あなたは、その仕事に向いてます
三百四十日。
去年、神崎遼が現場に出た日数だ。
残りの二十五日のうち、十一日は移動と待機に使われている。
◇
「断ると、人が死ぬんだよ」
神崎はそう言った。
「大げさに言ってるわけじゃない。去年の八月、断ったことがある。一回だけだ。腰をやってて、動けなかった。その日の事故で四人死んだ」
「その四人は」
「俺が行けば、たぶん助かってた」
直人は、ペンを止めなかった。
「たぶん、ですか」
「……そうだな。たぶんだ」
神崎は、そこで初めて口ごもった。
この人は、たぶん一年間その四人のことを考えている。
考えたうえで、次の日からまた出ている。
直人は、そこを掘らなかった。掘っても配置は決まらない。
面談の途中で、彼の端末が鳴った。
画面を見て、指で二回操作して、また机に置く。
断ったのではない。あとで行く、と返しただけだと分かった。
「続けてくれ」
「はい」
◇
三時間かけた。
直人が聞いたのは、能力の話ではない。
最後に休んだ日。食事の時間。移動の距離。断ったことのある回数。断ったあとに何が起きたか。誰から呼ばれるか。呼ばれ方の順番。
その三時間で、端末は四回鳴った。
直人は、四回とも時刻を書き取った。
二回目のとき、神崎は画面を見ながら片手で首の後ろを揉んだ。
四回目のときは、見もしなかった。手が勝手に操作していた。
「一つ、先に言います」
時間を使い切ったあとで、直人は言った。
「あなたは、今の仕事に向いてます」
神崎が顔を上げた。
「……なんだって」
「《絶界》の適性査定はSで、正しいです。防御系の役割に向いているという判定も正しいです。国内で、あなたの代わりになる出力は今のところありません」
「じゃあ、俺は何しに来たんだ」
「配置を変える相談で来られたなら、たぶん無駄足です」
神崎は、しばらく直人を見ていた。
「……はっきり言うな」
「はい」
「今まで何人にそれ言った」
「あなたが初めてです」
◇
分類に、四日かけた。
協会に上がっている神崎遼の出動記録は、去年ぶんで百二十六件あった。
一件ごとに、事故報告と、現地管制の記録と、参加した探索者の申告を並べる。
直人が最初に作った分類は、三つだった。
三日目に、それでは足りないと分かった。「神崎が行かなくてよかった」と「神崎が行っても行かなくても同じだった」は、別のものだからだ。
四日目に、四つに分け直した。
《絶界》の出力でなければ対応できなかった 三十八件
他の防御職でも対応できた 五十一件
封鎖そのものが不要だった 二十四件
到着前に現場が収束していた 十三件
「三十八件です」
直人は言った。
「あなたでなければならなかったのは、百二十六件のうち、三十八件です」
神崎は、紙を手に取らなかった。机の上のまま見ている。
「これ、あんたが決めたのか」
「私が分けました」
「事後に、記録だけ見て」
「はい。現場で決めるのとは違います」
直人は、二枚目を出した。
「なので、同じ記録を二人に渡して、別々に分けてもらいました。私の分類は見せていません」
「……誰に」
「救難管制部の篠塚さんと、現地管制の片桐さんです」
紙には、三人ぶんの分類が並べてある。
番号の横に、三つの丸が打ってある。三つ揃っているものと、揃っていないものがあった。
「三人で答えが割れたのは、九件でした」
「その九件は」
「全部、あなたでなければならなかった側に入れてます」
「多数決じゃないのか」
「割れたものを多いほうに寄せると、間違いが見えなくなるので」
直人は、そこを譲らなかった。
「私一人の分類なら、この紙は出しませんでした。三年間、そうやってきたので」
「……三年間?」
「自分の判断を、他人に見せる手順がなかったんです。先月まで」
神崎は、そこで初めて紙を手に取った。
◇
「その五十一件、誰が行くんだ」
しばらくして、神崎は言った。
「他の防御職です」
「何分遅れる」
直人は、答えられなかった。
「俺には協会が用意したヘリがある。他のやつにはない。呼ばれてから現場に立つまで、平均で二十二分だ」
「はい」
「他の防御職なら、早くて五十分。遠ければ二時間」
神崎は、紙を机に戻した。
「五十一件のうち、何件が、その差で死ぬ」
「……分かりません」
「だろうな」
◇
「分かりません。だから、五十一件を他の人に回してくださいとは言えません」
直人は言った。
「配置の話じゃないんです」
三枚目を机に置いた。
面談中に鳴った、四回の時刻だけが書いてある紙だ。
「三時間で四回です。全部、あなたが受けました」
「……仕事だからな」
「断ってません」
「断れないだろ」
「そうです」
