中
◆
7月6日。
一般的に言えば、この日は七夕の前日ということとなる。だが、俺にとってはとある理由から1年の中でも忘れがたい日付となっている。
そんなとある7月6日の深夜。
俺は一人、シャクヤクに呼び出されていた。彼女の口から語られる《重要な話》とは一体何か? 俺の額に脂汗が滲んでいるのは、何もこの熱帯夜のせいだけではないはず。
「マスター、失礼します」
「見てくださいシャクヤク、月が綺麗ですね。見事な満月」
「ノー。申し訳御座いませんマスター。未熟者のシャクには、どうみても三日月にしか見えないであります。それともそれは、変化球なプロポーズの言葉でありますか?」
「…」
あえて言う。俺は、緊張などしていない。断じて。
「こんな時間に、しかも大切な話… 安心してくださいシャクヤク」
「マスター…」
「張形なら用意しておきました」
「ノー。ご心配なく、マスター。シャクなら、マスターのあんな姿やこんな姿を想像させていただくだけで」
ほう?
なかなかに俺の興味を引く話題だったものの、涙を呑んでぐっとこらえた俺はいつも通りのポーカーフェイス従者に言う。
「まぁ、お互い場を和ます小粋なジョークはこの辺にしておきましょう。適度に緊張もほぐれたようですし、さぁシャクヤク。遠慮なく何でも言って下さい」
「イエス。マスターのお心遣い、痛み入るであります。それでは、遠慮無く」
そう言うと、目の前のポーカーフェイス従者は…… その場で生まれたままの姿、そう、全裸になった。
あえて言う。月明かりに照らされ、白く輝くシャクヤクの体は、大層美しかった。人造人間というある種完成された存在でありながら、その見た目は完成前の少女という、不完全で歪な矛盾とギャップに満ちた歪な美が、そこにはあった。
これから一体ナニが起こるのか? 俺には、想像も出来ないような展開(嘘)だった…… はぁはぁ。
「シャクヤク、君」
俺が、まるで四季の移ろいや草花を愛でるような、落ち着いた実に穏やかな表情で、その目を充血させながら尋ねる。
「満月は人間の持つ内面を開放的にさせてくれるといいますが、シャクヤクの言う通り、残念ながら今宵は満月ではありません。そして、それは開放的というより情熱的といった方が正しいのでしょうか?」
さて、そんな俺の言葉を受け件の従者様はといえば…… 突然、唐突に忽然と、その場で頭を下げた。この俺に。
「マスター。どうか、どうかこの不遜な従者をお許しください。この雌豚を罵ってください。シャクは、シャクは従者失格であります」
どうやら、事態は俺が考えていた方向とは百八十度違う展開へと動こうとしているらしい。俺は、シャクヤクの体をしっかりと目に焼き付けながらも、近くにあった俺の上着をその震える肩にそっと掛けながら言う。
「君が謝ることなんて何も無い。俺達は家族なんですよ? 少なくとも、こんな風にして頭を下げるのは、家族に対する行為とは言えません。さぁ、今夜は冷えます。早く服を着てください」
言葉通り。シャクヤクが俺に対して謝る事柄は無いはず。唯一の例外は、ジェンシャンの記憶に対する事。つまりは、そういうことなのだろう。俺は、覚悟を決めてシャクヤクの反応を待った。
「…… マスター。ノストラダムスの予言をご存知でありますか?」
「? ええ、触り程度なら。1999年7の月、恐怖の大王が復活するとか何とかという」
何せ俺が幼少の頃の話だ。詳しくは覚えていないが、結局デマだったと記憶している。何せ、当時の俺にとっては、《丁度同じ月に起きたもう一つの出来事》の方がよほど大事件だったのだから。
「正確に言えば、1999年7月7日、恐怖の大王ことアンゴルモアが地上に現れ世界に恐怖をばらまくという話であります」
「七夕、ですか。それで、今から13年も昔の話と先程の謝罪が一体何の関係があるのでしょうか?」
「イエス。シャクは、シャクは… ずっと、マスターを試していたのであります。シャクと、シャクの元ご主人様を現代へと再び開放したマスターを」
シャクヤクが嘘、いや、何かを隠している事は承知の事実だった。だが成る程、俺を試していた、か。だからこそジェンシャンではなく、この俺の従者として行動を共にしていたという事か。総ては、真の主人であるジェンシャンのために。
だが、俺が何より気になったのは、シャクヤクの放った《再び》というワード。
1999年。恐怖の大王。封印。開放。まさか…。
「ご主人様の正体は、恐怖の大王こと、1999の悪災を司る悪魔、《あんごるモア》であります」
