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10/30

月姫の祠

 翌朝。


 朗が目を覚ましたとき、障子の向こうはすでに明るかった。


「……朝か」


 昨夜。


 ロキシーが部屋に来て。


 事件のことを話して。


 それから――。


『私だからではなく?』


『……ロキシーだから』


「うわ……」


 朗は布団を頭までかぶった。


 思い出すだけで恥ずかしい。


 自分で言った。


 確かに言った。


「何やってんだ、僕……」


 コンコン。


 扉が鳴る。


「アキラ?」


「!」


 本人だった。


「起きています?」


「お、起きてる!」


「朝ごはんですよ」


「今行く!」


 朗は飛び起きた。


     ◇


 食事処。


 ロキシーは何事もなかったように朝食を食べていた。


「おはようございます」


「……おはよう」


「眠れました?」


「まあまあ」


「私はよく眠れました」


「そう」


「アキラの夢も見ました」


「朝からやめて」


 ロキシーが楽しそうに笑う。


「冗談です」


「……本当に?」


「半分」


「どっちだよ」


 宮原教授が向かいの席から苦笑した。


「君たちは朝から元気だね」


「先生」


 ロキシーがすぐ本題に入る。


「今日は月姫の祠へ行けますか?」


「ああ」


 教授が頷く。


「女将さんと相談した。地元の案内人に同行してもらう」


「やった」


「ただし」


 教授の表情が少し厳しくなる。


「昨日のこともある。勝手な行動は絶対にしないこと」


「はい」


 ロキシーが素直に返事をする。


 朗は横を見る。


「珍しい」


「私だって聞くときは聞きます」


「昨日一人で廊下を追いかけようとした人が?」


「アキラも追いました」


「それは」


「似てきましたね」


「嬉しくない」


「私は嬉しいです」


     ◇


 午前九時。


 一行は月影荘を出た。


 宮原教授。


 朗。


 ロキシー。


 そして地元の案内人。


 七十代くらいの男性。


 名前は山岡。


「昔は普通に参拝する人もいたんですがね」


 山道を歩きながら、山岡が言う。


「今じゃ、ほとんど誰も行かんですよ」


「どうしてです?」


 ロキシーが聞く。


「道が悪い。それだけです」


「他には?」


「……」


 山岡は少しだけ笑う。


「外国のお嬢さんは、怖い話が好きですか」


「好きです」


「即答するんだ」


 朗が呟く。


「じゃあ、一つ」


 山岡が杖で道を示す。


「月姫様の祠には、昔から決まりがある」


「決まり?」


「夜には行ってはいけない」


 ロキシーの目が輝く。


「なぜ?」


「月姫様に呼ばれるからですよ」


「呼ばれる?」


「名前を」


 山岡は振り返らずに言った。


「夜の山で、自分の名前を呼ばれても返事をしてはいけない」


「返事したら?」


「帰れなくなる」


 ロキシーが朗へ寄る。


「アキラ」


「何」


「怖いです」


「顔が嬉しそうなんだけど」


「怖いのと面白いのは別です」


「君、本当に強いよな」


     ◇


 一時間ほど。


 山道は次第に険しくなった。


「大丈夫?」


 朗が聞く。


「大丈夫です」


 ロキシーは答えたものの、少し息が上がっている。


「荷物持とうか?」


「いいです」


「無理しなくていいよ」


「でも」


「事件より先に君が倒れたら意味ない」


 朗が手を差し出す。


 ロキシーは少し驚いた。


「アキラ」


「何」


「最近、積極的ですね」


「荷物持つだけ!」


「昨日から」


「昨日の話はやめて」


「なぜ?」


「恥ずかしいから」


 ロキシーが笑う。


「はい」


 そして素直にバッグを渡した。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


「優しいですね」


「普通」


「また謙遜」


「それももういいから」


     ◇


 さらに二十分。


 鳥居が見えた。


 古い。


 石造り。


