第24話 バシリアスの家
誰も住んでいない。ひと目見てそうと分かる佇まいだ。
バシリアスが住んでいたという家は、ザックワーズ公の実子の住まいとは思えないほどに小さく、周囲の商家と同じ程度の構えでしかない。ただ、他の家と比べて造りは古い。その古さは、由緒ある歴史を感じさせる古さだ。
「空き家ってわけじゃなくて、留守にしてるってだけだよね。今更だけど、勝手に入っていいものなの?」
周囲の目を気にもせず敷地の中へ堂々と入っていくヴェールとスタークを見て、ミディエは少ししり込みしている。
「知らぬ仲でもない。遊びに来たとでも思えば良いだろう」
「スタークは昔からこんな感じなの?」
無責任な物言いのスタークに嘆息して、ミディエはヴェールに尋ねた。
「こんな感じかと問われれば、そうだと答えるしかないだろうな」
扉の鍵の部分を剣で壊しながら笑顔でそう答えるヴェールに対し、スタークの表情は厳しいままだ。今度はそのスタークにミディエが口を開いた。
「ヴェールは? ずっとあんないい加減な感じ?」
「いい加減かと問われれば、かなりいい加減だと答える。さあ、無駄話はこの辺でいいだろう。ユーランがバシリアスの居る精霊の高地に向かったとなれば、まだ何が起こるかわからん」
無遠慮に家の中に入っていた二人を追って、ミディエもバシリアスの家に入った。
「スタークとヴェールの中間ぐらいがちょうどいいのにな」
ミディエは先に入った二人に聞こえるように言ったが、何も反応は返ってこない。
先にバシリアスの家に入った二人は、その室内の雑然とした光景に言葉を失っていた。何から見たらいいのか分からないといった様子だ。
バシリアスがこの家で暮らしていたのは二年前までのはずだ。だがそこは、ついさっきまでバシリアスがいたかのような空気が漂っていた。あるいは、誰か家の中にいるのではないかとさえ感じさせる。
壁一面には地図や様々な絵が貼られ、机と呼ぶには大きな台の上には、様々な書物が積まれていて、中には開いたまま伏せられているものもある。その光景に異様さを感じるのは、家の中のどこにも書架がないからだろう。一体どこから持ち出した書物なのか。
ヴェールが伏せてある本を一冊手に取って中を流し見た。
「これは、バルバリの本だな」
ヴェールは一旦その本を戻し、他の本にも目を通した。
「全部ではないが、ほとんどがバルバリのものだ。誰がこんなものを」
「バシリアスがひとりで集めたものじゃないだろう。それほどの時間はあるはずもない」
スタークも台の上に無造作に積まれた書物の数々を眺めていた。
「ねえ、ちょっとこれ見て」
壁に貼られた紙を見ていたミディエが、その中の一枚を指してスタークを呼んだ。
「これは、なんだ?」
ミディエが見ていた壁には、大小様々の絵が数十枚貼られている。その中で、ミディエが指していた一枚をスタークが壁から剥がし、手に取って裏面も含めてじっくりと確かめた。裏には大きく「FOUNDER」と書かれている。
「どこの国の言葉だ? 作者の名、というわけではないだろうな。こんな裏側に書くはずはない」
ミディエがスタークの横から手を伸ばしてその文字をなぞった。
「これって『ファンデル』って書いているみたい」
言った瞬間、ミディエ自身が一番驚いた。
書かれている文字は、見慣れたこの世界の文字ではない。
にもかかわらず、文字の意味が反射的に頭に浮かんだ。
――FOUNDЕR。
もう一度ミディエが文字を指でなぞると、似たような文字がびっしりと書かれた紙が頭に浮かんだ。次々と、何枚も重なって。
「これは私の記憶? それとも、オルビス?」
心の中で自身に呟き、ミディエは紙から指を離した。
何度も頭をよぎる白い壁。平らな光。その前に並んだ、文字。
ほんの一瞬の時の流れに浮かんだ夢のような情報の海底から顔を出し、今度はスタークに向かってハッキリと言った。
「間違いない。『ファンデル』って書いてる」
ミディエが口に出した「ファンデル」という言葉を耳にし、書物をあさっていたヴェールも絵を持つスタークの横に立った。
「これが、ファンデルだと?」
そう言って眉根を寄せたヴェールは、紙の表側に描かれている絵を眺めた直後、胸の中が奇妙な感情で満たされていくのを感じていた。ファンデルを描いたと思われるその絵を見て、なぜ喜びや恐怖、悲しみや怒りといった、ありとあらゆる感情に包まれるのか。
「複数のマシナに生まれた思念。それらによって創り出されたファンデル。もう少し無機質な姿を想像していたが」
絵を持って眺めているスタークも、ヴェールと同じような感情に支配されているのか、いつになく複雑な表情をしている。ミディエも同様だ。
「マシナって、私たちが思っている機械とは全然違うものみたいね。バシリアスがもしもオルビスを全部集めたら、この姿になるの?」
そう言葉を口にした瞬間、再びミディエの頭の中にいくつもの景色が流れた。
電気。
コンピューター。
アンドロイド。
知らないはずの映像が、言葉とその意味を伴って浮かんでは消える。
ミディエは自分のこめかみに触れた。
他の二人には話せない。ただでさえ複雑な状況だ。ミディエは奥歯を噛み締めて思考に蓋をした。
「バシリアスがこの姿にか? それは想像できんな。オルビスはファンデルのコピーとはいえ、その力のみを写したものだろう?」
スタークは一旦ミディエを見ていた目を、もう一度手に持った絵を観察する仕事に戻した。
