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破滅の罪人:細胞レベルの記憶は化石となってもなお  作者: 川内祐
第六章・ファンデルとアンテ

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第25話 精霊

 精霊の高地と呼ばれる、無人の地域ディシビアは、地図の右上に実際の面積より小さく描かれている。現在人の生活する端の地であるフィリヘイトナと、狭い海峡を挟んでいるだけのこの地であるが、訪れる人間はまずいない。


 スタークたちがシェニムでユーランと話していた頃、少しずつファンデルに支配されていったバシリアスは、フィリヘイトナに入って自らの身体の変化に戸惑っていた。


 精霊と呼ばれるものの正体は、元素と強く結びついたまま漂うフォッシリアの記憶であると世間一般には信じられている。いわゆる「穢れ」に近い存在としてこの国に漂っているのだと。


 だがそれは精霊に影響を受けないノヴィネスたちの考えであって、正しくはない。


 精霊とはマシナとの戦いに敗れた人間、アンテの亡骸。その精神の集合体だ。


 精霊は、聖獣から創られたノス・クオッド、つまりはバルバリの民やノヴィネスには元来無益であり無害だ。


 その精霊がバシリアスに侵入し、身体の隅々を検分するかのように駆け巡っていた。


「この、重さはなんだ?」


 身体が動かなくなったわけではない。だが、明らかに反応がおかしい。自分の身体とは思えないほど、重い。バシリアスはファンデルの抵抗であろうと考えていた。


 オルビスとはなんであるのか。


 バシリアスが導いた答えは、ファンデルの器となるための意思を示す石。ファンデルとノス・クオッドを繋ぐ、やがて復活の日のための器を確保する鍵だ。


 この世に八個存在するオルビスのうちのひとつ。シェニムで秘かに受け継がれていた支配のオルビスがバシリアスの母の曾祖母に渡った時には、既にその機能の大半が枯渇していた。


 以降、巫女の手から手へ受け継がれてきた支配のオルビス。二年前、バシリアスはその支配の力が失われつつある事態こそが、時が来たことを知らせるものであると結論を出した。ファンデルを蘇らせる時がきたのだ。奴らの時間稼ぎもこれまでと。


「あの議長め。こうなるとわかっていてディシビアを渡らせ、フィリヘイトナへ向かわせようとしたか」


 バシリアスはそう言って臍を嚙んだが、議長もこの事態を想定していたわけではない。


 僅かな違和感から始まった異変。その異変が徐々にバシリアスの身体を蝕んでいた。


 ――抜け落ちる。


 支配のオルビスからバシリアスの意識が剥離していくように感じた彼は、とっさに頭を押さえた。


 すると、バシリアスの首から頭がすっぽりと抜け、二、三歩つんのめると、足首も崩れてその場に倒れた。地面に倒れこんだ拍子に、 の頭はころりと転がった。視界に自分の無様な身体が映る。