シャクヤクがこれまでひた隠しにしてきたジェンシャンの正体。それを、よもやこんな形で聴かされることになるとは。
そして、彼女のその目は真剣そのもの。俺の力を使うまでも無く、シャクヤクのその言葉は偽りの無い真実だということが伝わってきた。痛いほどに。
「ジェンシャンの、正体」
「1999年7月7日。予言どおり、ご主人様はこの現世へと顕現なされたのであります。悪魔としての本文を果たすために」
「けど、実際そんな事実は無かった。少なくとも歴史の表舞台には何ら残されていない」
「イエス。事実、ご主人様はたった一つの悪災をばら撒く事も無く、あっさり封印されたのでありますから」
何だか、たまらなく嫌な予感がして来た。真実は、時として残酷に思いもよらぬモノを思いもよらぬ角度から抉り取っていく。
「13年前、シャクたちを封印成されたのは… マスターのお父上、竜胆寺天児様でありますから」
まるで、鈍器で頭を殴られたかのような衝撃が、俺の頭部と理性を襲う。もとより、ただものでは無いと思っていた父。よもや、俺と悪魔達との切っ掛けではなく、原因そのものだったとは。
「…… 何も知らなかったとは言え、俺は、その封印を解いてしまったということですね」
「ノー。マスターに落ち度はないのであります。マスター、こんな話をご存知ですか? ノストラダムスのその予言、実は1999年ではなく、2012年の7月7日だったという説。実は、お父上の封印は一度解ける運命にあったのであります。マスターの手によって」
「俺の手、ですか?」
つまり、俺があの時封印をといたのは必然だったとでも良いたいのだろうか? そんな都合の良い話。
「そしてその封印は、再度なされなければならない。勿論、マスター、あなた様の手によって、であります」
ジェンシャンを、俺が封印? そんなこと、出来るはずが無い。それでは、路兎さんが最初にしようとしたことと同じ。そんな俺の顔を見ていたシャクヤクが更に続けて言う。
「最後に一つ、マスターに知っておいていただきたいことがあります。元ご主人様、いえ、ジェンシャンには名前も、記憶も無い。それは封印による影響ではなく…… 《はじめからそんなものはない》のであります」
シャクヤクは、俺の目をじっと見据えたまま、俺にとって、そしてジェンシャンにとっての真実を投下する。
これまで、俺と彼女が追い求めていた真実。だが、その真実が俺達にとって必ずしも、最良の最後をもたらすものとは限らない。
「ジェンシャンは、あんごるモアの裏の人格。封印のために植えつけられた疑似人格であり虚の魂。それこそが、竜胆児天児様が行った悪魔封印術であり、ジェンシャンの正体であります」
◆
竜胆寺家緊急会議。
目覚める恐怖の大王に、どう対抗すればよいか? そして、ジェンシャンを救うにはどうするべきなのか?
シャクヤクの話を聞いた俺は、すぐさま緊急会議を開くべくメンバーを招集した。勿論、件のジェンシャンを除いてである。
「おいおいおい、竜胆寺。幾ら明日は土曜とはいえ、今何時だと思ってんだよ」
「同感ね。と言うか、何で私まで?」
「何を言っているのですか路兎さん。同じ釜の飯を食べれば、それはもう家族同然です。ようこそ、我が竜胆寺家へ」
「相変わらず妙になれなれしい奴ね。ま、まぁ、勇者であるこの私の力を頼りたいっていうその気持ちは、分からなくは無いけど?」
「その割にいまいちぱっとしないつーか、所帯じみてるっつーか」
「うっさいわよ! ってか、夜食は出るんでしょうね?」
「皆さん、深夜なのに元気がよろしい事で」
俺はシャクヤクの許可を得て、先程の話をかいつまんで皆に話した。
「まぁ、なんつーか、まじで? って感じだな」
「やはり信じられませんか、まじの」
「ふん。竜胆寺虎丸、私は信じるわよ。その話」
路兎さんは、何故か満足そうに何度も何度も頷きながら俺の話を聞いていた。そんな彼女の口から出た肯定。ソレに対し、すかさず横槍を入れるまじの。
「おいおいまじかよ。そりゃまたどういった風の吹き回しだ?」
「簡単な話よ。やっぱり私の勇者としての資質、能力は確かだったってことでしょ? 私は最初から見抜いていたのよ、アイツがただのチビ悪魔じゃないってことをね」
「お前、ここぞとばかりに言いたい放題だな」
三者三様の反応。そして、問題はここから。
「三人寄れば文殊の知恵。いえ、シャクヤクもあわせれば4人。さて、生存戦略を始めましょうか?」
◆
家族会議は夜通し続き… そして、夜は明ける。