「これがアンテを滅ぼす力を持っていたファンデル。だが、これでは大きさも分からんな」
絵には真上から見たと思われるファンデルの姿のみ描かれている。ひとつの大きな頭に腕なのか脚なのか、描かれているだけで八本。口にはジェイド湖に棲む水生生物の顎のようなものが一対付いている。胴体と呼ばれる部分はないように見える。
「まるで化け物だな」
スタークは自らそう口にした直後、頭を押さえて呻きだした。
「化け、物」
何かに抗うかのように、スタークはそう呟いている。ミディエは、苦しそうにしているスタークの肩に手を掛けた。その手の上から、更にヴェールが手を重ねた。
スタークだけではない。ミディエとヴェールにも正体の知れない圧迫感が襲い始めた。
「この嫌な感じは、何?」
不安がるミディエに、圧迫感の正体に気づいたヴェールが語り始めた。そして、
「儂らは、このファンデルの一部と聖獣から創られたノス・クオッドの末裔。本能的にファンデルを敬うようにできているようだ。だが、スタークの言う通り、こいつは化け物にしか見えん」
ヴェールの視線はファンデルの絵を鋭く射抜いている。
「だが、儂らは化け物なんぞではない。そうだろう、スターク、ミディエ」
ヴェールはそう言い放つと、スタークの手からファンデルの絵を奪った。そのスタークのオルビスが、鈍く点滅している。
「どうやらミディエや親父よりも、私はファンデルに影響されている部分が多いようだな。バシリアスと対峙したときは何ともなかったが、たかが絵に惑わされるとは。だが、確かに化け物だな。私たちを創造した父の姿とは言い難い」
まだ頭を押さえているスタークが、壁に貼られている別の絵を見てそう言った。
「この絵を見てみろ」
スタークが示した場所には、やはりファンデルと思われる絵があった。先ほど見た絵とは違い、随分と簡素に線だけで描かれている。その絵は横向きに描かれていて、真っ直ぐ前方に伸ばされた一本の腕の先には、ファンデルに滅ぼされたアンテたちの物と思われる頭部がいくつも串刺しにされている。
スタークはその描写のおぞましさに、背筋に冷たいものが走ったのを感じた。だが、それとは別に羨望や尊敬、畏怖に似た感情も胸の奥にあった。
「私たちはその『化け物』の一部を受け継いでいる。ノヴィネスに世界を浄化させた後、私たちはやはり滅びるべきだったのではないか? エスは間違っていた。生き残るべきではなかったのではないか?」
スタークはそう独り言のように呟いた後、別の考えが浮かんでヴェールの手に渡っていたファンデルの絵を凝視した。
「いや、それは違うか。これは、この串刺しにされているのは、おそらく我々だ」
「え?」
ミディエが、スタークの様子にやや怯えながら首を傾げた。
「この頭。アンテではなく、バルバリの民だ。ファンデルを甦らせるような時が来れば、浄化されるべきなのは我々バルバリの民。そういう風に定められていたとしたら?」
スタークはそう言いながら歯をカチカチと鳴らして震えている。そのスタークの頬をヴェールが平手で打った。
「しっかりしろ! 王であるお前がそんなことでどうする! そういう定めであったとしても、我々はそのカラクリに気付いたのだ。他に選ぶべき道がある。そうだろう、ミディエ」
間髪を入れず「そうだよ」と同意したミディエは、スタークが手にしていた絵の両端を掴み、それぞれ反対側に力を入れた。乾いた音を立てて絵がふたつに切り裂かれていく。二枚になった絵を重ね、ミディエは更にもう一度切り裂いた。
「私たちはもうファンデルなんかに操られない。アンテのような過ちは繰り返さない。スキアボスのように恨みに身を任せもしない。私は今、私の意志でこの絵を破いた。滅びる定めにあったバルバリの民とはもう違う!」
スタークがゆっくりと落ち着かせるように呼吸をしてミディエを見ている。ミディエはそのスタークに微笑みかけた。
「アンテの戦いの道具として生み出されたマシナたちだって、ファンデルを創って、アンテに操られる運命を変えたでしょ? マシナにできて、私たちにできないわけがないよ。前にスタークも言ってたよね。私たちだって、一万年の間に変わってるよ。それに、自分たちの手で運命を切り開くって決めたじゃない」
ミディエの言葉は力強かった。そしてスタークは、そのミディエを力強く抱きしめた。
「えっ?」
突然のことに、ミディエは固まった。
「すまん。いや、ありがとう、ミディエ。お前はしっかりと我々を導いてるのだな。私も負けんように、自分の役目を、王としての仕事を果たさねばな」
「うん、そうだよ。バルバリの王様」
抱き合う二人の肩を覆うように抱き寄せようとしたヴェールの腕は、ミディエによって払われた。
「なんだ、のけ者か。それよりも落ち着いたらこの本も見てみろ」
ヴェールはそう言ってスタークの前に分厚い本を差し出した。ミディエから離れ、スタークが手を出してその本を開くと、バルバリの言葉で書かれているその本には、バシリアスのものと思われる書き込みが多くあった。
ミディエもスタークの脇から本を覗き込む。
「この『アンテの時間稼ぎ』ってどういう意味?」
本を持つスタークも、その書き込みを見つけたヴェールも、その口からはっきりとした答えが出てこない。
「これだけでは、バシリアスがどういう解答を出したのかわからんが、奴なりにアンテに対する知識を含め、二年前には確信をもって時が来たと動き出したのだろうな」
スタークはそう言って、その書き込みのあるページを破り取り、懐にねじ込んだ。




