中
◆
「シャクヤク。醤油をとっていただけませんか?」
「イエス、マスター。どうぞであります」
「ありがとうございます。良し、後はこれが煮上がれば完成です」
「流石はマスター、見事なお手前であります」
とある日のとある風景。俺は、シャクヤクと共に夕飯作りをしていた。母はいつも通り引き篭もってのお仕事中、ジェンシャンはリビングにてお菓子を食い散らかしながらテレビ視聴。いつからだろうか、そんな折、シャクヤクが夕飯作りを手伝ってくれるようになったのは。
長年一人で立ち続けていたこのキッチンで、誰かと一緒に並んで調理を行う。ありそうでなかったその光景に、俺の心は多少なりとも高鳴り、踊っていた。
「いえいえ。見事なお手前なのはむしろシャクヤクのほうです」
スラリと伸びた陶器の様な白き肢体。心なしか紅色が差したように見える頬。慎ましいながらもしっかりと自己主張を続ける上の双丘。穢れも無く、遮るものも無く、あるがままの姿を晒す下の双丘。
俺は、ここ一番のとびきりの笑顔とサムズアップで続ける。
「何て素晴らしい裸エプロ… ゴフッ」
直後、俺の腹部を音速の拳が襲い掛かる。
悪魔でさえ加える事の出来ない俺の腹部への一撃。それをこうもやすやすとやってのける人物。そんな事が出来る人物。それは、俺の知る中でたった一人。
… とまぁ、別段引っ張るようなことじゃないので、早々明かすと。
「ま、まじのっ。こ、こんばんは」
「ったく。こんばんはじゃないってのさ。アリマス悪魔に何て格好させてんだよ!」
「い、いえ、これはですね。我が竜胆寺家のしきたりといいますか、《竜胆寺家のお約束条項》といいますか…」
「そんなしきたりあってたまるかー! 竜胆寺、あんた表向きはまともだが、その中身がナチュラルに変態だから手におえねーぜ」
「いらっしゃいませ、まじまじ様」
「おう。ってかよー、お前もお前で少しは嫌がったり拒否ったりしていいんだぜ? 幾ら竜胆寺がますたーでもさ」
そんなまじのの正論に対してのシャクヤクの答え。
「ノー。シャクは別段、嫌がっているわけではありません。むしろこのような一見破廉恥ともとれる格好を強制されることに、聊かのこうふ」
「… 聞いたあたしが馬鹿だったよ」
「やはり、まじのにはまだ高度すぎたようですね。この裸エプロンという一種の様式美を理解するには」
「アグネーーース!」
そんな俺達の馬鹿騒ぎに釣られ、奥からひょっこりと顔を出す悪魔が一匹。
「なんじゃなんじゃ、騒がしいぃのう。おちおちテレビも見ておれん」
「よっ、邪魔してるぜロリ悪魔」
「なんじゃー、また来ておったのかーまじまじ。ぬしも大概じゃのー」
「あたしがいねーと、何しでかすか分かったモンじゃねーからなー… 主に竜胆寺が」
何故か目の前で熱い握手を交わす悪魔と人間。成る程、悪魔と人間の間にも友情は芽生えるものらしい。
昨日の敵は今日の友、ああ美しきは友情かな。
最も、まじのの言い分はおよそ納得できるものではないわけだが。
「冗談はこの辺にしておいて、さぁ、そろそろ出来上がりますよ? 食器を運ぶの手伝ってくださいね。あ、勿論まじのの分も用意してありますから、遠慮なく食べていってください」
「さっすが竜胆寺。ヨッシャー、食器運びならあたしに任せとけっ」
ちなみに、今日のメニューは肉じゃが。
このところ、エビチリやステーキなど、ジェンシャンによる悪魔的リクエストが続いたゆえ、今回は俺の独断によるメニュー。
日本人男性は、家庭的で肉じゃがを美味しく作れる女性が好き、などという一種のテンプレが存在するが、俺の場合は誰かに作ってもらうというより、主に自分で作る側の人間。何を隠そう肉じゃがは、幼い頃母に教えてもらった中でも、俺の得意な料理なのだ。むしろ、俺より上手く肉じゃがを作れる人物がいるのかどうか…。そう言った意味では、そのテンプレは、俺には縁遠いものなのかもしれない。
全ての料理を運び終え、「いただきます」の掛け声とともに始まる我が家の夕食戦争。
「そうだ、忘れるところでした。ところで」
「ふぁんふゃー? ふぉふぁふぁふー」
「いや、すみません。飲み込んでからでいいですよ、ジェンシャン」
「ふぁふぁっふぁー」