「うにゃーーーーっ。よー寝たぞ。あて、起床!」
このところの俺の教育的指導が効果を発揮したためか、はたまた《今日この日》だからなのか、ジェンシャンは午前7時ジャストに目を覚ました。
「ん? ここはどこじゃ? あて、昨日も虎丸のベッドで寝ていたよーな」
俺は、そんなジェンシャンを上から覗き込むようにして言う。
「お早う御座います、ジェンシャン。気持ちの良い朝ですね」
「何じゃ、虎丸ではないか。あての目覚めと共にすぐ姿を見せるとは、なかなか感心ではないか。ところでここはどこじゃ?」
「見ての通り、我が竜胆寺家の道場ですよ」
「なんじゃー、そうであったか。てへ、あてとしたことが何ともダイナミックな寝相を… ってなんでじゃあああああ、しかも何であて、ぐるぐるまきに縛られてるんじゃあああああ」
遅い。気がつくのが圧倒的に遅い。というかグルグル巻きの簀巻き状態にされても尚、まったく起きる気配を見せなかったジェンシャン。
かくゆうこれが昨日の会議の案の一つ。俺や路兎さんに比べ、今ひとつジェンシャン恐怖の大王説を信じていなかったまじのが提案した案。その内容は、取り合えず、身動きが取れないようにして、念のために広い場所に放置し、様子を伺うというものだった。即ちそれが今の状況。何とも、まじのらしい案。まぁ、案と言えるのかどうかも微妙な線ではあるのだが。
「うわぁーん。なんでじゃ! 何の罰ゲームじゃ! これでは動けぬではないか! お願いじゃー、ほどいてたもー」
ぴょんぴょんとえびぞりを繰り返し、涙目で俎板の鯉状態のジェンシャン。何となく内に眠る嗜虐心に目覚めそうな光景ではあるものの、まじのの言う通り、このまま何も起きなければ、それはそれで大いに結構な事ではあるのだが。
「こうして見ている限りは、とてもじゃないが予言の悪魔とは思えない。いつも通り、ただの可愛らしい俺の彼女だ」
「ごっ、ごまかされれんぞ。そんな事言われたくらいでは、あてへのこの仕打は許さんぞ! そもそもこれは何のつもりなんじゃ!」
「勿論、プレイの一環ですね」
昨日のシャクヤクに嘘は無かった。
例え、俺に嘘を見分ける力など無くとも、その目を見れば真実であると判断できたし、家族の事を信じるなど、お約束条項にするまでもない不文律。
「ほぎゃああああ。こんな朝早くから、こんないたいけな悪魔を捕まえてぐるぐるまきにするのは一体なんのプレイなんじゃ! 鬼、悪魔!」
「悪魔は君でしょうが、そう興奮しないでくださいよ。まぁ、冗談はさておくとしても…」
俺が、そこまで言いかけたその刹那、周囲の空気、いや、ジェンシャンの周りの雰囲気が瞬時に切り替わったのを感じた。目に見えないプレッシャーと肌を刺すような威圧感。
「な、なんじゃ。この体の内側から熱く滾るようなこの感覚は」
「どうしましたジェンシャン? 俺のプレイにまさかそこまで」
「違うわ! う、みゅみゅみゅ、だ、だだだ駄目じゃ、もう、がまん、でき、ん」
ジェンシャンから、眩い光が溢れ、その光はやがて道場を包み込み、そして…。
「んふぅ~ん。わ・ら・わ…… 復活よ~ん♪」
光が収束し、いつも通りの我が道場の光景が俺の目に映るとともに、一方いつも通りではない目の前の人物も同時に目に映る。
ジェンシャンとは似て似つかぬその姿。
俺よりやや大きいその身長、血液のように紅くウェーブのかかった髪、豊満な胸、曲がりくねった二本の角、大きく黒い翼、豊満な胸、モデル並みの体型、長く細い悪魔尻尾、そして豊満な胸。そう、例えるなら淫魔、サキュバスといった言葉が良く似合うその雰囲気。唯一ついえることは、ジェンシャンとは何から何まで全く真逆な点。そして何より、特筆すべきは。
「何 故 全 裸 じ ゃ な い ん だ !!!!」
先程の光と衝撃音を聞きつけたためか、昨日は我が家の空き部屋へと泊まっていったまじのが、陸上部エースとしてのその能力を遺憾なく発揮して一番乗りで駆けつける。
「竜胆寺! さっきの馬鹿でかい音、まさか本当にロリ悪魔が恐怖の大王だったってのか?」
「まじの、落ち着いて聞いてください。こんなの絶対可笑しいです。ジェンシャンもシャクヤクも、初登場時は全裸でした。なのに、なのにどうして今回に限って…」
「いやいやいや、お前が落ち着けよ」
「しかしですね」
「しつけーよ! ってかアレはアレである意味全裸よりきわどいぜ、何だよあのマイクロ水着みてーな服装は。SMの女王様かよ。いやいや、今は、んな事言ってる場合じゃねーだろが!」