 苔。


 その先。


 小さな祠。


「あれです」


 山岡が言う。


「月姫様」


 ロキシーが足を止める。


「きれい……」


 豪華な社ではない。


 むしろ。


 山の中にひっそり残った小さな祠。


 だが。


 不思議な雰囲気があった。


 風が冷たい。


 木々の隙間。


 昼なのに薄暗い。


「写真」


 朗はスマートフォンを取り出した。


 二一八番。


 背景に写っていた石碑。


「同じだ」


 祠の横。


 苔むした石碑。


 ――月姫大神。


「ここです」


 ロキシーも確認する。


「五十年前」


 朗が言う。


「エリザベスと葛城がいた場所」


     ◇


 宮原教授は祠の周辺を調べ始めた。


 刻まれた文字。


 奉納年。


 由緒。


 ロキシーも真面目に記録している。


 朗は。


 二一八番の写真を見比べていた。


「……変だな」


「何が?」


 ロキシーが近づく。


「この写真」


「はい」


「葛城とエリザベスの位置」


 二人は石碑の前にいる。


 しかし。


 写真には。


 今はないものが写っている。


「これ」


 朗が拡大する。


 石碑の後ろ。


 小さな木箱のようなもの。


「祠?」


「いや」


 ロキシーが実物を見る。


「今はありません」


「五十年前にはあった」


 二人は石碑の裏へ回った。


「アキラ」


「何?」


「ここ」


 地面。


 石。


 四角い窪み。


 何かが置かれていた跡。


「箱の台座?」


「かもしれない」


 宮原教授も来る。


「これは」


 しゃがむ。


「小さな祠か、奉納箱があった跡だろうね」


「今は?」


「撤去されたんだろう」


「いつ?」


 教授は首を振る。


「そこまでは分からない」


     ◇


「山岡さん」


 ロキシーが案内人を呼ぶ。


「昔、ここに箱みたいなものがありましたか?」


 山岡が祠の裏を見る。


「ああ」


 あっさり答えた。


「ありましたよ」


 二人が反応する。


「何の箱?」


「分からん」


「いつなくなったんです?」


 山岡の顔が少し曇った。


「昔ですよ」


「五十年前?」


「……そのくらいだったかな」


 朗が聞く。


「エリザベス・ウォーカーを知っていますか?」


 山岡の目が動いた。


「誰です?」


「五十年前、この祠を調べた外国人留学生です」


「知らんね」


 即答。


 でも。


 朗には分かった。


 知っている。


「本当に?」


「知らんものは知らん」


 山岡は歩き出す。


「昼までには戻ったほうがいい」


     ◇


 ロキシーが朗の耳元で囁く。


「嘘ですね」


「うん」


「アキラも分かりました?」


「分かった」


「すごい」


「さすがにあれは分かる」


「どうします?」


「追及しない」


「なぜ?」


「今は案内してもらってる側だから」


「慎重」


「君が突っ込みすぎ」


 ロキシーが小声で笑った。


     ◇


 祠の周囲をさらに調べる。


 すると。


 朗が一本の木に気づいた。


「これ」


「?」


 太い杉。


 幹。


 古い傷。


「何か彫ってある」


 苔を傷つけないよう、近くから確認する。


 文字。


 ほとんど読めない。


「S……」


 ロキシーが目を細める。


「E」


「SとE?」


 その下。


 数字。


 10・2。


「十月二日」


 二人が同時に言う。


 朗の心臓が早くなる。


「Sは誠一?」


「Seiichi」


「EはElizabeth」


 ロキシーが。


 少しだけ表情を変えた。


「二人で彫った?」


「可能性ある」


「恋人だったんでしょうか」


「……そうかも」


 ロキシーが文字を見つめる。


「五十年前の恋」


 朗は何も言わなかった。


「アキラ」


「何」


「もし私たちだったら」


「やらないよ」


「まだ何も言ってません」


「木に名前彫る話だろ」


「分かるんですね」


「分かるよ」


「では別の方法にしましょう」


