は。


 以前のように勝手に走り出さず。


 朗へ手を差し出した。


「一緒に行きましょう」


 朗は。


 その手を握った。


「ああ」


 今度は。


 本当の意味で。


 二人で。


第13話 消された九日間 了

挿絵(By みてみん)

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