「間に合わなかった、のか」


 オルビスが力を失いすぎていたのか。ファンデルの聖躯とひとつになった時に感じた、尽きることなく湧き上がるような力はどこにもない。


 痛みもなくただただ失われていく力に、バシリアスは目を閉じた。




「これはどういうことだろうね?」


 ユーランが草むらに横たわるバシリアスを目にして鼻先を近づけた。フィルは低空を旋回しながら、ただその様子を眺めている。


「器が空になってしまったのかな? ファンデルの気配が感じられないけれども」


 ユーランは、バシリアスの周りを何周も回った。バシリアスには息があった。


 ユーランが幾度もバシリアスに触れたことで、バシリアスが夕べ見た幻影もユーランに見えた。頭が抜け落ち、四肢が失われる幻影だ。


 しかし、現実のバシリアスは意識を失っているところを除けば、その四肢に異常はない。


「もしかしたら、ファンデルは完全に機能を停止してしまったのかもしれないね。だとしたら、余りにも残念だ。あれだけ悪あがきをしておいて勝手に滅びるなんて」


「滅びてなどおらぬぞ」


 不意に言葉を発したバシリアスに、ユーランは丸い体を転がすようにして距離を取った。


 ファンデルが戻ったのかと思考したユーランに、バシリアスは立ち上がりユーランの考えを読んで笑った。


「ファンデルはとうに抜け出し、残るオルビスを求めて去った」


 両手のこぶしを確かめるように握っては開きつつ、バシリアスは返した。


「じゃあ、君は元のバシリアスに戻ったのかい?」


 その問いにもバシリアスは笑った。


「あのバシリアスという混血の子孫ならば、最初にファンデルの器となったことで、魂の半分ほども残っていなかったのではないかな」


 ファンデルでもバシリアスでもないというその生命体と対峙し、ユーランは自らの身体にも変化が起き始めているのを悟った。首周りの冷却襞がミシミシと音を立てる。和毛が抜け落ち、透き通る水晶の鱗があらわになる。


「アンテの精神だな?」


 姿を変えてゆくユーランが口にした言葉に、バシリアスだった者は、今度はにやりと笑っただけで背を向けた。


「こんな不完全な生物などに、用はあるまい。あるいは我々の器にでもと試してみたが、いまひとつだ。聖獣の血がもっと濃ければ耐えられそうだが」


「聖獣の? 混血ではないバルバリの民か?」


「そう呼ぶらしいな。ところで、聖獣がこぞって追っているのはこんな器ではなく、ファンデルであろう? 急いだほうが良いかもしれんぞ。ま、我々が忠告するでもない。お前は本能でそれを察知しているようだ」


 バシリアスの身体はそう語ると、振り返り変化するユーランを見上げた。先程までは見下ろしていたユーランの顔が、今では空高く見上げるほどの位置にある。


 突き出した鼻の下にある口は、大きく耳の下まで裂けバシリアスをひと飲みできるほどだ。長く伸びた首を振るうと、こすれた鱗と冷却襞が竪琴を爪弾いたかのような音をたて、両翼が姿を現した。


「オルビスが揃っていないファンデルはまだ無力。支配のオルビスを直接体内に取り込んだバシリアスとかいう奴の身体でも少しは動けたようだが、それも僅かな間だった。我々程度の器なら、バルバリとかいう奴らで充分だろうが、ファンデルなら今度の器には聖獣、できれば支配しやすい幼体でも選ぶだろうな」


 完全に成体へと変化したユーランが、大きな爪をもつ前足でバシリアスを掴もうとした。だがその寸前、中に入っていたアンテの精神の集合体、精霊もバシリアスの身体から抜け出し、完全な抜け殻と化した肉体は、うつ伏せに倒れ、再び動くことはなかった。


「サンクテクォは余程不運なのか、この事態を予見していたのか」


 精霊の言葉を信用すれば、ファンデルはサンクテクォの所へ向かったのだろう。だが、今サンクテクォの幼体は、ファンデルを一万年もの間封印していた洞窟にいる。ファンデルもむやみにその場に突入しないだろう。今から向かっても間に合うはずだが、ユーランは思案していた。


「フィル、どう思う?」


 ユーランのごく短い問いでもフィルには伝わっていた。首を横に振っている。


「私もそう思う。器が何であれ関係ない。もとよりサンクテクォが今現在三体も存在しているのは不自然極まりない」


 ユーランはそう言って、事の成り行きを静観することにした。




 ユーランたちが精霊の高地ディシビアを去った翌日の夜。その人物は、無残に虫たちの食料と化した我が子の亡骸を見下ろしていた。


「間に合わなかったのね」


 ファンデルのキノニアが動き出して以降、バシリアスを追っていたのはスタークだけではない。シェニムの巫女である彼の母親、ジャネルもバシリアスを捜していた。


 バルバリの国でスタークに鋭い視線を向けていた白装束の女だ。


 ジャネルは纏っていた装束をその場に脱ぎ捨て、薄衣一枚の姿になり、両手を広げて天を仰いだ。


 精霊の気配はずっとある。その精霊が何をしようとしているのかもジャネルは理解していて、それを受け入れようとしていた。


 一束の白い光が、ジャネルの口へ渦を巻きながら侵入した。


 その勢いに、ジャネルの身体はガタガタと波を打っている。


 ジャネルの身体から僅かに溢れた光が両目から放たれると、彼女の震えは収まった。


「悪くない。これならば、ようやく仕事ができそうだ」


 ジャネルは身体を軽く動かし、足を踏み鳴らした。

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