「何を残す気だよ」


     ◇


 そのとき。


「先生!」


 少し離れた場所から声。


 宮原教授。


「高瀬君、ハートマンさん」


 二人が向かう。


「これを見て」


 祠の裏。


 倒れた石。


 その下。


 古いガラス瓶があった。


「手紙?」


 瓶の中に。


 紙。


 宮原教授が慎重に取り出す。


 かなり傷んでいる。


「最近のものではないですね」


「少なくとも数十年」


 教授が答える。


 紙。


 英語。


 ロキシーが読む。


「……」


「何て?」


 朗が聞く。


 ロキシーの表情が変わっていた。


「エリザベスじゃない」


「じゃあ誰?」


「サイン」


 紙の最後。


 英字。


 S. Kuze


「久世誠一」


 朗が呟く。


     ◇


 手紙。


 全文はかなり消えている。


 読める部分だけ。


 ロキシーが訳した。


「エリザベスへ」


 静かな山。


 風。


「私は、あの夜のことを忘れない」


 朗は黙って聞く。


「あなたを一人で行かせたことを」


「……」


「追いついたときには」


 そこから文字が消えている。


 数行。


 判読不能。


 そして。


「私は写真を隠した」


 朗の目が変わる。


「写真?」


「続きます」


 ロキシーが読む。


「四枚のうち」


 一行。


「一枚は大学へ」


「?」


「一枚はあなたが泊まった部屋へ」


 朗が息を呑む。


「一枚は」


 文字が滲んでいる。


「……分からない」


「最後は?」


「待って」


 ロキシーが光にかざす。


「読めます」


 最後。


「最後の一枚は」


 彼女の声が止まる。


「月姫様に預けた」


     ◇


 全員。


 祠を見る。


「月姫様に」


 朗が呟く。


「つまり」


 ロキシーが言う。


「ここに写真がある?」


「可能性は高い」


 四枚。


 二一七。


 二一八。


 二一九。


 二二〇。


 二一七と二一八は。


 すでに誰かが二人へ渡した。


「残り二枚」


 朗が言う。


「そのうち一枚がここ?」


「はい」


 ロキシーの目が輝く。


「探しましょう」


「勝手に祠を触れないよ」


 宮原教授が釘を刺す。


「神社の管理者に許可を取る必要がある」


「はい」


 ロキシーは少し残念そう。


     ◇


 そのとき。


 山岡が。


 急に言った。


「やめなさい」


 全員が振り返る。


「山岡さん?」


「その写真は」


 顔色が変わっている。


「見つけないほうがいい」


 朗が聞く。


「知ってるんですね」


「……」


「エリザベスのこと」


「知らん」


「じゃあどうして写真を?」


 山岡は黙る。


 ロキシーが一歩前に出た。


「山岡さん」


「……」


「あなた、あの夜ここにいました?」


 空気が変わった。


 山岡が。


 ゆっくり。


 ロキシーを見る。


「どうしてそう思う」


「写真」


 二一七番。


 木の陰。


 もう一人の人物。


 顔は見えない。


「あなたですか?」


「違う」


「本当に?」


「違う!」


 強い声。


 鳥が飛び立った。


 ロキシーが少し驚く。


 朗は彼女の前に出た。


「無理に答えなくていいです」


 山岡を見る。


「でも」


「……」


「僕たちはエリザベスに何があったのか知りたいだけです」


 長い沈黙。


     ◇


 山岡は。


 小さく息を吐いた。


「帰りましょう」


 それだけ。


 何も答えない。


「今日はもう山を下りたほうがいい」


「なぜ?」


 宮原教授が聞く。


「天気が変わります」


 空。


 さっきまで晴れていた。


 でも。


 山の向こう。


 黒い雲。


「雨?」


「山は早い」


 山岡が歩き始める。


     ◇


 下山。


 三十分ほど経った頃。


 雨が降り始めた。


「本当に降ってきた」


 朗が言う。


「アキラ」


 後ろ。


 ロキシーが少し遅れている。


「大丈夫?」