俺は、ジェンシャンのその巨大な頬袋からおかずが胃へと流し込まれるのを黙って見つめながら、暫し待つ。
「突然ですが、路兎勇子って名前に聞き覚えはありませんか?」
「? 聞いたこともないのぉー。あてに関係する人間なのかえ?」
「ええ。というか君は一度会っているんですよ。ほら、八百屋の前で君とぶつかった人物です」
「ムキー! あのツンツン女じゃな」
「そうです。そのツンツン女です。ちなみに、皆は聞き覚えありません?」
俺は、念のためにとまじの・シャクヤク・母さんにも尋ねる。可能性としては、シャクヤクなら知っているかもしれないが。
「ノー。申し訳御座いません、マスター。残念ながらシャクのデータベースには、その名に完全一致する人物はいないようであります」
「あらあらっ」
シャクヤク、母さん共に収穫なし。残念ながら、俺の当ては完全に外れてしまった… と思った矢先、まじのの口から意外な一言が放たれる。
「路兎? 路兎って、勇子か? ツリ眼の」
「なんじゃー、まじまじの知り合いなのかえ? なんじゃか、チンミョーな名前じゃのー。あてが今プレイしているげーむの中に出ておる勇者の名前にそっくりじゃー」
「知り合いってか、クラスメイトだぜ? 学園の同じクラス。ついでに言えば席もそこそこ近いな」
「成る程、同じ学園の制服だとは思っていましたが、学年はもとより、クラスまで同じだったとは… 世界は狭いですね。ところでまじの、まさかそのクラスメイトにジェンシャン達のことを喋ったりはしていませんよね?」
「そんなの聞くまでもないだろ。当たり前だぜ。なんと言ってもあたしは空気の読める女だからな」
そう言ってその大きめな胸を張るまじの。確かに、まじのは他人の秘密をべらべらと喋るような人間ではない。それは確実に信用できる。
「まぁ、それよりなにより、んなこと喋ろうもんなら、クラス中から白い眼で見られんのがオチだろ」
「その点に関しては概ね俺も同意です。ジェンシャンが悪魔だ何て、未だに信じられませんし」
「失敬じゃぞ! 失敬じゃぞ!」
「けど、こいつらが悪魔じゃなかったら、それはそれで問題だろ。いたいけな幼女と少女を誘拐拉致監禁だもんな。ああ、それと視姦な。こりゃー間違いなく警察沙汰だもんな」
そう言って心底楽しそうに笑うまじの。しかし何という事だ。俺はいつの間にかそんな重犯罪者に成り下がってしまっていたらしい。
「その真偽の程は後ほど熱い議論を酌み交わす事として、ではなぜ路兎勇子はジェンシャンの存在を知っていたのか。彼女は、ジェンシャンについてどこまで知っているんでしょうか?」
「さぁなぁ。でもまー、相手があの路兎だってんなら、あながち納得出来る話だぜ。あいつ変わってるからな。浮いてるというか」
変わっている。
廻りにまじのを含めてそんな変わった人物しかいない俺が言うのもなんだが、ますます怪しくなる一方の路兎勇子。俺は、彼女に対して、俄然興味がわいてきていた。
「変わってるというと、どう変わっているのですか? むしろ、まじのより変わった人物が学園にいたことに驚きを隠せませんね」
「おいおいおい、色々と突っ込みたいところが山盛りの発言だったが、やさしーまじのちゃんが今だけ放置してやる。話しが逸れちゃうからな。んで、何の話だっけ?」
「言うた側から逸れておるではないか!」
「… ロリ悪魔に突っ込まれる日が来ちまうとは、あたしも焼きが回っちまったかな。だいたいあたしはよぅ」
「まじの様。またお話しが逸れてしまっているであります」
「くっ。アリマス悪魔にも突っ込まれるとは… チラッチラッ」
やはり、俺の周りには変わっている人物しかいない。俺は、それを痛感しなが言う。
「ちなみに俺は突っ込みませんからね。それで、続きは?」
「んだよー。ノリが悪いぜ竜胆寺。それで、路兎の話だっけ。あいつな? あいつクラス替えのあった4月、初顔合わせの自己紹介のときみんなの前で言ったんだよ。私は正真正銘、勇者の子孫ですってな。笑えるだろ? どこのラノベだよ。何のアニメだよ。受け狙いにしても、そんなのいまどき小学生だって言わないっつーの。完全に滑ってたね、あれは」
「むふふん、それは笑えんのー。勇者とかあり得ないじゃろー、常識的に考えて」