直人はうなずいた。
「あなたが断らないんじゃないです。断る役が、決まってないんです」
神崎の指が、紙の上で止まった。
「呼ぶ基準はあります。協会規程の別表に、A級以上でも対応できない事案の類型が並んでます」
「知ってる」
「ないのは、二つです」
直人は、指を二本立てた。
「同時に三件来たとき、どれを先にするかの基準。それと、要請を断る基準です」
「……」
「基準がないので、本部は全部あなたに回します。回さずに人が死ぬと、回さなかった人の責任になるので」
「安全側に倒してるだけだろ」
「はい。全員、正しく安全側に倒してます」
直人は、そこを責めなかった。
「その結果、断る責任だけが、あなた一人に返ってます」
「……」
「倒れるまで、自分で決め続けることになります」
直人は、ペンを置いた。
「一人でやるのを、やめてください」
◇
神崎は、しばらく紙を見ていた。
「相馬さん」
「はい」
「それ、机の上の話だ」
立ち上がった。椅子の背もたれが、また小さく鳴った。
「現場で、目の前で人が死にそうなときに、順番を決める役が間に合うと思うか」
「……思いません」
「だろ」
神崎は、三枚の紙をきちんと重ねて、机に戻した。
持って帰らなかった。
◇
三日後の午後だった。
新宿第二ダンジョン、第四層から第五層にかけて、大規模崩落。
崩れたのは、層替わりの最中ではない。理由はまだ分かっていない。
崩落で第五層の退路が潰れ、そこへ第四層の魔物群が流れ込んだ。
さらに悪いのは、崩れ残った構造体だ。今も少しずつ動いている。二度目が来れば、下にいる者は全員出られない。
孤立、三十七名。
この規模は、新宿第二では過去に二回しかない。
二回とも、全員は帰っていない。
◇
現地救助本部は、来たときと同じ場所だった。
二階の、空調が効きすぎている部屋だ。
片桐が振り返った。
「……あんた、また近くにいたの」
「呼ばれました」
「誰に」
直人は、答える前に部屋を見た。
壁のモニタに、第四層と第五層の断面図が二つ並んでいる。
灰色の点が、いくつあるのか数えられない。
「片桐さん」
「なんだ」
「今日だけ、俺に配置を決めさせてもらえません?」
部屋の何人かが、こちらを見た。
「あんた、権限ないぞ」
「ないです」
「人が三十七人いるんだ。責任取れんのか」
「取れません」
直人は、そこで嘘をつかなかった。
「取れないので、片桐さんの権限で決めてもらいます。俺は案を出すだけです」
「……それ、ただの丸投げだぞ」
「そうです」
「開き直るなよ」
「開き直ってません。手順の話です」
直人は、断面図のほうを見た。
「案を出す人と、決める人と、あとで検証する人を分けないと、間違えたときに何が悪かったか分からなくなるので」
片桐は、二秒だけ黙った。
「……先月、あんた査定部に潰されたって聞いたぞ」
「はい」
「言うことが増えてないか」
「増えました」
◇
「片桐さん」
入口から声がした。
神崎遼が、そこに立っていた。作業ベストのまま、ヘリから直接来たのだと分かる立ち方だった。
「その案、俺は聞く」
「神崎さん」
「三日前に、この人に一回負けてる」
神崎は、部屋の中へ入ってきた。
「まだ納得はしてない。だから今日、確かめる」
片桐は、二人を交互に見た。
それから、時計を見た。
「……五分で出せ」
◇
直人は、四分で出した。
水瀬玲奈 救難管制 三十七名の救出
黒瀬悠真 戦術指揮 魔物群の抑制
神崎遼 封鎖 構造体の崩落を止める
黒瀬は、二十分前から現場に入っていた。配置は保留のままだが、東堂が三ヶ月の期限つきで試験継続を認めている。玲奈は、管制卓にいる。
配置というより、すでにいる人を線でつないだだけの紙だった。
「これだけか」
「これだけです」
片桐は紙を受け取って、二秒見た。それから顔を上げた。
「神崎を一点に固定したら、B区域が抜かれたとき誰が止める」
「黒瀬さんです」
「黒瀬が抜かれたら」
「そのときは、片桐さんが配置を変えてください」
「俺が決めるのか」
「決める人は片桐さんです。最初からそう言ってます」
片桐は、もう一度紙を見た。
「……三十七人だぞ」
「はい」
「外したら、俺が全部かぶる」
「はい」
片桐は、紙を卓に置いた。
「通せ」
◇
神崎が、直人のところへ来た。
「俺はどこへ行けばいい」
直人は、断面図の一点を指した。
構造体の南側だ。三十七人の位置とも、魔物群の流入口とも、別の場所にある。
「第五層の南です」
「そこへ行けばいいんだな」
「はい。ただし――」
直人は、顔を上げた。
「《絶界》を張ったら、そこから一歩も動かないでください」