「はい」


 だが。


 足場が濡れている。


「気をつけて」


 朗が手を伸ばす。


「はい」


 ロキシーが握る。


 その瞬間。


「あっ」


 足が滑った。


「ロキシー!」


 朗が腕を引く。


 身体がぶつかる。


 ロキシーを抱える形になる。


「……」


「……」


 顔が近い。


 昨日より。


 近い。


「大丈夫?」


「はい」


「怪我ない?」


「ありません」


 数秒。


 ロキシーが小さく笑った。


「アキラ」


「何」


「抱きしめています」


「転びそうだったから!」


「分かってます」


「じゃあ言うな」


「でも」


 ロキシーは。


 なかなか離れない。


「もう少しだけ」


「……また?」


「昨日と同じです」


「安心感?」


「はい」


 雨音。


 山。


 二人。


 朗は。


 一度だけ。


 小さく息を吐いた。


「……分かった」


 自分から。


 少しだけ。


 腕に力を入れた。


 ロキシーの目が大きくなる。


「アキラ?」


「転ぶと危ないから」


「嘘ですね」


「うるさい」


 ロキシーが。


 嬉しそうに笑った。


     ◇


 午後一時。


 一行は月影荘へ戻った。


 全員ずぶ濡れ。


「すぐお風呂へ」


 女将がタオルを渡す。


「ありがとうございます」


 ロキシーは朗を見る。


「アキラ」


「何」


「また浴衣ですね」


「そこ?」


「昨日の続き」


「続けなくていい」


「残念」


「元気だな……」


     ◇


 一時間後。


 朗はロビーにいた。


 宮原教授。


 山岡。


 女将。


 そしてロキシー。


 先ほどの手紙。


 もう一度確認する。


「一枚は大学へ」


 朗が整理する。


「一枚はエリザベスの部屋へ」


「一枚は月姫様へ」


 ロキシーが続ける。


「あと一枚」


「場所が読めない」


 宮原教授が言う。


「でも」


 朗は考える。


「二一七と二一八は誰かが持っていた」


「つまり」


 ロキシーが言う。


「久世誠一が隠した場所から、誰かが回収した」


「そうなる」


 そして。


「その人物が僕たちに渡してる」


     ◇


 その瞬間。


 旅館の電話が鳴った。


 女将が出る。


「はい、月影荘でございます」


 数秒。


 顔色が変わる。


「……どちら様ですか?」


 全員が見る。


「もしもし?」


 切れた。


「何て?」


 朗が聞く。


 女将が。


 ゆっくり答える。


「若い男性の声でした」


「内容は?」


「……」


 一度。


 息を呑む。


「二一九は」


 ロキシーが立ち上がる。


「二一九?」


「見つけるな、と」


 朗の背筋が冷たくなる。


「それだけ?」


「いいえ」


「他には?」


 女将が。


 朗を見る。


 そして。


 ロキシーを見る。


「もし見つけたら」


 声が震える。


「今度こそ」


 一瞬。


「外国人の女の子が消える、と」


 部屋が。


 静まり返った。


「……」


 朗は。


 無意識に拳を握っていた。


 今までとは違う。


 五十年前の話ではない。


 明確に。


 ロキシーを狙った脅迫。


「アキラ」


 ロキシーが呼ぶ。


 朗は答えない。


 怖かった。


 でも。


 それ以上に。


 腹が立った。


 朗は立ち上がる。


「もう」


 低い声。


「好き勝手させない」


 ロキシーが彼を見る。


 これまで。


 事件へ引っ張っていたのは。


 いつもロキシーだった。


 でも。


 この瞬間だけは違った。


 朗のほうが。


 真っ直ぐ前を見ていた。


「写真二一九」


 朗が言う。


「必ず見つける」


 事件のためだけではない。


 五十年前の真相のためだけでもない。


 ロキシーを。


 守るために。


第10話 月姫の祠 了

挿絵(By みてみん)

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