一番常識的にありえない君がそれを言うな。俺は、内心一人でそう突っ込みつつも、先ほどのまじのの発言を冷静に分析する。
先日会った路兎勇子は、お世辞にもそんな冗談や受けを狙うようなタイプの人物には見えなかった。どちらかと言えば、俺のようにまじめで頭の固い常識人。そんな彼女がそんな発言をしたとすれば、それはもはや正真正銘の真実、だったのではなかろうか。
「シャクヤク、これだけは教えてください。かつて、悪魔は勇者によって倒される… なんて事があり得たのですか?」
俺のそんな質問を受け、シャクヤクは黙って一度だけ、コクリと頷いた。
これはもう間違いないだろう。俺の見立てが正しければ、路兎勇子はこの屋敷へとやってくるはず。
ジェンシャンを、シャクヤクを勇者の名の下、粛清するために。
◆
それから数日後。
運命の日は、良く晴れた麗らかな日曜の午後に突然やってきた。
「おい、やべーよ、まじでやばい。まじで。あたしは、あたしは一体どーすりゃいーんだああああああ」
「落ち着いてくださいまじの。いいですか、皆で協力すればどんな難局だって乗り越えられる筈です」
「イエス。マスターの言う通りであります、まじまじ様」
「竜胆寺、アリマス悪魔まで…。お前ら、すまねぇ」
そんな緊迫した様子の俺達を遠目で眺めていたジェンシャンが、ぽつりと一言。
「ぬしら、たかだか宿題一つで、何ゆえそこまで大げさになれるのじゃ」
「たかだかだと? おいこらそこのロリ悪魔! こっちは必死なんだよ! 死活問題なんだよ!」
麗らかな日曜の午後。俺は、まじのの宿題を手伝いつつ家計簿をつける。
「それにしてもまじの。何故こんなになるまで放っておいたんですか? これは感心できる事ではありませんよ? 《竜胆寺家のお約束条項、宿題はどんな手を使ってでも早々に必ずやり遂げる候》です」
「いやー、面目ない。何度か手をつけようとしたんだけどな、その度に眠くなっちまって」
「やれやれ、進級出来なくても知りませんよ、俺は。宿題やテスト前に勉強を見ることは出来ますが、試験そのものを代わってあげることは出来ないんですからね?」
「わーってるってば。な? な? と言う訳で、今回も一つよろしく頼むぜ」
絶対分かってないな。そう思いつつも俺は目の前に広げられた問題集に目を通す。
「シャクヤク、申し訳ないですがお茶の用意をお願いできますか? これは、長くなりそうですから」
「イエス。了解でありますマスター」
そんな俺たちが、件の人物の襲撃… もとい、訪問を受けたのは、丁度そんな時のことだった。
「たーのーーもー!!!」
ごめんくださいでも、こんにちはでも、お邪魔しますでもなく、たのもう。
今時、そんな挨拶をしながら人様の家に珍入するシーンは相当限られてくる。
一つは、昔ながらの道場破り。かくゆう我が竜胆寺家も、代々伝わる歴史ある道場主の家系。その現当主である俺は、勿論、相手が何者だろうと、我が道場を守るため戦う所存であることには間違いない。とは言え現在、絶賛開店休業中である我が弱小道場の看板をわざわざ破りにくるような暇人がいるとは思えない。ゆえに、道場破りではないはず。
となると或いは…。
「いるんでしょ? 隠れてないで出てきなさい、悪魔!!!」
やはり来たか。来てしまったか。
「あなただと思いましたよ、路兎さん」
俺は、玄関で仁王立ちの彼女を家中へと招き入れる。
彼女がやってきた目的。そんなのは言わずもがなだろうが、やはりここは話し合いで何とかなるものならば、それにこしたことはないのだから。
「丁度お茶の準備も出来ていますし、まずは座ってください」
「何よ、随分用意がいいじゃない… まるで、私が来る事が分かっていたみたいに」
「たまたまですよ。申し送れましたが、俺の名前は竜胆寺虎丸。この竜胆寺家の現当主です」
「ふん。あんたの名前なんてどうでもいいわ、変態男。ここまで準備がいいんなら、当然私が来た理由だって見当がついてるんでしょ?」
「粛清… ですか?」
「大正解。ファンファーレの一つでも鳴らしてあげたほうがいいのかしら?」
一つのテーブルを挟んで、一対一で話し合う俺と彼女。
そんな俺達の様子を奥からじぃーっと見つめる瞳が四つ。
「へぇー。本当に路兎の奴じゃねーか。でもよ、竜胆寺一人に任せちまって大丈夫なのか?」