「そうでした。俺としたことがあまりに理不尽な展開に我を忘れるところでした。ありがとうまじの」
「全く嬉しくねーよ!」
そんな一連のやりとりを終えた俺達は、改めて、今は見る影も無く変わり果ててしまったジェンシャン… だった悪魔を見据える。それと同時に、同じく昨日は我が家へと泊まっていた路兎さんとシャクヤクが揃って駆けつけた。
「うっわ。また随分とあからさまであざといのが出たわね」
「ご主人様…」
あのシャクヤクが小刻みに震えている。そして、路兎さんの二本のウサ耳レーダーは、前回のジェンシャンの時とは比べようも無いくらいに強く反応を示す。
さて、場のお膳立ては整った。本当の勝負はこれから。
「君が、恐怖の大王あんごるモア、なのですか?」
そんな俺の質問に対し、まるでようやく俺たちが目の前にいることを認識したかのような表情で、恭しく答える。
「そうよぉ~ん? あんごるモア様でも、モアたんでも好きな風に呼んでいいのよぉん?」
「では、モアたん」
「素直か!」
「んふ、賑やかねぇ。相変わらず、人間界は退屈しないわぁん♪」
目の前のあんごるモアこと恐怖の大王は、まるで俺達を品定めするかのように一人一人をじぃーっと見つめていく。
「な、なんだよ、悪魔。あたしとやろうってのか?」
「可愛いわぁ~」
「あ、ああ?」
「可愛いものには、種族も性別も関係ないのよん? 可愛いは絶対。よろしくって?」
そう言ってくねくねとその妖艶な体をくねらせるあんごるモア。
「ヒィイイっ」
何てことだ。シャクヤクに続いて、あのまじのまで震えている。流石は恐怖の大王といったところか。
「ふん。情けないわよ、芦屋まじの。どうやらあなたのプランは失敗ね。そして次はこの私の番」
勇者の子孫である路兎さんのプラン。それは当然…。
「あんごるモア、勇者路兎の名においてあんたを粛清する。覚悟なさい!!」
路兎さんは、この間の俺との勝負とは異なり、いつものレイピアではなく、いかにも… 《緑服で耳長勇者の伝説の剣》といった程が似合う大きな剣を腰から抜く。
「いいわぁん。そなたのような強気なコを見ると、わらわ、思わず調教したくなっちゃうもの」
「ふざけるなぁあああ!」
某国家機関にでも見つかったら、一発で銃刀法違反になりそうなレベルのその大剣を振り上げながら、路兎さんは道場の真ん中で未だ余裕の表情の件の悪魔、あんごるモアに怒涛の勢いで切りかかる。
「惜しいわぁん。そなた、折角チャーミングな血筋を受け継いでいるのに、それを殆ど活かせていないのよん? ふふっ、貧乏だからかしら」
尚もすまし顔の悪魔は右手を高く掲げ、一度だけパチンとその細い指を鳴らした。
「んふふ、どれだけ名のある武器を使おうと、使いこなせなければ意味が無いの。よろしくって?」
直後、そんな路兎さんのマスターなソードは鈍い金属音と共に真っ二つに折れた。
「え? 嘘、でしょ? そんな、先祖代々伝わる路兎の、剣が…。路兎家に残るたった一つのお宝がぁあああ」
明らかに、路兎さんの戦意が消失していくのが分かる。あんごるモアは、剣を折ると共に彼女の戦意やプライドまでへし折ったとでも言うのだろうか。流石は悪魔、人の心を弄ぶ術を知っているらしい。
「やっぱりいいわぁん、その表情。最高に素敵。最高にチャーミングよん? 本当に調教してあげようかしらん♪」
「お、おい路兎! しっかりしやがれ。勇者の子孫なら、勇者らしくこういうときのために呪文やら必殺技の一つもあるんじゃねーのか?」
「…… どーせ私はエセ勇者よ。どーせ私はただの子孫よ。どーせ私はまともな能力一つ持ってないわよ。どーせ私は貧乏よ」
「駄目だ、完全に逝っちまってる。どうする、竜胆寺」
どうするもこうするも無い。路兎さんには申し訳ないが、最初からこうなることは目に見えていたし予想もしていた。だからこそ、俺は当初の予定通り、俺に出来る事をするのみ。家族を、ジェンシャンを取り戻すために。
「あんごるモアさん。どうです? 少し俺とお話をしませんか?」
「あらん? そなたは戦わなくていいのん?」
「ええ。我が竜胆寺流古剣術の真髄は、戦う事にあらずですし。それに、こうやってこの世界で目を覚ましたばかりの君に、よってたかって切りかかろうだなんてスマートじゃありません」
「いいわぁよぉ。そういう考え方、嫌いじゃないわん♪」
「ってか路兎のせいで、さっきまであれだけ敵意むき出しだったのに話し合いに持ち込むとか… そもそも、順番逆じゃね?」