「イエス。マスターがそう仰ったのですから、シャク達はそれを信じて待つのみなのであります」
「ま、そうだな。あたしの宿題の続きのためにもな」
「ぬしら、そこで何をこそこそとやっておるのじゃ?」
「うぉっ、ロリ悪魔! てめっ、押すなよ、じっとしてろ」
「イエス。ロリペチャパイ… 失礼、元ご主人様は少し引っ込んでいてください」
「むふふん。そうやって邪魔されれば邪魔されるほど知りたくなるのが悪魔の性じゃ。いざ、ゆかん!」
ジェンシャンは、そんな二人の静止を振り切って、俺達の話し合いの場へと突入して来た。
「おぉ、誰かと思えばいつぞやのツンツン女ではないか。それにしても、何故かような場所にぬしがおるのじゃ?」
路兎さんは、椅子から立ち上がるとそのままゆっくりとジェンシャンに近づいて行く。やれやれ、やはり話し合いで何とかなるなんて夢のまた夢。だだ甘な考えだったらしい。
まぁ、俺は甘いものは嫌いじゃない。何より、こうなるとであろうことは簡単に予想できた。
「何故、ですって? 相変わらず暢気な奴ね。自分の立場や今の状況が分かっていないのかしら? でもいいわ、教えてあげる。それは… あんたが悪魔で、私が勇者の子孫、だからよっ!」
一瞬の静寂が俺達の間に吹き荒れる。
そんな均衡を破ったのは、勿論件のジェンシャンだった。
「ぷぷぷぷぷー。にゃーにを言い出すかと思えば、勇者じゃと? ぬし、ちょっとげーむのやりすぎではないか? この世界に本物の勇者などいるはずがなかろうが」
ジェンシャン、君って奴は。俺は、目の前の路兎さんの目をなるべく見ないようにしながら、ジェンシャンにそっと耳打ちをする。
「悪魔である君がいえる立場じゃありませんよ。それと、空気。もう少し空気を読んでください。ほら、彼女のあの鬼のような形相。逆立つポニーテール。相当怒ってますよ、これは」
「…… コロスコロスコロスコロス」
念仏のようにそう繰り返し呟く路兎さん。だから言わんこっちゃ無い。
「あわ、あわわわ。な、何とかしてたもー、とらまるぅ」
まぁ、最初からそのつもりだったんだが。何といっても俺は約束したのだから。彼女を、ジェンシャンを二度と戦いの渦に巻き込みはしないと。
「当たり前です」
「…… へぇ、何? あんたが代わりにやろうっての? このわたしと?」
「家族を守るのは家長である俺の務め。当然の事です」
「あんた、そいつのこと家族だなんて思ってんの? 悪魔よ、そいつ」
「承知の上です。俺の家族に、性別も年齢も種族も胸囲も関係ない」
「そう、分かった… そう言えばあんた、さっき私が勇者の子孫だって名乗ったときも… その、笑わなかったわね。どうして?」
これは、俺を試しているのか? 試験か何かなのか?
すぐにでも戦闘行為が始まるかと思っていただけに、少々戸惑いそうになったものの、俺は彼女の質問に対して慎重に答えて行く。
「まずはお礼を一言言わせてください。ありがとう。本当に」
「な、何よ突然。何のつもり? な、何のプレイよ、変態!」
どうしてお礼を言って変態呼ばわりされなければならないのか。小一時間問い詰めたいところではあるが、そんな気持ちをぐっとこらえて、俺は続ける。
「俺には、人の嘘が見抜けるちょっとした特技があるんですよ。正確には嘘を視覚として、色として捉える事が出来る、ですけどね。で、さっき君の一言にはその嘘の色が微塵も無かった。無色透明。穢れの無い真実です。真実を話す人間の言葉を、どうして笑う必要があるんですか」
「… それで、お礼の理由は?」
先ほどまでの剣幕とは打って変わって、彼女は考え込むようにして静かにそう言った。
「君が勇者の子孫である事は間違いない。そんな君がここにやってきたという事は、ジェンシャンが悪魔であるという疑いようのない証明でもあるのです」
「変わってるのね? あなたのいう家族に、悪魔の証明がなされて嬉しいだなんて」
「… 君にそれを言われるのは光栄ですね。まぁ、こちらにも色々と事情があるのですよ、色々とね」
「分かった、良いでしょう。まずは竜胆寺虎丸、あんたを完膚なきまでに叩き潰してあげる。当然、その次は悪魔よ。首を洗って待ってなさい!」
「望むところです」




